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JD

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/05 21:15 UTC 版)

JDJdjd(ジェイディー)とは主に以下を指す。

脚注


JDスター女子プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/21 13:05 UTC 版)

(JD から転送)

JDスター女子プロレスは、1996年に設立されたプロレス団体の1つで、以前の団体名は吉本女子プロレスJd’。団体名はジャンヌ・ダルクの頭文字の『J』と『D』からとられている。2007年7月16日を最後に活動を休止した。休止時の経営母体は有限会社ジェイディ・スター。

目次

歴史

旗揚げまでの経緯

吉本興業中国進出を計画した際、言葉の壁から、今までの芸人による興行形態では進出は難しいと判断し、言葉を必要としないスポーツからアピールすることを思い付き、当時ブームが沸き起こっていた女子プロレスに目を付け、団体旗揚げを計画する。有限会社として設立され、設立に際しては吉本興業のほか、テレテックバンプレスト旭通信社が協力した[1]。代表には卯木基雄(元・ラジオ大阪社員)が就いた。 他団体との軋轢を回避するためにあえて引き抜き等の手段を使わず、当時全日本女子プロレスフリーランスとして参戦していたジャガー横田バイソン木村の2名を全女の了解を得た上で移籍させ、全女を退団・引退していた白鳥智香子・李由紀の2名を加えた4名を所属選手として契約した。また同じく全女に参戦していたライオネス飛鳥をフリーランスとして招聘、さらに全女を引退していた神谷美織が覆面レスラー『Cooga』としてカムバックし、後の選手は新人から育成することで陣容を整える。

旗揚げ

旗揚げ戦は、1996年4月14日東京・六本木ディスコヴェルファーレ』にて行われ(その前年の12月24日・12月25日の二日間、大阪のベイサイドジェニーにてプレ旗揚げ戦を行っている)、メインイベントに週刊プロレス提供試合として、バイソン木村VS豊田真奈美戦を行う(これに関しては、この試合をきっかけに、週プロと組み色々と行う企画があったが、諸事情によりうやむやとなり、これ一回のみで終了してしまう)。

旗揚げ当初は、吉本のバックアップの元、覆面コミッショナーとして桂三枝を起用、プレ旗揚げ戦ではゲストに西川きよしを来場させ、マスコミに対してアピールを行い、また、旗揚げ前の様子を特番としてテレビ放送するなど大掛かりな展開を図っている。

その後、新人もデビューし、ライオネス飛鳥のヒール転向による抗争等もあり、徐々に団体としての形もできてくるが、基本的にジャガーがコーチをしていたこともあり、育成方法が全女と被る部分もあり、どうしても地味な印象が拭えず、又プロレスに関しては経営経験の無かった吉本興業が、全女をモデルに興行を行っていたため、プロレスファンから『全女の2軍』的な目で見られてしまう。さらにエースとして期待したバイソン木村が引退、白鳥・李も自分達への扱いの不満から団体を離脱。さらに、将来のエースとして期待していた小杉夕子曽我部美幸が引退するといった事態が発生し、これらのこともあり、吉本興業が期待していた収益を上げることが出来ずに、苦しい団体運営を続けることになる。

アストレスの誕生

この苦しい状況を打破するために、「新世紀スター誕生 アクション・シンデレラ・ オーディション」を開催。オーディションに合格した際には、2年間限定でプロレスを行い、その後アクション女優として吉本興業がバックアップすると言う企画で、これが後のアストレス(アスリートとアクトレスを合わせた造語)となる(ただし、デビューして2年以上経過した現在でも、プロレスを続けている選手もおり、アクション女優として大成したレスラーもいないため、『アクション女優の育成』と言うテーマは成功したとは言い難いが、それまでのレスラー像と違う女子プロレス像を作ろうとしたことは一部では評価されている)。

Jd’からJDスターへ

苦しい経営が続く中、大手商社による資金面によるテコ入れ等もあったものの、女子プロレスブームも終焉を迎えていたこともあり、2003年3月吉本興業が資本撤退し、経営権をジェイオフィス・グループに譲渡し、同年4月に団体名を『JDスター女子プロレス』と変え、吉本はプロレス経営から退くことになる。

