コンスタンティン・ガルカとは? わかりやすく解説

コンスタンティン・ガルカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 03:51 UTC 版)

コンスタンティン・ガルカ
名前
ラテン文字 Constantin Gâlcă
基本情報
国籍  ルーマニア
生年月日 (1972-03-08) 1972年3月8日(52歳)
出身地 ブカレスト
身長 175cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1989 FC Progresul Bucureşti
1989–1991 FCアルジェシュ・ピテシュティ 35 (2)
1991–1996 FCステアウア・ブカレスト 148 (24)
1996–1997 RCDマジョルカ 34 (13)
1997–2001 RCDエスパニョール 123 (16)
2001-2003 ビジャレアルCF 38 (1)
2003 レアル・サラゴサ (loan) 24 (0)
2003-2006 UDアルメリア 98 (4)
通算 500 (60)
代表歴
1993-2005 ルーマニア [1] 68 (4)
監督歴
2009-2010 UDアルメリア B
2013-2014 ルーマニア U-17
2014-2015 FCステアウア・ブカレスト
2015-2016 RCDエスパニョール
2016-2017 アル・タアーウンFC
2017 アル・フェイハ
2019- ヴェイレBK
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

コンスタンティン・ガルカConstantin Gâlcă1972年3月8日 - )は、ルーマニアブカレスト出身の元ルーマニア代表サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはDFMF。守備的MFが本職だが、中盤ならどこでもこなす。高精度のミドルシュートで知られる。

経歴

クラブ

FCアルジェシュ・ピテシュティでプロ生活をスタートさせた彼は18歳でU-21ルーマニア代表に選ばれ、1991年にはルーマニアのステアウア・ブカレストに移籍した。ステアウアでは148試合24得点の成績を残し、1996年にはスペインへと飛び立った。RCDマジョルカでは13得点を挙げ、1997年にはRCDエスパニョールに移籍した。ビジャレアルCFレアル・サラゴサを渡り歩いた後、2007年に引退した。

代表

1993年、W杯アメリカ大会予選でルーマニア代表に初選出され、イスラエル戦でデビューした。W杯本大会では3試合に出場し、彼の評判を高めた。1998年W杯フランス大会ではイングランドと同居したグループを首位通過したが、決勝トーナメント1回戦で、3位に入ったクロアチアに敗れた。2000年の欧州選手権ではドイツポルトガル・イングランドなど強豪が揃うグループを抜ける快挙を果たすが、準々決勝でイタリアに敗れた。

指導者

2009年よりUDアルメリアBの監督を務めた。

2013年、ルーマニアのU-17監督に就任。

2014年、FCステアウア・ブカレストの監督に就任。

2015年12月14日、RCDエスパニョールの監督に就任。

2016年10月19日、サウジアラビアのアル・タアーウンFCの監督に就任。翌シーズンはアル・フェイハの監督を務めた。

2019年3月6日、デンマークのヴェイレBKの監督に就任。

エピソード

タイトル

選手時代

FCステアウア・ブカレスト
RCDエスパニョール

監督時代

FCステアウア・ブカレスト
ヴェイレBK

出典





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