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F-15 (戦闘機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/12 16:18 UTC 版)

F-15 イーグル

F-15C 67th Fighter Squadron 2008.jpg

F-15は、アメリカ合衆国マクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)の開発した制空戦闘機愛称イーグル(鷲)(Eagle)。

目次

概要

アメリカ空軍所属のF-15C(2009年)

アメリカ空軍などで運用されたF-4の後継として開発された、長射程空対空ミサイルの運用能力と高性能ドップラー・レーダーを持つ双発の大型制空戦闘機第4世代ジェット戦闘機に分類される。後継機であるF-22が2005年に戦力化されるまでは「世界最強の戦闘機」としても名高い機体であり、現在も第一線で世界水準の性能を維持し続けている。F-15のパイロットは機体の愛称から「イーグルドライバー」と呼ばれている。

二枚の垂直尾翼を持つとはいえ、平凡な平面形の主翼に水平安定版を組み合わせた保守的な設計のまま、当時としては画期的な機動性を実現した機体である[1]。採用国は2010年現在までに空戦における被撃墜記録は無いとしている[2]。単座型と複座型の2種類があるが飛行性能・戦闘能力に大きな差はない。

当時は、一機当りのコストが約3,000万ドル(アメリカ空軍での単価)と高価な機体となったため、アメリカ空軍でもF-16との「Hi-Lo-Mix」運用を甘受することとなり、購入可能な国は経済力のある国に限られていた。それに加え輸出先も、その能力から政治的・軍事的に親密な国への売却に限られていた(F-22が開発され派生型F-15Eが輸出される頃には事情が変わる)。その結果、新造機からの運用はアメリカ空軍による877機の他イスラエル日本サウジアラビアの3ヵ国の合計356機(ライセンス生産を含む)、総計1,233機で終わった。とはいえ、F-4と共に冷戦下のアメリカ空軍とマクダネル・ダグラス社を代表する戦闘機といえる。

開発の経緯

前史

1956年に配備の始まったサイドワインダーを装備したF-86戦闘機が、1958年台湾海峡における金門砲戦時の大規模な空中戦などで戦果をあげた[3]事例等から、アメリカ空軍では今後の戦闘機同士の戦闘は「遠距離から射程の長いミサイルを発射して相手を撃墜するものになる」という「ミサイル万能論」が主流となり、空対空兵装としての機関砲は軽視されるようになっていった。また、1950年代のソ連によるM-4(バイソン)Tu-95(ベア)といった新型爆撃機の配備を重大な脅威として対応する必要を唱える「ボマーギャップ」論が広まった。そのためにアメリカ空軍は、要撃機と爆撃能力の拡充に重点を置くこととなった。

これらの結果、新規開発の比重は対戦闘機戦闘を主目的とした制空戦闘機から、(核)ミサイルによる爆撃機要撃のためのF-102の様な要撃戦闘機や、対地攻撃力を補充するF-105の様な戦闘爆撃機に移っていった。当初、F-86の後継とされたF-100も戦闘爆撃機に転用され、F-101F-104も運動性を軽視した仕様となった。

結果、アメリカ空軍はベトナム戦争開始時期に充分な格闘戦能力を持つ機体を保有しておらず、緒戦での同士討ちを契機に文民に押し付けられた[要出典]交戦規定(有視界外戦闘を禁止)により、旧式のMiG-17との格闘戦闘に巻き込まれて苦戦を強いられた。ただし1961年当時の国防長官ロバート・マクナマラの推し進めた空海両軍の機種統一により導入したF-4戦闘機が、比較的機動性に優れていたためベトナム戦争を凌ぐことはできた。

さらにマクマナラはコスト削減と合理化を図るべく、空軍主体で開発する戦闘爆撃機を海軍向けに艦隊防空用の要撃機に発達させ共通化を図るTFX計画を進めたが、重量増加、エンジン(TF30)のストール、アメリカ海軍用の新ミサイル(AIM-54)や新火器管制装置(AWG-9)の開発遅延といった問題の結果、空軍用のF-111Aのみ実用となったものの、コスト高や運動性能等の問題を抱えていた。

