モールス (Morse, Samuel Finley Breese)
モールスという人は
サミュエル・フィンレイ・
ブリース・モールス
マサチューセッツ州チャールズタウンにイギリス移民の牧師の子として生まれ、エール大学を卒業する。 ロンドンで絵を学び、肖像画家、彫刻家として有名になる。
アメリカの一流画家である。 欧州の画廊を散策し、帰国の船内でたまたまC.T.ジャクソン博士と一緒になり、 博士の暇つぶしに電気や電信の実験談を聞かされる。 電気への興味は若い頃から持ってはいたモールスは、電気信号が瞬間的に回路を巡ることに興味をおぼえた。
モールスの主な経歴
モールスの電信機
1837年、電信機を発明する。電磁石を用いた最初の実用的な電信機の開発であり、ニューヨーク大学で500mの電線を張り、短点と長点の組み合わせによるモールス信号と呼ばれる電文伝送を公開実験する。 電信機の構造は、電磁石を用いて鉄片を引き、その運動を介して時計仕掛けのゼンマイの力で紙を送る機構を用いており、 巻紙の上に鉄片に連動するインクペンでしるしをつけるものであった。 同年、イギリスではクック、ホイートストンが電信機を発明している。
1844年、ワシントン~ボルチモア間約60kmの電信試験線を架設する認可を議会からとりつけ、これを完成させる。 1本の電線をつたわる電気的パルスによって、メッセージを送信する単純なもので、電気スイッチを指が押している間のみ電流を流すというものであった。
モールス信号
電信する文字の使用頻度を調査し、頻度が高いもの程簡単に発信できる符号としていた。 迅速な送受信が可能であり、1850年代には国際モールス信号が誕生し、世界標準として重宝することになる。
日本では、1926年に旧海軍が導入している。船舶などの通信では長く用いられてきたが、信号を文字に変換したり発信したりするのには訓練を受けた通信士が必要であった。 通信衛星の普及やデジタル技術の発展により、1996年、海上保安庁がモールス信号の使用を終了した。
サミュエル・フィンレイ・ブリース・モールス
1826年、ニューヨークにナショナル・アカデミー・オブ・デザインを設立し、その初代所長に就任。 1832年、ニューヨーク大学の絵画および彫刻の教授に就任。
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