TETSU69とは? わかりやすく解説

tetsuya

(TETSU69 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 14:10 UTC 版)

tetsuya
別名 TETSUYA
T.E.Z P'UNK
TETSU P'UNK
TETSU69
DARK TETSU
tetsu
Tetsu
TETSU
生誕 (1969-10-03) 1969年10月3日(54歳)
出身地 日本滋賀県彦根市
ジャンル ロック
ポップ・ロック
ニュー・ウェイヴ
オルタナティヴ・ロック
ポップ・パンク
職業 ベーシスト
シンガーソングライター
ボーカリスト
ギタリスト
作詞家
作曲家
編曲家
クリエイティブディレクター
担当楽器 ベース
ボーカル
ギター
キーボード
活動期間 L'Arc〜en〜Ciel
1991年 -
TETSU69 / tetsu / TETSUYA
2001年 -
Like〜an〜Angel
2023年 -
レーベル SPROUSE[注釈 1]
Ki/oon Records
(2001年 - 2002年)
DREAM MACHINE
(2003年 - 2004年)
Ki/oon Music
(2007年 - 2012年)
EMI Records Japan
(2016年 - 現在)
LDH Records
(2020年)[1]
事務所 MAVERICK
(1992年 - 2006年)
GRAVIS
(2006年 - 現在)
共同作業者 L'Arc〜en〜Ciel
Creature Creature
岡崎達成、MIYO-KEN、K.A.Z、HIRO NAKAYAMA、亀田誠治鈴木智文ホッピー神山長谷川智樹橋本由香利、鈴木雅也、tasuku室姫深西平彰、鈴木雅也、安岡洋一郎、陶山隼
公式サイト TETSUYA Official Website

tetsuya(テツヤ、1969年10月3日 - )は、日本ミュージシャンベーシストシンガーソングライター

ロックバンドL'Arc〜en〜Cielのリーダー兼ベーシスト。前記バンドのコピーバンド、Like〜an〜Angelのベーシスト。元D'ARK〜EN〜CIEL、元P'UNK〜EN〜CIELボーカリスト。なお、2009年11月までは、tetsuというアーティスト名義を使用していた。

学生時代から様々なバンド活動を行っているが、本格的な活動は1991年にL'Arc〜en〜Cielを結成した頃から始まる。tetsuyaの演奏したベースが入ったスタジオ音源が発表されたのは、同バンドのオリジナルビデオ『L'Arc-en-Ciel』が初となる。L'Arc〜en〜Cielではメインコンポーザーの一人として、現在までにミリオンセラーを記録した「snow drop[2]の他、「Blurry Eyes」や「風にきえないで」「DIVE TO BLUE[3]Pieces」「Driver's High[3]finale」「STAY AWAY[3]READY STEADY GO[3]瞳の住人」「Link」「GOOD LUCK MY WAY」「Don't be Afraid」などの楽曲を作曲している。なお、tetsuyaは他のメンバーと比べ、L'Arc〜en〜Cielのフィジカルシングルの表題曲を一番多く作曲している。

2001年からは、新たなレーベル「SPROUSE」(読み:スプラウズ)を立ち上げ、TETSUYA名義でソロアーティストとしても活動している。ソロ名義の活動においてtetsuyaは、基本的にボーカルを務めており、楽曲によってはギターベースキーボード、プログラミングを担当している。さらにこのソロワークスでは、バンドでの作曲活動と同様に、自身が好むメロディアスなポップ/ロックナンバーを制作・発表している。ちなみに、プロジェクトを開始した直後は、本職のベースを弾く想定はしておらず、シンセベースを採り入れ、いわゆるデジタルロックな楽曲の制作を目指していたという[4]。なお、TETSUYAは現在までに、アルバム3作品、EP盤1作品、シングル12作品、映像作品5作品を発表している。ちなみに、このソロワークスでは当初、TETSU69名義を使っていた。余談だが、SPROUSEでは自身のソロ名義作品以外に、winnietae、Sepaなどのバンドの作品も発表されていた。

そして2005年には、自身が愛聴していたバンドDEAD ENDでボーカリストを務めるMORRIEが始めたソロプロジェクト、Creature Creatureにサポートベーシストとして参加している。2006年には、Creature Creature名義で発表されたアルバム『Light & Lust』に、自身がコンポーザーを務めた楽曲「パラダイス」「風の塔」を提供している。また、2023年にはL'Arc〜en〜Cielのコピーバンド、Like〜an〜Angelという新たなプロジェクトを始動しており、様々なミュージシャンが流動的に参加している。

他には、相川七瀬KEYSHINee)、ピコ楠木ともりに自身が作曲した楽曲を提供している。また、音楽活動以外には、2019年からファッションブランド「STEALTH STELL'A」(読み:ステルス ステラ)でクリエイティブディレクターを務めている[5]

マネジメントは、2006年4月に自身が設立したGRAVIS。所属レーベルは、ユニバーサルミュージック内のEMI Records Japan。ソロ名義の公式ファンクラブは、2015年に設立した「CÉLUXE」(読み:セリュックス)。

概要

プロフィール

1969年10月3日滋賀県彦根市内の病院にて生まれる。血液型はA型で、2歳ずつ年の離れた妹が2人いる。なお、2007年の年末には、女優モデル酒井彩名と結婚。酒井との間には2014年に長男、2016年に長女が誕生している。ちなみに自身が結成したL'Arc〜en〜Cielでギタリストを務めるkenは、同郷で幼馴染の関係にあたる[6]

バンドメンバーやファンからの愛称は「てっちゃん」。

学生時代 - バンド仲間との上阪

幼い頃から手先が器用で、F1レーサーを夢見ていた時期があったり、プラモデル屋をやってみたいと考えていた頃があったという。そして小学校4〜5年生の頃に、音楽を意識的に聴くようになり、1970年代後半の歌謡曲の他に、一風堂イエロー・マジック・オーケストラなどを好んで聴いていたという[7]。後年tetsuyaは、小・中学生の頃を振り返り「当時はラジオをよく聴いてました。ラジオの深夜放送で洋楽を聴いたりして、すごく音楽を聴くようになったんですけど、自分で楽器をやろうとか、音楽をやろうとかは全然考えてなかったです[7]」と述懐している。また、1980年代に登場したMTVもよく観ていたといい、デュラン・デュランカジャグーグーが好きだったという[7]

さらにこの頃は、実家の向かいに住んでいる二つ上の先輩(愛称:コウちゃん[8])の家に、近所に住んでいた一つ上の幼馴染のkenと3人で放課後に集まり、ほぼ毎日レコードを聴いていたという[7]。二つ上の先輩の家に集まって遊び始めた中学1年生の頃には[9]、すでにkenと二つ上の先輩がギターを始めていたこともあり、kenに「tetsu、ベースでもやれば[9]」「ギターの弦は6本でベースは4本[7]」とベースを弾くことを勧められる[7]。kenの言葉を真に受けたtetsuyaは「4本か、じゃあ楽やな[9]」と思い、母親にベースを買ってもらったという[7]。しかし、注文したベースが家に届いたときに、ベースがギターよりサイズが大きいことを初めて知ったため、tetsuyaは「こんなデカい楽器を、何でkenちゃんより小さい俺がやらなアカンの?」と思ったといい、当時について「ひとりで弾いてても全然おもしろくなかった」と述懐している[7]。ただ、tetsuyaは「ベースっていうよりも、バンドをやるのが楽しかった」と述べており[10]、自らバンド活動を始めるようになる。なお、中学校の文化祭では、バンドとしてステージに立ち、マイケル・シェンカーのコピーをしたという。

高校生になった頃には、先に進学していたkenや上記の先輩がバンドを組み始めており、市民会館を借りてライヴイベントをするようになっていたという[10]。イベントに観客として訪れたtetsuyaは、そこで知り合った仲間に誘われ[10]PRISONERというバンドに加入する[11]。tetsuya曰く、自身が入る前のPRISONERは、REACTION[11]やSNIPER[11]のコピーをしていたが、tetsuyaの提案でDEAD ENDの楽曲を演奏するようになったという[11]。そしてtetsuyaの意向により、バンド名をByston-Wellに変更することになった[11]。こうして後から入ったにもかかわらず、いつの間にかリーダー的なポジションに収まっていたという[11]。ちなみにByston-Wellというバンド名は、tetsuyaが好きで観ていた富野由悠季原作のアニメ『聖戦士ダンバイン』に登場する架空の異世界の名前が元ネタになっている。tetsuyaはこのバンド名について、2004年に発表されたインタビュー本『哲学。』において「僕がつけました。好きなアニメからとった名前です。アニメ好きにはすぐわかるネタですね[11]」と述べている。また、tetsuyaはByston-Wellの当時のメンバーについて「使ってる機材もすごかったんですよ。ドラムとかはツーバスで、いかにも高そ〜なドラム使ってて。ギターの奴はマーシャル(アンプ)持ってましたからね。見た目、テクニック、持ってた楽器を含めて、とても高校生とは思えなかった[12]」「俺としては入れてラッキーという感じでした[12]」と述懐している。

こうして新たにByston-Wellを名乗り活動を進めていくが、ギタリストとドラマーが抜けることになってしまう。tetsuya曰く、2人が脱退する予兆はあったといい、「2対2に分かれる雰囲気があった[13]」と当時を述懐している。なお、Byston-Wellは2人が辞める直前に、とあるバンドコンテストに出場し優勝を飾っている[13]。この大会で優勝したことをきっかけに、テレビ中継される関西四国沖縄大会まで歩を進めており、このときtetsuyaは初のテレビ出演を果たしている[13]。そして大会終了後、「これ(大会)終わったら辞めるわ[13]」と言っていたギタリストとドラマーが、プロを目指し脱退することになる。

ギタリストとドラマーが抜けたことを受け、tetsuyaは幼馴染のkenに声をかけたという[10]。そして新たに、社会人のドラマーをバンドに加えている[10]。このときのメンバーチェンジのエピソードについて、後年tetsuyaは「元のギターとドラムもその地域では上手だったんですけど、kenちゃんとそのドラムが入って、むちゃくちゃうまくなりましたね[10]」と述懐している。こうしてkenと新しいドラマーを迎えた新体制のByston-Wellは、再びバンド大会に出場し、審査員特別賞を受賞するに至っている[10]。ただ、学業が忙しくなったためkenが抜け[10]、ドラマーもプロを目指し東京に行くため脱退することになる[10]。2人の脱退以降もメンバーを新たに招き入れ、Byston-Wellはしばらくの間存続したが、それぞれのメンバーが各々の進路を決め始め、空中分解のように解散している。

ちなみにtetsuyaが高校生だった頃のByston-Wellでは、tetsuyaとkenを除く、多くのメンバーが「プロになる」という意志を持ってバンド活動していたという。ただ、tetsuyaはこの当時、「プロになろう」という気持ちが全くなく[10]、自身にとってバンド活動は「趣味のひとつ」であった。そのため、あるメンバーから「プロになるために東京に行かないか」と誘われたときも、「バンドなんかで食っていけるわけがない[14]」と思っていたtetsuyaは「俺は無理[10]」と断っていた[10]。なお、tetsuya曰く、高校卒業後は音楽の専門学校に進学することを考えていたというが[10]、結局進学をやめ、アルバイト先の地元のレコード店で働き続けることにしたという[10]。後年tetsuyaは、高校生の頃を振り返り「僕は高校を卒業したら音楽の専門学校に行こうと思って段取ってたんですけど、直前に行くのを辞めたんです。高校時代はずっとレコード屋さんでバイトしてて、そこで友達も増え、相談に乗ってくれる先輩も増え、レコード会社の営業マンとかとも知り合いになり、いろんな人と話をする中で"やっぱや〜めた"って。で、そのレコード屋さんにフリーターとして。それまでは土日ぐらいしかバイトに入れなかったのを"毎日入れます"って感じで(笑)。そうやってレコード屋でバイトしながら、バンドやりながら、将来は何をしたいか考えようと思ったんです[10]」と述べている。ただ、バンドはやっていたかったようで、tetsuyaは2004年に発表されたインタビュー本で「将来なりたいものって特になかったんですよ。こういう仕事したいとか。かといって、バンドをここでやめちゃうのもヤだな、と思ってて。もうちょっとバンドはやりたいから、フリーターしながらバンドをやろうかって感じで高校は卒業しました[15]」と述べている。

そうした中、tetsuyaは、自身のアルバイト先にやって来たByston-Wellでギタリストを務めていた男から、大阪に出て一人暮らしを始めることを知らされる。そして大阪に出るために物件を探していることを聞いたtetsuyaは、その男に「ついでに(家賃相場を)見てきてくれないか[14]」と何気なく話をしたという[14]。すると、その男が何を思ったか勝手に2人分の部屋の内金を入れてしまったため[14]、tetsuyaは内金惜しさに大阪に移住することを決める[14]。そのため、このタイミングで大阪に出て一人暮らしを始めることは、tetsuyaの本意ではなかったという[14]。余談だが、tetsuyaは2010年に受けたインタビューで、このエピソードを振り返り「勝手に部屋を決めてきちゃったっていうアクシデントがなければ、僕は今ここにいないと思います[16]」「だから、そいつには感謝したいんですけど、まったく連絡先も知らないんで(笑)[16]」と述べている。

hiroとの出会い、hydeとperoへの勧誘

内金惜しさで大阪に出てきたtetsuyaは、有名レコード店(ワルツ堂)でアルバイトをしながら[17]、バンドメンバーを探し始める。なお、この時期は、雑貨店[18]や工場[18]でも働いていたことがあったという。

有名レコード店でバイトを始めてからは、キャンペーンに来たミュージシャンと出会う機会が増え、tetsuyaが愛聴していたバンド、DEAD ENDのメンバーも店に立ち寄ったことがあったという。そしてこの店で、当時大阪のシーンで有名だったバンド、BILLY & THE SLUTSのボーカルを務めるSAMMYと知り合い[16][19]、「いいギターがいる」と、L'Arc〜en〜Cielの結成メンバーとなるhiroを紹介される[16][19]。その後tetsuyaは、hiroと2人でバンドを結成する方向で動いていくが、形にならず終わってしまう[16]。このあともメンバーを探すため、ライヴハウスを頻繁に訪れていたtetsuyaは、とあるギタリストに「今度スタジオで音を出そうと思ってる、ちょうどベースがいないから合わせてみる?[19]」と誘われ[16][19]、そのセッションに参加することにする[16][19]。そこで、L'Arc〜en〜Cielの結成メンバーとなる、Jelsarem's Rodhydeとperoに出会ったという[16][19]。余談だが、この当時tetsuyaはバンドメンバーを探すため、多くのミュージシャン志望の人とセッションしていたといい、その中には当時Luis-Maryのボーカリストとして高い知名度を持ち、後にT.M.Revolutionとしても活動を始める、西川貴教(当時は"灰猫"名義で主に活動)もいたという[16]

上記のhydeとperoとのセッションを振り返り、tetsuyaは2010年に発表された書籍のインタビューで「課題曲を決めておいて、セッションで何曲か合わせて…お互いに様子見ですよね、お見合いみたいな。peroちゃんとhydeは一緒にバンドをやってて、僕は僕で、別のところで、hiroとふたりでメンバーを探してたんですよ[16]」と述懐している。そしてtetsuyaは、L'Arc〜en〜Ciel結成に向け、大きな一歩を踏み出すことにする。というのも、tetsuyaはhydeとperoと出会った際に、"hyde、pero、hiro、自分で全部がつながった"、"すごいバンドになる"と直感的に感じたという[16]。そのため、tetsuyaは「自分とバンドを組まないか」とhyde、peroの2人に打診したという[16]。ただ、「Jelsarem's Rodを結成したばかりだから」という理由で、hydeに断られてしまう[16]。それでも諦め切れなかったtetsuyaは、Jelsarem's Rodのライヴに足繁く通い、hydeとperoを口説き続けたという[16][20]。この当時のtetsuyaの熱烈な勧誘を振り返り、hydeは「その時(セッションの時)にtetsuyaは俺らに目をつけてたみたいで。それから毎回、俺らのバンドのライヴに来てくれるようになって、打ち上げにも来たし電話もあったんだけど、"どう?バンド、調子ええ?"って聞くから"うん、調子ええよ"って言うと、"そっか"って残念そうにしてたな(笑)[20][21]」と述べている。また、後年tetsuyaは、このときの自身の行動について「ちょっと今では考えられない(笑)。当時はもっとおしゃべり、おしゃべりじゃないな、積極的な少年やって[22]」と振り返っている。なお、peroはtetsuyaの誘いに乗り気だったようで、tetsuya曰く「"hydeがOKしたら俺はいつでも行くよ"的なことを言ってた[22]」という。

止めどないラヴ・コールを受け続けたhydeは、Jelsarem's Rodの先行きが見えなかったこともあり、tetsuyaと一度セッションすることを決意する[22]。そして、1991年2月頃、hyde、tetsuya、peroに、tetsuyaと共にバンドメンバーを探していたhiroを加えた4人は、兵庫県西宮北口駅のスタジオでセッションを行う[22][23][21]。このセッションでhydeは「やっぱり自分達のバンドとは全然クオリティーが違う」と感じ[21]、tetsuyaからの誘いに「一緒にやろう」と返答し[21]、Jelsarem's Rodを解散させることにする[21]。こうして、tetsuyaとhyde、hiro、peroの4人は新たなバンド、L'Arc〜en〜Cielを結成した。

L'Arc〜en〜Ciel結成、様々なプロジェクトでの活動 - 現在

L'Arc〜en〜Cielの結成メンバーであるhyde(左)とtetsuya(右)。2012年3月25日開催のニューヨークマディソン・スクエア・ガーデン公演の写真

新たなバンドを結成したtetsuyaは、1991年5月30日難波ロケッツでL'Arc〜en〜Cielのファーストライヴを開催する[24]。このライヴはいわゆる対バン形式だったが、100人以上の動員を記録。そして、1991年9月27日に同所でL'Arc〜en〜Cielとして初のワンマンライヴを行い、300人以上の観客を集めている[24]。こうしてL'Arc〜en〜Cielは、結成して間もなくバンドが軌道に乗り始め、大阪を中心に様々な活動を展開していくことになる。なお、L'Arc〜en〜Cielが結成当初から一定の人気を獲得できていたのは、hyde曰く、hiroが以前組んでいたバンドで名を知られていたことや[25]、tetsuyaの考えたプロモーション・イメージ戦略によるところが大きいという[25]

この当時のアマチュアバンドの多くは、手作りのデモテープを販売することで活動資金を集め、それをもとに様々な地域でツアーと称し、長期的なライヴ活動を行うことが定番になっていた[26][27]。こういったバンドが溢れる中、活動最初期の頃のL'Arc〜en〜Cielはデモテープの販売を避け、あえて大阪からあまり動かず、先々のライヴ予定も発表しないスタンスをとっていた[26]。ライヴの開催数を減らし、長期のライヴスケジュールを発表しない戦略をとったことによって、口コミが喚起され、動員数が増加していったとtetsuyaは当時を述懐している[26]。なお、ライヴを行った際は、メンバー主導で音楽雑誌編集者に対し、公演の模様や動員数などの情報を送り、より外に話題を広げていくためのプロモーション施策を行っていたという[27]。後年hydeは、こういったバンドを広める戦略について「バンドがたくさん居る東京に行くよりも、大阪で一番になった方が目立つだろうっていう、tetsuyaの考え方もすごく賢いと思ったし。実際その通りになった[28]」と述懐している。

また、観客との距離を詰め、ライヴの打ち上げに客を参加させるアマチュアバンドがこの当時多く存在していたが、L'Arc〜en〜Cielはこういったファンとの過度なコミュニケーションを一切行わないようにしていた[17]。さらに、tetsuya曰く、ブランディングの観点から、メンバーが自作したライヴのチラシやフライヤーを直接配布する行為をしないようにしたり[29]、会場に出入りする観客の前でメンバーが演奏機材を運搬するといった行動を避けるため、結成当初からローディーやスタッフを雇っていたという[17]。こういったイメージ作りについて、後年tetsuyaは、2022年に公開された自身がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組で「ブランディングとして人気があるように見せた、最初から[17]」「ラルクとして機材を自分達で(会場に)運んだなんてことは歴史上ない[17]」「売れる前から徹底してやってたんですよ。"勘違いしてる"と言われようと[17]」と述べている。

上記のような、頭を使った戦略をとったことで、L'Arc〜en〜Cielは結成してすぐにワンマンライヴで客席を埋めることができ、当時のバンドの滑り出しとしては稀に見る順風満帆なスタートとなった。そしてL'Arc〜en〜Cielは、紆余曲折がありながら、結成から約2年後の1993年5月に1stアルバム『DUNE』を発表。1994年7月にはメジャーデビューシングル「眠りによせて」、2ndアルバム『Tierra』をリリースし、メジャーレーベルでの活動を開始する。ちなみにtetsuya曰く、L'Arc〜en〜Cielを結成した後も「必ずプロになろう」という意志はなかったといい、「ゆくゆくはそうなるんだろうけど、メジャーデビューが目的なわけじゃなかった」と述懐している。そのため、メジャーデビュー日を知った際も、「もうちょっと先でええんちゃうかな?」と思っていたという。なお、L'Arc〜en〜Cielは1994年から現在に至るまで、ソニー・ミュージック内のKi/oon Sony Records(現:Ki/oon Music)と契約し、音楽活動を行っている。余談だが、tetsuyaはKi/oon Sony Recordsと手を組んだ理由について「キューンって当時まだ新しいレーベルだったんですよね。スタッフも若いし、考え方も若い[30]」と2006年に受けたインタビューで語っている。メジャーデビューしてからもL'Arc〜en〜Cielは、メンバーチェンジを挟みながら活動を進め、30年以上のキャリアを積んでいくことになる。(その後の活動の詳細はL'Arc〜en〜Cielの頁』を参照)

ちなみに、L'Arc〜en〜Cielは結成後、3回にわたりメンバーの脱退・加入が繰り返されているが、新加入したメンバーはいずれも、バンドの発起人であるtetsuyaの知り合い、もしくは直接知り合っていないながら、奇しくもバンド結成の流れの中に居合わせていた人物となっている。例えば、hiroと入れ替わるかたちで1992年に加入したギタリストのkenは、前述のように自身の幼馴染で、元Byston-Wellのメンバーでもあった。そして、peroと入れ替わるかたちで1993年に加入したsakuraは、tetsuyaがアルバイトしていたレコード店に訪れたロックバンド、DEAD ENDでドラムを担当していた湊雅史のローディーを務めており、tetsuyaと直接知り合っていないものの、アルバイト先に赴いていたことがあった[16]。そして、sakura脱退後の1998年に加入したyukihiroは、当時ZI:KILLのドラマーを務めており、tetsuyaが、hydeとperoの2人も赴いた最初のセッションに招待したギタリストとライヴハウスで接触した当日に、奇しくもそこでライヴをしていたという[16]

