宮城長順とは? わかりやすく解説

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宮城長順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 08:58 UTC 版)

宮城 長順(みやぎ ちょうじゅん、1888年4月25日 - 1953年10月7日)は、沖縄県出身の空手家空手の四大流派のひとつである剛柔流の開祖[1]


注釈

  1. ^ 東京の宮城家のホームページでは長男になっているが、次男という説もある。
  2. ^ 第一回の訪中は従来2ヶ年とされていたが、子孫の記憶および外務省の渡航記録により2ヶ月と判明した。この福建訪問には沖縄に定住していた白鶴拳の名人・呉賢貴が同行した。『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  3. ^ 長順の二女湖城慰子によると、長順と嘉納はことに気が合い、その後も手紙による交流が長く続いた、同年三男惇(のち沖縄戦で戦死)が生まれた際には嘉納がその名付け親になったという。『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  4. ^ 従来年月について諸説あったが、京都帝国大学新聞記事の発見により確定された。『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  5. ^ 「宮城長順25周年祭顕彰大会記念誌」山口剛玄,剛柔会,1978年によると、後年長順が入洛する度に付き従って、武徳会幹部、軍人宅などを回り、満州国建国に連なる人脈(石原莞爾将軍閥)に顔つなぎをされたという。
  6. ^ 昭和7年の自筆および著書では「剛柔流拳法」と記している。
  7. ^ 範士・教士・錬士の順。三人のうち、上島、小西は基本的に柔術家であって、それに唐手を追加習得した人である。だから今日ではほとんど聞かない流派名である。長順への授与は昭和9-12年頃と思われるが、通常は新規登録者は錬士となるところ、彼のみはなぜか異例の教士スタートであった。のちには和道流の大塚博紀、糸東流の摩文仁賢和、松濤館の船越義珍、立命の山口剛玄などにも錬士が贈られたが、教士を期待していた船越はこれを不服として二度と京都を訪れることはなかったという。『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  8. ^ 後述の宮城長順の空手観参照

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 宮城長順 Miyagi Chojyun – 剛柔流”. 武道・武術の総合情報サイト WEB秘伝 (2022年2月5日). 2022年8月20日閲覧。
  2. ^ 「空手道剛柔流の歴史について」小山正辰, 月刊空手道1981年度連載
  3. ^ a b c 「沖縄空手道大家の座談会」琉球新報社主催, 昭和11年(『空手道奥技秘術』遠山寛賢, 1956年, 所収)
  4. ^ 「宮城長順の遺言」宮城敬
  5. ^ 『剛柔の息吹』山口剛玄, 昭和41年、令和元年新版)
  6. ^ 『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  7. ^ a b さまよえる「手」Tiy, 野村耕栄, 月刊空手道2011年連載 okinawabbtv.com
  8. ^ 琉球拳法唐手道沿革概要
  9. ^ 「沖縄空手の創造と展開」嘉手苅徹, 2017年, 早大スポーツ科学


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