F-X開発

海軍はTFX実用化断念後の1965年に、次期戦闘攻撃機VFAX(後に中止)や次期戦闘機VFX(後のF-14)の開発研究を開始していた。空軍もF-111どころかF-4さえ重すぎて制空戦闘に不適と考え、同年4月、F-Xの開発研究に着手した。

1966年3月、ノースアメリカン・ロックウェルロッキードボーイングの3社とTactical Support Aircraft(戦術支援機)に関する4ヶ月間の概念作成研究契約を締結した。同年9月3社の研究結果の評価を完了したが、開発方針の決定には至らなかった。その概要は以下の通りである。

  • 機体重量約27トン(60,000lb+)
  • 瞬間最大速度マッハ2.7、最大速度マッハ2.5
  • 推力重量比0.75
  • F-111よりも良好な加速・上昇等飛行性能を有し、可変後退翼を備える
  • 中射程空対空ミサイル・爆弾を装備

この時期、1967年7月に行われたモスクワドモジェドヴォ空港での航空ショーMiG-25が突如出現し、上空を高速で通過していった。周到に演出されたこのフライパスのみならず、ソ連はこの航空ショーに、MiG-23Su-15を初めとした試作機や実験機を含む多種の機体を第3世代ジェット戦闘機として出品し、これらに大きな衝撃を受けた西側の航空機専門家はソ連の意図通りにその実体以上の過大な評価を下した。アメリカ空軍首脳も公開された機体に対抗し得る機体を自軍に保有していないと考え、ソ連の爆撃機に加え、戦闘機にも危機感を募らせていった。

空軍での制空戦闘機の検討時期に、各方面のキーマンからファイター・マフィアと呼ばれる少人数のグループが出現していた。その中の一人、ジョン・ボイドは自らのF-100による戦技教官としての経験を体系化した「Energy-Maneuverity理論」を基にした判断によりF-Xの最初の提案要求(RFP)を却下し最終版に改定した[4]

1967年8月にマクドネル・ダグラスおよびジェネラル・ダイナミクスの2社と、戦闘機に関する6ヶ月の概念作成契約を締結した。

モスクワ航空ショーの翌年の1968年9月に、アメリカ空軍は国内の航空機メーカー8社と研究契約を結びRFPを出した。RFPの主な内容は以下の通りであった。

  • マッハ0.9、高度30,000フィートにおける高G機動で異常振動を生じない
  • 上記空力特性を持つ翼を使い、広い飛行速度高度域で充分なエネルギー/運動能力を持つ
  • 空中給油、または増槽のみで大陸間の長距離回送飛行が可能
  • 搭載兵器は全任務に対して一人で操作可能
  • 現実的な空対空戦闘を想定して4,000飛行時間の疲労寿命の安全係数を4として試験で証明する
  • 最新の技術を利用した操縦席艤装を行い、特に近接格闘戦ではヘッドアップディスプレイを利用する
  • 理論整備工数は1飛行時間あたり11.3人/時
  • 構成機器の平均故障時間は上記整備工数内で対応
  • 操縦席の視界は360°確保すること
  • 主エンジンは機内設備のみで起動できること
  • 機体構造、電気、油圧、操縦装置は戦闘状況下で無事に基地に帰投できる高度の生存性を持つ
  • 対戦闘機戦闘装備状態の総重量は40,000ポンド(約18.1トン)級
  • サブシステム、構成部品、装備品は少なくとも試作品による実証済みのものに限る
  • 最大速度は高空においてマッハ2.5
  • 自機よりも低高度の監視能力を持つ長距離パルス・ドップラー・レーダーを備える

これらに加え、試作競争は実施しないこととしていた。

1968年12月、提出された各社案を基にマクダネル・ダグラス、フェアチャイルドノースアメリカン・ロックウェルの3社を選出して、詳細提案のための6ヶ月の研究契約を結び、各社は期日通り設計案を提出した。フェアチャイルド社案は、胴体の両側の変形デルタの主翼の半幅にエンジンナセルを置き、二次元型空気取入口から排気口を一線上に配置した、双発一枚垂直尾翼の機体であった。ノースアメリカン・ロックウェル社案は、オージー翼を持つブレンデッドウィングボディ構成の胴体下に二次元型空気取入口を付けた、胴体内並列双発一枚垂直尾翼の機体だった。