そしてtetsuyaは、L'Arc〜en〜Cielにおいてベーシストであるとともに、バンドのリーダーの役割も担っている。結成した段階ではバンドにリーダーはいなかったが、hydeの推薦によりtetsuyaがリーダーになっている[31]。tetsuyaをリーダーにしようと考えた経緯について、hydeは2012年に発表した自叙伝で「先導が誰かを決める必要があったんだと思う。本人が"リーダーになる"って言えないだろうから"tetsuyaがリーダーに相応しいと思う"って言ったんだよ。tetsuyaは当時からしっかり者だったからね[31]」と述べている。なお、tetsuyaは2012年に発表したインタビュー本『哲学2。』で「リーダーじゃなかったら、僕、もっと気軽にヘラヘラしてますよ。そこからかな、責任感はもともとある方だったけど、より一層、ちゃんとやらなきゃいけないって思うようになった[32]」「L'Arc〜en〜Cielのリーダーという立場じゃなかったら、こんなに物事を細かく考えなかったと思うし。違う人格になってたんじゃないですか?L'Arc〜en〜Cielが僕を育ててくれたのは事実だし、感謝してますね[32]」と述べている。

L'Arc〜en〜Cielとしての活動が約10年ほど続いたころ、2001年半ばあたりから、一部のメンバーの希望もあり、それぞれソロワークスを始めるようになる。このタイミングでtetsuyaは、TETSU69名義でソロ活動を開始している。tetsuyaは、バンド活動と並行しながら現在までソロワークスを進めており、自身が好むメロディアスなポップ/ロックナンバーを数多く制作している。なお、tetsuyaはソロ名義の活動ではボーカルを担当している。ちなみにtetsuya曰く、ソロ活動を始めた当初は本職のベースを弾く想定はしておらず、シンセベースを採り入れ、いわゆるデジタルロックな楽曲の制作を目指していたという[4]。ただ、心境の変化や周りからの意見もあり、徐々に自身がレコーディングでベースを弾くようになっている。

また、2005年にtetsuyaは、自身が愛聴していたバンドDEAD ENDでボーカリストを務めるMORRIEが始めたソロプロジェクト、Creature Creatureにサポートベーシストとして参加している。そして2006年には、Creature Creature名義で発表されたアルバム『Light & Lust』に、自身がコンポーザーを務めた楽曲「パラダイス」「風の塔」を提供している。なお、tetsuyaはCreature Creatureの他に、相川七瀬KEYSHINee)、ピコ楠木ともりに自身が作曲した楽曲を提供している。

さらに、2023年には、L'Arc〜en〜Cielのコピーバンド、Like〜an〜Angelという新たなプロジェクトを始動。これは、コピー元のバンドメンバーが結成する前代未聞のコピーバンド・プロジェクトであり、tetsuya曰く「ソロ活動をしていますが、ヴォーカルでの活動が中心で、ベースをライヴで弾く機会がない。個人練習はできてもステージに立たないと腕がなまるし、ライヴで弾くならラルクの楽曲をやりたい[33]」という思いから企画がスタートしたという。また、tetsuyaはコピーバンド企画を思い付いたきっかけについて「プライベートで、コピーバンドが生で演奏する店にいったんです。そこでは自分が中学生の頃に聞いていた1980年代の洋楽のハードロックを演奏していたんですが、場がすごく盛り上がっていた。それを見て、誰が演奏しているとか、誰が歌っているかとかじゃなくて、楽曲のパワーが盛り上がりをつくっていることを痛感して、コピーバンドもありだな、と[33]」と述べている。さらに、tetsuyaは「ラルクの楽曲を待っているファンからしたら"いやいや、そういうことじゃないでしょ" "ラルク動かせよ"という声は当然あると思いますが、悪い方に捉えないで欲しい。僕がハードロックのコピーバンドの演奏を楽しんだように、ただラルクの楽曲を楽しんでもらいたい[34]」と述べている。なお、この企画には、スケジュールの都合もあり様々なミュージシャンが流動的に参加しているが、ボーカルは固定されている。このコピーバンドのボーカルは、とある国のミュージック・バーで歌っていた男であり[35]、jekyll(読み:ジキル)という名義で参加している。余談だが、L'Arc〜en〜Cielの元メンバーであるsakuraは、Like〜an〜Angelのライヴに観客として行ったことがあるという[36]

音楽活動以外では、2019年からファッションブランド「STEALTH STELL'A」でクリエイティブディレクターを務めている[5]。なお、このブランドでは、トップスボトムスアウターシューズバッグアクセサリーと万遍なくアイテムを展開しており[5]、L'Arc〜en〜Cielのライヴにおいてコラボレーショングッズが販売されている。また、後年には「STELLAGE」(読み:ステラージュ)というライフスタイルブランドもスタートしている[5]。このブランドのこだわりについて、tetsuyaは「こだわりというのとはちょっと違うかもしれませんが、僕はSTEALTH STELL'Aのすべてに携わっているんです。関わり方の度合いはアイテムによってまちまちですけど、最終的に僕がOKを出したものだけが世に出ているということなんです。なので、有名人の名前だけ借りてかんたんに作っているブランドといっしょにされるのはいやだな、とは思いますね[5]」「自分が着たいものを作っています。お客さんの反応も気にならなくはないですが。あまり数は作り過ぎないように。欲しいけどなかなか手に入らないくらいのバランスを目指しています。僕自身がそういうブランドが好きなので[5]」と述べている。そして2023年10月3日には、新ブランド「STELLA GEAR」(読み:ステラ ギア)を本格的に始動[37]。このブランドでは、これまでESPやEdwards名義でリリースされていた既存のtetsuyaシグネイチャーモデルの楽器の受注を開始することはもとより、ベースのみならず、新たなアイテムも発表されている[38]。余談だが、過去にtetsuyaは、ルコックスポルティフディーワンミラノとのコラボレーショングッズも手掛けていたこともある。

ちなみにtetsuyaは、かつて音楽雑誌『CDでーた』で「私的嗜好マガジン tetsu's press」と題したコラムを担当していたことがある。このコラムは、tetsuyaのアンテナに引っかかったガジェットなどを紹介する企画となっている。また、2004年にはtetsuyaへのインタビュー本『哲学。』、2005年には自身が所有する機材などを紹介する写真集『tetsu's gear closet』が発表されている。さらに2010年には、音楽雑誌『ベース・マガジン』が企画するムック本『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』が発行されている。そして2012年には、約8年前に発表したインタビュー本の続編となる『哲学2。』が発売されている。この本の巻末には、西川貴教T.M.Revolution)や室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS)、宮田和弥JUN SKY WALKER(S))、相川七瀬、NIGOTERIYAKI BOYZ)、MICROHOME MADE 家族)、小池敦といった親交のあるミュージシャンの他、アートデザイナーの前田浩志、インテリアスタイリストの溝口至亮、ヘアメイクの荒木尚子、ラジオプロデューサーの神津梓、クリエイターの箭内道彦、L'Arc〜en〜Cielの所属事務所代表の大石征裕、L'Arc〜en〜Cielの元A&R担当でのちにKi/oon Music代表となった中山道彦へのインタビューが掲載されている。

バンド・ソロワークス遍歴

(※) 太字はバンドもしくはユニット。正式メンバーとして参加していないCreature Creatureなどのバンドに関しては除外。

音楽性

パート

L'Arc〜en〜Cielでは、本職のベースだけでなく、楽曲によってはギター[注釈 2]パーカッション[注釈 3]キーボード[注釈 4]プログラミング[注釈 5]をレコーディングで担当している。さらに、L'Arc〜en〜Cielのパートチェンジバンド、D'ARK〜EN〜CIELではDARK TETSU名義で、P'UNK〜EN〜CIELではT.E.Z P'UNK名義(2009年11月末まではTETSU P'UNK名義)でボーカルを担当している。

また、L'Arc〜en〜Cielでは活動初期のライヴから、多くの楽曲でコーラスを担当している。ただ、tetsuyaがレコーディングでコーラスを単独で担当したのは、1996年に発表された自作曲「風にきえないで」が初となる(1995年に発表されたアルバム『heavenly』収録の「静かの海で」のレコーディングで、当時のメンバー4人がコーラスを担当している)。この作品以降、L'Arc〜en〜Cielのレコーディングにおいて頻繁にコーラスを担当するようになっている。特に自作曲の音源でコーラスを担当しているが、「LOVE FLIES」や「Coming Closer」といった他のメンバーが作曲した楽曲でもレコーディングでコーラスを担当している。他にもL'Arc〜en〜Cielでは、自作曲の「Pieces」や「finale」の制作で、外部のアレンジャーと共同で弦編曲を行っている。

2001年から活動を開始したソロ名義での活動では、メインボーカルを務めており、ほぼすべての楽曲の作詞・作曲、そして全作品のプロデュースを自らの手で行っている。また、曲によってはベース、ギター、プログラミングを担当している。ちなみにソロ名義で発表した初となるアルバム『Suite November』では、収録曲の約半数でtetsuyaがベースを弾いておらず、ギターを弾いている曲のほうが多い。そのため、tetsuyaはこの作品における自身の立ち位置について「ベーシストというよりギタリストですね[4]」と述べている。そして2011年に発表した次作『COME ON!』では、ほぼすべての収録曲にtetsuyaがプレイしたギターが収められている。

楽曲制作

tetsuyaが在籍するL'Arc〜en〜Cielは、"メンバー全員がソングライター"というバンドスタイルを採っている。tetsuyaの作曲した楽曲数は、ken作曲の楽曲より少ないが、フィジカルシングルの表題曲になった楽曲に関しては15曲以上におよぶ。そのため、シングル表題曲になった楽曲の割合は、メンバー4人の中で一番大きい。なお、結成初期のL'Arc〜en〜Cielでは、コード進行やオケを作った者が作曲者としてクレジットされることが慣例になっていたが[39]1996年に発表したシングル「風にきえないで」からは作曲者がオケに加え歌メロも制作するようになっている[39]

ちなみにtetsuya曰く、初めて曲を作ったのは中学生の頃だったという[40]。中学生時代を振り返り、tetsuyaは「本当の初めてだと、中学の時の音楽の授業ですね。作曲の宿題があったんですよ。出来た楽曲は割とシンプルなものだったと思います[40]」「幼い頃は、曲なんて誰でも作れると思っていたんです。鼻歌で適当にメロディを作っていたので、それが特別なことだとは全く思っていなかったんです[40]」と述懐している。このような中学生の頃の体験から、作曲することに対し特別な感情がなかったこともあってか、L'Arc〜en〜Cielを結成する前に組んでいたバンドのころは、他のメンバーに作曲を基本的に委ねていたという。しかし、当時組んでいたバンドで曲を書くメンバーが抜けたため、本格的にバンドで作曲をするようになった[41]。なお、1994年にL'Arc〜en〜Cielが発表した「Blurry Eyes」は、tetsuyaが学生の頃にkenと組んでいたバンドにおいて、自身が制作した音源が基になっている[42]

tetsuyaが制作する楽曲の多くは、浸透力あるメロディーラインが特徴で[43]、L'Arc〜en〜Cielの共同プロデューサーを務める岡野ハジメ(ex.PINK)はtetsuya作曲の楽曲を「テツポップ[44]」と表現している。tetsuyaは、自身が作曲するうえで意識するメロディについて「メロディがしっかりしてないと、アレンジする意味がないと思うので。そのメロディに対して、どうコードをつけるのかとか、どういうリズムパターンにするか、どんなオケを作るのかといったことを考えるんです。まずメロディがしっかりしてなければ、そういう作業をする意味がないと思ってますから[45]」と述べている。

ちなみにL'Arc〜en〜Cielのメンバーであるkenは、作曲者としてのtetsuyaについて「メジャー・キーを愛す男だなと。ある種メロディで、十代の持つ気持ちを忘れてないなという感じがしますね[46]」と評している。また、岡野ハジメはL'Arc〜en〜Cielの楽曲について、tetsuyaの作る曲に触れたうえで「特殊なバンドですよね。特にyukihiroくんの曲とかは結構マニアックですから。とかくある程度成功していったバンドはマニアック方面にズブズブといってしまう場合が多いんですけど、そのへんはちゃんとポップチューンを押さえてる。特にtetsuの曲とかは、こういう中で聴くといつも温かい気持ちになりますからね、出てきた瞬間に。イントロが出た瞬間になんか温かいというか、こう、お家に帰ってきた感というの?すごい哀愁感が、ホッとさせてくれるというか[44]」と述べている。

tetsuyaが作曲したL'Arc〜en〜Cielの代表的な楽曲として、ミリオンセラーを記録した「snow drop」の他、2000年代U.S.ポップ・パンクの雰囲気を纏ったスリリングなスピード感にあふれたロックナンバー「READY STEADY GO」があげられる。また、「Driver's High」「STAY AWAY」「自由への招待」「GOOD LUCK MY WAY」などの疾走感のある楽曲や、「あなた」「Pieces」「瞳の住人」のようなストリングスをフィーチャーしたバラードソングも作曲している。他には、流麗なアルペジオが印象的な「Floods of tears」や、コードが循環し続けるロックナンバー「Blame」、ブルー・アイド・ソウルの雰囲気を意識し制作された「C'est La Vie」、1980年代ニュー・ウェイヴを彷彿とさせるシンセ音が入った「DIVE TO BLUE」、フィラデルフィア・ソウルのような雰囲気のストリングスとモータウン的なリズムが印象的な「Link」、華やかなフレンチポップ・テイストの「Bye Bye」などを手掛けている。

さらに、上記のような明るい印象を抱かせる楽曲に対し、歪みの効いたギターリフから始まるロックナンバー「死の灰」、ブリストル特有のサウンドを入れ込んだ仄暗さのあるバラード「finale[47]、シーケンシャル・ギターと打ち込みのリズムと生ドラムが絡み合う「TRUST[48]など、ダークな楽曲も時折手掛けている[43]。L'Arc〜en〜Cielのメンバーであるhydeは、作曲者としてのtetsuyaの印象について「ポップなシングルのイメージが彼にはあるけど、なんでもできる人だよ[49]」と述べている。

2001年から開始したソロ名義における楽曲制作でも、L'Arc〜en〜Cielで制作してきた音源と同様に、様々な方向性でアレンジされたメロディアスな楽曲を発表している。tetsuyaはソロ名義での音源作りに関し、「元々別に"バンドで出来ないことをソロでやろう"っていう感じでもなかったんですよ。そういう方もいるとは思うんですけど、僕の中ではそれはない[50]」と述べている。そのため、バンドで自身が手掛けてきた楽曲と同様に、「蜃気楼」や「Roulette」「lonely girl」「愛されんだぁ I Surrender」「I WANNA BE WITH YOU」のようなメロディアスな楽曲を多く手掛けている。

ちなみに、ソロ活動を始めた段階では、自身がベースを弾かずシンセベースを使用した楽曲を手掛けていた。その理由について、tetsuyaは「ベーシストのソロ・アルバムでベースを弾くって、当たり前で嫌だなぁと思ってたし、デジタル・ロックにしたかった[4]」と語っている。ただ、紆余曲折あり、多くの楽曲のレコーディングで自身がベースを弾くようになっている[4]。なお、tetsuyaは現在までに「wonderful world」や「Pretender」「empty tears」「流れ星」「誰がために鐘は鳴る」といったソロ名義の楽曲で、一切ベースを弾いていない。

なお、tetsuyaは自身のポップ・ミュージック観や、世間で言われる"ロック"という言葉のイメージについて「ポップっていう感覚が人とはズレているのかもしれない。メタリカとか、めちゃくちゃポップだと思うし。リンプ・ビズキットだってポップだし。リンキン・パークだって全然ポップ。相手によるんじゃないですか。ホント、素人の音楽に詳しくない人に伝えるにはそういう言葉(ロック)がいちばん伝わりやすいだろうし。音楽に詳しい人だと、そういう言葉で片付けないでよとは思う[51]」「ロックっぽくするにはギター歪ませりゃいいのか、革を着りゃいいのか。それだけでロックになるなら、ロックって簡単、お手軽、誰でも出来るって思っちゃう[52]」「サウンドでいうと、ギターが歪んでいれば、ディストーションサウンドならロックなの?って。じゃあ、クリーンのギターだとダメなの?ファッションにしても、なんか革で黒っぽい格好がロックなの?そうじゃないとロックじゃないの?そういう使い方をされるロックって言葉が好きじゃないですね[52]」と2012年に発表されたインタビュー本で述べている。

音楽ルーツ・音楽的嗜好

主に1970年代後半から1980年代に隆盛だったニューウェイヴニューロマンティックシンセポップHR/HM、他には1990年代以降のオルタナティヴ・ロックポップ・パンクを好んで聴いている。

自身の音楽の原体験のひとつとして、小学3年生のころにテレビで観た沢田研二をあげており[53]、tetsuyaは当時を振り返り「パラシュートはさすがにやらなかったけど(笑)、「カサブランカ・ダンディ」は帽子をこうやって、投げるじゃないですか。そういうのはやってましたね。あと、バーボンを飲んで、パッと口から出すのをやってました、水で(笑)[54]」と述懐している。また、tetsuyaは自分にとってのアイドルとして、ジュリー(沢田研二)とビリー・アイドルの名前をあげている[55]。さらに小学生の頃は、ジュディ・オングのマネもしていたといい、何の気なしに歌を口ずさんでいたと振り返っている[54]。そして小学6年生頃には、イエロー・マジック・オーケストラ一風堂をよく聴くようになったという[56]。また、自身にとっての洋楽の入り口として、ビリー・ジョエルの名前をあげている[57]。ちなみにtetsuyaが初めて買ったレコードも、前記のアーティストが1983年に発表したアルバム『イノセント・マン』だったという[53]

中学生の頃からは洋楽を中心に音楽を聴くようになり、この当時に登場したMTVや『ベストヒットUSA』、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』『YOUNG GUITAR』『BURRN!』といった様々な媒体から情報を得て、ジャンルに関係なく音楽を聴いていたという[58]。後年tetsuyaは、自身がMTV世代であることから「(当時は)レコード聴くよりビデオばっかり観てましたね[58]」と述懐している。特にこの当時の音楽では、イギリスロンドンを中心にブームとなった、デュラン・デュラン[57]カジャグーグー[57]カルチャー・クラブ[57]などのニューロマンティックのアーティストをよく聴いていたという[57]。ただ、この当時流行していたヘヴィ・メタルに関しては、初めは抵抗感が強かったといい、あまり聴いていなかったという。ヘヴィ・メタルの最初の印象について、tetsuyaは「最初は大嫌いでした[57]」「髪の毛は長いし、汚そうだし、音もうるさいし(笑)[57]」と述べている。

その後tetsuyaは、当初苦手だったハードロックヘヴィ・メタルに傾倒していくことになる。HR/HMに惹かれた経緯について、tetsuyaは「クワイエット・ライオットの「カモン・フィール・ザ・ノイズ」が流行っていた頃で、その曲をラジオで聴いて、すげえカッコいいなと思いました。歪んでるのもいいなと(笑)。そこから、偏見を持たずにヘヴィメタル、ハードロックも聴くようになりました[59]」と述べている。また、tetsuyaは、当時仲の良かった先輩の「男はハードロックだよ[7]」という言葉に影響を受け、ハードロックの世界にのめり込んでいったとも述べている。そして中学生の頃からは、前述の先輩の家にkenと3人で集まって音楽を聴くようになり、オジー・オズボーン[59]モトリー・クルー[59]ラット[60]マイケル・シェンカー[59]ホワイトスネイク[59]スコーピオンズ[59]などを愛聴するようになったという。後年tetsuyaはスコーピオンズの楽曲「ビッグ・シティ・ナイツ」について、kenや先輩とのエピソードに触れながら、「先輩の家にギターがあってそれでギターを弾き始めました。そうしたら先輩から"ベースやりなよ"と。それで先輩と一緒に初めてコピーしたのがこの曲です[53]」と述べている。また、tetsuyaは2009年に、kenがソロ名義で開催したライヴ「Ken LIVE in TOKYO 〜11日遅れのBirthday〜」にゲスト出演し、トゥイステッド・シスターの楽曲「ウィー・アー・ノット・ゴナ・テイク・イット」をkenらとセッションしている[6]。なお、この曲を披露する前のMCで「中学生の頃、よく2人でこの曲のビデオを観ました[6]」とコメントしている。

また、この当時にtetsuyaは、日本のメタルシーンにいるバンドも聴き始めており、LOUDNESS[59]FLATBACKER[61]44MAGNUM[59]EARTHSHAKER[59]DEAD END[62]がフェイバリットだったという。特に、DEAD ENDからの影響は大きく、学生時代に自身が組んでいたバンド、Byston-Wellでよくコピーをしていたという。なお、tetsuyaは2005年に、DEAD ENDでボーカリストを務めるMORRIEが始めたソロプロジェクト、Creature Creatureにサポートベーシストとして参加し、楽曲提供を行っている他、ステージで共演も果たしている。また、2012年にL'Arc〜en〜Cielとして開催したワールドツアー「WORLD TOUR 2012」において、tetsuyaが"有名"と刺繍された上着を着ているが、これはマディソン・スクエア・ガーデンに初めて立った日本人アーティストであるLOUDNESSのボーカリスト、二井原実が着ていたシャツのデザインをオマージュしたもので、tetsuya曰く、リスペクトの想いを込めて着用したという。余談だが、この当時は大沢誉志幸も好きで聴いていたといい、中学生の頃にはファンクラブに入っていたという[62]

そしてこの当時は、ヘヴィ・メタル以外にジャパン[53]デヴィッド・ボウイ[63]ダリル・ホール&ジョン・オーツ[64]ハノイ・ロックス[60]アーハ[65]ネーナ[60]などを聴いていたという。なお、これらのアーティストの楽曲は、音楽ストリーミングサービス上で公開された、自身の名義で作成したプレイリストに入れられている。さらにニューウェイヴやポストパンクも聴くようになり、デペッシュ・モード[66]ザ・キュアー[67]ザ・スミス[68]U2[62]をよく聴いていたという。なお、tetsuyaは特にフェイバリットなミュージシャンとして、マーティン・ゴア(デペッシュ・モード)とロバート・スミス(ザ・キュアー)の名前をよくあげている。そして自身が観賞したライヴの中でのベストライヴとして、1998年にデペッシュ・モードが開催したマディソン・スクエア・ガーデン公演をあげている[66]。また、L'Arc〜en〜Cielの初期における自身のベースプレイについて、tetsuyaはザ・キュアーの影響が大きいと述べており、「バイブルですよ、キュアーは[61]」と語っている。ちなみにtetsuyaは、アルバムレコメンド企画でザ・キュアーが1989年に発表したアルバム『ディスインテグレーション』をピックアップしていたことがある[61]。他には、クラシックのメジャーな曲をコンパイルした企画盤や[69]映画音楽[70]もよく聴いていたという。