終焉

経営者は変わったものの、経営は苦しいことに変わりなく、2004年4月29日の後楽園大会の全試合後に団体としての活動停止とアストレスを中心とするプロモ-ション活動への移行を発表した。これに伴いザ・ブラディーファング鈴木らはフリーランサーユニットTeam OKを結成しJDスターから離れた。他団体の選手やフリーランスの選手を招き『格闘美』のタイトルで興行を行っていたが、当面のエースと目されていたアストレス2期生の東城えみが5月に退団した。9月に元所属選手を中心に実力派フリー選手に主眼を置いた『EXPERT』というタイトルの興行を開始し、格闘美と交互に興行したが、事実上失敗し格闘美に集約された。2005年9月23日、エースの桜花由美が新木場1stRINGで行われた「“息吹”第3回大会」において重傷を負った。同月、元AtoZ所属選手らが所属するKOプロダクションと業務提携を行うものの、わずか4か月で提携は解消。桜花は早期復帰を目指し手術を部分的に回避していたが、これがかえって災いし本格復帰はJDスターの活動休止後まで時間を要した。2006年、第一回LEAGUE PRINCESSを開催し、風香が優勝したが、第二回大会中の2007年5月20日に活動休止を発表、7月16日に最終興行を行った。

吉本興業のバックアップにより、旗揚げ前からのテレビ番組での番宣や、所属選手達の番組出演など、他団体に比べ恵まれた環境にあったが、団体を支えるべきスター選手が誕生しなかったことと、スタート時に全女を参考に団体運営を行ったため、地味な印象を与えたまま、最後までそれを払拭できなかったことが災いし、たとえ大手の芸能プロダクションがバックアップしても、それが成功するとは限らないと言う前例を作ってしまったことが悲劇とも言える。

テレビ放送

GAORAプロレスKING」枠で放送していた。

加えて、以下の放送局でのレギュラー番組も放送されていた。

その他

Jd’時代、『お笑い王者決定戦』と云うタイトルで、リング上で芸人同士のトークバトルを行い、坂田利夫をコミッショナーとして、リットン調査団雨上がり決死隊が参加した。なお、この『お笑い王者決定戦』は、評判が良くなかったため、2回で終了しているが、この2回目にはモリマンが参加している。

Jd’時代のリングアナウンサーを高杉二郎(現高杉’Jay’二郎)が行っていた。

Jd’時代に行われたイベントで、当時まだ無名に近かった極楽とんぼの二人が司会を行っている。

元所属選手の東城えみバンビプロモーション元所属)がドレイク森松とのシングルで「負けたらアダルトビデオ出演」という条件の試合で敗北し、試合後そのまま撮影が行われた。会場(新木場1stRING)や撮影会社を巻き込んだスキャンダルとなったが、結局DVDは発売された。

タイトル

TWFとはTrans-world Wrestling Federationの略。ライオネス飛鳥メキシコ遠征の際に獲得したタイトルを持ち帰り、Jd'に定着させた。
AWFとはAmerican Wrestling Federationの略。初代王者ルナ・バションIWA・JAPANにベルトとともに来日して、それを元川恵美(現さくらえみ、当時IWA所属)が奪取した後に、Jd'において小杉夕子が元川から奪取して以来Jd'に定着。その後Jd'から流出し、2004年7月21日にジャガー横田が獲得して以降防衛戦は行われず封印されたと思われたが、2010年7月11日のIWAにて6年ぶりに復活し、横田を含めた7人参加ラダーマッチでベルトが懸けられた。
  • Jd'ジュニア王座
キャリア3年以内の選手が対象。団体名の変更とともに「JDスタージュニア王座」に変更され、ほどなく封印。
  • BSジャパン クイーン・オブ・ザ・リング(QOR王座)
BSジャパンとのタイアップによるタイトル。一時はAWF世界女子王座と統一されていた。
キャリア3年以内の選手が対象で、JDスタージュニア王座の復活版とも言える。初代王座は「LEAGUE PRINCESS」で決定。活動休止後、第2回LEAGUE PRINCESSを制して3代目王座を獲得した中島安里紗が自身の保持していたJWP認定ジュニア王座と統一し、JWPの二冠王座となり現在に至る。

所属選手

最終所属選手

過去に所属した選手

※女子総合格闘家の井上明子(引退)も「アストレス5期生」として在籍していたが、プロレスデビューすることなく退団した。

脚注

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  1. ^ ロッシー小川『女子プロレス崩壊危機一髪』ぶんか社、1997年12月、p101-102。

外部リンク

JDスター


法務博士(専門職)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/23 01:38 UTC 版)

(JD から転送)

