Enomoto Takeakiとは?

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Enomoto Takeakiの意味・解説 

榎本武揚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/27 02:45 UTC 版)

(Enomoto Takeaki から転送)

榎本 武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日天保7年8月25日) - 1908年明治41年)10月26日)は、日本武士幕臣)、化学者外交官政治家海軍中将正二位勲一等子爵通称釜次郎[注 1]梁川(りょうせん)[注 2]。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた[3][4]。なお、武揚は「ぶよう」と故実読みでも呼ばれた。




[ヘルプ]

注釈

  1. ^ 兄・鍋太郎とともに、鍋と釜があれば食うには困らないという意味で名づけられた[1]
  2. ^ 出生地である「柳川横町(近所に柳川藩邸があった)」にちなむ。但し柳川では柳川鍋に通ずるため、梁川としたとされる[2]
  3. ^ 本名・村瀬誨輔。幕臣、儒者[6]。外交官・田辺太一の父。
  4. ^ 「甲」「乙」は名前が公表されるが、榎本の名前が無かったことから、「丙」とみられている[8]
  5. ^ 榎本は入学願を出したが却下され、昌平黌の学友・伊沢勤吾の父である大目付・伊沢政義に頼み込み、伝習所頭取となった勤吾の同行者として入学を許された[10]。なお赤松則良は、榎本は矢田堀景蔵の従者扱いで員外の者として講義を受けていた、と記している[11]
  6. ^ カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』「榎本釜次郎氏のごとき、その先祖は江戸において重い役割を演じていたような家柄の人が、二年来一介の火夫、鍛冶工および機関部員として働いているというがごときは、まさに当人の勝れたる品性と、絶大なる熱心を物語る証左である。これは何よりも、この純真にして、快活なる青年を一見すれば、すぐに判る。彼が企画的な人物であることは、彼が北緯59度の地点まで北の旅行をした時に実証した。」[13]
  7. ^ 同行のオランダ軍士官から洋服ではインド人と間違われる可能性があると指摘され、打裂(ぶっさき)羽織・裁付(たっつけ)袴に二刀差しの姿で観戦した[20]
  8. ^ 当時、榎本は神田和泉町に屋敷があったことから、和泉守としたといわれる[30]
  9. ^ 榎本は大坂城への登城途中に、負傷兵を保護していたプロイセン公使マックス・フォン・ブラントから、負傷兵の面倒を見ることを要請されている[36]
  10. ^ うち3万両は榎本に下賜され、オランダに残った留学生(伊東玄伯、林研海、赤松則良)の滞在費に充てられた[38]
  11. ^ 「軍艦・銃砲を引渡し、追ってふさわしく(相当)差し返すこと」と定められていた[42]
  12. ^ 新政府は榎本の脱走を忠義によるものと賞して、開陽ほかを榎本に預けたままとした[45]
  13. ^ 回答状の追伸にある『海律全書』の贈答に関する部分は以下の通り。「別本二冊、釜次郎和蘭留学中、苦学致候海律、皇国無二の書に候へば、兵火に付し、烏有と相成候段痛惜致候間、「ドクトル(注:高松凌雲のこと)」より海軍「アドミラル」へ御贈可被下候」[74]。なお、陸海軍参謀の山田顕義や海軍参謀の増田虎之助ではなく、交渉相手であった陸軍参謀・黒田清隆が本を受け取った。
  14. ^ 糾問所の建物は幕府の大手前歩兵屯所として使用されていたものであり、牢獄は大鳥圭介が歩兵頭のときに歩兵取締のため建てられた[81]
  15. ^ 黒田は箱館総攻撃直前の時点で既に、知人宛の手紙で「榎本は得難き非常の人物で驚かない者はなく、彼と生死を共にすべしと一同が奮発している」と記し、増田虎之助、曽我祐準とともに敵が降伏してきたら助命しようと約していた[85]
  16. ^ このとき榎本は薩長が支配する政府に仕えることに難色を示したが、大鳥圭介らが薩長ではなく朝廷に仕えるのだといって榎本に仕官を促した[93]
  17. ^ 開墾の際、樹木に火薬を付けて爆破する「爆破開墾」を行っている。なお、榎本農場は1918年(大正7年)、長男・武憲により小作人に解放された[101]
  18. ^ 北辰社は土地管理のほか、東京・飯田橋から九段にかけての土地で牧場を経営していた[102]
  19. ^ 当時の外交慣例で武官公使の方が交渉上有利と判断されたためで、伊藤博文の建言によるものといわれる[105]
  20. ^ 総裁は三条実美[124]
  21. ^ このとき、榎本は山縣に「自分を罷免するのは、職務不十分なためか、それとも閣内人事の事情からか」と質したのに対し、山縣は後者だと言い放ち、榎本が憤慨している[134]
  22. ^ 移民課長(兼通商局長)は安藤太郎[165]。移民課は榎本の大臣退任後の1893年、通商局長・原敬の主張により廃止された[166]
  23. ^ 官報では10月27日薨去[183]
  24. ^ 榎本家に入婿したのは1822年(文政5年)との説もある[215]
  25. ^ 海軍大佐。フランスの法学者ジョセフ・ルイス・エルザー・オルトランの弟[229]

