FTO
1971年11月、ギャラン・クーペFTOというニューモデルを発売した。これが始まり。3ボックス2ドアで、独立したトランクをもち、その名のとおり初代ギャランのクーペ版という成り立ちだった。が、ホイールベースはギャランの2420mmに対して2300mmと短く、クーペらしさを出していた。エンジンは1.4Lでツインキャブレーター、最高出力95ps。真横から見るとファーストバックにみえるスタイルだったが、リヤウインドウはやや直立していて奥まった位置にあった。
73年2月、マイナーチェンジで1.6L車を追加した。もっとも高性能のタイプを1600GSRと呼び、5速MTで、公称最高速180km/hを誇った。オーバーフェンダーを付け、タイヤは175/70HR13を装着していた。価格は75万5000円。
73年10月に安全対策を盛り込んだのち、74年10月のマイナーチェンジを最後に消滅した。75年の生産打ち切りまで、トータル5万2210台つくった。ちなみに、FTOとは、Fresco Turismo Omologato(公認されたフレッシュなツーリングカーの意味)の頭文字だった。
94年10月、新しいFTOを発売した。走りの楽しさを追求したというスポーツクーペだった。ベースとなっだのはミラージュ、ランサーで、2500mmのホイールベースはセダンタイプと同じ。全幅は1735mmあり、3ナンバー車だった。エンジンは3種類。2L・V6・DOHC・24バルブ・MIVECの200ps、MIVECでない2L・V6の170ps、そして1.8L直4の125psというラインアップ。ミッションはINVECS-Ⅱスポーツモード4速ATを採用。
2代目FTOのネーミングの由来は、Fresh Touring Originationの頭文字をとった。若々しいツーリングカーの創造という意味をもっていた。
94年の再デビュー以降、96年2月に運転席SRSエアバッグを標準装備したほか、GPとGPスポーツパッケージというモデルを追加。97年2月にもフロントまわりを一部改良、200psエンジンを搭載し大型リヤウイングを付けたGPバージョンRを設定した。11月にはエアロシリーズ2車を追加したが、その後は変更もな<2000年8月をもって生産を打ち切った。
FTO
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FTO
- 三菱・FTO・・・三菱自動車が製造・販売していたクーペ。
- 三菱・ギャランクーペFTO(1971年 - 1975年)
- 三菱・FTO(1994年 - 2000年)
- 魔法騎士レイアースに登場する架空の兵器
- 関ジャニ∞の曲。アルバム「KJ1 F・T・O」に収録。
- プロレスリングFTO - 大分県に本拠をおくプロレス団体
- FTO導電膜 - 透明電極に用いられるフッ素ドープ酸化スズ
- Foreign Terrorist Organization - アメリカ合衆国が指定する外国のテロ組織。
FTO
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「超速変形ジャイロゼッター」の記事における「FTO」の解説
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FTO
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元々は五頭が立ち上げたプロレス団体であり、彼を先頭に各プロレス団体の中でも筆頭の人気を誇っていたのだが、五頭が赤城との世代交代の闘争に敗れてからは赤城が筆頭レスラーとなり、それまでのプロレスのスタイルカラーから格闘技カラーの強い団体として、改めて絶大な人気を博している。 赤城 欣市(あかぎ きんいち) 世代交代で五頭を完膚なきまでに叩きのめし、自らFTOエースの座に君臨した実力派レスラー。格闘技志向のプロレスを展開し、相手の技を受けず、ロープにも飛ばないといういわゆるUWFスタイルの旗手として絶大な人気を得る。脂肪を殺ぎ落としたしなやかな肉体を誇り、「キングオブFTO」「格闘キング」の異名を持つ。試合では非常に理論的に攻撃を組み立て、わざと隙を作ってそこに罠をはって仕留めるのが得意。しかし裏に回れば変質的なねちっこい性癖を持つ真性のサディストで、下手すれば相手を殺しかねない程痛めつける。戦争マニアであり、自宅には各国の戦場写真集やモデルガン収集などもしている。そのあまりに片寄った性格形成はすべて母・みどり(後述)の異常性に影響されたものである。 元新東プロの新人レスラー時代、デビュー戦で三四郎と対戦。