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日本プロサッカーリーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/08 19:06 UTC 版)
(Mr.ピッチ から転送)
| 日本プロサッカーリーグ | |
|---|---|
| 今シーズン・大会: |
|
| 分類 | プロサッカー |
| 開始年 | 1993年 |
| チェアマン | |
| 参加チーム | 40(J1:18、J2:22) |
| 加盟国 | |
| 前回優勝チーム | J1: 柏レイソル J2: FC東京 |
| 公式サイト | Jリーグ |
日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、英訳:Japan Professional Football League)は、日本のプロサッカーリーグである。略称はJリーグ(ジェイリーグ、英訳:J. League)。主催団体は財団法人日本サッカー協会(JFA)、社団法人日本プロサッカーリーグ。主管団体はJリーグに加盟する各クラブ。
1993-98年までは1部のみの「Jリーグ」として10クラブから最大で18クラブによって開催された。1999年からJリーグ ディビジョン1(J1)とJリーグ ディビジョン2(J2)の2部制に移行、現在は日本国内の29都道府県に本拠地を置く40のプロサッカークラブが加盟しており、J1に18クラブ、J2に22クラブが所属している。
目次 |
理念・活動方針
- 日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及促進
- 豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与
- 国際社会における交流及び親善への貢献
設立経緯
日本におけるサッカー競技はアマチュア主体の全国リーグである「日本サッカーリーグ」(JSL)がすでに存在していたが、当時は日本国内における競技自体の人気や選手の待遇がまだまだ低く、マスコミにもあまり大きく扱われる程の存在では無かった。そこで、当時の日本サッカー協会内ではその様な状況を打破しようと、川淵三郎らが中心となって国立霞ヶ丘陸上競技場で開催する1989年2月26日のJSLの後期リーグ開幕戦を無料招待試合にするなどといった様々な試みを積極的に行っていたが、現状を変えるまでには至らなかった[1]。
また、水面下では森健兒らを中心とした第1次JSL活性化委員会が極秘裏に「スペシャルリーグ(サッカーのプロ化)構想」を進めていたが[2]、協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致していたものの、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見がJSLの評議委員会で大勢を占めていた事から森らの計画はほとんど進展しなかった[3]。
ところが、1980年代後半にFIFAの第7代会長であったジョアン・アヴェランジェから当時のアジアとしても初開催となる「FIFAワールドカップ」の日本開催を日本サッカー協会へ打診されると、当時の第2次JSL活性化委員会が中心となって急激にプロリーグ構想が推進され、まもなく日本では初めてとなるプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)発足が正式に決定し、1992年には前哨戦としてヤマザキナビスコ社がJリーグカップに特別協賛して「Jリーグヤマザキナビスコカップ」が開催された。
なお、この大会ではJSLからの移行・準備的な要素が考慮された事で一部のチーム名表記については「読売ヴェルディ」(ヴェルディ川崎)や「三菱浦和レッドダイヤモンズ」(浦和レッドダイヤモンズ)などの様に報道などでチーム表記に企業名を入れる事を暫定的に容認した。ただ、1993年以後はJリーグの方針に沿い企業名を原則排除している。
沿革
- 1988年
- 1989年
- 6月、第二次JSL活性化委員会による最終報告書が日本サッカー協会へ提出される。
- 1990年
- 3月、Jリーグ参加条件の詳細が決定される。(ホームタウン制、ホームスタジアムの確保、拠出金など)
- 6月、日本サッカーリーグ参加チームへJリーグ参加の要請が行われ、20団体からプロリーグ参加希望の返答。
- 8月、プロリーグ検討委員会が組織される。
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 4月、Jリーグ規約施行。
- 5月15日、「サントリーシリーズ」開幕で初年度のリーグ戦開始。(1993年Jリーグ開幕節)
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- ヴィッセル神戸が加盟。(17チーム)
- 1998年
- コンサドーレ札幌が加盟。(18チーム)
- 1999年
- 2月、横浜フリューゲルスが横浜マリノスと正式合併、新チームである横浜F・マリノスが誕生。(17チーム)
- 3月、ディビジョン1 (J1) とディビジョン2 (J2) の2部制に移行。(J1.16チーム、J2.10チーム)