出典

  1. ^ 合田一道 2014, p. 13.
  2. ^ 加茂儀一 1988, p. 35.
  3. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 210.
  4. ^ 合田一道 2014, pp. 136-137.
  5. ^ a b 加茂儀一 1988, p. 22.
  6. ^ 田辺石庵”. コトバンク. 2015年8月13日閲覧。
  7. ^ 加茂儀一 1988, p. 34.
  8. ^ a b c d 近代日本の万能人・榎本武揚, pp. 141-143
  9. ^ 井黒弥太郎 1968, pp. 1-4.
  10. ^ 加茂儀一 1988, p. 63.
  11. ^ 赤松則良半生記, p. 25
  12. ^ 加茂儀一 1988, p. 65.
  13. ^ カッテンディーケ 『長崎海軍伝習所の日々』 水田信利・訳、平凡社〈東洋文庫 26〉、1964年、85頁。ISBN 4-582-80026-2
  14. ^ 加茂儀一 1988, p. 75.
  15. ^ 加茂儀一 1988, pp. 91,94.
  16. ^ 加茂儀一 1988, p. 95.
  17. ^ 加茂儀一 1988, pp. 95-100.
  18. ^ 加茂儀一 1988, pp. 118-120.
  19. ^ 加茂儀一 1988, pp. 123-124.
  20. ^ 『赤松則良半生記』 赤松範一編、平凡社〈東洋文庫 317〉、1977年、177頁。
  21. ^ 赤松則良半生記, pp. 176-184
  22. ^ 臼井隆一郎 2005, p. 71.
  23. ^ 加茂儀一 1988, p. 125.
  24. ^ 赤松則良半生記, p. 189
  25. ^ 加茂儀一 1988, pp. 128-131.
  26. ^ 小川恭一編 『寛政譜以降旗本家百科事典』第1巻 東洋書林1997年ISBN 4-88721-303-4 
  27. ^ a b 合田一道 2014, p. 60.
  28. ^ 『続徳川実紀 第5篇』 成島司直等編、経済雑誌社、1907年、1294頁。NDLJP:1917904
  29. ^ a b 小川恭一 1997.
  30. ^ 加茂儀一 1988, p. 132.
  31. ^ 近代日本の万能人・榎本武揚, p. 320
  32. ^ 加茂儀一 1988, pp. 173-176.
  33. ^ 保谷徹編 『戊辰戦争』 吉川弘文社〈戦争の日本史 18〉、2007年、75-76頁。ISBN 978-4-642-06328-9 
  34. ^ 保谷徹 2007, pp. 76-77.
  35. ^ 石井勉 『徳川艦隊北走記』 學藝書林、1977年、17頁。 
  36. ^ マックス・フォン・ブラント; 原潔、永岡敦訳 『ドイツ公使の見た明治維新』 新人物往来社、1987年、131-132頁。ISBN 4-404-01409-0 
  37. ^ 菊池明・伊東成郎編 『戊辰戦争全史』上巻 新人物往来社、1998年、42頁。ISBN 4-404-02572-6 
  38. ^ 加茂儀一 1988, p. 194.
  39. ^ 加茂儀一 1988, p. 195.
  40. ^ 続徳川実紀 第5篇, p. 1621
  41. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 22.
  42. ^ 保谷徹 2007, p. 162.
  43. ^ 続徳川実紀 第5篇, pp. 1749-1750
  44. ^ 続徳川実紀 第5篇, pp. 1752-1753
  45. ^ a b 加茂儀一 1988, pp. 218-219.
  46. ^ 加茂儀一 1988, p. 231.
  47. ^ a b 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 227-229. 2015年8月14日閲覧。
  48. ^ 加茂儀一 1988, pp. 232-233.
  49. ^ 武内収太 『箱館戦争』 五稜郭タワー、1983年、68頁。
  50. ^ 加茂儀一 1988, p. 239.
  51. ^ 加茂儀一 1988, p. 236.
  52. ^ a b c 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 229-231. 2015年8月14日閲覧。
  53. ^ 加茂儀一 1988, pp. 246-252.
  54. ^ 加茂儀一 1988, p. 246.
