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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/01/16 10:47 UTC 版)
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- バッカス・ナウア記法
- B・N・F - 日本の投資家。ジェイコム男とも。
- Big Name Fan - 名の通った有名なファン。主にSFファンダムで使用される。
- Bibliotèque National de France-BnF
B・N・F
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/23 15:34 UTC 版)
B・N・F(ビー・エヌ・エフ、1978年3月5日[1] - )は、東京都港区在住の資産家・投資家。千葉県市川市出身。
2ちゃんねるでのハンドルネームは「B・N・F」、マスコミなどでの通称は「ジェイコム男」であるが、ネット上ではほとんど使われていない。B・N・Fという名前の由来は米国の投資家、ヴィクター・ニーダーホッファー(Victor Niederhoffer)をもじったもの。
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来歴
ネットトレードを始めた時は大学に在学していたが、卒業までの単位を2科目残したまま中退している。
千葉県市川市内に2億円の中古の二世帯住宅の豪邸を購入し、親には高級自家用車(クラウンマジェスタ)を贈り、港区の4億円高層マンションを購入したこと以外には、特別に贅沢をしておらず、普段は専用のトレードルームに引きこもって1人で取引している。
2008年の番組出演に際して対談をした久米宏によると、日本の食糧自給率の低さに関心を持ち、将来農業の立て直しに役立ちたいとの思いがあるとのこと[2]。
2008年9月リーマン・ブラザーズ株を取得したが、2日後に倒産。この取引で7億円の損失を出した。
日経平均株価がバブル後最安値を更新した2008年10月でも資産を210億に増やした。
2008年10月には、東京・秋葉原駅前の地上10階・地下1階の商業ビル「チョムチョム秋葉原」の所有権を90億円程度で取得した[3]。転売や賃料収入に期待しているわけではなく、資産分散が目的としている。
2009年6月1日、オリックスの「第46回定時株主総会招集通知」に、第9位の大株主(2009年3月末時点)として記載された。持株数は107万株、議決権比率で1.19%を保有する個人筆頭株主にあたる [4]。
ジェイコム株大量誤発注事件
B・N・Fがマスメディアに初めて登場したのは2005年12月8日、新規上場したジェイコム(人材派遣業。ケーブルテレビのJ:COMとは関連なし)の株式においてみずほ証券の男性担当者が「61万円1株売り」とすべき注文を「1円61万株売り」と誤注文し株式市場を混乱させたジェイコム株大量誤発注事件である。
この事件において7,100株を取得、同日中に市場で1,100株を売り抜け、残る6,000株(発行済み株式の41.38%)を現金決済(20億3,500万円)していたことが大量保有報告書で分かった。
わずか10分程度の間に自己資金40億円以上を投入し、当日の売買益は不明ながらも強制決済による清算益だけでも約20億円超を稼いだ計算になる。これは個人が相場で稼いだ利益としては最高額であるとされる。しかし当人は「いつもと変わらず冷静だった」と語っていた。
この事件以降、しばしば雑誌やテレビの取材に顔を伏せて答えていたが、2006年2月28日、テレビ東京の『ガイアの夜明け』で素顔を明らかにする。2008年5月17日には日本経済新聞の1面に顔写真入りで紹介される[5]。 尚、TV出演の初期の頃は本名を名乗っていた。
2009年12月4日、みずほ証券が東京証券取引所(東証)に対して損害賠償を求めていた裁判で、東京地方裁判所が東証に107億円1212万8058円の支払いを命じた。この件について、B・N・Fは「とくに感想はありません。私には関係のないことですが、個人が誤発注をしても誰も助けてくれないことに変わりはないので、私自身、これからも誤発注をしないよう気をつけるだけです」と語った [6]。
エピソード
満腹感による眠気や「集中力の欠如」を避けるため、朝食はとらず、昼食はカップラーメンを食べる[7]。買い物は「100円ショップ」も利用する。2006年の『ガイアの夜明け』出演時には「趣味も特にない」と言っていたが、2007年の東京スポーツのインタビューでは趣味に競馬を挙げ、馬主になる可能性を示唆した。ただし馬券は買わないとのこと。ジェイコム事件当時はPHSを連絡先として使用している。