- J1参入決定戦に敗れたコンサドーレ札幌と、ジャパンフットボールリーグ(JFL)から加盟した9チームの計10チーム(J2オリジナル10)でJ2創設。
- 2000年
- 水戸ホーリーホックがJ2加盟。(J1.16チーム、J2.11チーム)
- ベルマーレ平塚が湘南ベルマーレに名称変更。
- 2001年
- 2002年
- 7月、鈴木昌が2代目チェアマンに就任。
- Jリーグアカデミー・サポートセンターが発足。
- 2005年
- 徳島ヴォルティス・ザスパ草津がJ2加盟。(J1.18チーム、J2.12チーム)
- ジェフユナイテッド市原がジェフユナイテッド市原・千葉に名称変更。
- 2006年
- 2007年
- 京都パープルサンガが京都サンガF.C.に名称変更。
- 2008年
- ロアッソ熊本・FC岐阜がJ2加盟。(J1.18チーム、J2.15チーム)
- 東京ヴェルディ1969が東京ヴェルディに呼称変更。
- 名古屋グランパスエイトが名古屋グランパスに呼称変更。
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- ガイナーレ鳥取がJ2加盟。(J1.18チーム、J2.20チーム)
- 2012年
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- ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』ベースボールマガジン社 115頁
- ^ サッカー - Web Japan : Top Page (PDF)
戦後の学制改革とスポーツ - 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評
後藤健生『日本サッカー史・代表編』、双葉社、2002年、240、241頁
大住良之『Jリーグ群像 夢の礎』、アストロ教育システム あすとろ出版部、1995年、9-37頁
平塚晶人『空っぽのスタジアムからの挑戦』、小学館、2002年、163頁
朝日新聞朝刊、2011年2月18日20頁 - ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』ベースボールマガジン社 116頁
- ^ その例として1993年サントリーシリーズ6節(6月2日)の清水対V川崎=静岡県草薙総合運動場陸上競技場。これは当時中継したテレビ静岡・フジテレビジョンがゴールデンタイム(19時から)にプロ野球中継ヤクルト対巨人を生中継した都合のため、及び1994年NICOSシリーズ3節(8月17日)の清水対平塚=札幌厚別公園競技場。同競技場にナイター設備がないため。2011年J115節(6月15日)のベガルタ仙台対ガンバ大阪と17節(6月22日)ベガルタ仙台対ヴァンフォーレ甲府 いずれもユアテックスタジアム仙台が東日本大震災の被災を受け、照明塔の修繕工事をしているため当初のナイターをデーゲームに変更。
また2000年J2・水戸ホーリーホックもひたちなか市総合運動公園陸上競技場で主催した一部の平日の試合を16時からの薄暮デーゲームにした事例がある - ^ このときはマリノスが三ツ沢、フリューゲルスは九州への「遠征」、あるいは国立での開催などがあった
- ^ ゴールデンウィーク・お盆等年数回の平日に行われる場合でも、どちらかが火曜日、もう一方は水曜日
- ^ 公式HPでは「松本市を中心とする全県」としている。
- ^ a b 一時的、無期限、永久的のいずれか。
- ^ 事情により再戦を命ずる。
- ^ a b 一定数、一定期間、無期限、永久的のいずれか。
- ^ ただし、すでに獲得された得失点差の方が大きい場合には、大きい方を有効とする。
- ^ 一定期間、無期限、永久的のいずれか。
- ^ 「若年ファン減少…Jリーグ観戦者の平均年齢上昇」 2009年1月28日 スポニチアネックス
- ^ 大住良之『J1の観客数は世界で第6位「日本サッカー世界への挑戦」』NIKKEI NET
- ^ スタジアムガイド(日本プロサッカーリーグ)
- ^ 試合記録:2010年→クラブ別入場者数(日本プロサッカーリーグ)
- ^ 2008 Jリーグ スタジアム観戦者 調査報告書 (PDF)(日本プロサッカーリーグ)
- ^ 2010年度(平成21年度)Jクラブ個別情報開示資料 (PDF)(日本プロサッカーリーグ)
- ^ 「大会別入場者数データ」 about Jリーグ
- ^ 「スタジアム観戦者調査報告書」2004~2009年度版 about Jリーグ
- ^ 中山淳 『Jクラブ歴代ユニフォーム完全カタログ 西日本編』 えい出版社 170頁
- ^ 「J広告スポンサーにアルコール飲料解禁へ」 2008年11月13日 nikkansports.com
- ^ 2011年現在、12を欠番とせず、選手の番号としているのは浦和と鳥栖の2チームのみ。鳥栖は17を欠番にしている。
- ^ 『週刊サッカーマガジン 2003年5月27日号』 ベースボールマガジン社
- ^ 日本プロサッカーリーグ (2011-12-19), “2012Jリーグ公式試合球として“TANGO 12(タンゴ12)”を使用”, プレスリリース 2011年12月20日閲覧。
- ^ 株式会社平和:NEWS
- ^ 「GEコンシューマー・ファイナンス株式会社がJリーグオフィシャルスポンサーに決定」 Jリーグ公式サイト