  55. ^ 藤田相之助 『仙台戊辰史』 荒井活版製造所、1911年、742頁。NDLJP:773429
  56. ^ 藤田相之助 1911, pp. 743-745.
  57. ^ 藤田相之助 1911, pp. 757-762.
  58. ^ 藤田相之助 1911, pp. 775-779.
  59. ^ 武内収太 1983, p. 79.
  60. ^ 松田藤四郎 2012, pp. 117-118.
  61. ^ 石井勉 1977, pp. 106.
  62. ^ 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 233-236. 2015年7月25日閲覧。
  63. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 33.
  64. ^ 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 237-238. 2015年7月25日閲覧。
  65. ^ 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 241-243. 2015年7月25日閲覧。
  66. ^ 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 238-241. 2015年7月25日閲覧。
  67. ^ 石井孝 『戊辰戦争論』 吉川弘文館、1969年、285-291頁。ISBN 4-642-07196-2 
  68. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 40.
  69. ^ 菊池明・伊東成郎編 『戊辰戦争全史』下巻 新人物往来社、1998年、237-239頁。ISBN 4-404-02573-4 
  70. ^ 戊辰戦争全史・下, p. 247
  71. ^ 函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 250-251. 2015年7月25日閲覧。
  72. ^ 戊辰戦争全史・下, p. 285
  73. ^ 加茂儀一 1988, p. 302.
  74. ^ 加茂儀一 1988, p. 304.
  75. ^ 戊辰戦争全史・下, p. 298
  76. ^ 加茂儀一 1988, p. 315.
  77. ^ 戊辰戦争全史・下, p. 303
  78. ^ 戊辰戦争全史・下, p. 304
  79. ^ 戊辰戦争全史・下, p. 305
  80. ^ 加茂儀一 1988, p. 319.
  81. ^ 大鳥圭介「南柯紀行」。大鳥圭介、今井伸郎 『南柯紀行・北国戦争概略衝鉾隊之記』 新人物往来社、1998年、100-101頁。ISBN 4-404-02627-7
  82. ^ 加茂儀一 1988, pp. 320,322.
  83. ^ 加茂儀一 1988, p. 323.
  84. ^ 井黒弥太郎 1968, pp. 109-125.
  85. ^ 井黒弥太郎 『黒田清隆』 吉川弘文館〈人物叢書〉、1977年、33-34頁。ISBN 4-642-05099-x 
  86. ^ 井黒弥太郎 1968, pp. 110-112.
  87. ^ a b 福沢諭吉、富田正文・校訂編、 『新訂 福翁自伝』 岩波書店〈岩波文庫102-2〉、1978年、241-243頁。ISBN 4-00-331022-5 
  88. ^ 加茂儀一 1988, pp. 356-359.
  89. ^ 加茂儀一 1988, pp. 329-333.
  90. ^ 加茂儀一 1988, pp. 335-336.
  91. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 139.
  92. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 140,144.
  93. ^ 『明治ニュース事典』8、毎日コミュニケーションズ、1983年、54頁。ISBN 4-89563-105-2
  94. ^ 加茂儀一 1988, pp. 384-388.
  95. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 194.
  96. ^ 加茂儀一 1988, p. 400.
  97. ^ 井黒弥太郎 1968, pp. 199-207.
  98. ^ 合田一道 2014, p. 170-172.
  99. ^ 加茂儀一 1988, pp. 402-416.
  100. ^ 合田一道 2014, p. 179-180.
