Nostradamusとは? わかりやすく解説

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ノストラダムス【Nostradamus】

読み方:のすとらだむす

[1503〜1566]フランス医師占星術師1555年著した占星術に基づく長大予言詩「諸世紀」によって名声博した


ノストラダムス 【Nostradamus】

南フランス医師占星術師長大予言詩『諸世紀』を残した山師人物ともいわれるが、彼自身の言によればキリスト教会壊滅した後、神の意志による真の世界実現することを説いたのだとする。(一五〇三~六六)

Nostradamus

名前 ノストラダムス; ノトルダム

ノストラダムス

(Nostradamus から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 06:48 UTC 版)

ミシェル・ノストラダムスMichel Nostradamus1503年12月14日 - 1566年7月2日[1])は、ルネサンスフランス医師占星術[注釈 1]詩人。また、料理研究の著作も著している。日本では「ノストラダムスの大予言」の名で知られる詩集を著した。彼の予言は、現在に至るまで非常に多くの信奉者を生み出し、様々な論争を引き起こしている。


注釈

  1. ^ ノストラダムス本人は、「占星術師」(Astrologue) ではなく「愛星家」(Astrophile) という肩書きを名乗ることが度々あった。
  2. ^ 以上、出自に関しては主にLeroy (1993)Lhez (1968)に拠っている。
  3. ^ なお、この日(グレゴリオ暦値1503年12月24日)には太陽水星金星地球火星木星土星が過去6000年間にもっとも直列に並ぶ現象(惑星直列)が発生しているが、地動説を前提とすることで理解できるこの現象の発生を天動説が支配していた当時においては理解されていたとは考えられず(実際、この事実が判明したのは後世の古天文学の研究による成果である)、彼の生涯と惑星直列を結びつける主張は成り立つことはない[11]
  4. ^ この点は、墓碑銘と私信(12月12日を誕生日の2日前と語っている私信がある)などが裏付けになっている[12]。出生そのものや洗礼の記録は確認されていない。なお、2006年になって、墓碑銘の再検討などから正しい誕生日を12月21日とする説が登場した[13]
  5. ^ 曽祖父は地元の名士であるがゆえに記録に頻出するが、1504年を境に記録から完全に姿を消しているため、恐らくこの年に没したと推測されている[15]
  6. ^ 実際、本人は、トゥールーズボルドーカルカソンヌのほか、アジャン周辺にいたことがあると後年語り、スカリジェのことも高く評価している[24]
  7. ^ 妻の名前をアドリエット・ド・ルーブジャックと紹介している文献もあるが、これはスカリジェの妻アンディエット・ド・ラ・ロック・ルーブジャック(オーディエット・ラ・ロック・ローベジャック)と混同された誤伝のようである[26]
  8. ^ シャヴィニーの伝記では、子は男児と女児が1人ずつとされている[19]。しかし、これも実証されてはおらず、はっきりしたことは分かっていない。
  9. ^ ノストラダムスの最初の結婚について語っている同時代の証言はシャヴィニーの伝記しかないが、彼は家族の死因については何も語っていない。これに関する実証と伝説の開きについては、Wilson (2003, pp. 58–59)なども参照のこと。
  10. ^ これを伝える最古の記録は17世紀の歴史書であるが[29]、スカリジェの遺作となった詩集にノストラダムスを悪罵する詩が複数収録されていることも傍証になる[30]
  11. ^ 19世紀に編纂されたアジャンの古文書集に記録されているようである[31]
  12. ^ 例外的に、1539年にボルドーの薬剤師レオナール・バンドンの薬房を訪れたと、後にノストラダムス自身が語っている[35]。これについては、信憑性を疑問視する見解[36]と、特に問題視しない見解とがある[37]
  13. ^ ブーシュ=デュ=ローヌ県立古文書館の展覧会のカタログ[42]に、この記録の写真が載っているという[43]
  14. ^ こうした伝説に基づく紹介として、五島勉 (1998) 『ノストラダムスの大予言 最終解答編』 祥伝社〈ノンブック〉、pp.106-109など。
  15. ^ ノストラダムスが『予言集』をどのような意図で出版したのかははっきりしていないが、この点を考える一助として、後段の予言の典拠も参照。
  16. ^ これを1556年7月としている文献も多い。その元祖はシャヴィニーだが[53]、実証的には否定されている。理由として挙げられるのは、1556年2月1日付のガブリエル・シメオニフランス語版からノストラダムスに送られた書簡に、ノストラダムスが宮中で成功したことに触れた件があることや[54]、同時代のリヨンの商人の書いた年代記に、宮廷に参上途中のノストラダムスが、1555年7月にリヨンを通ったと書かれていること[55]などである。