株式トレードに強い意欲があるわけでもないが、目の前に儲けられる機会があるのに無視するのは損するのと同じと考えており、やめることができないと語っている。
株価が気になって海外旅行にも行くことができない。
他人の金の運用はしたくないと言っており、証券会社の雇われトレーダーなどになる予定はなく、ソフトバンクの孫正義社長と会談した際に資産を運用するよう頼まれたが断っている。
北畑隆生経済産業事務次官(当時)が2008年1月同省の関連団体の講演会でデイトレーダーに批判的な内容の話をした件について、「講演で話したことなので、正確な意図は分からない」と前置きした上で、「批判には慣れているので『またか』という印象です。」とコメントをした[8]。
トレード手法
- 個人資産
- 2000年、都内の私立大学法学部3年生の時、いままでの貯金やアルバイトで稼いだ160万円を元手に株式投資をスタート[9]。2008年5月中旬時点の個人資産は約210億円[2]。2005年の年間所得は109億3208万7288円。2006年はライブドアショック前に約20億、その後で約30億円を稼いだ。
- 2006年3月の収益は11億9956万7503円であった[10]。
- トレード手法
- スイングトレードでの資産運用が得意だがPERなどの指標は全く見ない[11]。運用資産が増大してからはTOPIX Core30構成銘柄などの大型株を重点売買する。
- 判断基準は「感覚というより慣れ。トータルの値動きへの洞察力が、最も大事。日経平均や先物市場の動きを見ている」とのこと。
- 25日移動平均線からの乖離率を基にした逆張りがネットでは有名。
- また、「上がりそうもなければさっさと損切ればいいわけです」と素早い損切りが大事であるとも語っている。
- 先物取引
- 2007年は商品先物も手がけようと先物口座を開設した。
- 外国株・長期投資
- 2006年6月時点で140億の運用資産を80億程度に減らす必要を感じているが、残り60億円の運用プランは見あたらない[12]。2007年11月時点で183億の資産を短期売買で運用する事に限界を感じており、今後は80億を外国株への長期投資で運用する予定である[13]。
- 不動産投資
- 資金が大きくなり運用が難しくなったため、2008年10月に90億で商業ビル「チョムチョム秋葉原」を資産分散を目的に購入した[14]。
2ちゃんねるへの投稿
- 投稿時代
- 2ちゃんねるには、主に「B・N・F ◆mKx8G6UMYQ」として『今日の勝ち負けを報告するスレッド』で投稿していた。初投稿は2004年2月5日である。その資金力(当初3億円前後)と50銘柄同時売買をする視野の広さ・値動きへの深い洞察は多くの2ちゃんねる投資一般板住人に衝撃を与える。
- 記載内容はいたって謙虚で自慢の内容などはあまりなく、教えを請う人には丁寧に指導していた。初めは小さい金額の勝ち負けを記載していたので皆から賞賛を浴びていたが、稼ぎのあまりの大きさ、サラリーマンの年収を一日で稼ぐこと、ある日売買した銘柄全てが値上がりしていたことなどからバーチャル(虚偽/架空の記載のこと)だとして一部の人間から次第に叩かれるようになる。
- その影響からか固定ハンドルネーム(コテハン)での投稿は2005年4月1日を最後に途絶えているが、情報収集に「市況実況板」「ニュース速報板」を使用したり[15]、「投資一般板」の【株板相場師列伝】スレッドにたまに「名無し」での書き込みをしているとのこと[16]。
- ジェイコム事件以降
- ジェイコム事件で20億円を稼いだ20代男性のことが報道されはじめた時『あれはB・N・Fではないか?』と指摘する声が同板住人の一部から聞かれたが「2ちゃんねらーなんかにそんなすごい人がいるわけがない」などの批判も見られ、真相は明らかではなかった。
- しかし『ガイアの夜明け』にB・N・Fと名乗って本人が出演したことでジェイコム男=B・N・Fであることが確認された。
資産の動向
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関連メディア
- ワイルドライフ
- 漫画『ワイルドライフ』第19巻では株取引のプロとしてB・N・Fという名前で登場している。『ワイルドライフ』自体は獣医を描いた漫画であるが作者の興味から取材を行い作中にて登場させている。
- 星ひとつの夜