また、tetsuya曰く、高校在学中に地元で、高校卒業後に大阪でレコード店員のアルバイトをしていたことから、店にあるレコードや、店に届くサンプル盤もよく聴いていたという。店に届いた音源では、THE STREET SLIDERS[69]JUN SKY WALKER(S)[69]BARBEE BOYS[69]などが好きでよくかけていたという。こういった背景もあってか、tetsuyaはこの当時から邦楽・洋楽の区別なく色々な音楽を聴いていた。tetsuyaはこの当時を振り返り「洋楽を聴きだすと、邦楽を聴かなくなるヤツっているでしょ。洋楽を聴いている自分に酔ってるヤツ。洋楽を聴いている自分が邦楽を聴いているヤツよりエライみたいに勘違いしてるヤツ。そういうヤツらを逆にバカにしてましたね。おまえがエライわけじゃないじゃんって(笑)[62]」と述懐している。余談だが、L'Arc〜en〜Cielが1995年に発表したイメージビデオ『Siesta 〜Film of Dreams〜』に、tetsuyaが企画・主演した短編映像「Le(a) Côté」が収められているが、この映像の中で、日本の音楽ユニット、POiSON GiRL FRiENDの楽曲「DOOMED LOVE」が流されている。また、tetsuyaは2010年にソロ名義で開催したライヴで、大浦龍宇一の楽曲「夏の午後」や、Original Loveの楽曲「プライマル」をカバーしたことがある。

1991年にL'Arc〜en〜Cielを結成した後は、オアシス[70]レディオヘッド[70]スマッシング・パンプキンズ[70]を特によく聴いていたと、2004年に発表した単行本『哲学。』で述べている。また、tetsuyaは1996年発売のインタビュー本に掲載されたQ&Aコーナーの中で、ジェリーフィッシュ[71]エンヤ[72]を聴いていることを明かしている。さらに、1999年頃に受けた音楽雑誌『ベース・マガジン』のインタビューでは、ジャミロクワイ[73]アンダーワールド[73]シール[73]フィオナ・アップル[74]を最近聴いていると述べていた。なお、過去には、L'Arc〜en〜Cielが出演するラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』内のコーナー「Wonderful Selection!」において、カーヴ[75]メスト[76]など、様々な音楽を紹介していたこともある。さらに、2010年に発行されたムック本『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』の「tetsuya推薦アルバム・ガイド20選」というコーナーでは、上記にあげたデペッシュ・モードやザ・キュアー、DEAD END以外に、ニルヴァーナ[61]ジェーンズ・アディクション[66]ミューズ[66]リンプ・ビズキット[66]スケルトン・キー[61]リンキン・パーク[66]ザ・キラーズ[66]キーン[66]といったアーティストのアルバムがピックアップされている。他にも、tetsuyaはホリー・コール[64]ダイアナ・クラール[77]ヴァネッサ・パラディ[78]ミシェル・ブランチ[65]などが歌う女性歌手の楽曲や、ノー・ダウト[61]リパブリカ[61]ダブスター[65]ホール[65]ガービッジ[61]といった女性ボーカルの音楽ユニットやオルタナティヴ・ロック・バンドも愛聴していたという。余談だが、tetsuya曰く、2004年に発表されたL'Arc〜en〜Cielのアルバム『SMILE』に収録された楽曲「Time goes on」の原型は、2002年に観たノー・ダウトのライヴから影響を受けて制作されたものだという。また、ガービッジについて、tetsuyaは「もともと女性ヴォーカルは好きだし、僕がやりたいことに近いんで、すごく影響を受けてます。特にソロでやってること…メロとかギターのテーマとか[61]」と述べている。余談だが、tetsuyaは2010年にソロ名義で開催したライヴで、リー・ナッシュがボーカルを務めるシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの楽曲「ゼア・シー・ゴーズ」(ザ・ラーズのカバー)を演奏したことがある。

そして、1990年代以降に流行したポップ・パンクも好んで聴いているようで、グリーン・デイ[79]ブリンク182[79]ジミー・イート・ワールド[80]アタリス[66]グッド・シャーロット[81]フォール・アウト・ボーイ[65]シンプル・プラン[65]メイデー・パレード[63]パニック!アット・ザ・ディスコ[77]オール・タイム・ロウ[77]ユー・ミー・アット・シックス[80]ヘイ・マンデー[77]ファイヴ・セカンズ・オブ・サマー[80]といったアーティストの楽曲を自身のプレイリストに入れ、音楽ストリーミングサービス上にアップしている。また、2000年代2010年代に登場したアーティストでは、オール・アメリカン・リジェクツ[80]ウィー・ザ・キングス[63]などのパワー・ポップバンドの他、マイ・ケミカル・ロマンス[80]マリアナス・トレンチ[80]デンジャー・レディオ[80]ブリング・ミー・ザ・ホライズン[79]ザ・ホワイト・タイ・アフェアー[80]フォスター・ザ・ピープル[80]ハーツ[80]シンプル・クリーチャーズ[77]などが手掛ける楽曲を自身のプレイリストに入れている。

なお、L'Arc〜en〜Cielは2020年以降に開催したライヴにおいて、開演前に様々なアーティストの楽曲で構成されたプレイリストを会場内で流している。このプレイリストはメンバー4人それぞれが選曲したもので、公演終了後に音楽ストリーミングサービス上で公開されている(詳細は下記リンクを参照)。

  • L'Arc〜en〜Cielのライヴ開演前に流されたtetsuya選曲のオープニングBGMのプレイリスト一覧
2020年 - 『ARENA TOUR MMXX OPENING BGM
2021年 - 『L'APPY BIRTHDAY! OPENING BGM
2021年 - 『30th L'Anniversary TOUR OPENING BGM
2022年 - 『30th L'Anniversary LIVE OPENING BGM
  • ソロ名義のライヴ開演前に流されたtetsuya選曲のオープニングBGMのプレイリスト一覧
2022年 - 『TETSUYA 20th ANNIVERSARY LIVE』

TETSU69

TETSU69(テツシックスティーナイン)は、tetsuyaがソロ活動をするときに2001年から2005年まで用いていたアーティスト名義である。

tetsuya曰く、ソロ活動を始める約1年以上前から、趣味の一環でドメインをいくつか取得しており[83]、その中に<TETSU69.com>というドメイン名があったという[83]。それがきっかけでこの名義を使用しようと思い立った、と2001年に受けた音楽雑誌『R&R NewsMaker』のインタビューで語っている[83]。tetsuyaは2001年に受けたインタビューにおいて、L'Arc〜en〜Cielで当時使用していたtetsuという名義をあえて使わなかった経緯について「ソロで"tetsuで〜す"といっても、他にテツっていう人、いっぱいいるじゃないですか。今後も出てくる可能性がある名前だから。"名前を考えなきゃな"と思ったんですよ。で、持ってたドメイン名を思いだして。"あれがいい!"と。そしたら、その名前でHPも開けるしと思って、TETSU69にしたんです[83]」と述べている。また、TETSU69に含まれる数字の「69」が、自身の生まれた年である「1969年」をイメージさせられるうえ、「ロック」などのニュアンスを含めることができると考えたことも、この名義に決める際のポイントになったという。

ただ、2006年からはL'Arc〜en〜Cielで使用していた名義と同じく、tetsu名義で活動を行うようになった。そして2009年12月に、アーティスト名をtetsuからtetsuyaに改名したことに伴い、ソロ名義の活動では大文字表記のTETSUYAを使うようになり、現在までこの名義で活動している[84]。そして現在に至るまでバンド活動と並行しながら、作品リリースとライヴ活動を続けている。なお、現在までにソロ名義で、アルバム3作品、シングル12作品を発表している。

このソロプロジェクトでtetsuyaは、ボーカルを務めており、楽曲によってはベースギター、プログラミングをレコーディングで担当することもある。ちなみにtetsuya曰く、ソロ活動を始めた当初は本職のベースを弾く想定はしておらず、シンセベースを採り入れ、いわゆるデジタルロックな楽曲の制作を目指していたという[4]。ただ、心境の変化や周りからの意見もあり、徐々に自身がレコーディングでベースを弾くようになっている。

ちなみに、tetsuyaのソロワークスのアルバムレコーディングでは、様々なアレンジャーを招くことが多い。特に、2002年に発表した初のソロアルバム『Suite November』では、MIYO-KEN(M-AGE)やK.A.ZOblivion Dust)、亀田誠治東京事変)、ホッピー神山(ex.PINK)、tasuku長谷川智樹橋本由香利ら9人のアレンジャーと共同編曲している。そして2005年からは室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS、ex.DIE IN CRIES)、2017年からは陶山隼と、アルバムに収録されたほとんどの楽曲で共同アレンジを行っている。また、2002年以降に発表したほぼ全てのシングルのカップリングには、外部のリミキサーによる前作の表題曲のリミックスが収録されている。なお、これまでに下表に記載したミュージシャンが編曲、リミックス作業を担当している。

ライヴ体制は、室姫深(Gt)、中村佳嗣(Gt)、IKUO(Ba)、山崎慶(Dr)、岸利至(Key)で構成されたバックバンド、Juicy-Bananas(ジューシー・バナナズ)を据えた6人編成のバンドスタイルを基本としながら、ディナーショーやアコースティックライヴでは編成を変えて実施している[85]。なお、2022年Billboard JAPANが運営する会場で開催したライヴツアー「TETSUYA Billboard Live Tour 2022」では、事前にアコースティックアレンジでレコーディングし直したサウンドをバックに、tetsuyaが1人でステージに立ち、生歌をパフォーマンスする完全ソロ体制で行われている[86]。なお翌2023年に、同じくBillboard JAPAN運営の会場で開催されたライヴ「TETSUYA Billboard Live 2023」においても、tetsuyaは1人でステージに立っている[86]

共同アレンジャー

名前 楽曲
岡崎達成 「wonderful world」
MIYO-KEN 「wonderful world」
K.A.Z 「TIGHTROPE」
Hiro Nakayama 「蜃気楼」
鈴木雅也 「TEZMANのテーマ」「TEZMANのテーマ (Extended version)」「流れ星」
亀田誠治 「15 1/2 フィフティーンハーフ」
鈴木智文 「WHITE OUT」「SCARECROW」
ホッピー神山 「Pretender」
長谷川智樹 「empty tears」
橋本由香利 「empty tears」
tasuku 「WHITE OUT 〜memory of a color〜」
室姫深 「REVERSE」「Can't stop believing」「Roulette」「LOOKING FOR LIGHT」「lonely girl」「Fantastic Wonders」「guilty」「EDEN」「魔法の言葉」「Are you ready to ride?」「Make a Wish」「ARIGATO」
西平彰 「In My HEART」
安岡洋一郎 「Time goes on 〜泡のように〜」
陶山隼 「愛されんだぁ I Surrender」「I WANNA BE WITH YOU」「READY FOR WARP」「FATE」「Eureka」「REGRET」「誰がために鐘は鳴る」「白いチューリップ」
重実徹 「wonderful world (Acoustic Version)」

リミキサー

名前 楽曲 収録シングル
TATOO wonderful world OD mix 「蜃気楼」
田中フミヤ wonderful world KARAFUTO mix
クリス・コーナー 蜃気楼 BACKYARD REMIX 「15 1/2 フィフティーンハーフ」
大川タツユキ 15 1/2 フィフティーンハーフ(Beyond The Rainbow Remix) 「WHITE OUT 〜memory of a color〜」
DISCO TWINS REVERSE DISCO TWINS REMIX 「Can't stop believing」
RYUKYUDISKO Can't stop believeing RYUKYUDISKO REMIX 「Roulette」
agraph Roulette agraph REMIX 「LOOKING FOR LIGHT」
中村弘二 LOOKING FOR LIGHT iLL REMIX 「lonely girl」
Jazzin'park lonely girl Jazzin'park Remix 「Make a Wish」
DE DE MOUSE lonely girl DE DE MOUSE Remix 「Time goes on 〜泡のように〜」
TeddyLoid Make a Wish TeddyLoid Remix 「愛されんだぁ I Surrender」

サポートミュージシャン

Juicy-Bananas(バックバンドメンバー)

名前 パート 期間
室姫深
(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS、ex.DIE IN CRIES、BLOODY IMITATION SOCIETY、BUGCreature Creature
ギター[87] 2005年〜
中村佳嗣
Eins:Vier
ギター[87] 2003年〜
IKUO
Lapis LazuliCube-rayBULL ZEICHEN 88RayflowerT.M.Revolutionサポート・abingdon boys schoolサポート)
ベース[87] 2003年〜
山崎慶
VenomstripDEAD ENDサポート)
ドラム[87] 2010年〜
岸利至
abingdon boys schoolT.M.Revolutionサポート)
キーボード[87] 2003年〜

上記以外のバックバンドメンバー

名前 期間
Guitar
K.A.Z
VAMPSOblivion Dust、ex.HYDE BAND、ex.hide with Spread Beaver
TETSU69の活動初期のバンドサポートメンバー
2001年に発表したシングルの表題曲「TIGHTROPE」のギターを担当
TAIZO
Loveless、ex.FEEL
TETSU69の活動初期のバンドサポートメンバー
2001年に発表したシングルの表題曲「TIGHTROPE」のミュージックビデオにギターで参加
2009年に行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2009 SUMMER」にギターで参加
MASATO
defspiral、ex.the Underneath、ex.TRANSTIC NERVE
2010年に発表したシングルの表題曲「LOOKING FOR LIGHT」のミュージックビデオ、テレビ演奏にギターで参加
山口周平
MISIAサポート)
2015年に行われたディナーショー「TETSUYA Christmas Dinner Show 2015」以降のアコースティックライヴにギターで参加
柴崎浩
abingdon boys school、TOSHIMI PROJECT)
2016年に行われたライヴ「TETSUYA CÉLUXE NIGHT VOL.2」にギターで参加[88]
Bass
SHUSE
La'cryma ChristiAcid Black Cherryサポート)
2016年に行われたライヴ「TETSUYA CÉLUXE NIGHT VOL.2」にベースで参加[88]
Drums, Percussion
上領亘
NeoBallad、ex.GRASS VALLEY、ex.P-MODEL
TETSU69の活動初期のバンドサポートメンバー
2001年に発表したシングルの表題曲「TIGHTROPE」のテレビ演奏にドラムで参加
Shinya
(ex.人格ラヂオサポート)
2009年に行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2009 SUMMER」にドラムで参加
LEVIN
La'cryma ChristiTHE HUSKY
2010年に発表したシングルの表題曲「LOOKING FOR LIGHT」のテレビ演奏にドラムで参加[89]
藤井珠緒
(ex.Bank Band
2015年に行われたディナーショー「TETSUYA Christmas Dinner Show 2015」以降のアコースティックライヴにパーカッションで参加
notch 2016年に行われたライヴ「TETSUYA CÉLUXE NIGHT VOL.1.5」や、2019年に行われたライヴ「TETSUYA LIVE 2019 "THANK YOU" 4950」のアコースティックライヴにパーカッションで参加
Piano
重実徹 2015年に行われたディナーショー「TETSUYA Christmas Dinner Show 2015」以降、アコースティック編成のライヴにピアノで参加
2018年に発表したEP盤の収録曲「wonderful world (Acoustic Version)」のピアノを担当
Chorus
Lyn 2016年に行われたライヴ「TETSUYA CÉLUXE NIGHT VOL.1.5」や、同年に行われたディナーショー「TETSUYA Christmas Dinner Show 2016」にコーラスで参加
TIGER 2017年に行われたライヴ「TETSUYA CÉLUXE NIGHT VOL.3」や、2018年に行われたディナーショー「TETSUYA Valentine Dinner Show 2018」にコーラスで参加

ゲストミュージシャン

(※)上記ライヴサポートミュージシャン以外を除く、レコーディングに参加したアーティストを記載
名前 期間
Guitar
MIYO-KEN
M-AGE)
2001年に発表したシングルの表題曲「wonderful world」、2002年発表のアルバム『Suite November』に収録された「Pretender」のギターを担当
Hiro Nakayama 2002年に発表したシングルの表題曲「蜃気楼」のギターを担当
西川進
イツカノオトJUNK FUNK PUNK、ex.SCOOP)
2002年に発表したシングルの表題曲「15 1/2 フィフティーンハーフ」、2017年に発表したシングルの表題曲「愛されんだぁ I Surrender」のギターを担当
鈴木智文
(ex.ポータブル・ロック、ex.8 1/2
2002年に発表したアルバム『Suite November』収録の「WHITE OUT」「SCARECROW」のギターを担当
吉田光
DER ZIBET
2002年に発表したアルバム『Suite November』収録の「Pretender」のギターを担当
長谷川智樹 2002年に発表したアルバム『Suite November』収録の「empty tears」のギターを担当
林部直樹
米米CLUB
2003年に発表したシングルの表題曲「WHITE OUT 〜memory of a color〜」のギターを担当
tasuku 2003年に発表したシングルの表題曲「WHITE OUT 〜memory of a color〜」のギターを担当
増崎孝司
DIMENSION、ex.BLUEW
2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「In My HEART」のギターを担当
久次米真吾 2016年に発表したシングルの表題曲「Time goes on 〜泡のように〜」のギターを担当
山本陽介
(ex.ROSARYHILL、ex.OLDCODEX
2018年に発表したEP盤の収録曲「I WANNA BE WITH YOU」のギターを担当
菰口雄矢
(ex.TRIX
2018年に発表したEP盤の収録曲「READY FOR WARP」のギターを担当
黒田晃年 2018年に発表したEP盤の収録曲「FATE」、2021年に発表したシングルの表題曲「白いチューリップ」のギターを担当
渡辺格 2018年に発表したEP盤の収録曲「Eureka」のギターを担当
akkin
(ex.ハートバザール、ex.ジェット機
2021年に発表したシングルの表題曲「白いチューリップ」、2021年発表のアルバム『STEALTH』に収録された「REGRET」のギターを担当
Drums
平井直樹
Jackson vibe、ex.BOOM BOOM SATELLITESサポート)
2001年に発表したシングルの表題曲「TIGHTROPE」のドラムを担当
村石雅行
(FAZJAZ.jp、ex.KENSO
2002年に発表したシングルの表題曲「蜃気楼」「15 1/2 フィフティーンハーフ」、2007年に発表したシングルの表題曲「Can't stop believing」、2010年に発表したシングルの表題曲「Roulette」「LOOKING FOR LIGHT」「lonely girl」、2016年に発表したシングルの表題曲「Make a Wish」、2018年に発表したシングルの表題曲「I WANNA BE WITH YOU」のドラムを担当
他に、2002年発表のアルバム『Suite November』収録の「WHITE OUT」、2011年発表の『COME ON!』収録の「Fantastic Wonders」「guilty」「EDEN」「魔法の言葉」「Are you ready to ride?」、2021年発表の『STEALTH』収録の「ARIGATO」のドラムを担当
湊雅史
(ex.DEAD END
2002年に発表したアルバム『Suite November』収録の「Pretender」のドラムを担当
山木秀夫
(DSD trio、gym)
2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「In My HEART」のドラムを担当
城戸紘志
JUDEunkie
2016年に発表したシングルの表題曲「Time goes on 〜泡のように〜」のドラムを担当
石井悠也 2017年に発表したシングルの表題曲「愛されんだぁ I Surrender」、2018年に発表したEP盤の収録曲「READY FOR WARP」「Eureka」、2021年に発表したEP盤の収録曲「白いチューリップ」、2021年発表の『STEALTH』収録の「REGRET」のドラムを担当
Piano, Keyboard
吉澤瑛師
Scudelia Electro
2001年に発表したシングルの表題曲「wonderful world」のピアノ、オルガンを担当
五十嵐宏治 2002年に発表したシングルの表題曲「蜃気楼」のキーボードを担当
上杉洋史 2002年に発表したシングルの表題曲「蜃気楼」のキーボード、2002年に発表したシングルの表題曲「15 1/2 フィフティーンハーフ」のピアノを担当
KAZOO 2002年に発表したアルバム『Suite November』収録の「SCARECROW」のピアノを担当
飯田高広 2003年に発表したシングルの表題曲「WHITE OUT 〜memory of a color〜」のシンセサイザーオペレーターを担当
富樫春生 2010年に発表したシングルの表題曲「lonely girl」のキーボードを担当
小池敦 2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「魔法の言葉」のピアノを担当
西平彰 2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「In My HEART」のキーボードを担当
陶山隼 2017年に発表したシングルの表題曲「愛されんだぁ I Surrender」、2018年に発表したEP盤の全収録曲、2021年に発表したEP盤の収録曲「白いチューリップ」、2021年発表の『STEALTH』収録の「REGRET」「誰がために鐘は鳴る」のシンセサイザープログラミングを担当
Chorus, Rap
May J. 2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「guilty」のコーラスを担当
井上ジョー 2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「EDEN」のラップを担当
西川貴教
T.M.Revolutionabingdon boys school
2011年に発表したアルバム『COME ON!』収録の「Are you ready to ride?」のコーラスを担当

来歴

1991年

2001年

2002年

2003年

  • 1月11日 - 1月26日、新星堂のイベントで全国各地を廻る。
  • 2月13日、4thシングル「WHITE OUT 〜memory of a color〜」を発売。
  • 8月19日、SHIBUYA-AXにて主宰レーベル、SPROUSEでライヴイベント「SPROUSE presents MAGNETIC LEVITATION 2003 SUMMER」を開催。
  • 12月26日、日本武道館で行われたライヴイベント「Danger Crue presents 天嘉 -弐-」に出演。

2004年

  • 12月25日、日本武道館で行われたライヴイベント「Danger Crue presents 天嘉 -参-」に出演。

2005年

  • 3月16日、トリビュート・アルバム『LOVE for NANA 〜Only 1 Tribute〜』に、TETSU69として制作した楽曲「REVERSE」を提供。
  • 12月25日、日本武道館で行われたライヴイベント「Danger Crue presents 天嘉 -四-」にて、DEAD ENDMORRIEが、ソロプロジェクトCreature Creatureの活動開始を電撃発表。tetsuyaは、このソロプロジェクトにライヴサポートミュージシャンとして参加する。その後、アルバムレコーディングにも参加し、自身初となる楽曲提供も行っている。