これらに対しマクダネル・ダグラス社案の機体は、前縁45度というそれほど大きくない後退角を持つ、広い面積の主翼を持っていた。これは当時の超音速戦闘機には、まず採用されることのないものだった[5]。この時、マクドネル・ダグラス社は37,500ページにも及ぶ文書を提出、設計には大型計算機を用いて数千種類の機体形状を検討していた[6]

原型機発注
原型機
主翼先端及び水平尾翼の形状が異なる

1969年12月にアメリカ空軍は、マクダネル・ダグラス社と開発契約を結んだ。設計主任はジョージ・グラーフ、空力担当にはドン・マルバーンが就任した。また、セントルイスの工場では2基の空対空戦闘シミュレーターが開発され、研究に用いられた。本開発では900時間以上の設計改善が行われ、風洞実験では100種類以上の主翼形状の試験が行われた[6]

F-4の戦訓も生かされた。双発でありながら、片方のエンジンの被弾後に両エンジンが停止したり、火災で墜落する事例が見られた[6]。このため、F-15ではエンジン間の縦通材とする等、エンジン周りにチタニウムを多用して耐熱性や強度を確保し、さらには消火システムを充実し、燃料タンク配置にも配慮が払われた[7]

エンジンの開発はプラット・アンド・ホイットニーゼネラル・エレクトリックの提案から、1970年3月にプラット・アンド・ホイットニーがF100ターボファンエンジンの開発契約を結んだ。初期推力試験は1972年3月末までに終了し、1年後には型式証明を取得するための試験を終了させた[7]

レーダーはヒューズ社とウェスチングハウス社の提案から、1970年9月にヒューズ社のAPG-63レーダーを選定している[7]

固定武装のM61A1機関砲には、当初フィルコ・フォード社で無薬莢式の弾薬を新規に開発し使用する予定であったが、不規則な弾道性能に対するフィルコ・フォード社からの開発期間の延長の申し入れを受け入れずに従来の弾薬を採用することとなった[7]

1971年2月、アメリカ議会上院歳出委員会はF-14とF-15の比較検討を行い、F-14はF-15の任務をすべて果たせるが、F-15はF-14の任務をすべて果たすことはできないとF-15の劣性を指摘し、空軍・海軍共に同じ機種を採用すべきとの、F-111の教訓を省みない意見[要出典]が挙げられた。これに対し空軍は、F-14は艦隊防衛に特化した機体であり、F-15は機動性の高い制空戦闘機であると反論した。一方、アメリカ国防総省内部からはF-15を基本とした海軍型(艦上戦闘機)のF-15Nの検討を指示する動きもあった[7]

開発にあたり当初12機、1972会計年度で8機の前生産型を発注し、それぞれ以下のような作業や試験が割り当てられた。

F1 ( 1号機) (71-0280) 性能領域の探求、運用特性、外部搭載物試験
F2 ( 2号機) エンジン試験
F3 ( 3号機) 電子装備開発、気流速度計測(これ以降の機体はAPG-63火器管制装置を搭載)
F4 ( 4号機) 構造試験
F5 ( 5号機) 機関砲・兵装・兵装架射出試験(これ以降の機体はM61A1 ガトリング砲を搭載している)
F6 ( 6号機) 電子装備試験、及び飛行制御・ミサイル発射評価
F7 ( 7号機) 兵装、燃料、兵装架
F8 ( 8号機) 異常姿勢特に錐もみ特性、高迎角評価
F9 ( 9号機) 機体、エンジン適合評価
F10 (10号機) レーダー、電子装備の試験
T1 (11号機) 複座型評価。後にF-15S/MTDとなる
T2 (12号機) 複座型。マクダネル・ダグラス社の飛行実演機。後にF-15E試作機となる。
F11 (13号機) 実用試験
F12 (14号機) コンフォーマル・フューエル・タンク装備機:実用試験
F13 (15号機) 実用試験
F14 (16号機) 気象環境試験。試験終了後にイスラエルに売却
F15 (17号機) 使用されず、イスラエルに売却
F16 (18号機) 実用試験、及び飛行実演後にイスラエルに売却
F17 (19号機) 「ストリークイーグル計画」に使用
F18 (20号機) 使用されず、イスラエルに売却

