ジル・ビルヌーブ(カナダ)
スノーモービルでレースを始めた変わり種。1973年には4輪に転向しフォーミュラ・フォードでレースデビュー。その後フォーミュラ・アトランティックに進んでいくつかのタイトルを奪い、77年にはマクラーレンでイギリスGPにデビュー。型落ちのマシンだったが予選9位、決勝11位の結果を残した。しかしマクラーレンからはこの1戦のみの参戦。一方、このときの走りが注目されてフェラーリのナンバー2に抜擢され、同年の終盤2戦にはフェラーリで出走。78年からはレギュラードライバーとしてフル参戦を開始。凄まじくアグレッシブな走りはエンツォ・フェラーリに気に入られたが、チームオーダーに関して81年から僚友となったD.ピローニとの仲が険悪に。82年ベルギーGPの予選でのアクシデントで帰らぬ人に。F1通算67戦6勝。シリーズ成績は79年の2位が最高位。なお、カナダ・モントリオール郊外にあるサーキットには彼の名が付いている。
ジル・ヴィルヌーヴ
(Joseph Gilles Henri Villeneuve から転送)
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ジョゼフ・ジル・アンリ・ヴィルヌーヴ(Joseph Gilles Henri Villeneuve、1950年1月18日 - 1982年5月8日)は、カナダ・ケベック州出身のレーシングドライバー。
- ^ レースキャリアへの影響を考え、プロフィールでは1952年生れと偽っていた。
- ^ 『Racing On』(三栄書房、2012年)460「ジルとディディエ」、p.53。
- ^ フェラーリ以外のチームでF1グランプリを走ったのは、このレースのみ。
- ^ 1987年に鈴鹿サーキットで再開された。
- ^ 1位でゴールしたアンドレッティも同じくフライングのペナルティーで1分加算され6位。
- ^ シェクターは「ジルがチームメイトで良かった。そうでなければチャンピオンにはなれなかった(彼がチャンピオンを取った可能性も高い、の意)。」と語っている。また、ヴィルヌーヴ本人は正直に「チャンピオンを取りたかった」旨のコメントを残しているが、あくまで自分がナンバー2という立場を理解し貫き通した。チャンピオン決定の舞台となったイタリアグランプリでもチームオーダーを守り抜き、シェクターを抜こうとしなかった。シェクターのチャンピオンが確定したレース後、「シェクターのマシンが壊れてくれる事を祈った」と冗談めかしてコメントしている。
- ^ “Gilles Villeneuve's Final Victory | 1981 Spanish Grand Prix”. FORMULA 1 2018-05-09. 2021年3月19日閲覧。
- ^ “Gilles Villeneuve Drives Unsighted | 1981 Canadian Grand Prix”. FORMULA 1 (2018年6月4日). 2020年3月10日閲覧。
- ^ この時、3位のミケーレ・アルボレートには1分近く差があり、フェラーリの1-2フィニッシュは決定的だった。
- ^ ピローニは「SLOW」のサインを「燃費に注意を払えば、抜いても構わない」と解釈していたという説もある。
- ^ ピローニはヴィルヌーヴに友情を感じており、この事件も必ずしも悪意ではなかったという意見もある
- ^ サンマリノGP後のインタビューにて、1979年イタリアGPでの自分と状況を比較した上での批判も行った。
- ^ 「彼の死により、2つ悲しい事がある。1つは彼が僕が今まで会った中で一番純粋な男であった事、もう1つは彼がF1史上最速のレーサーだった事。自分のする事を愛し、精魂を込めていました。でも、私達の元を離れてはいない。彼がモータースポーツ界に残したものは、語り継がれるからです」等と述べた。
- ^ Gerald Donaldson (2003). Gilles Villeneuve: The Life of the Legendary Racing Driver. Virgin Books. pp. 296–298. ISBN 978-0-7535-0747-6
- ^ FISAに却下されたが、エンツォ・フェラーリは27番を永久欠番にして「37」を使うよう要請している。
- ^ キリスト教文化圏で不吉とされる13番は飛び番として除かれるため。
- ^ 前年王者のみ、1番と自分の番号の中から好きな方を選んでつけることができる。
- ^ エンツォは、安全を重視する知性派ニキ・ラウダとはレース観があまりかみ合わず対立が続いた。
- ^ インタビュー リカルド・パトレーゼ 200回目のグリーンシグナル グランプリ・エクスプレス イギリスGP号 9-11頁 1990年8月4日発行
- ^ 走行中のフォーミュラカーのタイヤの接地面同士が接触すると、相互のタイヤの回転エネルギーや後輪に加わる駆動力、ダウンフォース・地面効果の喪失などが複合的に作用して車体が一気に舞い上がる事も少なくなく、重大なクラッシュ事故に直結しやすい。特に地面効果を極限まで追求し利用していた当時のグラウンド・エフェクト・カー構造では尚更である。
- ^ ジェラルド・ドナルドソン「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」豊岡真美/坂野なるたか/森岡成憲訳、ソニーマガジンズ社第6刷、225頁参照
- ^ ジェラルド・ドナルドソン「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」豊岡真美/坂野なるたか/森岡成憲訳、ソニーマガジンズ社第6刷、115頁・写真解説部分参照
- ^ ジェラルド・ドナルドソン「ジル・ヴィルヌーヴ 流れ星の伝説」豊岡真美/坂野なるたか/森岡成憲訳、ソニーマガジンズ社第6刷、322頁
- ^ この時、シェクターは両目を覆って、もはやこれまでと観念していたという。
- ^ このときにはシェクターが同乗していた。
- 1 ジル・ヴィルヌーヴとは
- 2 ジル・ヴィルヌーヴの概要
- 3 評価
- 4 エピソード
- 5 F1での年度別成績
- 6 カーナンバー(F1)
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