2006年

  • 12月25日、日本武道館で行われたライヴイベント「Danger Crue presents 天嘉 -伍-」に出演。このライヴイベントからは、ソロ名義をL'Arc〜en〜Cielと同様のtetsuに改名している。

2007年

  • 3月14日、所属レコード会社を再び、Ki/oon Recordsに移し、5thシングル「Can't stop believing」を発売。

2008年

  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2008」に出演。

2009年

  • 8月15日、幕張メッセ展示場1-3で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2009 SUMMER」に出演。
  • 9月20日、西川貴教主催によるロック・フェスティバルイナズマロックフェス 2009」に出演。
  • 12月、自身のアーティスト名をtetsuからtetsuyaに変更することを発表。これ以降、ソロ名義では大文字表記のTETSUYAを使用するようになる。
  • 12月9日、JCBホールで行われたken(L'Arc〜en〜Ciel)が開催したソロライヴ「Ken LIVE in TOKYO 〜11日遅れのBirthday〜」にゲスト出演。
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2009」に出演。

2010年

  • 1月19日、代官山UNITにてTETSUYA MOBILE会員限定ライヴ「TETSUYA PREMIUM NIGHT PARTY "TETSUYA DE 徹夜"〜平日でゴメンネ!!〜」を開催。
  • 1月28日、LIQUIDROOM EBISUにてライヴ「TETSUYA PREMIUM NIGHT」を開催。
  • 5月19日、6thシングル「Roulette」を発売。
  • 7月11日 - 8月4日、自身初となるソロライヴツアー「TETSUYA FIRST TOUR 2010 ルーレットを回せ!」を全国6ヶ所で開催。
  • 8月18日、7thシングル「LOOKING FOR LIGHT」を発売。
  • 8月21日、幕張メッセ展示場4-6で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2010 SUMMER」に出演。
  • 9月18日、西川貴教主催のロック・フェスティバル「イナズマロックフェス 2010」に出演。
  • 9月21日、SHIBUYA-AXで行われたライヴイベント「B-PASS創刊25周年ライヴ・フェスティバル」に出演。
  • 11月10日、8thシングル「lonely girl」を発売。
  • 11月27日 - 12月2日、限定イベント「TETSUYA POP☆SECRET」を開催。
  • 12月15日、ライヴビデオ『FIRST TOUR 2010 ルーレットを回せ! 〜LIVE & DOCUMENTARY FILMS〜』を発売。

2011年

  • 1月8日 - 2月13日、ライヴツアー「TETSUYA TOUR 2011 COME ON! FEEL THE LIGHT!」を全国6ヶ所で開催。
  • 1月15日、2ndアルバム『COME ON!』を発売。
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2011」に出演。

2012年

  • 4月19日、所属レコード会社、Ki/oon Musicの設立20周年を記念し開催されたライヴイベント「キューン20イヤーズ&デイズ」に出演。
  • 9月15日、西川貴教主催のロック・フェスティバル「イナズマロックフェス 2012」に出演。
  • 10月2日・3日、渋谷公会堂にてライヴ「TETSUYA LIVE 2012 "THANK YOU"」を開催。
  • 10月3日、ライヴビデオ『LIVE SELECTIONS 2010-2012』を発売。

2014年

  • 10月3日、赤坂BLITZにてライヴ「TETSUYA LIVE 2014 "THANK YOU"」を開催。

2015年

  • 6月20日、オフィシャルファンクラブ「CÉLUXE」(読み:セリュックス)発足[90]
  • 7月23日、FC発足記念ライヴ「CÉLUXE NIGHT」開催[90]。また、同公演ではイヤホンプラグ型ガジェット『PlugAir』を無料配布し、未音源化楽曲「THANK YOU」のデモ音源を配信リリースしている[91]。また、このライヴでは、L'Arc〜en〜Cielの結成メンバーであるhiro、peroとステージ上で共演しており、「I'm in Pain」「DUNE」の2曲をセッションしている。
  • 7月24日、ホテルニューオータニ大阪にてファンミーティング「CELUXE BRANCH MEETING」を開催[90]
  • 9月24日、ブラザー工業、エクシング(ジョイサウンド)とタッグを組み、主宰レーベルSPROUSEを再始動することを発表。新たにブラザーグループに加わったテイチクエンタテインメントとのレーベル契約も併せて発表した。
  • 10月4日、Zepp DiverCity TOKYOにてライヴ「TETSUYA LIVE 2015 "THANK YOU"」を開催。
  • 12月23日、グランドプリンスホテル新高輪にてディナーショー「TETSUYA Christmas Dinner Show 2015」を開催。
  • 12月29日、幕張メッセ国際展示場1~11ホールで行われたライヴイベント「rockin'on presents COUNTDOWN JAPAN 15/16 supported by Windows 10」に出演。

2016年

  • 3月29日、ブラザー工業、エクシング(ジョイサウンド)とテイチクエンタテインメントの協力体制を解消。
  • 4月15日、Billboard Live TokyoにてFC限定ライヴ「CÉLUXE NIGHT VOL.1.5」を開催。
  • 4月29日、EBISU The Garden HallにてFC限定ライヴ「CÉLUXE NIGHT VOL.2」を開催。
  • 6月22日 - 6月26日、限定イベント「TETSUYA POP☆SECRET VOL.2」開催。
  • 6月9日、ユニバーサルミュージックとのレーベル契約を発表[92]
  • 7月23日、箱根オーベルジュオーミラドーにてファンミーティング「CELUXE BRANCH MEETING VOL.2」を開催。
  • 9月7日、ユニバーサルミュージックの社内レーベル、EMI Records Japanより、9thシングル「Make a Wish」、10thシングル「Time goes on 〜泡のように〜」の2作を同時発売。
  • 10月1日 - 10月10日、よみうりランドとのコラボレーションイベント「TETSUYA 15th Anniversary 「MUKIMPO LAND」」を開催。
  • 10月3日 - 10月6日、ライヴツアー「TETSUYA LIVE TOUR 2016「THANK YOU」」を全国3ヶ所で開催。
  • 12月22日、グランドプリンスホテル新高輪にてディナーショー「TETSUYA Christmas Dinner Show 2016」を開催。

2017年

2018年

2019年

  • 3月16日、マイナビBLITZ赤坂にてライヴ「TETSUYA "LIVE 2019 SPRING"」を開催。
  • 10月2日・3日、舞浜アンフィシアターにてライヴ「TETSUYA LIVE 2019 "THANK YOU" 4950」を開催。
  • 11月19日、Veats Shibuyaにてライヴイベント「中村佳嗣生誕五十年記念祭」に出演。主宰者の中村佳嗣、イベントに参加していたL'Arc〜en〜Cielの元メンバーであるsakura、清春とステージ上で共演。4人によるセッションでは、tetsuyaのソロ楽曲「蜃気楼」に加え、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「Dune」と黒夢の楽曲「BEAMS」「十字架との戯れ」が演奏されている。

2020年

  • 7月19日、動画配信サービス、SHOWROOMにて配信ライヴ「TETSUYA "LIVE STREAMING 2020"」を開催。なお、当初同年3月1日に横浜ベイホールにて「TETSUYA "LIVE 2020 SPRING"」と題し、観客を集めたライヴを開催する予定だったが、新型コロナウイルス感染症の拡大の煽りを受け、中止が発表されていた。そしてこの配信ライヴを実施することがアナウンスされた。
  • 8月19日
    動画配信サービス、SHOWROOMにて配信ライヴ「TETSUYA "LIVE STREAMING 2020"」を再放送。
    映像作品『TETSUYA LIVE 2019 THANK YOU 4950』を発売。
  • 10月3日、動画配信サービス、SHOWROOMにて配信ライヴ「TETSUYA "LIVE STREAMING 2020"」を再放送。
  • 12月23日・24日・25日、動画配信サービス、SHOWROOMにて配信ライヴ「TETSUYA "Xmas LIVE STREAMING 2020"」を開催。

2021年

2022年

  • 7月1日、TETSU69名義でリリースした作品を含む、ソロ名義で発表した全CD作品のサブスクリプションサービスへの公開を開始。
  • 7月3日、日比谷野外音楽堂にてソロ活動20周年記念ライヴ「TETSUYA 20th ANNIVERSARY LIVE」を開催。2022年10月1日から同年6月30日にかけて、OTTサービス・プラットフォームU-NEXTにて本公演の模様が放送された。
  • 12月17日 - 12月28日、ライヴツアー「TETSUYA Billboard Live Tour 2022」を全国3ヶ所で開催。
  • 12月19日、L'Arc〜en〜Cielのヘアメイクを担当する荒木尚子とともに、トークイベント「ヘア&メイクアーティスト 荒木尚子×TETSUYA@L'Arc〜en〜Ciel トークイベント」を開催。

2023年

  • 4月1日、自身の公式SNSで、2023年5月30日に代官山UNITにて、Like〜an〜Angelのファーストライヴを行うと突如告知。当日はエイプリルフールだったため、ネタなのか本当なのかと憶測を呼んだが、翌4月2日にtetsuya率いるL'Arc〜en〜Cielのコピーバンドであることを公表し、ティザー映像も公開された。ただ、この時点ではTetsuya以外の参加メンバーは非公表であった[93]
  • 5月30日、代官山UNITにてLike〜an〜Angelとしてファーストライヴ「Like〜an〜Angel "1st LIVE"」を1日2公演で開催。
  • 7月1日、Billboad Live TOKYOにてライヴ「TETSUYA Billboard Live 2023」を開催。
  • 10月7日、日比谷野外大音楽堂にてLike〜an〜Angelとしてライヴ「Like〜an〜Angel "PARALLEL WORLD 2023"」を開催。
  • 12月19日 - 12月28日、ライヴツアー「TETSUYA Billboard Live Tour 2023」を全国3ヶ所で開催。

ディスコグラフィー

(※) L'Arc〜en〜Cielの作品は、「L'Arc〜en〜Cielのディスコグラフィ」を参照。

スタジオ・アルバム

  発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位
1st* 2002年11月20日 Suite November 12cmCD HDCA-10121
5位
2022年7月1日 Suite November -Complete Edition- デジタル・ダウンロード
-
2nd 2011年1月5日 COME ON! 12cmCD KSCL-1717
20位
3rd 2021年10月6日 STEALTH CD+DVD PDCN-1926
16位
CD+Blu-ray UPCH-29397
12cmCD UPCH-20587

EP

  発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位 収録アルバム
1st 2018年7月18日 I WANNA BE WITH YOU CD+DVD UPCH-89379
29位
STEALTH
CD+DVD UPCH-89380
12cmCD UPCH-89381

シングル

  発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位 収録アルバム
1st* 2001年7月18日 wonderful world/TIGHTROPE 12cmCD KSC2-400
5位
Suite November
2nd* 2002年8月28日 蜃気楼 8cmCD+Tシャツ HDDA-10007
3位
3rd* 2002年10月23日 15 1/2 フィフティーンハーフ 8cmCD+フィギュア HDDA-10008
3位
4th* 2003年2月13日 WHITE OUT 〜memory of a color〜 12cmCD HDCA-10135
13位
5th^ 2007年3月14日 Can't stop believing CD+DVD KSCL-1124〜1125
9位
COME ON!
12cmCD KSCL-1126
6th 2010年5月19日 Roulette CD+DVD KSCL-1582〜1583
8位
12cmCD KSCL-1584
7th 2010年8月18日 LOOKING FOR LIGHT CD+DVD KSCL-1627~1628
15位
12cmCD KSCL-1629
8th 2010年11月10日 lonely girl CD+DVD KSCL-1690~1691
20位
12cmCD KSCL-1692
9th 2016年9月7日 Make a Wish CD+DVD+GOODS UPCH-89270
24位
STEALTH
CD+DVD UPCH-89271
CD+DVD UPCH-89272
12cmCD UPCH-80436
10th 2016年9月7日 Time goes on 〜泡のように〜 CD+DVD+GOODS UPCH-89273
26位
CD+DVD UPCH-89274
CD+DVD UPCH-89275
12cmCD UPCH-80437
11th 2017年6月14日 愛されんだぁ I Surrender CD+DVD UPCH-89334
21位
12cmCD UPCH-80471
12th 2021年10月10日 白いチューリップ CD+Blu-ray PRON-5094
-

楽曲

タイトル 備考
REVERSE 2005年3月16日発売のトリビュートアルバム『LOVE for NANA 〜Only 1 Tribute〜』に収録。
5thシングル「Can't stop believing」のカップリングに本楽曲のリミックスバージョン「REVERSE DISCO TWINS REMIX」が収録されている。
2022年7月1日にソロ名義でリリースしたシングル・アルバムの音楽ストリーミングサービスへの公開を開始した際、アルバム『Suite November』にこの曲を含めた2曲を追加した『Suite November -Complete Edition-』が発表されている。ソロ単独名義で発表したアルバムへの収録は、これが初となった。
流れ星[配信限定Rhythmless Ver.] 2011年1月5日発売の2ndアルバム『COME ON!』収録曲「流れ星」のリアレンジバージョン。
2011年2月2日に配信限定でリリースされた[94]
同日にアルバム全収録曲のインストゥルメンタル・バージョンが配信されている。
何があっても 未音源化楽曲。
2015年7月23日に開催されたFC発足記念ライヴ「CÉLUXE NIGHT」で初披露された楽曲[95]
2017年8月25日・26日に昭和女子大学人見記念講堂で開催されたライヴ「TETSUYA 15th ANNIVERSARY LIVE」においても披露され、本公演の模様を収録したライヴビデオ『15th ANNIVERSARY LIVE』に本楽曲のライヴ映像が初収録された。

映像作品

  発売日 タイトル 規格 規格品番
1st 2010年12月15日 FIRST TOUR 2010 ルーレットを回せ! 〜LIVE & DOCUMENTARY FILMS〜 DVD KSBL-5964
2nd 2012年10月3日 LIVE SELECTIONS 2010-2012 2DVD KSBL-6032~6033
3rd 2017年7月12日 THANK YOU Blu-ray UPXH-20056
DVD UPBH-20190
4th 2018年4月25日 15th ANNIVERSARY LIVE Blu-ray PDXN-1004
Blu-ray UPXH-20063
DVD UPBH-20205
5th 2020年8月19日 TETSUYA LIVE 2019 THANK YOU 4950 Blu-ray XNLD-10065
DVD XNLD-10066/67

参加作品

  発売日 アーティスト タイトル 内容
アルバム^ 1992年2月21日 Gilles de Rais 殺意 「SUICIDE」「殺意」の2曲にhyde、hiro、peroと共にコーラス参加
トリビュートアルバム* 2005年3月16日 Various Artists LOVE for NANA 〜Only 1 Tribute〜 自身の楽曲「REVERSE」収録
シングル^ 2006年7月19日 Creature Creature 風の塔 自身が作曲した「風の塔」収録。また、ベーシストとしても参加
パラダイス 自身が作曲した「パラダイス」収録。また、ベーシストとしても参加
アルバム^ 2006年8月30日 Light & Lust 自身が作曲した「風の塔」、「パラダイス」を収録。また、ベーシストとしても参加
シングル 2012年4月25日 ピコ 咲色リフレイン 表題曲「咲色リフレイン」の作曲を担当
トリビュートアルバム 2013年9月4日 Various Artists DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS- DEAD ENDの楽曲「Night Song」のカバーにベーシストとして参加
シングル 2016年7月6日 相川七瀬 ACROSS 表題曲「ACROSS」の作曲を担当
アルバム 2018年12月26日 KEY Hologram 収録曲「POWER」の作詞・作曲を担当
シングル 2024年4月20日(先行配信)
2024年5月8日(CD)
楠木ともり シンゲツ 表題曲「シンゲツ」の作曲、プロデュースを担当[96]

書籍

種別 発売日 タイトル 発行
インタビュー本^ 2004年3月19日 哲学。 ソニー・マガジンズ
本人所有の楽器の写真集^ 2005年12月 tetsu's gear closet プレイヤー・コーポレーション
インタビュー、フォト・アーカイヴ 2010年1月27日 BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel リットーミュージック
ライヴ写真集 2010年10月31日 TETSUYA FIRST TOUR 2010 ルーレットを回せ!『Juicy-Box』 ぴあ
インタビュー本 2012年12月10日 哲学2。 エムオン・エンタテインメント
写真集(予約限定発売) 2017年7月16日 TETSUYA『THANK YOU』 ウィジー
  • *の付いたものはTETSU69名義でのリリース・参加
  • ^の付いたものはtetsu名義でのリリース・参加

ライヴ・コンサートツアー

(※) L'Arc〜en〜Cielとして開催したライヴの詳細は「L'Arc〜en〜Ciel#ライヴ・コンサートツアー」を参照

TETSUYA名義

公演日程 形態 タイトル 公演規模・会場
2002年12月25日 単発ライヴ TEZMANサンタ presents
TETSU69 special Christmas night
Sweet December at 赤坂BLITZ
2010年1月19日 単発ライヴ TETSUYA PREMIUM NIGHT PARTY
"TETSUYA DE 徹夜"
〜平日でゴメンネ!!〜
2010年1月28日 単発ライヴ TETSUYA PREMIUM NIGHT
2010年7月11日 - 8月4日 コンサートツアー TETSUYA FIRST TOUR 2010 ルーレットを回せ!
2011年1月8日 - 2月13日 コンサートツアー TETSUYA TOUR 2011 COME ON! FEEL THE LIGHT!
2012年10月2日・3日 単発ライヴ TETSUYA LIVE 2012 "THANK YOU"
2014年10月3日 単発ライヴ TETSUYA LIVE 2014 "THANK YOU"
2015年7月23日 FC限定ライヴ CÉLUXE NIGHT
2015年10月4日 単発ライヴ TETSUYA LIVE 2015 "THANK YOU"
2016年4月15日 FC限定ライヴ CÉLUXE NIGHT VOL.1.5
2016年4月29日 FC限定ライヴ CÉLUXE NIGHT VOL.2
2016年10月3日 - 6日 コンサートツアー TETSUYA LIVE TOUR 2016 「THANK YOU」
2017年4月28日 FC限定ライヴ CÉLUXE NIGHT VOL.3
2017年8月24日・25日 単発ライヴ TETSUYA 15th ANNIVERSARY LIVE
2018年7月23日 単発ライヴ TETSUYA "LIVE 2018 SUMMER"
2018年10月3日 単発ライヴ TETSUYA LIVE 2018 "THANK YOU"
2019年3月16日 単発ライヴ TETSUYA "LIVE 2019 SPRING"
2019年10月2日・3日 単発ライヴ TETSUYA LIVE 2019 "THANK YOU" 4950
2020年7月19日 単発ライヴ TETSUYA "LIVE 2020 SPRING"
2020年7月19日 単発配信ライヴ TETSUYA "LIVE STREAMING 2020"
2020年12月23日 - 25日 単発配信ライヴ TETSUYA "Xmas LIVE STREAMING 2020"
2021年10月10日 単発ライヴ TETSUYA LIVE 2021 "THANK YOU"
2022年7月3日 単発ライヴ+配信 TETSUYA 20th ANNIVERSARY LIVE
2022年12月17日 - 28日 コンサートツアー TETSUYA Billboard Live Tour 2022
2022年7月1日・2日 単発ライヴ TETSUYA Billboard Live 2023
2023年12月19日 - 28日 コンサートツアー TETSUYA Billboard Live Tour 2023

ディナーショー

公演日程 タイトル 公演規模・会場
2015年12月23日 TETSUYA Christmas Dinner Show 2015
2016年12月22日 TETSUYA Christmas Dinner Show 2016
2018年2月12日 TETSUYA Valentine Dinner Show 2018

イベント

公演日程 タイトル 公演規模・会場
2010年11月27日 - 12月2日 TETSUYA POP☆SECRET
2015年7月24日 CELUXE BRANCH MEETING
2016年6月22日 - 26日 TETSUYA POP☆SECRET VOL.2
2016年7月23日 CELUXE BRANCH MEETING VOL.2

Like〜an〜Angel名義

公演日程 形態 タイトル 公演規模・会場
2023年5月30日 単発ライヴ Like〜an〜Angel
"1st LIVE"
2023年10月7日 単発ライヴ Like〜an〜Angel
"PARALLEL WORLD 2023"
2024年9月15日 - 29日 ライヴツアー Like〜an〜Angel
CLUB CIRCUIT 2024 L'Arclassic

出演ライヴイベント

主宰ライヴイベント

公演日程 タイトル 公演会場・出演者
2003年8月19日
SPROUSE presents MAGNETIC LEVITATION 2003 SUMMER

出演フェス・イベント

(※) L'Arc〜en〜Cielとして出演したフェス・イベントの詳細は「L'Arc〜en〜Ciel#出演ライヴイベント」を参照
タイトル 会場
2003年
天嘉 -弐- 12月26日 日本武道館
2004年
天嘉 -参- 12月25日 日本武道館
2005年
天嘉 -四- 12月25日 日本武道館Creature Creatureのサポートとして出演)
2006年
天嘉 -伍- 12月25日 日本武道館
2008年
JACK IN THE BOX 2008 12月27日 日本武道館
2009年
JACK IN THE BOX 2009 SUMMER 8月15日 幕張メッセ展示場1~3 ホール
イナズマロックフェス2009 9月20日 鳥丸半島芝生広場
Ken 『LIVE in TOKYO ~11日遅れのBirthday~』 12月9日 JCBホール(ゲスト出演)
JACK IN THE BOX 2009 12月27日 日本武道館
2010年
イナズマロックフェス2010 9月18日 鳥丸半島芝生広場
JACK IN THE BOX 2010 SUMMER 8月21日 幕張メッセ国際展示場4-6
B-PASS創刊25周年ライヴ・フェスティバル 9月21日 SHIBUYA-AX
2011年
JACK IN THE BOX 2011 12月27日 日本武道館
2012年
キューン 20 イヤーズ&デイズ 4月19日 恵比寿LIQUID ROOM
イナズマロックフェス2012 9月20日 鳥丸半島芝生広場
2015年
COUNTDOWN JAPAN 15/16 12月29日 幕張メッセ国際展示場1~11ホール
2019年
中村佳嗣生誕五十年記念祭 11月19日 Veats Shibuya