1972年6月26日に初号機がマクダネル・ダグラス社セントルイス工場で完成。同日、ロールアウトを記念した式典が行われた。

後日一旦分解され、C-5輸送機によりカリフォルニア州エドワーズ空軍基地への搬入・再組み立てを受け、7月27日モハーヴェ砂漠上空でマクドネル・ダグラス社チーフテストパイロットのアービン・L・バローズにより、約50分間の初飛行を実施した。1973年7月には飛行回数1,000回を数え、その間に最大速度マッハ2.5、最大到達高度18,290mを記録している。

2年余りに及ぶ原型機による試験・評価作業による修正は以下の細部変更に止まり、原設計の堅実さを証明することとなった。

  • 主翼端後部の切り落とし
  • 水平安定板へのドッグ・トゥースの追加
  • エア・ブレーキの大型化とそれに伴う開度制限



[ヘルプ]
  1. ^ 訓練中の事故で片翼を根本から失ったイスラエル空軍のF-15が無事帰還した話は、この機体の極めて高い基本性能を示すエピソードとして有名である
  2. ^ 2005年現在、米・イスラエルは実戦における空中戦での被撃墜はゼロとしているが、複数の交戦相手国がF-15撃墜を主張し、ソビエト連邦も交戦当事者ではないものの、戦地に派遣したオブザーバーによりMiG-23など自国製の戦闘機が数機のF-15を撃墜したと記録しており、ロシアなどでは現在でもこれを「事実」としている。
  3. ^ この際、台湾のF-86が中国エース・パイロット王自重操縦のMiG-17をサイドワインダーで撃墜したことは良く知られている。
  4. ^ それでも不十分と考えた彼らはF-X以降も活動を続け、LWF(Low Weight Fighter:軽量戦闘機)計画としてF-16およびYF-17(F/A-18の原型)を実現した。
  5. ^ 当時の完成予想図では尾部下面にF-16Su-27の様なフィンを備え、風防形状も現状のものと異なっていた。
  6. ^ a b c 「丸[MARU]」2008年3月号p91
  7. ^ a b c d e 「丸[MARU]」2008年3月号p92
  8. ^ 冒頭の写真にもあるように、AMRAAMは主翼下パイロン側面装備のサイドレールへの搭載可。
  9. ^ 1985年イスラエル航空宇宙軍所属のF-15 8機がパレスチナ解放機構のテロによる民間人3名の殺害に対する報復としてチュニジアチュニスに所在したPLO本部を誘導爆弾を使用して爆撃した例がある→木の脚作戦を参照
  10. ^ マクダネル・ダグラス・ダグラス社もこの計画を強く推進した。
  11. ^ F-16はアメリカ空軍・海軍合わせて2,244機が調達されたが、F-15は911機に止まる。
  12. ^ F-16の場合はスパローの運用能力を追加する改造が行われたが、F-15は適合性取得のための追加は行われていない。
  13. ^ ワルシャワ条約機構軍の侵攻の際に出来るだけ打撃を受けないようにという配慮から国境からできるだけ遠いこの基地が選ばれた。
  14. ^ JWings2010年11月号P94
  15. ^ 「軍事研究」2010年11月号p214
  16. ^ 一部の部隊では、アクティブ・フェーズドアレイレーダーである APG-63(V)2 AESAへと変更された
  17. ^航空ファン』558号、文林堂、1999年、163-164頁
  18. ^ なお、派生型のE型については、むしろその後登場した新型戦闘機との比較(特にアメリカ空軍における後継機のF-22)では相対的に低価格とみなされ、各国に盛んに売り込まれ、採用例も多くなった。
  19. ^ a b c d Davies 2002
  20. ^ 派生型のF-15Eでは戦闘爆撃機として長距離任務が主となるので、より多くの燃料搭載と巡行域での抵抗軽減の利点を認めてコンフォーマル・フューエル・タンクを標準で装備する。
  21. ^ Nは海軍(Navy)の意






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