  101. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 240.
  102. ^ 近代日本の万能人・榎本武揚 p.150
  103. ^ 合田一道 2014, p. 181-183.
  104. ^ 秋月俊幸 『日露関係とサハリン島』 筑摩書房、1994年、230頁。ISBN 4-480-85668-4
  105. ^ a b 井黒弥太郎 1968, p. 266-267.
  106. ^ 加茂儀一 1988, pp. 444-445.
  107. ^ 加茂儀一 1988, p. 445.
  108. ^ 井黒弥太郎 1968, pp. 280-281.
  109. ^ 秋月俊幸 1994, p. 235.
  110. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 288.
  111. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 289.
  112. ^ 加茂儀一 1988, pp. 473-474.
  113. ^ 合田一道 2014, p. 199-200.
  114. ^ 加茂儀一 1988, p. 501.
  115. ^ 加茂儀一 1988, pp. 498-500.
  116. ^ 加茂儀一 1988, pp. 502-504.
  117. ^ 加茂儀一 1988, pp. 504-505.
  118. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 378-379.
  119. ^ a b c d e 井黒弥太郎 1968, p. 382.
  120. ^ 加茂儀一 1988, p. 547.
  121. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 383.
  122. ^ a b 近代日本の万能人・榎本武揚, p. 325
  123. ^ a b 加茂儀一 1988, p. 550.
  124. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 385.
  125. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 386.
  126. ^ 合田一道 2014, pp. 250-251.
  127. ^ 合田一道 2014, pp. 254-255.
  128. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 559.
  129. ^ 『官報』第744号、「叙任」 1885年12月22日号外。NDLJP:2943953
  130. ^ 『官報』第1169号、「授爵及辞令」 1887年5月25日。NDLJP:2944403
  131. ^ 『官報』第1522号、「叙任及辞令」 1885年7月26日。NDLJP:2944760
  132. ^ 電気学会パンフレット (pdf)”. 電気学会. 2015年8月14日閲覧。
  133. ^ 『官報』第1716号、「授爵及辞令」 1889年3月23日。NDLJP:2944961
  134. ^ a b 井黒弥太郎 1968, p. 393.
  135. ^ 『官報』第2063号、「授爵及辞令」 1890年5月19日。NDLJP:2945315
  136. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 568.
  137. ^ 松田藤四郎 2012, p. 31.
  138. ^ a b 松田藤四郎 2012, p. 33.
  139. ^ 松田藤四郎 2012, pp. 41-42.
  140. ^ 松田藤四郎 2012, p. 45.
  141. ^ 松田藤四郎 2012, p. 47.
  142. ^ 松田藤四郎 2012, p. 19.
  143. ^ 松田藤四郎 2012, p. 60.
  144. ^ 『官報』第2361号、「宮廷録事」 1891年5月16日。NDLJP:2945621
  145. ^ a b c 井黒弥太郎 1968, p. 395.
  146. ^ 『官報』第2373号、「叙任及辞令」 1891年5月30日。NDLJP:2945634
  147. ^ 林董 『後は昔の記 他』 平凡社〈東洋文庫 173〉、1970年、66頁。
  148. ^ 伊藤之雄 『伊藤博文』 講談社〈講談社学術文庫 2286〉、2015年、335頁。ISBN 978-4-06-292286-9