タイアップ

曲名 タイアップ
2001年
wonderful world テレビ東京系番組『JAPAN COUNTDOWN』2001年7月度エンディングテーマ
TIGHTROPE 松竹配給映画『劇場版 幻想魔伝 最遊記 Requiem 〜選ばれざる者への鎮魂歌〜』主題歌
TBS系番組『COUNT DOWN TV-neo』2001年8月度オープニングテーマ
2002年
蜃気楼 テレビ朝日系番組『古館の買物ブギ!』エンディングテーマ
15 1/2フィフティーンハーフ TBS系番組『Pooh!』2002年10月度エンディングテーマ
2003年
WHITE OUT〜memory of a color〜 日本テレビ系番組『2003年横浜国際女子駅伝』イメージソング
2005年
REVERSE トリビュートアルバム『LOVE for NANA 〜Only 1 Tribute〜』提供曲
PlayStation 2用ゲームソフト『NANA』オープニングテーマ
2007年
Can't stop believing TBS系番組『J-SPORTS スーパーサッカーPLUS』テーマソング
2010年
Roulette テレビ東京系アニメ『HEROMAN』第1期オープニングテーマ
テレビ北海道系番組『遊びなDJサタデー』5月度エンディングテーマ
LOOKING FOR LIGHT TBS系番組『マルさまぁ〜ず』8・9月度エンディングテーマ
lonely girl フジテレビ系番組『ウチくる!?』2010年10月・11月度エンディングテーマ
2011年
魔法の言葉 「Aya na ture」CMソング
2013年
lonely girl トリプルアップ配給映画『MOON★DREAM』主題歌
2015年
Make a Wish PlayStation 4PlayStation Vita用ゲームソフト『イグジストアーカイヴ -The Other Side of the Sky-』オープニングテーマ
Time goes on〜泡のように〜 PlayStation 4、PlayStation Vita用ゲームソフト『イグジストアーカイヴ -The Other Side of the Sky-』エンディングテーマ
2017年
愛されんだぁ I Surrender レコチョクCMソング
2018年
I WANNA BE WITH YOU TBS系アニメサタデー630枠アニメ『新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION(第1期)』第2期エンディングテーマ
2021年
白いチューリップ iOS/Android向けゲーム『イケメン革命◆アリスと恋の魔法』5周年記念イメージソング

ミュージック・ビデオ

監督 曲名
大喜多正毅 Make a Wish」「愛されんだぁ I Surrender」「白いチューリップ
柿本ケンサク Can't stop believing
竹石渉 wonderful world」「TIGHTROPE
多田卓也 Roulette」「LOOKING FOR LIGHT」「lonely girl
野田智雄 I WANNA BE WITH YOU」「READY FOR WARP
武藤眞志 蜃気楼」「15 1/2 フィフティーンハーフ」「WHITE OUT〜memory of a color〜
森田一平 Time goes on 〜泡のように〜

出演

ラジオ

※レギュラー、パーソナリティ出演のみ記載
現在
過去

映画

  • MOON★DREAM (2013年、カメオ出演)

ベーシストとして

tetsuyaは、対旋律ハーモニーを多用したフレーズを前に出した独特なベースプレイをみせることが多く、そのスタイルから『歌うベース』と表現されることもある。tetsuyaが在籍するL'Arc〜en〜Cielにおいて、長きにわたり共同プロデューサーを務めたベーシストの岡野ハジメ(ex.PINK)は、tetsuyaのベースプレイについて「tetsuyaくんはもともとメロディアスなベースを弾こうとしていたので、"もっとやれ〜"みたいな感じでしたね。でも、弾きまくりすぎかなと思うところでは、"ここはルートで弾いた方が、その後に動いた時にハッとするよ"みたいな、むしろ抑えに回る時もありました。ただ弾きまくるだけだと、リスナーの耳が慣れてしまうので。そういった研究はその頃、かなりやったと思います[99]」「ベース・ラインに関してはtetsuyaくんとかなり綿密に考えました。メロディラインを支えつつ低域のメロディを歌いまくる、という彼のベース・スタイルが、その後のベーシストに与えた影響は、計り知れないと思います[99][100]」と述べている。

なお、音楽雑誌のインタビューでの「影響を受けたベーシスト」に関する話題で、信人(UVERworld[101]山崎英明(ex.School Food Punishment[102]堀江晶太PENGUIN RESEARCH[103]、松本駿介(Cö shu Nie[104]といったミュージシャンがtetsuyaの名前をあげている。なお、tetsuyaと信人は、UVERworldのファンクラブ「Neo SOUND WAVE」の会報で対談しており、その記事の一部が音楽雑誌『PATi PATi』2010年1月号に掲載されている[101]。また、音楽プロデューサーmabanuaは、音楽番組の「このバンドのリズム隊がすごい!!」という特集で、L'Arc〜en〜Cielのリズム隊について「yukihiroさんは、彩りの仕方がすごくきれいなドラム。またtetsuyaさんのベースは音程がすごく動く。ここまで動くと普通破綻するが、それでも曲が破綻していないのがスゴイ。存在感のあるhydeさんの声に負けないパフォーマンスかつ、その歌を邪魔しないという両面性を持ったリズム隊がスゴイ[105]」と語っている。

tetsuyaはベースを弾く際に、左手を高速で横移動させ、いわゆる異弦同音[106]を使った太くうねるようなサウンドを鳴らすことも多い。tetsuyaは2021年に受けたインタビューで、自身の演奏に高速の横移動を採り入れた経緯について「上下に指を動かせば同じ音を弾けるのに、わざわざこうして(※左手の激しい横移動を繰り返して)弾いているわけですよ。僕が高校生の時、当時大学生だったギタリストの先輩が"魅せるギターを弾くんだ"と言ってそうやって弾いていたんですよ。"あぁ、そうか。そこまで考えてやってるんだ!"って。その影響が大きいと思います[106]」と述懐している。実際、L'Arc〜en〜Cielとして発表した楽曲の随所で、このプレイを確認することができる。なお、こういった指板を動き回るようなプレイを多くすることから、tetsuya曰く、無駄な音を抑えるためのミュートが演奏の肝のひとつになっているという[107]

また、tetsuya曰く、L'Arc〜en〜Cielの活動初期における自身のベースプレイは、ザ・キュアーからの影響が大きかったという[41]。tetsuyaは2010年に受けたインタビューにおいて、当時目指していたベースプレイについて「もともとキュアーがすごい好きで、初期の頃はキュアーの影響を受けてると思うんですよ。ギターがアルペジオを弾いたり、ギターはあんまり動かないんだけど、ベースが動く…そういう、ベースが動くような感じにしようと思ってましたね、特に初期は[41]」「キュアーは当時、これはギターだろうと思ってたフレーズが実は6弦ベースの高音だったりして、その影響は大きいんじゃないですかね[41]」と語っている。

ちなみにL'Arc〜en〜Cielは、1998年リズム体を担うドラマーがsakuraからyukihiroに代わっており、これに伴いtetsuyaのベースにも変化がみられるようになった。特に、ベースサウンドの大きさに変化が生まれており、1998年以降しばらくはベースの音量を意図的に大きくしていたという。これは、当時yukihiroがドラムのアンビエンスの音量を上げることを嫌い、「必ずデッドで」という嗜好が強かったことに起因している[108]。ちなみにyukihiroは、2014年に発表した単行本『yukihiro milk another story』の中で、かつての自身のサウンド嗜好について「その頃、ロックのドラムは音がデカいと感じてたんだよ。ドラムのアンビとかもウルサイなあと思ってて。なるべくデッドでコンパクトなサウンドにしたかったんだよね[109]」と語っている。こういった経緯もあり、この頃のL'Arc〜en〜Cielは、tetsuyaのベースが低音域のイニシアチブを持ち、ボトムを出しつつもタイトさを維持した楽曲の土台作りが行われていた。岡野ハジメは2019年に発売した自著で、この当時L'Arc〜en〜Cielで目指していたサウンドの方向性ついて「俺が中学生の頃に聴いてたフレンチ・ポップスなんかは、ドラムの音が小さいんですよ。そのぶんベース音がデカくて、グルービーなんです。実は1960年代のロック、例えばローリング・ストーンズなんかもドラムはそれほど主張してません。どれがキックで、どれがスネアか、分離して聴こえるようになったのはレッド・ツェッペリンぐらいからじゃないですか?その前はベースのラインがすごく重要で、ドラムはまとまって、センターに配置されてる感じだったんです。で、yukihiroくんもドラムがシャープでスピード感がありながら、キットとしてまとまりのある音にしたかったんだろうと解釈して、1960年代の音場のあり方の"今バージョン"をやればいいんじゃないかと思って、ドラムはタイトに1つの塊にして、その下でベースがちゃんと歌っている…tetsuyaくんはベース・ギタリスト的な、メロディアスな動きのあるラインを弾くというスタイルだったので…そういう形にしようと思いましたね[99]」と述べている。

また、草野マサムネスピッツ)は2002年に受けた音楽雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』のインタビューの中で、L'Arc〜en〜Cielのサウンドについて「ベーシストがイニシアチブ持ってるバンドでしょう、そういうのもあると思うんだけど。ボトムが出ることによって、でもタイトさがなくなるサウンドっていうのが多いんですよ、世の中的に。俺が感じてる中では。だけどすごいタイトだし。家で聴くとそんなにも感じなかったんだけど、車で聴くとラルクすげえ!と思って[110]」と印象を述べている。

ただ、2000年代後半に入った頃からは、yukihiroのサウンド嗜好に変化があったこともあり、ベースの音作りが変わっていくことになった。tetsuyaは2005年にL'Arc〜en〜Cielで発表した『AWAKE』に関するインタビューにおいて、ベースの音量をこれまでよりも小さめにしたことについて触れ、「ベースの音量については、『SMILE』からそうかもしれないですね。前はキックがあまり出てなかったんで、その分ベースを上げてたんで[111][112]」と述べている。

また、tetsuyaは基本的にピック奏法でベースを演奏している。なお、かつてはほとんどの楽曲をダウンピッキングで弾いていたが、近年のライヴではオルタネイトピッキングで弾く割合がかなり多くなっている。さらに、楽曲によってはフィンガー・ピッキングスラップでプレイすることもある。L'Arc〜en〜Cielとして発表した「眠りによせて」の一部フレーズや[42]、「I Wish[113]winter fall」「叙情詩[114]X X X」などの楽曲では指弾きで、「THE NEPENTHES」や「twinkle, twinkle[111]では1曲全編をスラップでレコーディングを行っている。また、「Caress of Venus」のライヴアレンジ版や、「X X X」でもスラップをアクセント的に使っている場面がある。他にも、「NEO UNIVERSE」では曲中全体を通して6弦ベースをオブリ的に弾いていたり、「Time goes on」では自身がレコーディングで弾いたギターソロパートを、6弦ベースとピッチシフターを使いライヴで演奏している。

tetsuyaはベースという楽器について、音楽雑誌『ベース・マガジン』の特集版のインタビューで「音楽を作るうえでベースは一番大事だったりするじゃないですか、"BASS(土台)"っていうぐらいですから[115]」「地味と言えば地味な楽器でもあって、音楽や楽器のことをよく知らない人からするとベースの音がどれかもわからないだろうし。でも実は、聴こえてないようで聴こえてるというか、料理で言うと隠し味的な、それがないとこの味にならないんだよっていう部分がベースだと思うんで。最終的に曲ができあがって聴いてるその感覚は、実はベースがないとそうは聴こえないっていう。だから…うん、一番大事な楽器だと思いますね[115]」と述べている。また、ライヴにおける自身のベースプレイについて、tetsuyaは「常に80点90点をキープし続けるのが僕の理想です。あんまりロックンローラーじゃないですよ(笑)。きっちり仕事をこなす職人タイプですね」と述べている。ちなみにtetsuyaは、好きなベーシストとしてミック・カーンジャパン[53]や、"CRAZY" COOL-JOE(DEAD END[53]などの名前を時折あげている。他には、スケルトン・キーのアルバム『ファンタスティック・スパイクス・スルー・バルーン』でエリック・サンコが鳴らすベースサウンドを、好きな音のひとつとしてあげていたことがある[61]

使用機材

ベース・ギター

tetsuyaが初めて購入したベースは、Ariaの「Aria Pro Ⅱ ZZB」というモデルだったという[7]。その後、様々なモデルを経て、アマチュア時代には Ibanezの「Ibanez SR-1000S」をメインのベースとして使うようになった[116][41]。その後、L'Arc〜en〜Cielとしてアルバム『DUNE』のレコーディングを行うにあたり、ワーウィックのベースを借りて制作に臨んでいる[116][41]。そしてアルバムレコーディングを終えた後、tetsuyaはZONのベースを購入し、それを持ってライヴツアーをまわっている[41]。この頃からtetsuyaは、ZONのベースを愛用するようになり、現在でもレコーディングで頻繁に使用している。

また、tetsuyaは上記アルバムを制作する前の1992年8月に、大阪北区にあったESPショップ、シェルドンギターズと契約しており、現在に至るまで30年以上もの間ESPと契約を続けている[37]。tetsuyaは他にも、LAKLAND、ZONとエンドースメント契約を結んでおり[117]、現在3つのベースブランドと手を結んでいる。そのため、これまでに各ブランドから数多くの自身のシグネイチャーモデルが発表されている。ちなみに、自身のシグネイチャーモデルベース「ESP Bardic」、「ESP BUZZ BASS、BUGSY(本人所有のみ)」、「ESP Bandit(4弦、6弦共に)」、「ESP BASS IV(本人所有のみ)」、「ESP ELT-I」、「ESP 百式」、「ESP JUGGLER BASS」、「ESP FLYING Y」、「ESP Thunderbird Type」などに採用されている「ESP」の筆記体ロゴは、tetsuyaとカーク・ハメットメタリカ)しか使うことの出来ない特別なロゴになっている。余談だが、数多くのtetsuyaシグネイチャーモデルが世に出回っていることから、それらを手にするベースプレイヤーも多く、高松浩史(THE NOVEMBERS)やHSU(ex.Suchmos[118]といったミュージシャンもtetsuyaモデルを所有していたことがあると明かしている。

前述のようにESP、LAKLAND、ZONの3社とエンドースメント契約を結んでいるため、tetsuyaはレコーディング、ライヴ、メディア出演において、各ブランドのベースを使い分けている。なお、レコーディングではZONのベースを使うことが多く、tetsuya曰く、1996年にL'Arc〜en〜Cielとして発表したアルバム『True』までは、ほとんどの曲でZONのベースを使っていたという[119]。ただ、『Tierra』に収録された楽曲「瞳に映るもの」の一部のベース録りではフェルナンデスの5弦ベース[42]、『heavenly』に収録された楽曲「静かの海」のレコーディングでは「ESP BB-5 CUSTOM」という5弦ベース[120][121]を使っている。

そして、L'Arc〜en〜Cielとしてアルバム『HEART』を発表した1998年あたりから、ヴィンテージの楽器や機材を集め始め、レコーディングで様々なブランドのモデルを使うようになっている[119]。後年tetsuyaは、『HEART』を制作していた頃を振り返り「『True』まではほとんどZON1本で通してたんですけど、『HEART』でヴィンテージの楽器をいろいろ使ったんですよ。ただ、そのときのヴィンテージは自分のものではなくて、お借りしたものだったんですね。その影響もあって、自分でも買うようになって[119]」「毎週1本以上買ってましたから。この時期はすごく忙しくて、ほとんど休みもなく、買い物にも出かけられず、ストレス発散的な(笑)。ネットで見つけて買ったり、スタジオに持ってきてもらって試したり。あと、この頃はよく海外に行ってたんですよ。プロモーション・ビデオの撮影とかマスタリングとか。で、向こうの楽器店で買ってくることも多かったですね。1962年のジャズ・ベースは、ニューヨークの楽器店ですべてのジャズべを2日間かけて試奏して、一番しっくりくるものを買ったり。『ark』と『ray』では『HEART』以降に買い集めたものをかなり使ってますね[119]」と述懐している。ちなみにアルバム『HEART』の制作では、「winter fall」で1971年製のギブソン・EB-3SGベース[122]、「Shout at the Devil」で1965年製のフェンダー・ジャズベース[123]、「milky way」の裏メロでリッケンバッカークリス・スクワイアモデルを使用している[124]

1999年初頭から本格的な制作が開始されたアルバム『ark』『ray』では、合計9本のベースがレコーディングで使われている[73]。『ark』『ray』の制作において使用するベースをどう選んだかについて、tetsuyaは「音質というよりも、曲[73]」「例えば、「HEAVEN'S DRIVE」という曲を前にしてパッと浮かんだイメージ…それは音のイメージじゃなくても、楽器の形のイメージとか。そういうところで"ZONじゃねえなぁ、ジャズベかな?いや、VOXを試してみよう"とか、そんな感じで選んでますね[73]」とアルバム発売当時に述べている。なお、『ark』『ray』の制作では、「HEAVEN'S DRIVE」で1960年代製のビザール・ベース「VOX PHANTOM IV」[73]、「Perfect Blue」で6弦エレクトリックベースフェンダー・ベースVI(フィエスタ・レッドカラー)[73][125]、「Sell my Soul」「trick」で1958年製のフェンダー・プレシジョンベース[126]をレコーディングで弾いている。tetsuyaは2000年以降もベースやギター、そしてアンプやキャビネットなどの機材を集め続けており、竿のコレクションはベースを中心に120本以上にのぼっている。なお、tetsuyaがコレクターになったのは、共同プロデューサーの岡野ハジメなどからの影響も大きいという。岡野は、tetsuyaが収集している楽器や機材について「(L'Arc〜en〜Cielの)メンバーみんな楽器が好きですから、tetsuyaくんもヨダレが出るようなビンテージ・ベースからモダンなものまで、コレクションは凄いですよ。ただのビンテージじゃなくてレア・カラーで、しかも音がいい、みたいなのを持っています[127]」「周りにギター・テクニシャンの峰守(一隆)さんや俺とかがいるので、いろいろ知恵も付くし、煽るじゃないですか。彼は絵画とかビンテージ家具とか、そういうコレクションもしだしていたので、楽器もヘッポコなものは買わないという感じですね[127]」と述べている。なお、tetsuyaは2020年以降、様々な楽器店で「TETSUYA MUSEUM」と題した自身のコレクションの展覧会を催している[128]

また、tetsuyaは『ark』『ray』の頃から、レコーディングで6弦エレクトリック・ベースを時折用いるようになっている。特にフェンダーのベースVIを用いることが多く、「Perfect Blue」の他、「NEO UNIVERSE[74]や「get out from the shell[74]、そして4弦と絡ませながら「HONEY」「自由への招待」でも使っている。ちなみに「NEO UNIVERSE」では、ベースソロパートだけリンダートの6弦ベースで録音作業を行っている[129][130]。なお、tetsuyaはフェンダー・ベースVIを2種所有しており、1962年製の青色のボディのものと[126]1964年製の赤色のボディのものがある[126]。また、tetsuyaはESPから、自身のシグネイチャーモデルとして「ESP Bandix Six」というマーブル柄の6弦ベースをリリースしており[131]、ライヴにおける6弦パートはこのモデルで弾くことが多い。この6弦モデルの製作経緯について、tetsuyaは2010年に受けたインタビューで「ESPにジャガー・タイプの6弦(JUGGLER)を作ってもらって、「1999 GRAND CROSS TOUR」で使ったんですよ。(中略)「Perfect Blue」はレコーディングのときはフェンダーBASS VIを使って、ライヴ用にジャガー・タイプを作ってもらったんです。ジャガーっぽいボディで、BASS VIみたいにして。でも、それはギターを弾いてるように見えちゃったんで、どう見てもベースに見えるBandix Sixを作ってもらったんです[119]」と述べている。ちなみにtetsuya曰く、ベースVIを愛用するようになったのは、ロバート・スミスザ・キュアー)からの影響が大きいという[73]

そして2004年にL'Arc〜en〜Cielとして発表したアルバム『SMILE』からは、再びZONのベースをレコーディングで頻繁に使うようになっている。ただ、このアルバムのレコーディングではサドウスキー製の「Sadowsky NYC Vin 4st JB」や、YAMAHAから限定販売されていた岡野ハジメモデルのベースも使っている。以降もZONのベースをメインで使いながら、様々なモデルでベース録りを行っている。

また、tetsuyaは2007年にアルバム『KISS』を制作し始めたころから、メインのベースを4弦から5弦に変更しており、ライヴでも5弦ベースを主に使うようになっている。メインで使うベースを5弦に変更した理由について、tetsuyaは「1stアルバムの『DUNE』や2ndアルバムの『Tierra』くらいから5弦ベースを使ってなくはなかったんですけど、本格的に、というか完全に5弦に切り替えたのは、2006年の4月くらいにCreature CreatureっていうMORRIEDEAD END)さんのソロ・プロジェクトにベーシストとして参加してから。そのときに、ギタリストのMinoru(ex.THE MAD CAPSULE MARKET'S、ex.DIE IN CRIES)君が7弦ギターで曲を書いてきたり、プレイしたりするんで、それに合わせて自然に5弦を使うようになったんです。Creature Creatureのアルバム『Light & Lust』のなかで、僕は11曲中10曲のベースを弾いてるんですけど、そのレコーディングは5弦で通して弾いて。そこから戻れなくなっちゃったという[132]」と語っている。

ちなみにtetsuyaは、ミュージック・ビデオの撮影において、自身で集めながらも普段使っていないベースやギターを使うことが多い。例えば、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「finale」やTETSU69として発表した楽曲「蜃気楼」の撮影では世界に50本ほどしかない透明なアクリルネックのベース「BORN TO ROCK F4b 1993」、「叙情詩」の撮影ではヘフナー社のヴァイオリンベースHofner G500/1」、TETSU69として発表した楽曲「wonderful world」「15 1/2 フィフティーンハーフ」の撮影ではグレッチギターのシルバージェット、「LOOKING FOR LIGHT」「I WANNA BE WITH YOU」の撮影ではエドワード・ヴァン・ヘイレンが使用していたフランケンシュタインと呼ばれるギターを携えている。なお、2001年からTETSU69名義で始めたソロ活動では当初、グレッチギター「GRETSCH Silver Jet #6129 1957」を頻繁に使っており[133]、このモデルはTETSU69にとって一つのトレードマークになっていた。

余談だが、tetsuyaは実際に有名ミュージシャンが使用していた楽器や、企画モノとして作られた楽器も集めている。実際にミュージシャンが使っていたものでは、"CRAZY" COOL-JOE(DEAD END)のベースや[134]ニール・ショーンのギター[135]などを持っているという。tetsuyaは前述のアクリルベースの他、アパレルブランドのNUMBER (N)INEが世界限定99本で発売したウォルト・ディズニーとのコラボアコースティックギター「NUMBER (N)INE Mickey Mouse Guitar」[133]といった企画モノの楽器を所有している。