- 2007年5月25日に放送されたフジテレビの渡辺謙主演のスペシャルドラマ『星ひとつの夜』に26歳のデイトレーダー(玉木宏)がメインキャストとして登場しているが、B・N・Fがジェイコム騒動で有名になった年齢が27歳とほぼ同年代、都内の高級マンションに一人暮らし、「株を止めたくても止められない」との発言、あまり社交的に振舞わないスタンス、大学在学中にアルバイト資金で株を始めたこと等など、人物設定にB・N・Fとの共通点が多い。
- 脚本の山田太一は近年注目されるようになったデイトレーダーを題材にしたドラマを作りたいと思っていたと番宣番組で述べた。そのため、そのメインキャストのモデルはB・N・Fだったという説がある。なお、同番組の視聴率は18.4%という高視聴率を記録した。
脚注
- ^ 「ぴいぷる B・N・F 190億円の男(2/7)」『zakzak』2008年2月7日
- ^ a b 「久米宏経済スペシャル “新ニッポン人”現わる!」 テレビ東京 2008年6月1日放送
- ^ 『日刊スポーツ』2008年10月28日
- ^ 「あの「ジェイコム男」がオリックス株主9位に」『zakzak』2009年6月3日
- ^ 日本経済新聞 2008年5月17日1面
- ^ 「10分間で20億円を荒稼ぎ!“ジェイコム男”に直撃」『zakzak』2009年12月04日
- ^ 『ワールド・ルール・ブック~世界中に存在する驚きのルールの数々~』2008年5月18日放送 テレビ朝日
- ^ 「ジェイコム男「またか」と冷ややか…経産省次官が失言で」『zakzak』2008年2月8日
- ^ 「株安なんの! ジェイコム男“190億円”儲けの極意」『zakzak』2008年1月24日
- ^ 「B・N・Fくん28才。16分で20億円稼ぐ男」『給与明細』2006年5月7日放送、テレビ東京。
- ^ ただし機械受注・雇用統計等の重要な指標・各国中央銀行の動向・為替市場・商品先物市場・アメリカを始めとする海外株式市場の動きを見ていると言われている。
- ^ 「ジェイコム男の運用術 下げ相場でのネットトレード」『asahi.com』2006年7月11日
- ^ 『ダイヤモンドZAi』2008年2月号、ダイヤモンド社。
- ^ 「あのジェイコム男、現金でポン!90億ビルオーナーに」『zakzak』2008年10月29日
- ^ 『ダイヤモンドZAi』2006年12月号、ダイヤモンド社。
- ^ 『ダイヤモンドZAi』2007年10月号、ダイヤモンド社。
- ^ 「ジェイコム男、世界同時株安でも「無傷」」日刊スポーツ 2008年1月23日
- ^ 「久米宏 経済スペシャル 『新ニッポン人現わる2』予告」」テレビ東京 2008年12月27日放送
関連項目
外部リンク
ビブリオテーク・ナショナル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/06/04 01:47 UTC 版)
(B・N・F から転送)
ビブリオテーク・ナショナル(Bibliothèque Nationale de France、フランス国立図書館)は、フランスのパリにある国立図書館。1367年にシャルル5世によって創立されたビブリオテーク・ド・ロワ(王立図書館)を起源とする。2区のリシュリュー通りにある旧館と、13区のベルシー地区(トルビアック地区)にある本館(フランソワ・ミッテラン図書館)からなっている。このほか、世界中から閲覧できる電子図書館『ガリカ』も運営している。
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概要
1926年までは、18世紀にド・ポルミー侯爵がアンリ4世の重臣で兵器宜(アルスナル)を任されていたシュリーの屋敷跡に造った文学を中心としたアルスナル図書館や、オペラ座図書館、国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)図書館と並ぶ国立図書館であったが、同年これらをまとめ「国立図書館連合」として文部省の管轄下に置かれた。
1981年にこの4図書館はビブリオテーク・ナショナルに統一され、文化省に属することになったが、それぞれ「デパルトマン」と呼ばれる12のセクションに分けられる。そのうち印刷物のデパルトマンは収書部 Entrées、印刷本部 Imprimés(1741年)、政府刊行物部(1950年)、定期刊行物部(1945年)、アルスナル図書館部の五つで、ほかに地図部(1828年)、版画・写真部(1667年)、写本部、古銭部(1741年)、楽譜部(1935年)、録音・視聴覚部(1963年)、演劇部(1976年)の7種類の特殊デパルトマンがある(括弧内は開設年)。写本部は西欧セクションと東洋セクションに分かれ、古写本から現代作家や学者の原稿や手紙もここに受け入れられる。1994年にビブリオテーク・ド・フランスと合併、ビブリオテーク・ナショナル・ド・フランスが正式名称となった。
