K作戦
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K作戦(けーさくせん)とは、太平洋戦争中に日本海軍が実施した二式飛行艇(二式大艇)を使用したアメリカのハワイ準州に対する航空作戦[1]。第一次は真珠湾に対する空襲を企図した。この作戦は二式大艇の初の実戦となった。第二次はミッドウェー作戦のため、ハワイにいると思われる敵機動部隊に対する偵察を企図した。
- ^ a b c d e f g h i 戦史叢書80巻183頁「K作戦」
- ^ a b c d e f 戦史叢書80巻184-185頁
- ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、500ページ
- ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、502、505ページ
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- ^ a b c d 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、503ページ
- ^ a b 二式大艇によるK作戦、138ページ
- ^ a b c d 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、504ページ
- ^ 二式大艇、真珠湾ヲ攻撃セリ、57ページ
- ^ a b Budnick, p. 95
- ^ a b William Cole (2009年3月16日). “Date lives on in few memories”. Honolulu Advertiser. 2008年4月8日閲覧。
- ^ a b Simpson p. 112
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- ^ 千早正隆 1997, pp. 87–88.
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K作戦
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詳細は「K作戦」を参照 作戦では日本側の事前索敵計画として6月2日までに2個潜水戦隊をもって哨戒線を構築する予定だった。しかし担当する第六艦隊(潜水戦隊で構成された艦隊)で長距離哨戒任務に適した3個潜水戦隊の内、第二潜水戦隊はインド洋での通商破壊戦後の整備中、第八潜水戦隊は豪州・アフリカでの作戦任務中、第一潜水戦隊は北方作戦に充てられる事になった為どれも作戦には投入できなかった。 このため、「大型」で構成される第三・五潜水戦隊が担当する事になったが五潜戦は日本からクェゼリンへの回航途上で(第六艦隊に作戦が通知された5月19日時点)予定期日に間に合うのは不可能、三潜戦も所属の潜水艦の内3隻が第2次K作戦に充てられたため、両隊あわせて9隻の潜水艦が予定配置についたのは6月4日になってしまった。特に米海軍第16任務部隊が6月2日に五潜戦の担当海域を通過しており、本作戦における大きな禍根になった。 次に予定されていたのは第二十四航空戦隊によるミッドウェー周辺への航空索敵である。これは二式大艇によるウェーク島を経由した索敵計画であったが、ウェーク環礁が二式大艇を運用するには浅すぎ、経由地がウォッゼ環礁に変更された結果ミッドウェー全海域の索敵が不可能となった。更にパイロットの技量不足で夜間着水が困難であることから薄暮までにはウォッゼ環礁に帰還する必要があったので肝心な北方海域哨戒(5月31日)が短縮された。これにより結局、米艦隊を発見する事は出来なかった。仮に予定通り北方海域を哨戒していたら米艦隊を発見できた確率は非常に高かった。 最後に計画され、連合艦隊が最も重視した第2次K作戦は、オアフ島西北西480海里にあるフレンチフリゲート礁で潜水艦の補給を受けた二十四航戦の二式大艇によるオアフ島の航空索敵である。第1次は3月に実施し、さらに二式大艇によるハワイ空襲時にもフレンチフリゲート礁は使用された。しかし、アメリカ軍は日本軍の作戦を暗号解読で察知すると、海域一帯に警戒艦艇を配置して封鎖した。潜入した伊号第百二十三潜水艦は「見込み無し」という報告を送った。これを受け第十一航空艦隊は5月31日21時23分に作戦中止を二十四航戦に指示した。この偵察作戦が成功すればそれがもたらす成果は大きいはずだったが、大型機による夜間偵察では大型艦を空母と誤認する危険があった。また米空母の真珠湾在泊を確認できれば作戦の価値は極めて大きいが、米空母が不在であった場合は、5月末から6月初にかけての日本海軍の状況判断から見て、米空母はまだ南太平洋方面で行動中であろうと判断したのではないかという意見もある。6月1日、二十四航戦の司令部からミッドウェーの600海里圏付近で敵の潜水艦や飛行艇と会敵したことと、第2次K作戦の中止が連合艦隊司令部、南雲機動部隊司令部に伝達された。無線封止が重要視されたため連合艦隊司令部からは南雲機動部隊に作戦中止の連絡はしていない。作戦中止に対し連合艦隊司令部から作戦再興の指示は出されなかった。南雲機動部隊首脳部もK作戦の中止を大した問題とは考えなかった。連合艦隊参謀らによれば、知的手段は崩れたが、連合艦隊は米艦隊はハワイからの出撃が遅れるだろうと考えていたので大した心配はしていなかったという。
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