弦はアメリカのハイエンド弦メーカーのDR Strings、ストラップはLive Lineのもの、シールドやスピーカーケーブルやパッチケーブルなどのケーブル類はAET Individual Design、Providence、Pete CORNISHなどを使用している。ちなみにtetsuyaは、2015年6月にDR Strings日本総代理店とエンドースメント契約を結んでいる。

アンプ・エフェクター等

機材ラックには、ヴィンテージのAmpeg製SVTを核として3台搭載し、サウンドシステムは2021年のライヴからFree The Tone社が新たに製作したインプットセレクターとアウトプットセレクター、さらに同社のミキサーとプリアンプセレクターを導入している[136]。他にも、ラックにはプリアンプ「Tech 21 SANSAMP PSA-1」を4台、デジタル・コンプ「T.C.ELECTRONIC Triple C」を2台搭載している。また、機材ケースは、tetsuyaが好んできたキャラクターであるシャア・アズナブルのイメージにちなみ、長年赤を使っていたが、シルバーを経て現在はピンクのものを使用している。

キャビネットはトリコロール(青・白・赤)にカラーリングした3台の「BASSON製810キャビネット」と、「BASSON製410キャビネット」をベース用で1台使用し、いずれもステージ上に配置している[136]。また、「REVELATION」や「EVERLASTING」ではギターをプレイすることがあるため、「Groove Tube製キャビネット」がギター用で使用されている[136]。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielとして音楽番組に出演する際は、機材の持ち運びを少なくするため、トリコロールの3台のBASSONではなく、ニッキー・シックスモトリー・クルー)が実際に使っていたBASSON製のキャビネットを使うことが多い[135]

エフェクターも自身が収集してきたヴィンテージ品を多く使用している。主にエレクトロ・ハーモニックス製の初期型の「Big Muff π」や「Graphic Fuzz」[136]、他には「Empress Effects Compressor MKII」「T.C.ELECTRONIC Helix Phaser」「Free The Tone FLIGHT TIME」「KarDiaN C10H12N20」「PSK Core Drive CDV-5」「weed FREEZER」などを使用している[136]。なお、「NEO UNIVERSE」を演奏する際は、自身のシグネイチャー6弦ベース「ESP Bandit Six」に合わせ、「Roger Mayer Marble Fuzz」というエフェクターを用いている。このエフェクターは、エフェクターブランドのロジャー・メイヤーとtetsuyaのコラボモデルであり、2001年10月に限定100台で販売されたものである。

楽器・機材 モデル
エレクトリックベースギター、エレクトリックギター等
エフェクター等
ヘッドアンプ、キャビネット等

人物

趣味・嗜好

  • 歌うことが好きで、tetsuya曰く、過去にはhydeがL'Arc〜en〜Cielのレコーディングで歌録りを終えた後、自分の歌声のバージョンを録音していたことがあったという[4]。このエピソードについて、tetsuyaは2010年に受けたインタビューで「ラルクのレコーディングでhydeが歌い終わるとするじゃないですか。で、時間が余ったりすると"俺、歌いま〜す"とか言ってラルクの曲を歌ったりしてたんですよ。個人的にその音源が欲しくて(笑)[4]」と述懐している。また、L'Arc〜en〜Cielの共同プロデューサーの岡野ハジメは、tetsuyaについて「tetsuyaはベースを弾いてる時よりも他の楽器を演奏しているときのほうがイキイキしてる。あと歌いたがり。すごい歌うのが好きで、自分の歌の仮歌を録るときとかは凄くワクワク、イキイキしてる[137]」と述べている。
    • tetsuyaの声の音域は、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「NEO UNIVERSE」「STAY AWAY」におけるコーラスワークから判るように、かなり高い。1996年にL'Arc〜en〜Cielとして発表したアルバム『True』に収録された「Dearest Love」では、tetsuyaによる高音のファルセットコーラスを聴くことができる(最高音はhihiA)。なお、L'Arc〜en〜Cielのレコーディングにおいて、tetsuyaが単独でコーラスを担当するようになったのは、1996年発売のシングル「風にきえないで」からで、これ以前のCD音源に収められたコーラスはhydeが担当していた。
    • ちなみにtetsuya曰く、L'Arc〜en〜Cielを結成する前、hiroと2人でバンドメンバーを探している段階で、hiroから「ボーカルやりなよ」と提案されたことがあったという[138]。ただ、tetsuyaはその提案を断っている[138]。hiroからの提案を断った理由について、tetsuyaは2004年に発行されたインタビュー本で「ヴォーカリストが歌詞を書くものだと思っていたんですが、歌詞を書いたことがなかったし、歌詞を書くのって、大変そうやんって(笑)[138]」と語っている。
    • 一方、歌うことに反しベースを弾いているときは、岡野ハジメ曰く「ある種真面目タイプというか、"いい加減に弾いてはダメなはずである"と思っている[137]」という。岡野は、ベーシストとしてのtetsuyaについて「良いベーシストだと思うんだけど、"ちゃちゃいっと弾いて出来てるはずがない"と思い込んでるんですよね。だから、"なんでそんなに自信無いの、上手いじゃない"っていつも励まさなきゃいけない(笑)[137]」と語っている。なお、tetsuyaは2010年に受けたインタビューで「自分はあんまりベーシストだとは思ってないっていうか…まだまだ未熟者なんで、もっと練習してうまくなりたいなって思ってます[115]」と述べている。
  • サッカー観戦が趣味であり、Jリーグのチームでは浦和レッズを応援している。そのため、tetsuyaは時折、試合観戦のため埼玉スタジアムに足を運んでいる[139]。ちなみにtetsuyaは、ライヴの際に使っている衣装ケースやベースのアンプに、浦和レッズのステッカーを貼っていたことがある。
    • なお、小学校時代は、父親からの影響で少年野球をやっていたが途中でやめている[140]。辞めた理由は、いわゆる"昔の体育会系精神"(年功序列が徹底された過度な縦社会、汗をかいても水を飲んではいけないといった科学的根拠のない風習等)が苦手だったためで、tetsuyaは「スポーツを楽しむじゃなく…だって、楽しもうとしてやってないでしょ?忍耐とか必要とされて、スポーツじゃなくなってると思うからやめた[140]」「軍隊じゃないんだから[140]」と述べている。また、tetsuyaは、精神論ばかりで物事を進めようとすることを嫌っており、「僕の時代だと練習中に水を飲んじゃいけませんとか。それってすごく間違った認識で、(中略)水分を摂らなきゃ脱水症状を起こすし。そういう精神論が嫌いなんですよ。(中略)でも、熱くなって、何かに夢中になって、みんなで一緒に何かを作り上げたり、同じところを目指しながら向かっていくのは大好きだし。精神論で全て片づけてしまうのが嫌いなだけなんです[141]」と述べている。そのためtetsuyaは、「精神論ばかりではなくなった現代のほうが好き」と2005年に出演した音楽番組で語っている[142]
  • 中学時代は野球部に籍を置いていたが、一切部活に出ていなかったため、実質的に帰宅部だった[143]。そのため、学校から早く帰り、友人や先輩の家でレコードをかけてギターを鳴らして遊んでいたという[58]。また、この頃は夕方に流れていたドラマの再放送もよく見ていたといい、現在でも映画やドラマを好んでよく観ているという。特に洋画、海外ドラマを好んで観ており、ジャンルではマフィアものや、SFサスペンスがフェイバリットだという[144]。小学校の頃は『ゴッドファーザー[144]の他、戦争映画の『1941[144]や『地獄の黙示録[144]が好きで、中学生の頃は『アウトサイダー[145]や『ランブルフィッシュ[145]を好んで観ていたという。そして高校生の頃は、レンタルビデオ屋も兼ねたレコード店でアルバイトをしていたため[145]ホラー映画を中心にいろいろなビデオを観る機会があったという[145]
  • テレビアニメでは富野由悠季が手掛けた『機動戦士ガンダム』(初代)が好きだという。tetsuya曰く、昔はあまりロボットアニメを好んでいなかったというが[152]、このアニメに関してはお気に入りだったという。tetsuyaは2004年に発売したインタビュー本の中で、ガンダムの印象ついて「(操縦の)マニュアルがあるんだっていうことで、ちょっと驚くじゃないですか。"すげえ"って。それまでのアニメって敵もワケわかんない、悪魔やおばけみたいな奴だったでしょ?で、登場人物も全員日本人みたいな。"なんで日本ばっかり攻めにくるんだよ、このワケわかんない化け物は"って、そういうのもイヤだったんですよ。そこで冷めるじゃないですか。でも、ガンダムは敵も人間だし。戦争だし。そういうところで全然今までのアニメとは違うなって思った。一瞬でハマりましたね[152][153]」と述べている。なお、2000年には、tetsuyaがプロデュースしたアクションフィギュアMOBILE SUIT IN ACTION!! tetsu TOYS」(ガンダム、シャア専用ザク、量産型ザクの3種)が発売されている。
    • また、『ガンダムシリーズ』に登場するキャラクター、シャア・アズナブルが好きで、シャアが乗っている機体のカラーリングにちなみ、赤い機材ケースを使用していた時期があった。さらに、2000年に発売されたL'Arc〜en〜Cielが登場するゲームソフト『激突トマラルク TOMARUNNER VS L'Arc〜en〜Ciel』では、tetsuyaがゲーム内でシャアの名台詞を読んでいる。
    • ちなみにtetsuyaは、富野由悠季が手掛けたテレビアニメ『聖戦士ダンバイン』も好んでおり、同アニメの舞台となった異世界バイストン・ウェルをバンド名にして活動していた時期があった。このバンドは、tetsuyaがL'Arc〜en〜Cielを始めるよりも前に組んでいたバンドで、ken(L'Arc〜en〜Ciel)も一時期在籍していたことがある。また、tetsuyaは、1996年に発売されたインタビュー本の中で、「好きな本」として富野が綴った小説『リーンの翼』をあげていたことがある[71]
  • テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』も好んで鑑賞している。tetsuya曰く、1997年にL'Arc〜en〜Cielで当時ドラマーを務めていたsakuraが逮捕されたことに伴い、バンド活動が止まっていた期間中、家に籠ってこのアニメを観ていたという[154]。エヴァンゲリオンに惹かれた理由について、後年tetsuyaは「(当時の)僕の気持ちと"シンクロ"したから」と語っており[154]、「"逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ"っていうシンジ君のセリフを自分で言ってましたね(苦笑)[154]」と述懐している。余談だが、tetsuya曰く、テレビシリーズの中で特にお気に入りの回は、第18話だという[155]
    • なお、L'Arc〜en〜Cielは1997年に「」という楽曲を発表しているが、この曲の歌詞にある<全ては真実と共にある>というフレーズは、『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する台詞をオマージュしたものとなっている[156]。ちなみにこのフレーズは、前述のアニメに登場するキャラクター、加持リョウジが葛城ミサトに宛てたメッセージの一節の「葛城、"真実は君と共にある"、迷わず進んでくれ[157]」を意識したものとなっており[156]、tetsuyaのリクエストで歌詞に採り入れられたという[156]
    • また、『エヴァンゲリオンシリーズ』に登場するキャラクター、惣流・アスカ・ラングレーに思い入れがあり[155]、tetsuya曰く、1998年にL'Arc〜en〜Cielとして発表した楽曲「あなた」はアスカに向けて作った曲だという(ただし作詞はhydeが担当しており、hyde自身は祖母をイメージして歌詞を書いている)。このキャラクターについて、tetsuyaは「あの子って強がってるけど、本当は脆いね、いい子なんですよ。でも、他人には弱いところを見せちゃいけないって。でも、人はうわべでしか見ないから、わがままな子としか思われないわけですよ[155]」と語っている。
    • 他にtetsuyaは、1979年公開のアニメ映画『銀河鉄道999』を好きな作品としてあげている[158]。また、tetsuya曰く、近年はアニメ『青のオーケストラ』を好んで観ていたという[159]。ちなみに、tetsuyaがソロ名義で発表した楽曲「SCARECROW」の歌詞には、『銀河鉄道999』に登場する城の名前である<時間城>というワードが登場する。
  • 上記のようにアニメを幾つか観ているため、漫画も読んでいるイメージをもたれやすいが、tetsuya曰く、漫画はあまり読まないという[160]。ただ、上條淳士作の『TO-Y』、矢沢あい作の『下弦の月』『NANA』などは友人にすすめられて読んでいたという[160]。ちなみに上條淳士には、TETSU69として活動していた頃に、グレッチギターを携えた自身のイラストを描いてもらったことがある。また、矢沢あいとは親交があり、漫画『NANA』の中には「tetsu(当時tetsuyaが使っていたアーティスト名義)」という名前が登場するコマがある[149]
  • 物件やインテリアに強いこだわりがあり、不動産マニアを自認している。自身の所有する物件のみならず、L'Arc〜en〜Cielのメンバーや周囲の人間にもおすすめの物件を紹介していたことがあるほど。また、壁紙などのカタログを熟読したりペンキ塗装の講習会に出るなど、内装にも拘っている[161]。ちなみに2012年には、L'Arc〜en〜Cielの企画展開催を記念し、観音崎京急ホテルの一室の内装をtetsuyaがプロデュースしたこともある[162]。そして2019年2月には、東京ドームシティで開催された「テーブルウェア・フェスティバル2019 〜暮らしを彩る器展〜」に参加しており、tetsuyaがコーディネートした"宇宙"をテーマとしたテーブルセッティングが展示されている[163]
  • コレクター気質であり、100本を優に超えるギターとベース、そしてヴィンテージの機材を数多く所有している。また、ヴィンテージロックTシャツやバンドTシャツもコレクションしており、これらのコレクションは、定期的に行われる自身の機材の展示イベントなどで公開されている[165]。他には、ヴィテージカーを好んでおり、2023年6月時点でヴィンテージを含め、計7台の車を所有している[159]
    • ヴィンテージ家具も好きで、好みの建築家デザイナーが手掛けた作品を収集している。特に1950年代のフランス人作家の作品を好んでおり、tetsuyaは好きなデザイナーとしてジャン・プルーヴェ[166]シャルロット・ペリアン[166]、マシュー・マテゴ[166]ピエール・ジャンヌレ[166]などの名前を頻繁にあげている。なお、tetsuyaは2017年5月に、ジャン・プルーヴェとピエール・ジャンヌレが共同で製作した「F 8x8 BCC組立式住宅」を鑑賞するため、フランス大使公邸を訪れている[167]。また、2021年には、雑誌『GOETHE』の「最高の仕事を生む椅子」という特集で、自身が所有するフレンチヴィンテージ・チェアを紹介している[168]。ただ、最近は新たに購入していないようで、tetsuyaは2021年に受けたインタビューで「逆に今は手を出せない。贋作が増えているから」と述べている[168]
    • 他にも、現代アート作品を愛しており、アンディ・ウォーホル[169]ロイ・リキテンスタイン[169]バスキア[169]、近年ではバンクシー[169]やTIDE[170]などの作品を収集している。なお、tetsuya曰く、近年に購入したアート作品の多くは、そのアーティストが世間に認知される前に手に入れたものが多いという[171]
    • 上記のように、楽器や物件、洋服、アートなど、多くのヴィンテージ品やレア物を所有・収集しているが、あくまで自身の趣味・嗜好の一環でほしいものを集めているだけで、tetsuyaは「投資目的で買ってるわけじゃなくてただほんとに欲しいからを買ってるだけで。投資家じゃないんで」と述べている[171]
  • tetsuyaは自身を"芸術家タイプ"ではないと自己分析しており、理想としては"職人"でありたいと語っている。tetsuyaは「職人さんって喋らない。自分の仕事に対して語らない寡黙な人が多いじゃないですか。もくもくと黙って作業をする、僕はそっちのタイプなんです。エンターテインメントと芸術は違うと思ってる[172]」と述べている。また、tetsuyaは、ミュージシャンを盲目的に支持する音楽シーンを好んでおらず、「俺のやってることなんてたかだかエンターテインメントに過ぎない。宗教でも何でもないと思ってるんで[172]」と述べている。
    • また、tetsuyaは「ファンのために」という言葉をアーティストが使うことをあまり好んでおらず、2004年に自身が発表したインタビュー本で「ファンのためにこうしてやっているんだ、愛してるんだよって言うことが偽善っぽくて嫌いなんですよ[173]」と述べている。さらにtetsuyaは、ライヴに来た観客に向けて「ファンとともにある」「ファンと一心同体である」といった趣旨の話をわざわざMCでするアーティストも苦手で、「"何言うとんねん"って、シラケてくる[174]」「なわけないやん、新興宗教じゃないんだから[174]」と感じてしまうと語っている。tetsuyaは前述のインタビュー本の中で、ファンとの距離感について「俺たちがやることを支持してくれるほうが嬉しいですけど、でも人の好みはわからないですからね。それに好みも変わるだろうし。お客さんのご意見箱を置いといて、その意見のとおりにやれば、よくなるとも限らないだろうし。感謝はしてるけど。ファンの人の意見に振り回されたくはないなと。だからといって、別に邪険に扱うつもりもないし。お客さんに満足してもらう努力をするのは当然だと思うし。だから、そこで、ファンへの愛があるとか、優しい、みたいに言われると、気持ち悪いですけど[174]」「俺は宗教みたいなのがいちばんイヤなんですよ。"ずっとついていきます"って言われるのは、それはそれで嬉しい。ありがとうって思います。でも"ついてこいよ"とは言いたくない。俺は来るものは拒まず、去る者は追わずですよ、すべてにおいて[173]」と述べている。
  • 非喫煙者である(2024年時点で、L'Arc〜en〜Cielのメンバーで喫煙者はkenのみ)。余談だが、1995年に発売されたL'Arc〜en〜Cielの写真集では、他のメンバーが葉巻パイプを持っているのに対し、tetsuyaだけピストルを持った姿が掲載されている。