  149. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 576.
  150. ^ 林董 1970, p. 67.
  151. ^ 『官報』第2735号、「叙任及辞令」 1892年8月9日。NDLJP:2946000
  152. ^ 『官報』第3168号、「叙任及辞令」 1894年1月23日。NDLJP:2946432
  153. ^ 日本の百年3, p. 390
  154. ^ a b 井黒弥太郎 1968, p. 398.
  155. ^ 浦賀ドック”. 横須賀市. 2015年8月15日閲覧。
  156. ^ 東海林吉郎・菅井益郎 『通史・足尾鉱毒事件』 新曜社1984年
  157. ^ 東海林吉郎・菅井益郎 1984, p. 59.
  158. ^ a b 東海林吉郎・菅井益郎 1984, p. 64.
  159. ^ a b 東海林吉郎・菅井益郎 1984, p. 65.
  160. ^ 東海林吉郎・菅井益郎 1984, p. 68.
  161. ^ 『官報』第4119号、「叙任及辞令」 1897年3月30日。NDLJP:2947406
  162. ^ 依願免本官 農商務大臣 子爵榎本武揚』 アジア歴史資料センター Ref.A03023352000 
  163. ^ 加茂儀一 1988, pp. 493-494.
  164. ^ 秋岡信彦 2003, p. 24.
  165. ^ 近代日本の万能人・榎本武揚, p. 149
  166. ^ 『強国をめざして』 松本三之助・編著、筑摩書房〈ちくま学芸文庫 日本の百年3〉、2007年(原著1978年)、174頁。ISBN 978-4-480-09073-7
  167. ^ 秋岡信彦 2003, p. 72.
  168. ^ 榎本武揚の殖民論”. 国立国会図書館. 2015年6月6日閲覧。
  169. ^ 上野久 1994, pp. 24-25.
  170. ^ 上野久 1994, p. 25.
  171. ^ 上野久 1994, p. 28.
  172. ^ 上野久 1994, p. 30.
  173. ^ 上野久 1994, p. 32.
  174. ^ a b 上野久 1994, p. 38.
  175. ^ 上野久 1994, pp. 48-50.
  176. ^ 上野久 1994, p. 55.
  177. ^ 上野久 1994, pp. 56-64.
  178. ^ 上野久 1994, p. 108.
  179. ^ 榎本武揚「流星刀記事」 (pdf) 、『地学雑誌』第14巻、東京地学協会、1902年2015年5月30日閲覧。
  180. ^ 工業化学会の設立”. 日本化学会. 2015年6月13日閲覧。
  181. ^ 合田一道 2014, p. 296.
  182. ^ 『官報』第6694号、「彙報」 1905年10月20日。NDLJP:2950027
  183. ^ 『官報』第7603号、「彙報」 1908年10月28日。NDLJP:2950950
  184. ^ 明治ニュース事典 8, p. 53
  185. ^ 合田一道 2014, pp. 307-309.
  186. ^ 『官報』第805号、「叙任」 1886年3月12日。NDLJP:2944018
  187. ^ 『官報』第6466号、「宮廷録事 - 恩賜」 1905年01月21日。NDLJP:2949795
  188. ^ 『官報』第7602号、「叙任及辞令」 1908年10月27日。NDLJP:2950949
  189. ^ 『官報』第1283号、「叙任及辞令」1887年10月06日。NDLJP:2944517
  190. ^ 『官報』第1373号、「辞令」 1888年1月31日。NDLJP:2944609
  191. ^ 『官報』第2705号、「叙任及辞令」 1892年7月5日。NDLJP:2945970
  192. ^ 『官報』第2995号、「叙任及辞令」1893年06月24日。NDLJP:2946259
  193. ^ a b 井黒弥太郎 1968, p. 411.
  194. ^ 加茂儀一 1988, p. 609-610.
  195. ^ 林董 1970, pp. 66-67.
  196. ^ 加茂儀一 1988, p. 324.
  197. ^ 明治ニュース事典 8, p. 54
  198. ^ 一戸隆次郎 1909, p. 78.
  199. ^ 榎本武揚 ないない節”. 霊山歴史館. 2015年5月31日閲覧。
  200. ^ a b 一戸隆次郎 1909, pp. 127-131.