法務博士(専門職)(ほうむはくし せんもんしょく、Juris Doctor)は、日本の法科大学院修了した者に授与される専門職学位である。原則として、学士学位[1]を修得した後に3年又は2年の課程を修了することで授与される。本項では併せて日本以外の国の「法務博士/Juris Doctor」などと訳される学位についても記述する。

日本の学位等の分類
分類 大区分 小区分 授与される標準的な課程
学位 博士 規定なし 大学院の博士課程
(前期2年の博士課程を除く)
修士 規定なし 大学院の修士課程
(前期2年の博士課程を含む)
専門職学位 法務博士(専門職)[2] 法科大学院
教職修士(専門職)[2] 教職大学院
修士(専門職)[2] 専門職大学院
(法科・教職大学院を除く)
学士 規定なし 大学
短期大学士 規定なし 短期大学
分類 大区分 小区分 授与される標準的な課程
称号 準学士 規定なし 高等専門学校
高度専門士 規定なし 特定の専修学校の専門課程
(主に4年制以上)
専門士 規定なし 特定の専修学校の専門課程
(主に2~3年制)

目次

日本

日本の「法務博士(専門職)」の学位は、法科大学院制度創設に当たり設けられたものである。これは、アメリカ合衆国ロー・スクールで修了者に「ジュリス・ドクター」(Juris Doctor、J.D.)の学位授与されていることを参考にして名称等が定められた[3]。1991年(平成3年)以降の日本の学位制度においては、学位に付記する専攻分野の名称は各大学等がそれぞれ定めることになっているが[4]、法科大学院の課程を修了した者に対して授与する学位は「法務博士(専門職)」に限られ、それ以外の名称の学位が授与されることはない[5]

「法務博士(専門職)」の学位は、専門職学位の一つであり、「博士」の語を含むものの、「博士の学位」とは別個のものである。そのため、学位請求論文の提出及び教授会による審査を通過する必要はない。

この学位を授与されると、新司法試験の受験資格が得られる[6]。また、一定の要件を満たした場合は、税理士試験の税法科目が一部免除される[7]。その他大学教員等の任用資格などの一つともなり得る(他の専門職学位と共通する特典については専門職学位#専門職学位の意義を参照。)。

日本以外の法務博士の学位

中国語では「法律博士」と訳される。

アメリカ合衆国

詳細は「ロー・スクール (アメリカ合衆国)」を参照

アメリカ合衆国では、大学(短期大学を除く)を卒業した後に、ロースクール(標準修業年限: 3年)を修了するとJuris Doctor(日本語訳: 法務博士)が与えられる。

また、Juris Doctorとは別に、標準就業年限一年間のLL.M.(Master of Laws, 法学修士)がある。ほとんどの学生はJ.D.取得後に就職をするが、引き続きLL.M.コースに進学する学生もまれにいる。しかし、多くのLL.M.受講生は、一旦実務を経験した後に(または実務のかたわら夜学などで)、高度に専門的な法学教育を受けるためにロースクールに戻る。特に、税法・国際法・金融法などの分野にこの傾向が顕著である。それ以外には、外国で法学の学位を取得した学生が、米国法を学ぶためにLL.M.を受講するケースが多い。日本の法学部の卒業生である法律家官僚を始めとして、非英米法系の法学教育を受けた者は、アメリカのほとんどの州で司法試験の受験資格がないが、アメリカのロースクールで一定の単位を取得することにより受験資格を得ることができる場合がある。例えば、ニューヨーク州では、非英米法系の法学教育を3年以上受けて法律の学位を取得した者は、アメリカ法曹協会が公認したロースクールで20単位以上修了すれば司法試験の受験資格が得られるが、この要件は通常LL.M.取得により満たすことができる。

北アメリカ諸国における法学の最高峰の学位は、S.J.D.(Doctor of Juridical Science、法学博士、法科学博士)であるが、実際のところ裁判官等を含めた職業にJ.D.以上の学歴が要求されることは、まれであるとともに、実地経験が重視される分野であるので、その取得は学術界以外(ロースクールを担任する教授など)では重視されていない。

オーストラリア

オーストラリアの大学でもJuris Doctorの学位が授与されている。

脚注

  1. ^学士(法学)」に限られない。
  2. ^ a b c 学位規則(昭和28年文部省令第9号) 第5条の2
  3. ^ 中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第4回)次第
  4. ^ 学位規則10条。
  5. ^ 学位規則5条の2。
  6. ^ 司法試験法4条1項1号。
  7. ^ 税理士法施行規則2条の2第3項。

関連項目

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