エピソード

  • 高校生の頃にByston-Wellというバンドを組んで音楽活動していたが、tetsuya曰く、これはあくまで趣味の一環だったといい、プロミュージシャンになろうと決意をしたことは一度もなかったという[175]。この当時の心境について、後年tetsuyaは1996年に受けたインタビューで「僕はプロになりたい!とかプロになろう!って心に決めたことは一度もないんですよ。でもバンドがやめられなかった[175]」「プロになる気もないんだから親からは"就職しろ!"って言われましたけど、バンドがやめられずに続けてるだけ。それで今日まで来ただけなんですよ[175]」と述懐している。
    • また、tetsuyaは1996年に受けたインタビューで、高校3年生のときに同級生がバイク事故で亡くなってしまったことが自身の進路に大きな影響を与えたと述べている[176]。tetsuyaはこのエピソードについて「僕ね、人生18年間生きてて葬式ってものに出たことがなかったんですよ。身内も誰も死んでなくて。生まれて初めて行った葬式が同級生で友達[176][177]」「その時に人って簡単に死んじゃうんだって思った。(中略)俺、ちょうど進路を決めなきゃいけない時期だったんですよ。進学を決めてたんだけど、やめてやりたいことをやろうと思った。…俺もいつ死ぬか分からないから、やりたいことをやろう!って[177]」「その友達のことがなかったら、普通に…親に迷惑をかけないような人生を歩んでたと思う[177]」と述懐している。その後、tetsuyaは「学生しながらバンドやってると世間体もいいし、格好がついてしまう」という理由で進学をやめ[177]、フリーターをしながらバンド活動を続ける中で[177]、本当に自分がやりたいと思うものを探すことにしたという。
    • なお、tetsuyaは高校を卒業した後もバンドでプロを目指していたわけではなかったようで、「どうせバンドをやるなら上手い人、カッコいいと思う人とやりたい」「面白いと思えることがしたい」という考えでメンバー探しをしていたという。当時プロミュージシャンを目指さなかった理由について、tetsuyaは「僕、レコード屋でアルバイトしていたときから"武道館でライヴやったところで食えないよ?"っていう話を聞いちゃってたんですよ。武道館でライヴやっててもアルバイトしてるバンドやアーティストがいたり、10代の頃からそういう現実を知っちゃっていたので、まったく夢がなかったんです。"音楽なんかで食っていけないでしょ?"って思ってた。運良くデビューできたところで、毎年何組も新人がデビューしている中で生き残れる人なんてほんの一握りだから、デビューを目標にしたところで食っていけない。だから目標もなかったし、武道館に立つのが夢でもなかったし…ただ、そのときそのときにやらなきゃいけない事をひとつひとつ一生懸命やるってだけで[50]」と述懐している。
  • 大阪に出てきた後、tetsuyaはワルツ堂というレコード店でアルバイトをしていた。この店は当時、DEAD ENDのアルバムセールスが日本一だった店舗であり[178]、いろいろなロックミュージシャンがキャンペーンで訪れたことがあったという[178]。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielの結成メンバーとなるhiroとtetsuyaが知り合ったのは、この店に訪れたSAMMY(BILLY & THE SLUTS)の紹介によるものであった。なお、tetsuya曰く、この店にはDEAD ENDのメンバーの他、DER ZIBETのメンバーが来たこともあったという[178]。そしてtetsuya曰く、この店でアルバイトをしていた頃にISSAY(DER ZIBET)と酒を飲んだこともあったという[178]
  • L'Arc〜en〜Cielがアマチュアとして活動していた頃は、「L'Arc〜en〜Ciel コンタクト」という名前で私書箱を借り、tetsuyaの自宅のワンルームに別で電話回線を引き、マネジメントスタッフのふりをして電話応対し、ライヴのブッキングなどを自らの手で行っていた[41]。また、のちに所属することになるデンジャークルー(現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ)とのやり取りも、tetsuya自身が行っていたという。事務所代表の大石征裕は2020年に出版された著書の中で、この頃のL'Arc〜en〜Cielについて「その頃から"バンドを自分たちで運営する"という体制作りのこともちゃんと考えていたのだと思う[179]」と綴っている。
    • さらにtetsuya曰く、ブランディングの観点から、L'Arc〜en〜Ciel結成当初の時点でスタッフを雇い、機材の運搬を来場者に見せないようにしたり[17]、メンバーがライヴのチラシやフライヤーを直接客に配布する行為を避けていたという[29]。この当時を振り返り、tetsuyaは「ブランディングとして人気があるように見せた、最初から[17]」「売れる前から徹底してやってたんです。"勘違いしてる"と言われようと[17]」と語っている。
    • 一方で、打算や商業的な計算に基づいて曲を作ることはナンセンスとしている。tetsuyaは、1993年に『DUNE』を発売した時に受けた音楽雑誌のインタビューで「(結成当初から実施してきたプロモーション戦略や計算は)当時はすべて、自分たちでやっていたからこその"商業的な計算"であって、音楽的な面では計算しながらやっているわけじゃないですから[180]」と述べている。
    • メジャーデビュー以降もtetsuyaは、プロモーションのための広告やCM映像の制作に積極的に関与している。L'Arc〜en〜CielとしてリリースしたCMの中には、「新譜の宣伝でも何でもない、バンド名を正しく読ませるためだけの記者会見仕立てのCM」も存在しているが、これはtetsuyaの案から生まれたものだったという[181]。なお、tetsuyaは常々「カッコいいことだけやるってカッコ悪い[181]」と述べており、特に1990年代後半の頃は、コミカルな広告やCM映像が発表されていた。この当時L'Arc〜en〜CielのA&Rを務め、のちにKi/oon Musicの代表となった中山道彦は、2021年に行ったtetsuyaとの対談において「ウィットとか戦略について理解がすごくあるバンドで、特にてっちゃんはそうだし、わりと乱暴に一緒にやってこられた感じはあるかな[181]」「てっちゃんにアイデアを話すと"あ、それってこういうことだよね?"って、すぐにわかってくれるんだよね。その最初のコミュニケーションがないと、企画は絶対前へ進めないのよ。その理解度がすごい。もちろん、その中で"いや、これはこうしたほうがいい"とか、ブラッシュアップしていくんだけど[181]」と当時を述懐している。また、2021年に受けたインタビューで「ポピュラリティを獲得していきながら、芸術性や自分たちの守りたいブランド性を保てているが、制作における意識の変化はあったか」と聞かれた際[182]、tetsuyaは「変わらないです。"もっとこういう曲書いてくれ"とか、一切言われたことがないんですよ。好きな音楽を作っているだけ[182]」と述べている。実際、tetsuyaはL'Arc〜en〜Cielにおいてシングル表題曲を決めるときは、スタッフの意見を踏まえることが多いという。tetsuyaは、2004年に受けたインタビューで「シングルに関して僕はね、ある程度お任せなんですよ。どの曲をシングルにするかとか[183]」と語っている。
    • ただ、2000年代後半から本格的な普及が始まったSNSに対しては、あまり積極的なスタンスをとっておらず、いくつかSNSアカウントを持っているものの、プロモーション以外で不特定多数のユーザーと直接交流することは少ない。SNSとの向き合い方について、tetsuyaは「ビジネス的な側面で考えれば、そういうのをやった方がいいんだろうけど。そこは僕、ホントに興味ないし、嫌なんですよ[184]」と語っている。また、2012年に出版したインタビュー本において、自身の人間関係の築き方について、tetsuyaは「(不特定多数との出会いを求めてる訳じゃない。)だから変なパーティとかには行かないようにしてますし。変な飲み会とか。そういうところに行くと一生知り合わなくていいような人と知り合っちゃうから(笑)[184]」「出会ってすぐに無理やり信頼関係を築こうとする人も苦手で。信頼関係は、やっぱり時間をかけて築いていくものだと思ってるから。(中略)やっぱり、ハートのある人じゃないと長続きしないと思います。心がない人とは仲良くなれない[185][186]」と語っている。
  • L'Arc〜en〜Cielでは、リーダーという役割を担っているが、これはhydeからの推薦で決まったという。hydeは2012年に発表した自叙伝において、tetsuyaの人物像について「L'Arc〜en〜Cielを冷静に俯瞰で見てる人」と述べている[187]。さらにhydeは、同著書で「tetsuyaは、普通より頭の作りが柔軟なんじゃないかな?なぞなぞとか得意なんじゃない?(笑)例えば、ライヴの演出で"これ、何色にしようかな?"って話をしてたとするじゃない?"赤だ""黄色だ"って会議をしてる時に"どっちがいいかな?"って聞くと、"色なんか、いらないんじゃない?"って言うような、根本を覆すような発想をしたりして。よくよく考えてみると、"あ、確かに、いらないかもね"ってなる事が多い。すごく柔軟なんじゃないかな[188][187]」「一つの事に専念してる人って、なかなかその物事を俯瞰できない場合があるんだよ。そういう時は、tetsuyaみたいな存在はありがたいよね。逆に俺も、その俯瞰してる時は、そういうアドバイスが出来るようにしないとなって思ってる[187]」と述べている。また、yukihiroは2004年に受けたインタビューで、tetsuyaのイメージについて「僕、tetsuくんは一番パンクだなあって思いますよ?あの反発精神、反抗精神ってねえ(笑)、パンク以外の何物でもない。こう、自分の考えを突き進めるところとかねえ、"パンクだなあ"って。インタヴューとかtetsuくんの読んでも、パンクだよねえ、言ってることが、みたいな[189]」と語っている。さらにsakuraは、2006年に音楽雑誌『R&R NewsMaker』で行われたtetsuyaとの対談において「(L'Arc〜en〜Cielに)在籍してた当時とか、俺からすると3人の中でtetsuとの会話が一番少なかったのね。だけど、なんか一緒にいる時間は長かったりして。で、たぶん根本はね、似てると思うんですわ。ただ向かってる方向が違くて。だけどその、方向は違うって言ってもプラス、マイナスじゃなく、お互い何かしらの目的のためにプラスに向かってるんだろうなっていうのは常々感じてたから。だから方向が違っても、いつかまた交差する時もある[190]」と述べている。
    • なお、L'Arc〜en〜Cielは結成後、3回にわたりメンバーの脱退・加入が繰り返されている。メジャーデビューしたバンドの中には、アマチュア時代だけ在籍していたメンバーや脱退したメンバーについて言及することを避ける者も多いが、tetsuyaは時折元メンバーの名前をインタビューの中で出している。ちなみにtetsuyaは、2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで「今までのラルクのメンバーって7人(hyde, hiro, tetsuya, pero, ken, sakura, yukihiro)いるんですよ。なんかそれも運命かなぁって。誰ひとり欠けても今のラルクはない[30]」と述べている。なお、tetsuyaは過去に在籍したhiro、pero、sakuraと、3人がL'Arc〜en〜Cielを脱退した後もライヴで共演したことがある。
  • tetsuya曰く、2002年頃にL'Arc〜en〜Cielを解散させるつもりだったという[191]。きっかけは、hydeから手紙を通じてバンドを脱退したい旨を伝えられたことだったといい[191]、tetsuyaは2012年に発売したインタビュー本において「hydeが一度決めた事だからもうひっくり返らないなと思った。手紙で伝えてくるっていうのは、よっぽど時間をかけて考えて出した答えだと思ったから[192]」「新しくヴォーカリストを入れてL'Arc〜en〜Cielを続けるつもりもなかったし、解散しようって思った[191]」とこの当時を振り返っている。
    • hydeから手紙をもらった後、L'Arc〜en〜Cielはメンバー4人だけで集まり、バンドの今後を話し合い、その日は解散する方向で話がまとまったという[192]。ただ、hydeからバンドを辞めたい理由を聞いていなかったため、tetsuyaは理由を聞くためにhydeと2人で会って話し合ったという[192]。そこでバンド内の雰囲気や事務所との関係を改善していくことを確認し合い、結果的にバンドを継続することとなった[192]。なお、後年tetsuyaは「最終的に続ける方向になりましたけど、すぐには、そうは思わなかった。僕もいろいろ思うところがあったから」とこの当時を振り返っている[193]
  • L'Arc〜en〜Ciel結成以降はアーティスト名義を"tetsu"として活動してきたが、2009年12月1日に現在の"tetsuya"に改名している[194]。tetsuyaは音楽雑誌『CD&DLでーた』2010年2月号のインタビューにて、アーティスト名を変更した経緯について「自分にとって本当に大切な人間が亡くなっちゃって、そいつの名前を1文字もらったんです[195]」と述べており、メンバーや事務所の社長、スタッフらに想いを伝えた上で改名したという[195]。そのため、"tetsuya"は自身の本名に由来するものではない。なお、改名の詳細な経緯や想いは、同雑誌の他、2012年発売のインタビュー本『哲学2。』において語られている。
  • L'Arc〜en〜Cielのライヴでは、tetsuyaがMCや楽曲演奏前に「俺のバナナが食べたいかー!」と言ってバナナを客席に投げ入れるパフォーマンスが恒例になっている。投げ入れられるバナナには、tetsuya考案のオリジナルキャラクター「MUKIMPO(読み:ムキンポ)」のステッカーが貼られていることが多い。ちなみにMUKIMPOは、先端だけ剥けたバナナを模したキャラクターとなっている。なお、MUKIMPO関連のグッズは、L'Arc〜en〜Ciel及びソロ名義でのライヴにおいて、定番グッズとして販売されている。余談だが、tetsuyaはバナナ以外に、マンゴーズッキーニ茄子ニンジンエリンギスイカ型のビーチボールを客席に投げ入れたことがある。

交流関係

tetsuya曰く、L'Arc〜en〜Cielを結成する前、メンバー探しをしている段階で「いいメンバーがいるから」と知人を通じ、西川を紹介されたことがあったという。このときtetsuyaと西川は「一緒にバンドを組もう」と約束を交わしたという[196]。なお、西川はこの当時、Luis-Maryという大阪で絶大な人気を誇っていたバンドに在籍しており、灰猫(読み:ハイネ)という名義で活動していた。そのためtetsuyaは「この人と組めるのか!」とバンド結成を相当楽しみにしていたと述懐している[196]。しかし、その時は連絡先を交換せず、挨拶程度で話が終わってしまったうえ、仲介した知人とその後連絡がつかなくなってしまったため、結局バンドは形にならずに終わってしまった[196]。その後、西川はLuis-Maryとして1991年にメジャーデビューし、tetsuyaは同年にL'Arc〜en〜Cielを結成しアマチュアで活動していくことになった[196]
そして数年が経ち、とあるテレビ番組で2人は再会し、共通の思い出話などから発展し、プライベートで交友を深めていった[196]。その後tetsuyaは、2009年に西川が企画したイベント「イナズマロックフェス 2009」にソロ名義で招かれることになった[197]。なお、tetsuyaは翌年に開催された「イナズマロックフェス 2010」にも出演している[198]。さらに2012年開催の「イナズマロックフェス 2012」には、サプライズゲストとして出演している[199]。このイベント出演以降も交流が続いており、たびたびラジオ番組などで共演している。
L'Arc〜en〜Cielはアマチュアとして活動していた頃、清春が在籍するバンド、黒夢とよく対バンを行っていた[27]。L'Arc〜en〜Cielは当時のアマチュアバンドとしては、対バンライヴをあまり行わない珍しいバンドであったため、黒夢が数少ない対バン相手だった[27]。tetsuyaは2020年に公開されたインターネットラジオ番組で、アマチュアの頃に黒夢とよく対バンをしていた理由について「黒夢(との対バン)はお互いにメリットがあったというか。黒夢は黒夢で、もうある程度の立ち位置にいて、固定のファンもある程度いて。黒夢にとってもラルクにとっても…お互いがハッピーになるような感じだったから、"対バンしよう"って言う話になったんです[27]」と述懐している。なお、tetsuyaは黒夢について「我々の一番のライバル[200]」と述べている。
L'Arc〜en〜Cielと黒夢がメジャーデビューして以降も2人は交流があり、2017年にはtetsuyaと清春にやまだひさしを交え、2人のニコニコチャンネルの連動番組を放送している[201]。また、2019年にはギタリスト、中村佳嗣の生誕五十周年を祝うライヴイベントに2人が参加している。このイベントでは、tetsuyaと清春、中村佳嗣、sakuraZIGZO、ex.L'Arc〜en〜Ciel)の4人で、黒夢とL'Arc〜en〜Ciel、さらにはTETSU69の楽曲をセッションしている[202]。なお、清春は、L'Arc〜en〜Cielの現メンバーのほとんどと現在でも交流があり、お互いがメジャーデビューした後もライヴイベントや楽曲制作の場で共演している。
1994年にL'Arc〜en〜Cielとして、城島がパーソナリティを務めていたラジオ番組『城島茂のTOKIO CLUB』へゲスト出演したことがきっかけで、親交が始まったという。この当時は、tetsuyaと城島、さらに相川七瀬を交えた3人でよく会食していたという[203]。こういった縁もあってか、L'Arc〜en〜Cielは1995年から1996年に開催したライヴでパートチェンジバンド、KIOTOとして、TOKIOの楽曲「LOVE YOU ONLY」をカバーしていた。
また、2004年には、音楽番組以外にあまり出演していなかったこの頃のtetsuyaとしては珍しく、城島が司会を務めるテレビ朝日系料理バラエティ番組『愛のエプロン』にゲスト出演している。さらに1997年から2014年まで長きに渡り、2人はMBSラジオにおいて同じ番組のパーソナリティを担当していた。
  • 前田浩志』(デザイナー)
(株)BONES GRAPHICSの代表を務めるアートディレクター。前田は、L'Arc〜en〜Cielが1996年に開催したライヴツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」のパンフレット制作を担当している。これ以降、前田はL'Arc〜en〜Cielのみならず、tetsuyaのソロワークスのアートディレクションなどにも携わるようになった。
tetsuya曰く、東京に上京したときに買ったインテリア雑誌で前田のことを初めて知ったといい、一緒に仕事をする前から同氏の仕事ぶりをリスペクトしていたという[204]。そのためtetsuyaは、2012年に発表したインタビュー本において「前田さんからの影響はすごく大きい[204]」と語っている。
漫画『下弦の月』『NANA』の作者。tetsuya曰く、矢沢の作品『下弦の月』を友人にすすめられて読んだことがきっかけで、同氏のことを知ったという[160]。その後知り合いを通じ、矢沢と交流が始まっている[160]。交流が始まって以降、tetsuyaは2005年に漫画『NANA』のトリビュートアルバム『LOVE for NANA 〜Only 1 Tribute〜』に参加したり、2011年にソロ名義で発表した楽曲「lonely girl」の作詞を矢沢に依頼している。ちなみに、tetsuyaは名前だけではあるが、漫画『NANA』に登場したことがある[149]

参考文献

  • SHOXX』、音楽専科社、1993年5月号Vol.16
  • ロッキンf』、立東社、1994年8月号
  • 『ロッキンf』、立東社、1995年9月号付録
  • GiGS』、シンコー・ミュージック、1995年9月号
  • 『L'Arc〜en〜Ciel is』、シンコー・ミュージック、1996年
  • WHAT's IN?』、ソニー・マガジンズ、1997年1月号
  • 『ロッキンf』、立東社、1997年1月号
  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、1998年4月号
  • 『uv vol.58』、ソニー・マガジンズ、2000年
  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、2000年9月号
  • 『R&R NewsMaker』、ビクターエンタテインメント、2001年8月号No.155
  • ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2002年8月10日・25日合併号
  • 『哲学。』、ソニー・マガジンズ、2004年
  • 『WHAT's IN?』、ソニー・マガジンズ、2005年7月号
  • 『WORDS L'Arc〜en〜Ciel』、角川書店、2005年、著者:鹿野淳
  • CDでーた』、角川書店、2005年7月14日号 vol.17 No.7
  • 『R&R NewsMaker』、ぴあ、2006年10月号No.211

  • 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 01』、ソニー・マガジンズ、2006年
  • 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 03』、ソニー・マガジンズ、2006年
  • 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、リットーミュージック、2010年
  • 『WORDSⅡ L'Arc〜en〜Ciel』、角川マガジンズ、2010年、著者:鹿野淳
  • 『PATi PATi』、ソニー・マガジンズ、2010年1月号
  • 『CD&DLでーた』、角川マガジンズ、2010年2月号 vol.22 No.2
  • 『THE HYDE』、ソニー・マガジンズ、2012年、著者:寶井秀人
  • 『WHAT's IN?』、p.34、ソニー・マガジンズ、2012年2月号
  • 『哲学2。』、エムオン・エンタテインメント、2012年
  • 『yukihiro milk another story』、株式会社音楽と人、2014年
  • 『ベース・マガジン』、リットーミュージック、2019年4月号
  • 『音楽プロデューサー 岡野ハジメ エンサイクロペディア CATHARSIS OF MUSIC』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2019年
  • 『大石征裕 自伝 夢の船』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2020年
  • 『Rolling Stone Japan L'Arc-en-Ciel 30th L'Anniversary Special Collectors Edition』、CCCミュージックラボ、2021年

関連項目

外部リンク

脚注

注釈

  1. ^ tetsuya主宰のレーベルで、2001年-2002年および2007年-2012年は、tetsuyaが在籍するロックバンド、L'Arc〜en〜Cielと同様に、Ki/oon Recordsと連携。2002年-2003年ワーナー・ミュージック・ジャパン内のDREAM MACHINE内に主宰レーベルごと移籍している。2015年にはテイチクエンタテインメント内で再度レーベルを再始動させたが作品リリースの無いまま提携解消となった。2016年以降は、ユニバーサルミュージック内のEMI Recordsと連携している。ちなみに2020年には、前年行ったライヴの模様を収録した映像作品『TETSUYA LIVE 2019 THANK YOU 4950』をLDH Recordsのもとでリリースしている。
  2. ^ 10thアルバム『AWAKE』収録の「TRUST」において、tetsuyaがギターを弾いている。なお、「TRUST」をライヴで演奏する際、tetsuyaはダブルネック・ギターを用い、ベースパートとともに演奏している。また、完全受注生産限定シングル「EVERLASTING」でもギターを担当している。他にも、tetsuyaが作曲した9thアルバム『SMILE』収録の「Time goes on」では、tetsuyaが仮演奏したギターソロのテイクが採用されている。
  3. ^ L'Arc〜en〜Cielの様々な楽曲で、tetsuyaは楽器またはそれ以外の音を採り入れている。例えば、9thシングル「DIVE TO BLUE」では、足付きの灰皿をスティックで叩いた音を手拍子とミックスして音源に採り入れており、tetsuyaにメタルパーカッションのクレジットが付いている。
  4. ^ 9thシングル「DIVE TO BLUE」で初めてtetsuyaにキーボードのクレジットが付いている。
  5. ^ L'Arc〜en〜Cielの楽曲である「DIVE TO BLUE」「Pieces」「Perfect Blue」「What is love」「finale」「READY STEADY GO」「Time goes on」「NEXUS 4」「SHINE」「GOOD LUCK MY WAY」「Bye Bye」などの楽曲のレコーディングでキーボード、プログラミングを担当。