  201. ^ 濱本高明『東京風俗三十帖』p74演劇出版社出版事業部
  202. ^ 一戸隆次郎 1909, pp. 81-82.
  203. ^ 加茂儀一 1988, p. 566.
  204. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 384.
  205. ^ 近代日本の万能人・榎本武揚, pp. 78-81
  206. ^ ディニエ印字電信機と榎本武揚”. 郵政博物館. 2015年8月14日閲覧。
  207. ^ 『官報』第1080号、「告示」 1887年2月8日。NDLJP:2944314
  208. ^ 『官報』第1089号、「正誤」 1887年2月19日。NDLJP:2944323
  209. ^ 望月武司 2013, p. 303.
  210. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 412.
  211. ^ a b c d e f g h i 近代日本の万能人・榎本武揚, p. 331
  212. ^ a b c 加茂儀一 1988, p. 30.
  213. ^ 加茂儀一 1988, p. 23.
  214. ^ 渡辺一郎・編著 『伊能忠敬測量隊』 小学館、2003年、241頁。ISBN 4-09-626205-6 
  215. ^ a b 加茂儀一 1988, p. 28.
  216. ^ 加茂儀一 1988, pp. 28-29.
  217. ^ 加茂儀一 1988, pp. 31-32.
  218. ^ a b 加茂儀一 1988, p. 31.
  219. ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』 霞会館華族家系大成編輯委員会編、吉川弘文館、1996年、263頁。ISBN 978-4642036702
  220. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会編 1996, p. 263.
  221. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会編 1996, p. 570.
  222. ^ 加茂儀一 1988, p. 32.
  223. ^ 榎本武揚シベリア日記(講談社), p.228
  224. ^ 加茂儀一 1988, pp. 334-335.
  225. ^ 榎本武揚シベリア日記(講談社), p.330
  226. ^ 榎本武揚 『シベリヤ日記』 南満洲鉄道総裁室弘報課、1934年NDLJP:1874789
  227. ^ 加茂儀一 1988, pp. 491-492.
  228. ^ 井黒弥太郎 1968, pp. 322-324.
  229. ^ 加茂儀一 1988, pp. 305-306.
  230. ^ 加茂儀一 1988, pp. 305-307.
  231. ^ 俄爾社蘭 (ヲルトラン) 『海上国際条規』 海軍参謀本部、1899年NDLJP:798115
  232. ^ 加茂儀一 1988, p. 309.
  233. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 84-85,87.
  234. ^ 加茂儀一 1988, p. 311.
  235. ^ 井黒弥太郎 1968, p. 83.
  236. ^ 情報図書館だより255号 (PDF)”. 江別市情報図書館 (2011年6月). 2015年5月18日閲覧。


「榎本武揚」の続きの解説一覧




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

カテゴリ一覧

全て

ビジネス

業界用語

コンピュータ

電車

自動車・バイク

工学

建築・不動産

学問

文化

生活

ヘルスケア

趣味

スポーツ

生物

食品

人名

方言

辞書・百科事典

すべての辞書の索引

Enomoto Takeakiのお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング

画像から探す

尖晶石

ラコダールツヤクワガタ

ストレートライン

ダイダイガサ

V-107A

フルサスバイク

スーパーハイデッカー

F4-1000S





Enomoto Takeakiのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの榎本武揚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2015 Weblio RSS