頭突きで流血させられた上に必殺のブレーンバスターで完膚なきまでに叩き潰されるという本物のプロの洗礼を浴びて惨敗。しかし負けてなお三四郎を追いかけて背後から攻撃をしようとした程の闘争心を持つ。新東プロでの1年目では65戦61勝4敗。負けた相手は、三四郎の他に五頭、田中、柳。それらの相手には全員リマッチで勝利しなおかつ大怪我を負わせ再起不能にさせるという残虐かつ陰湿な復讐を行い、最後の復讐を果たすべく三四郎に狙いを定めてきた。その後に東三四郎の付き人となるも、プロレスとは別にあらゆる格闘技道場に出入りし今のスタイルを築き上げた。三四郎は色々な意味で可愛がったつもりでいるが、当人はそれを快く思っておらず(リングネームを「スネーク赤城」と付けられた等)、自分の野望の為に邪魔になるであろう三四郎を常に心の中で警戒していた。暫く対戦を避けつづけていたが、三四郎が直接赤城の下に乗り込んできたことで「負けたらリングから降りて引退する」事を条件に遂に対戦を承諾する。 実生活の上ではCMで人気の女性タレント亜紀形ひなこと交際しているところを写真週刊誌にキャッチされているが、心の中では新人時代に自分に優しくしてくれた志乃の事を未だに忘れられずにいる。異常極まりない母親のせいで子供の頃から愛情を全く知らず、暴力一辺倒で育ったために盲目的な愛し方しか出来ず、最初のファイトマネーで志乃に自転車を買ってプレゼントしたまではよかったが、追加で80万円のダイヤの指輪まで贈ろうとし、気持ち悪がった志乃に返して来いと言われ拒否された。また未確認ながら新東プロ時代に志乃の入浴現場を覗いていたかもしれない疑惑も持たれていた(本編最後の試合となった三四郎対赤城戦の終了後、桜五郎の仕業だったことが判る)。それだけに三四郎が志乃を奪っていったと決めつけており、三四郎に対する憎悪(周りからすれば全くの逆恨み)は深く、三四郎の対戦要求を受けた際に「私はあなたに試合で勝ちたいんじゃない。殺してやりたいんだ」と不敵な笑みを浮かべながら発言した。 そして大阪城ホールで行われた三四郎との決戦では、当初こそすぐにマウントを取ってパンチの連打を見舞う等、ものの1分で勝負が決まるほどに優勢だったものの、三四郎の天性の実力と頑強さに次第に追い詰められ、終盤には自らが「相手の協力無しでは出来ない」と馬鹿にしていた筈のプロレス技(ラリアット、バックドロップ等)を受ける羽目になる。それでも負けたくない一心で三四郎に急所攻撃(股間への殴打)や左耳への噛み付きを見舞うが、却って三四郎の怒りを買い、容赦の無い強烈なヘッドバッドの乱打で顔面を派手に血塗れにされた末、とどめに決められた垂直落下式ブレーンバスターによって遂にKO負けを喫した。その後、母親の逮捕に加え、亜紀形ひなこから婦女暴行容疑で訴えられたため、雲隠れした。 愛車は横浜ナンバーの黄色のポルシェ・911カレラ。なお、名前の表記は第3巻以降から「赤城欣一」に変わっている。 野呂(のろ) 赤城の片腕としてFTOを支えるレスラー。しかし血の気が多く、町でたむろしている不良たちにわざと喧嘩を吹っ掛けて叩きのめして憂さ晴らしをする等、あまり出来た人間ではない。新東プロの新人レスラー時代に三四郎から「ノロマのノロスケ」と呼ばれ、赤城対柳が行なわれた日本武道館で赤城に抗議をしようとした三四郎を制止するも、その際に殴られた事に対する遺恨を抱いている。赤城が現在のプロレス界で最強であるという事を少しも疑ってもいない。 曙(あけぼの) 野呂と共にFTOを支えるレスラー。元新東プロ出身で、新人レスラー時代から三四郎のポテンシャルの高さを良く知っているだけに、内心では「三四郎が本気を出したら、今の赤城でも敵わないのではないか」とオドオドしている。
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FTO
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:03 UTC 版)
メタリックな白を基調とした、オートザムのファイターメカ(ロボット)。イーグルの乗機。機動性と白兵戦に優れる。武装はビームソードとバルカン砲、捕獲バリア、シールド、またそれ以外にも多数のミサイルとシールド結界を張るビット状のメカがあるが、アニメでは描かれていない。原作におけるラストボスに当たる。
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「fto」の例文・使い方・用例・文例
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