参考文献・出典

  1. ^ "TETSUYA LIVE 2019 THANK YOU 4950". TETSUYA Official Website. 2023年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月1日閲覧
  2. ^ "TETSUYA(L'Arc〜en〜Ciel)のオフィシャルサイト&ファンクラブをリニューアルオープン". PR TIMES. 5 June 2019. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  3. ^ a b c d "1位はウィンターソングの代表曲「winter fall」!AWAユーザーが選ぶ!L'Arc~en~Cielのマイベストソング発表!". PR TIMES. 27 December 2019. 2023年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月10日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.21、リットーミュージック、2010年
  5. ^ a b c d e f "第47回のゲストはSTEALTH STELL'Aクリエイティヴ・ディレクターのTETSUYAさん――「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN". encore. 13 August 2021. 2023年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月30日閲覧
  6. ^ a b c "Ken、"11日遅れの"バースデーライブでTETSUYAと共演". ナタリー. 10 December 2009. 2023年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧
  7. ^ a b c d e f g h i j 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.8、リットーミュージック、2010年
  8. ^ 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.41、シンコー・ミュージック、1996年
  9. ^ a b c 『哲学。』、p.16、ソニー・マガジンズ、2004年
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.10、リットーミュージック、2010年
  11. ^ a b c d e f g 『哲学。』、p.145、ソニー・マガジンズ、2004年
  12. ^ a b 『哲学。』、p.146、ソニー・マガジンズ、2004年
  13. ^ a b c d 『哲学。』、p.147、ソニー・マガジンズ、2004年
  14. ^ a b c d e f ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #81】2019年9月14日放送分
  15. ^ 『哲学。』、p.149、ソニー・マガジンズ、2004年
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.11、リットーミュージック、2010年
  17. ^ a b c d e f g h i ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #184】2022年1月15日放送分
  18. ^ a b 『哲学。』、p.155、ソニー・マガジンズ、2004年
  19. ^ a b c d e f 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.46、シンコー・ミュージック、1996年
  20. ^ a b 『THE HYDE』、p.82、ソニー・マガジンズ、2012年
  21. ^ a b c d e 『THE HYDE』、p.83、ソニー・マガジンズ、2012年
  22. ^ a b c d 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.47、シンコー・ミュージック、1996年
  23. ^ 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.48、シンコー・ミュージック、1996年
  24. ^ a b 『Rolling Stone Japan L'Arc-en-Ciel 30th L'Anniversary Special Collectors Edition』、p.52、CCCミュージックラボ、2021年
  25. ^ a b 『THE HYDE』、p.84、ソニー・マガジンズ、2012年
  26. ^ a b c 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.14、リットーミュージック、2010年
  27. ^ a b c d e ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #124】2020年9月19日放送分
  28. ^ 『THE HYDE』、p.88、ソニー・マガジンズ、2012年
  29. ^ a b "バンド結成20年の歴史を振り返るメンバー4人ソロインタビュー L'Arc-en-Ciel(5/8)". ナタリー. 16 February 2011. 2023年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧
  30. ^ a b 『R&R NewsMaker』、p.16、ぴあ、2006年10月号No.211
  31. ^ a b 『THE HYDE』、p.87、ソニーマガジンズ、2012年
  32. ^ a b 『哲学2。』、p.119、エムオン・エンタテインメント、2012年
  33. ^ a b "《L'Arc~en~Cielコピーバンド舞台裏》「うわ、hydeやん」tetsuyaも驚いたhydeポジを担う《jekyllの正体》「彼はとある国のミュージックバーで歌っていた」(3/5)". 文春オンライン. 31 May 2023. 2023年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月31日閲覧
  34. ^ "《L'Arc~en~Cielコピーバンド舞台裏》「うわ、hydeやん」tetsuyaも驚いたhydeポジを担う《jekyllの正体》「彼はとある国のミュージックバーで歌っていた」(4/5)". 文春オンライン. 31 May 2023. 2023年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧
  35. ^ "《L'Arc~en~Cielコピーバンド舞台裏》「うわ、hydeやん」tetsuyaも驚いたhydeポジを担う《jekyllの正体》「彼はとある国のミュージックバーで歌っていた」(2/5)". 文春オンライン. 31 May 2023. 2023年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月31日閲覧
  36. ^ ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #268】2023年10月28日放送分
  37. ^ a b "【インタビュー】tetsuya (L'Arc-en-Ciel)、新ブランド始動「STELLA GEARはESPよりも上位ランクです(笑)」(1/3)". BARKS. 3 October 2023. 2023年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧
  38. ^ "【インタビュー】tetsuya (L'Arc-en-Ciel)、新ブランド始動「STELLA GEARはESPよりも上位ランクです(笑)」(2/3)". BARKS. 3 October 2023. 2023年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧
  39. ^ a b 『ロッキンf』、p.54、立東社、1997年1月号
  40. ^ a b c "良い曲を作るのにコツはない、TETSUYA 音楽への趣向とこだわり". MusicVoice. 2023年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月16日閲覧
  41. ^ a b c d e f g h 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.16、リットーミュージック、2010年
  42. ^ a b c 『ロッキンf』、p.33、立東社、1994年8月号
  43. ^ a b "INTERVIEW――tetsuya 〈tetsuya best〉". TOWER RECORDS ONLINE (bounce). 10 March 2010. 2023年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月27日閲覧
  44. ^ a b 『ray 15th Anniversary Expanded Edition』特典DVD、2006年
  45. ^ "L'Arc〜en〜Ciel tetsuya インタビュー(5/6)". ナタリー. 2023年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月11日閲覧
  46. ^ MUSIC ON! TV『SELF LINER NOTES』2004年4月11日放送分
  47. ^ 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 03』、p.151、ソニー・マガジンズ、2006年(『uv vol.58』の再掲)
  48. ^ 『WHAT's IN?』、p.40、ソニー・マガジンズ、2005年7月号
  49. ^ 『WHAT's IN?』、p.39、ソニー・マガジンズ、2005年7月号
  50. ^ a b "TETSUYA 【CÉLUXE NIGHT】インタビュー(2/3)". Billboard JAPAN. 2023年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月29日閲覧
  51. ^ 『哲学2。』、p.95、エムオン・エンタテインメント、2012年
  52. ^ a b 『哲学2。』、p.94、エムオン・エンタテインメント、2012年
  53. ^ a b c d e f "2018.08.04 ON AIR L'Arc-en-CielのTETSUYAさんがご来店♪". J-WAVE OTOAJITO. 2021年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月21日閲覧
  54. ^ a b 『哲学。』、p.23、ソニー・マガジンズ、2004年
  55. ^ 『哲学。』、p.113、ソニー・マガジンズ、2004年
  56. ^ "TETSUYA 【CÉLUXE NIGHT】インタビュー(1/3)". Billboard JAPAN. 2023年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月29日閲覧
  57. ^ a b c d e f g 『哲学。』、p.24、ソニー・マガジンズ、2004年
  58. ^ a b c 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.151、シンコー・ミュージック、1996年
  59. ^ a b c d e f g h i 『哲学。』、p.25、ソニー・マガジンズ、2004年
  60. ^ a b c 2021年のライヴ「30th L'Anniversary TOUR」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -30th L'Anniversary TOUR OPENING BGM- (9/5 OSAKA – 10/7 NAGOYA)」より
  61. ^ a b c d e f g h i j 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.80、リットーミュージック、2010年
  62. ^ a b c d 『哲学。』、p.26、ソニー・マガジンズ、2004年
  63. ^ a b c 2021年のライヴ「30th L'Anniversary Starting Live "L'APPY BIRTHDAY!"」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「L'APPY BIRTHDAY! OPENING BGM」より
  64. ^ a b 2022年のライヴ「30th L'Anniversary LIVE」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -30th L'Anniversary LIVE OPENING BGM-」より
  65. ^ a b c d e f 2020年のライヴツアー「ARENA TOUR MMXX」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -ARENA TOUR MMXX OPENING BGM-(2020.1.12 Osaka OSAKA-JO HALL)」より
  66. ^ a b c d e f g h i 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.81、リットーミュージック、2010年
  67. ^ TOKYO FM系ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK2001年10月31日放送分
  68. ^ ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #159】2021年7月3日放送分
  69. ^ a b c d 『哲学。』、p.27、ソニー・マガジンズ、2004年
  70. ^ a b c d 『哲学。』、p.28、ソニー・マガジンズ、2004年
  71. ^ a b c 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.182、シンコー・ミュージック、1996年
  72. ^ 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.185、シンコー・ミュージック、1996年
  73. ^ a b c d e f g h i 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.57、リットーミュージック、2010年
  74. ^ a b c 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.63、リットーミュージック、2010年
  75. ^ TOKYO FM系ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』2002年3月5日放送分
  76. ^ TOKYO FM系ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』2002年2月20日放送分
  77. ^ a b c d e 2020年のライヴツアー「ARENA TOUR MMXX」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -ARENA TOUR MMXX OPENING BGM-(2020.2.8 SAITAMA SUPER ARENA)」より
  78. ^ 『WHAT's IN?』、p.34、ソニー・マガジンズ、2012年2月号
  79. ^ a b c 2021年のライヴツアー「30th L'Anniversary TOUR」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -30th L'Anniversary TOUR OPENING BGM- (12/9 YOKOHAMA – 12/26 YOYOGI)」より
  80. ^ a b c d e f g h i j 2020年のライヴツアー「ARENA TOUR MMXX」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -ARENA TOUR MMXX OPENING BGM-(2020.3.4 Yoyogi National Gymnasium 1st Gymnasium #エアMMXX)」より
  81. ^ 『哲学。』、p.29、ソニー・マガジンズ、2004年
  82. ^ "TETSUYA's selection -20th ANNIVERSARY LIVE OPENING BGM-". Spotify. 2024年4月18日閲覧
  83. ^ a b c d 『R&R NewsMaker』、p.13、ビクターエンタテインメント、2001年8月号No.155
  84. ^ "ラルク アン シエルのtetsuがtetsuyaに改名". オリコン. 1 December 2009. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  85. ^ "TETSUYA、Xmasディナーショーで"ファンツアー"開催発表". BARKS. 25 December 2015. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  86. ^ a b "TETSUYA Billboard Live TOKYO 1日目2nd STAGEライヴレポート「本当に今、音楽が楽しい!」". ぴあ. 26 July 2023. 2023年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月5日閲覧
  87. ^ a b c d e "TETSUYAバースデーツアー東京公演で「これからも共に歳をとりましょう」". ナタリー. 7 October 2016. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  88. ^ a b "【ライヴレポート】TETSUYA、バンド編成の夜に「もうすぐ1周年です、ありがとう」". BARKS. 2 May 2016. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  89. ^ NHK総合テレビ音楽番組『MUSIC JAPAN2010年8月22日放送分
  90. ^ a b c "TETSUYAファンクラブ始動、7月に大阪でライブ&ファンミ". ナタリー. 18 May 2015. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  91. ^ "TETSUYA(L'Arc~en~Ciel)史上初、FC限定ライヴで未発表デモ音源無料配布". BARKS. 22 May 2015. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  92. ^ "TETSUYAがユニバーサルミュージックへ移籍、東名阪ツアーも決定". ナタリー. 9 June 2016. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  93. ^ "tetsuya率いるL'Arc-en-Cielのコピーバンド"Like-an-Angel"、1stライヴ開催決定+ティザー公開". BARKS. 2 April 2023. 2023年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月10日閲覧
  94. ^ "流れ星 [配信限定Rhythmless Ver.]". レコチョク. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  95. ^ "TETSUYA「CÉLUXE NIGHT」で新曲を披露。初代ラルクメンバー、hiroとperoも登場し、特別な夜に". V.I.P Press. 11 August 2015. 2023年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月19日閲覧
  96. ^ "楠木ともり、TETSUYA(L'Arc-en-Ciel)プロデュースの新曲「シンゲツ」リリース". BARKS. 24 March 2024. 2024年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月26日閲覧
  97. ^ a b c d "【ライヴレポート】Like-an-Angel、謎のラルクコピバン<1st LIVE>に驚きと感動「みんなの想像の上、行ってた?」". BARKS. 9 June 2023. 2023年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月10日閲覧
  98. ^ a b c d e "Like~an~Angel、コピーバンド史上初の日比谷野音レポ tetsuyaから滲み出た楽曲への自信と愛情". RealSound. 26 October 2023. 2023年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月27日閲覧
  99. ^ a b c 『音楽プロデューサー 岡野ハジメ エンサイクロペディア CATHARSIS OF MUSIC』、p.151、シンコーミュージック・エンタテイメント、2019年
  100. ^ 『音楽プロデューサー 岡野ハジメ エンサイクロペディア CATHARSIS OF MUSIC』、p.152、シンコーミュージック・エンタテイメント、2019年
  101. ^ a b 『PATi PATi』、p.46、ソニー・マガジンズ、2010年1月号
  102. ^ "BASSIST FILE-山崎英明 (ヤマサキ・ヒデアキ)". BASS MAGAZINE. 19 December 2022. 2023年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月30日閲覧
  103. ^ 『ベース・マガジン』、p.29、リットーミュージック、2019年4月号
  104. ^ "【BM web版】歪みベーシストという生き方①━━松本駿介[Cö shu Nie]". BASS MAGAZINE. 14 December 2020. 2023年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月30日閲覧
  105. ^ テレビ朝日系番組『関ジャム 完全燃SHOW2020年3月1日放送分
  106. ^ a b "TETSUYA『STEALTH』インタビュー 10年ぶりのソロ・アルバムで魅せた"影"が照らす光(4/4)". ぴあニュース. 8 October 2021. 2023年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月20日閲覧
  107. ^ 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.83、リットーミュージック、2010年
  108. ^ 『WORDSⅡ L'Arc〜en〜Ciel』、p.166、角川マガジンズ、2010年
  109. ^ 『yukihiro milk another story』、p.120、株式会社音楽と人、2014年
  110. ^ 『ROCKIN'ON JAPAN』、p.70、ロッキング・オン、2002年8月10日・25日合併号
  111. ^ a b 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.69、リットーミュージック、2010年
  112. ^ 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.71、リットーミュージック、2010年
  113. ^ 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 01』、p.65、ソニー・マガジンズ、2006年(『WHAT's IN? 1997年1月号』の再掲)
  114. ^ 『CDでーた』、p.35、角川書店、2005年7月14日号 vol.17 No.7
  115. ^ a b c 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.23、リットーミュージック、2010年
  116. ^ a b 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.15、リットーミュージック、2010年
  117. ^ "ラルクtetsuya、米国楽器メーカーとエンドースメント契約". ナタリー. 23 October 2011. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  118. ^ "絶対に手加減しないというか出し切ろうという雰囲気がバンドにあった|Suchmos【前編】". Fender. 21 July 2021. 2023年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月30日閲覧
  119. ^ a b c d e 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.18、リットーミュージック、2010年
  120. ^ 『GiGS』、p.13、シンコー・ミュージック、1995年9月号
  121. ^ 『ロッキンf』、p.8、立東社、1995年9月号付録
  122. ^ 『GiGS』、p.6、シンコー・ミュージック、1998年4月号
  123. ^ 『GiGS』、p.7、シンコー・ミュージック、1998年4月号
  124. ^ 『GiGS』、p.25、シンコー・ミュージック、1998年4月号
  125. ^ "tetsu's portrait". SonyMusic. 2023年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月8日閲覧
  126. ^ a b c 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.41、リットーミュージック、2010年
  127. ^ a b 『音楽プロデューサー 岡野ハジメ エンサイクロペディア CATHARSIS OF MUSIC』、p.156、シンコーミュージック・エンタテイメント、2019年
  128. ^ "ESP MUSEUM「tetsuya Museum MMXX」開催". ESP. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  129. ^ 『GiGS』、p.28、シンコー・ミュージック、2000年9月号
  130. ^ 『GiGS』、p.29、シンコー・ミュージック、2000年9月号
  131. ^ 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.39、リットーミュージック、2010年
  132. ^ 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.73、リットーミュージック、2010年
  133. ^ a b 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.43、リットーミュージック、2010年
  134. ^ 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.42、リットーミュージック、2010年
  135. ^ a b ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #115】2020年6月20日放送分
  136. ^ a b c d e "L'Arc〜en〜Ciel「30th L'Anniversary Starting Live"L'APPY BIRTHDAY!"」tetsuya氏ベースシステム紹介". FREE THE TONE. 30 June 2021. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  137. ^ a b c 『ark 15th Anniversary Expanded Edition』特典DVD、2006年
  138. ^ a b c 『哲学。』、p.92、ソニー・マガジンズ、2004年
  139. ^ "TETSUYA公式ブログ 2015年6月30日". LINE OFFICIAL BLOG. 30 June 2015. 2023年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月24日閲覧
  140. ^ a b c 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.148、シンコー・ミュージック、1996年
  141. ^ 『哲学2。』、p.31、エムオン・エンタテインメント、2012年
  142. ^ NHK総合系番組『POP JAM2005年5月20日放送分
  143. ^ 『哲学。』、p.128、ソニー・マガジンズ、2004年
  144. ^ a b c d 『哲学。』、p.241、ソニー・マガジンズ、2004年
  145. ^ a b c d 『哲学。』、p.242、ソニー・マガジンズ、2004年
  146. ^ a b 『哲学2。』、p.153、エムオン・エンタテインメント、2012年
  147. ^ 『哲学2。』、p.202、エムオン・エンタテインメント、2012年
  148. ^ a b "TETSUYA『STEALTH』インタビュー 10年ぶりのソロ・アルバムで魅せた"影"が照らす光(2/4)". ぴあニュース. 8 October 2021. 2023年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月10日閲覧
  149. ^ a b c d e f g h i ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #9】2018年3月31日放送分
  150. ^ a b c d ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #125】2020年9月26日放送分
  151. ^ "TETSUYA、「"いい曲だよね"ってみんなに思ってもらえる自信がある」(3/3)". BARKS. 10 November 2010. 2023年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月15日閲覧
  152. ^ a b 『哲学。』、p.83、ソニー・マガジンズ、2004年
  153. ^ 『哲学。』、p.84、ソニー・マガジンズ、2004年
  154. ^ a b c 『BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES/tetsuya L'Arc〜en〜Ciel』、p.17、リットーミュージック、2010年
  155. ^ a b c 『哲学。』、p.87、ソニー・マガジンズ、2004年
  156. ^ a b c 『哲学。』、p.88、ソニー・マガジンズ、2004年
  157. ^ テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』第弐拾参話より
  158. ^ 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.150、シンコー・ミュージック、1996年
  159. ^ a b ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #250】2023年6月24日放送分
  160. ^ a b c d ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #7】2018年3月17日放送分
  161. ^ フジテレビ系番組『アウト×デラックス2018年8月2日放送分
  162. ^ "人気バンド「ラルク展」、京急が記念乗車券-ホテル宿泊プランも". 横須賀経済新聞. 6 June 2012. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  163. ^ "テーブルウェア・フェスティバル2019 ~暮らしを彩る器展~". 東京ドームシティ. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  164. ^ a b c d e f g "建築物マニアのラルクTETSUYAが選ぶ、世界の近代建築11選". RollingStone Japan. 9 September 2016. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  165. ^ "ラルクtetsuyaのベース、衣装、本人所有ビンテージロックTシャツなど無料展示". ナタリー. 2 August 2020. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  166. ^ a b c d "L'Arc~en~Ciel・TETSUYAの知られざる素顔「黒ずくめの服が好きじゃない」(2/3)". 週間女性PRIME. 2 October 2016. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  167. ^ "ambafrancejp_jpのツイート(865043393809965056)". 17 May 2017. 2021年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月10日閲覧
  168. ^ a b "L'Arc-en-CielのTETSUYAが愛でるヴィンテージ家具コレクションを公開!". GOETHE. 21 August 2021. 2023年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧
  169. ^ a b c d 日本テレビ系番組『行列のできる法律相談所2019年3月3日放送分
  170. ^ ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #152】2021年4月10日放送分
  171. ^ a b ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #158】2021年6月26日放送分
  172. ^ a b "TETSUYA 【CÉLUXE NIGHT】インタビュー(3/3)". Billboard JAPAN. 2023年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月29日閲覧
  173. ^ a b 『哲学。』、p.260、ソニー・マガジンズ、2004年
  174. ^ a b c 『哲学。』、p.259、ソニー・マガジンズ、2004年
  175. ^ a b c 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.156、シンコー・ミュージック、1996年
  176. ^ a b 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.157、シンコー・ミュージック、1996年
  177. ^ a b c d e 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.158、シンコー・ミュージック、1996年
  178. ^ a b c d ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #271】2023年11月18日放送分
  179. ^ 『大石征裕 自伝 夢の船』、p.77、シンコーミュージック・エンタテイメント、2020年
  180. ^ 『SHOXX』、p.144、音楽専科社、1993年5月号Vol.16
  181. ^ a b c d 『Rolling Stone Japan L'Arc-en-Ciel 30th L'Anniversary Special Collectors Edition』、p.41、CCCミュージックラボ、2021年
  182. ^ a b 『Rolling Stone Japan L'Arc-en-Ciel 30th L'Anniversary Special Collectors Edition』、p.43、CCCミュージックラボ、2021年
  183. ^ 『WORDS L'Arc〜en〜Ciel』、p.33、角川書店、2005年
  184. ^ a b 『哲学2。』、p.98、エムオン・エンタテインメント、2012年
  185. ^ 『哲学2。』、p.99、エムオン・エンタテインメント、2012年
  186. ^ 『哲学2。』、p.100、エムオン・エンタテインメント、2012年
  187. ^ a b c 『THE HYDE』、p.105、ソニー・マガジンズ、2012年
  188. ^ 『THE HYDE』、p.104、ソニー・マガジンズ、2012年
  189. ^ 『WORDS L'Arc〜en〜Ciel』、p.42、角川書店、2005年
  190. ^ 『R&R NewsMaker』、p.31、ぴあ、2006年10月号No.211
  191. ^ a b c 『哲学2。』、p.116、エムオン・エンタテインメント、2012年
  192. ^ a b c d 『哲学2。』、p.117、エムオン・エンタテインメント、2012年
  193. ^ 『哲学2。』、p.118、エムオン・エンタテインメント、2012年
  194. ^ "ラルクtetsu、アーティスト名を"tetsuya"に改名". ナタリー. 1 December 2009. 2023年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月29日閲覧
  195. ^ a b 『CD&DLでーた』、p.22、角川マガジンズ、2010年2月号 vol.22 No.2
  196. ^ a b c d e テレビ朝日系番組『ミュージックステーション』2002年11月1日放送分
  197. ^ "イナズマロックフェス2009 STAFF BLOG". イナズマロックフェス2009. 23 June 2009. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  198. ^ "「イナズマロックフェス」にTETSUYA、植村花菜出演". ナタリー. 26 July 2010. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  199. ^ "T.M.Revolution西川貴教、故郷・滋賀への恩返し<イナズマロック フェス 2012>過去最多の2日間で3万5000人動員". BARKS. 18 September 2012. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  200. ^ ニコニコチャンネル『てっちゃんねる』【TETSUYA SATURDAY KING RADIO #211】2022年8月6日放送分
  201. ^ "清春×TETSUYA(L'Arc-en-Ciel)×やまだひさし、本日7/26コラボ生放送で初共演". BARKS. 26 July 2017. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  202. ^ "【ライヴレポート】中村佳嗣<生誕五十年記念祭>、清春、TETSUYA、有村竜太朗、ZIGZO、Eins:Vierが奇跡の共演「すげー嬉しいです!」". BARKS. 25 November 2019. 2023年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月15日閲覧
  203. ^ "相川七瀬が、巨額の印税に驚いて取った行動に、大吉「『夢見る少女じゃいられない』とはそういうこと」". WEBザテレビジョン. 7 July 2019. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧
  204. ^ a b 『哲学2。』、p.110、エムオン・エンタテインメント、2012年
  205. ^ "TETSUYA DVD発売を記念して、You Tube Official Channnel開設!". うたまっぷNEWS. 3 October 2012. 2023年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月2日閲覧

TETSU69

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 03:17 UTC 版)

tetsuya」の記事における「TETSU69」の解説

TETSU69(テツシックスティーナイン)は、2001年から2006年までtetsuya用いていたソロ活動時の名義L'Arc〜en〜Ciel当時使用していたtetsu名義敢えて使わなかった理由について、ソロ活動始めたころのインタビューにおいて、tetsuyaは「ソロで"tetsuです"といっても、他にテツっていう人、いっぱいいるじゃないですか。今後出てくる可能性がある名前だから"名前を考えなきゃな"と思ったんですよ」と述べている。 ソロ活動始め1年以上前からいくつかドメイン趣味一環取得しており、取得したドメイン中に<tetsu69.com>というドメイン名があったことがきっかけでこの名義使用しよう思い立ったという。また、名義取り入れた数字の「69」が、自身生まれた年である「1969年」を彷彿とさせる他、「ロック」などの多くの意味含めることができると考えたことも、名義決定するうえでポイントとなったという。ただ、2006年からはL'Arc〜en〜Ciel使用していた名義同じくtetsu名義変更されており、さらに2009年12月改名に伴い大文字表記TETSUYAで現在までソロでの活動行っている。 このソロプロジェクトでは自身ボーカル務めレコーディングにおいてはlonely girl」を除くすべて楽曲作詞、全楽曲作曲ギターベース担当している。2001年活動開始以後L'Arc〜en〜Ciel活動並行して活動しており、現在までにアルバム3作品EP盤1作品シングル12作品映像作品5作品リリースしている。 ライヴは、室姫深Gt)、中村佳嗣(Gt)、IKUOBa)、山崎慶Dr)、岸利至Key)で構成された、バックバンドJuicy-Bananas(ジューシー・バナナズ)による6人編成のバンドスタイルを基本しながらディナーショーやアコースティックライヴでは編成変えて行っている。 レコーディングは、MIYO-KEN(M-AGE)、K.A.ZOblivion Dust)、亀田誠治東京事変)、ホッピー神山(ex.PINK)、tasuku長谷川智樹橋本由香利といった多くアレンジャーとの共同編曲行っていたが、2005年以降室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS、ex.DIE IN CRIES)、近年では陶山隼とほとんどの楽曲共同アレンジしている。また、2002年以後発表したほぼ全てのシングルカップリングには、前作表題曲リミックスバージョン収録されており、これまで下記ミュージシャン編曲リミックス担当している。

※この「TETSU69」の解説は、「tetsuya」の解説の一部です。
「TETSU69」を含む「tetsuya」の記事については、「tetsuya」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「TETSU69」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「TETSU69」の関連用語

TETSU69のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



TETSU69のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのtetsuya (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのtetsuya (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS