Galilei, Galileoとは? わかりやすく解説

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ガリレイ (Galilei, Galileo)

ガリレイという人は

ガリレオ・ガリレイ ガリレオ・ガリレイ

ピサフィレンツェ古くから伝わる名家生まれるが、ガリレオ生まれたころは裕福とはいえなかった。 有名な音楽家であった父の医学を学ぶようという希望から17歳ピサ大学入学する当時アリストテレス考え絶対的な真実とされていた。 ガリレイも当初はこれに倣うが、権威主義的押し付けれれるのを嫌いアリストテレス考え疑問持ち始める。

たまたま幾何学講義立ち聞きし自分本当に興味があるのは数学、物理学であって医学ではなかったことに気づく貨幣含まれる金や銀の比率天秤比重利用して高い精度測定する小天秤”を作成するなど、その才能発揮し始めて、 ”16世紀アルキメデス”と呼ばれるうになる。ガリレイ自身、聖アルキメデスと呼ぶほどアルキメデス尊敬していた。

ガリレイの主な経歴

1605年落体運動の法則発見する落体運動は、アリストテレスによって「落ち物体速度は、その物体の重さ比例する」とされており、いかなる学者もこれを否定することがなかった。 なぜならの羽がゆっくり落ちることは視覚的に確認でき、これが大きな説得力になっていたためである。 ガリレイは空気抵抗着目し表面積大きく軽い物体空気抵抗によりゆっくり落ちるのだろうと仮定したピサの斜塔から同じ大きさ鉄球木製の球を同時に落下させ、地面同時に落ちたことを確認するアリストテレス間違いこれほどはっきり照明されたことは、かつて一度もなかった。

1610年オランダ1609年発明され望遠鏡当時ラテン語でペルスピルシムと呼ばれていた)を風聞頼り自作して、 その望遠鏡天体に向け、発見した驚きそのまま表した星界の報告”を発刊する。 木星4つ衛星を見つけることで、全ての天体地球周り回っているとした天動説誤っていることを指摘し星々動いているのではなく地球動いているのだとしてコペルニクス地動説支持する。 しかし、アルキメデス天動説支配されていた時代でガリレイの主張は大変危険なものであった望遠鏡ベネチア総督元老院献上したことにより、パドヴァ大学教授となるがこの頃から歯車狂いはじめていた。

1613年、”太陽黒点について”を発刊する。 しかし、1610年発刊した星界の報告”、そして今回の”太陽黒点について”によって、 1616年異端尋問所から警告を受ける。保守的な宗教家太陽を神の象徴みなしており、全ての天体の中で最も完全なものと考えていたのである参考までに述べると、1600年にはコペルニクス地動説沿った主張広めようとした修道士ローマ法王庁宗教裁判かけられ異端として火刑処せられている。

1616年地動説禁止教令ローマ法王庁により発布される。 教皇パウロ5世よりガリレイは、コペルニクス理論捨てるようにとの命を受けた

1628年観測結果から地動説絶対的な証拠得たので地動説禁止教令取り消して欲しい旨を願いでる。 また、地動説聖書抵触しない旨を説明するが、取り合ってもらえなかった。

1632年16年沈黙破り天文学対話”をラテン語ではなくイタリア語発刊する。 法王庁意向懸念して一方的に地動説主張するではなく三人登場人物対話するといった形式したものであった。 しかし、ガリレイが主張したい部分一目瞭然であり、また、ローマ法王自分のこと個人的に批判する内容であると感じたようだ。一部知識人には歓迎されるがやはり攻撃されることになる。

天文学対話”は2月検閲通過したが、8月販売禁止になり、さらに9月、ガリレイは異端尋問所に召還される。 すでに68歳であり、病弱視力衰え弁護人もいなかったガリレイに対し拷問道具なども見せたようである。 1633年判決言い渡される。 彼は「コペルニクス説(地動説)を捨て、これを呪い、嫌う」と宣言しなければならなかった。 このとき「それでもやはり地球は動く」と言ったとされる説もあるが、この言葉はガリレイの記念碑か何かにある言葉らしい。

1638年、”新科学対話”を発刊する。法王庁命令によってフィレンツェ自宅幽閉の身にあり、 両目失明しいながら太陽望遠鏡観測したらしい)、 口述筆記などによってこれを完成させた。自然と真実へのすさまじ執念である。 力学について説いており、それまで間違った理論神学哲学科学明確に区分されていない)と 正解へと導く科学的手法について触れ、ここで慣性の法則落体運動放射体の運動論じている。

新科学対話”は1636年完成していた。1636年イタリアフィレンツェ完成したこの本が発刊されたのは、 1638年オランダである。 もはや、やつれて視力失ったガリレイは完成した新科学対話”を読むことも叶わず、1642年1月、その長い苦難生涯を閉じる。 ガリレイ死後教会指弾はゆるまなかった。葬式認められず、聖域への埋葬認められなかった。 しかし、ガリレイの一件コペルニクス以来100年におよぶ科学思想革命死闘も一応の終止符向かえ、 古い宇宙観次第に影をひそめるようになっていく。 約40年後、ニュートンプリンキピア中にガリレイの力学吸収されていく。

ガリレオ・ガリレイ

地動説との絡み語られることが多いガリレイだが、最大業績は自然を探求する方法とその精神にあった実験的事実とそこから数学的に導かれる理論を軸にする実証的な科学的解明方法最初に示したのがガリレイであり、 これが最初物理学者評される所以である。

科学哲学から分離し自然現象解明数学を使う。数学具体的な現象定量的論じるための手段と位置づける近代科学の礎となっていく方法論である。




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