  17. ^ これを最初に述べたのはシャヴィニーである[53]。ただし、シャヴィニーは前述の通り、招待の時期自体を誤っていた。
  18. ^ この予言は同じ年のカトー・カンブレジ条約になら当てはまるように見えるとする指摘もある[62]
  19. ^ ただし、それらの記録は18世紀から19世紀に再編集されたものである。
  20. ^ 以上の大巡幸の様子についてはLeroy (1993, pp. 97–100), Brind'Amour (1993, pp. 48–50) などによる。
  21. ^ レトワルの日記は生前公刊されることがなく、版によって異同があるが、ここで問題になっている記述は1719年版で付け加えられたものである。
  22. ^ この時期は確定できていないが、息子セザールの証言通りアルルでのことだったのなら、1564年11月16日から12月17日の間だったことになる[68]
  23. ^ この修道院付属聖堂は現在ではレストランとなっており、ノストラダムスが葬られていたとされる壁は残されているが、姿勢を推察できるような痕跡は失われている[76]
  24. ^ 竹下 (1998, p. 138)では、宿舎での窃盗容疑で銃殺されたという話が紹介されている。
  25. ^ また、Wilson (2003, p. 368)でもノストラダムスの骨かどうかは、断定が避けられている。
  26. ^ ノストラダムスのラテン語力については、あまり熟達したものではなかったと推測する者もいる[83]
  27. ^ 特殊な偽作説を唱えるジャック・アルブロンは、第1巻から第10巻までが全て死後の偽作という立場をとっている[89]
  28. ^ Leoni (1961)では偽作と断定されている。
  29. ^ 一応、『1525年にエクス=アン=プロヴァンスで出版されたミシェル・ノストラダムスの四行詩』と題する17世紀末頃の瓦版は現存するが、このオリジナルが1525年に刊行されたと見なせる史料的裏付けはない。
  30. ^ 英仏語以外でも、数は少ないが、優れた研究として評価されているものはある。例としてElmar Gruber (2003), Nostradamus: sein Leben, sein Werk und die wahre Bedeutung seiner Prophezeiungen, Scherzなど。
  31. ^ Lhez (1961)の紹介は、重要な書簡の全訳と他の書簡の要約から成っていたが、後にジャン・デュペーブが全ての書簡の紹介と分析を行っている[102]
  32. ^ ノストラダムスの予言の中に、『予言集』刊行当時から見て、過去に属する事柄が含まれている、とする指摘自体は、18世紀には出されていた(1724年の『メルキュール・ド・フランス』紙に2度に渡り掲載された匿名の書簡で、こうした視角からの分析が行われている)。
  33. ^ 日本では、ノストラダムスがラテン語の詩で占星術師を批判していることなどを以て、彼は占星術全般に否定的だったと解釈されることがある[107]。しかし、第一序文では、判断占星術とその他の占星術を区別した上で前者を評価している。
  34. ^ ちなみに、第一序文には、聖書からの引用句が24あるが、2つを除いてサヴォナローラの引用と重複している[115]
  35. ^ 『予言集』と『ミラビリス・リベル』との対照については、Lemesurier (2003)で展開された各解釈で詳述されている。ただし、その解釈にはLemesurier (2010)で修正されたものが含まれている。Lemesurier (2010)の解釈は、Lemesurier (2003)のものに比べると、いずれも簡略なものである。
  36. ^ いずれもミシェル・ショマラによる。彼はノストラダムス自身の署名がある現存する文献や、息子セザールの私信を基に、ノストラダムスの蔵書12点を特定している(うち推測が4点)。本文で例示したものは、いずれも署名つきで現存する文献[119]
  37. ^ ここでは原文から直接訳出したが、既存の日本語訳としてはラメジャラー, 田口 & 目羅 訳 (1998, p. 72)などがある。
  38. ^ 著者はアミアンの医師とされるエチエンヌ・ジョベールと、ドミニコ会修道院長ジャン・ジフル・ド・レシャクとする2つの説がある[132]

出典

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  186. ^ ASIOS [2019] p.128
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  188. ^ ドレヴィヨン&ラグランジュ[2004] pp.96-97
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  190. ^ Patrice Guinard, Biblio-iconographie du Corpus Nostradamus




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