1537年の法令で(現在も有効)、フランス国内で出版される全ての印刷物は、必ず1部この図書館に保存されることになっている。図書館には1000万を超える書籍と35万束の原稿・写本に加え、地図、コイン、文書、版画、レコードなどが所蔵されている。
歴史
フランス王室の図書室はルイ9世(聖王)まで遡ることができ、それ以前のカール大帝の息子、ルイ敬虔王所蔵の写本もビブリオテーク・ナショナルに現存するが、一般にはシャルル5世の収書が起源とされる。
国の内外から善本を集め、ブルボン家が2世紀間に集めた蔵書を1523年に没収し、祖父ジャン・ル・ボンと父シャルル・ダングーレームの蔵書に加え、フォンテンブロー宮殿に特にギリシア語写本を集めさせたフランソワ1世は、さらに1544年ブロワ城から1890冊の図書をフォンテンブローに運ばせて、ヨーロッパ随一の図書館を造った。ギリシア学者ギヨーム・ビュデを司書長にE.ロッフェを製本師長に任命したフランソワ1世は、1537年モンペリエの勅令で印刷本の納本制度を作って領土内で印刷された本を集め、ビブリオテーク・ナショナルの基礎を確立した。
フランソワ1世の嗣子アンリ2世も立派な装幀を愛する集書家であった。続くシャルル9世、アンリ3世は集書に関心を示さなかったが、シャルル9世はフォンテンブロー宮殿の図書をパリに移した。アンリ4世はカトリーヌ・ド・メディシスの古写本の収集を王室図書館に加え、サン・ドニ修道院からカール禿頭王所蔵であった聖書を買っている。
ルイ14世とジャン=バティスト・コルベールも集書に努力し東洋の写本、文献も集まるようになった。J.deテブノ、リュカ、『千夜一夜物語』の翻訳で知られる アントワーヌ・ガランらの蔵書も王室図書館に入った。1684年から1718年に死ぬまで図書館を管理したルーボア神父は写本300冊を遺贈し、1719年にはC.ソーメーズのノートと写本630、B.バリューズの集めた写本957、古文書700、原稿7笥が購入された。1721年には現在の場所に写本部印刷本部、証書部、版画部が置かれた。コルベールの造った東インド会社は1723年中国から漢籍1800部を7箱に詰めて贈ったという。
フランス革命で修道院や亡命貴族の蔵書が没収され、パリで9か所ほど設けられた場所に集められ、その膨大な写本、図書が王立から国立となったビブリオテーク・ナショナルに入ったが、1792年家系図を含む文書はヴァンドーム広場で焼かれ、3500箱のうち残ったのは1500箱であったといわれる。東洋学者シルベストル・ド・サシはポアリエ師と協力しサン・ジェルマン・デ・プレ教会の蔵書から東洋語写本880、ギリシア語写本400、ラテン語写本1800を含む9000点とベネディクト会修道士の原稿や使った文献をビブリオテーク・ナショナルに入れた。
革命後、学士院はベネディクト会のサン・モール会の学僧の仕事を継続しようとして専門家の不足に気づき、集まった膨大な古文書の整理をするためもあり、専門家の養成のため古文書学校を開くことをナポレオンに願い出た。1807年の勅令がモスクワ遠征途上から出されたが、政治の混乱で実現は1821年の王令を待たねばならなかった。設立された古文書学校からは多くの書誌学者、歴史家、文献学者が育ち、ビブリオテーク・ナショナルの整備も進んだ。
印刷本と写本のカタログはニコラ・リゴー、ソーメーズ、ユタンが1622年に作ったが、写本カタログは1645年にデュピュイ兄弟が増補改定し、N.クレマンがその後の基礎となる分類を作った。クレマンの番号では1から1636が東洋語写本、1801~3538がギリシア語写本、3561~6700がラテン語写本、6701~10542がフランス語および近代ヨーロッパ語写本で、P.パリスの著名な『王室図書館写本解題』をはじめ、多くの19世紀の研究書はクレマンの整理番号を使っている。これは19世紀末に新しい番号に再整理された。パリス、メオン、オモン、レオポルト・ドリールら、多くの学者はビブリオテーク・ナショナルの司書であった。
施設
リシュリュー通りの旧館は、アンリ・ラブルーストとジャン=ルイ・パスカルの設計で1854年に着工し1875年に完成した。
連続する丸天井で印象的な現在の印刷本閲覧室は、1868年に公開されたものである。印刷本カタログは1897年から刊行されている。毎年増える蔵書のためヴェルサイユに別館が置かれ、種々の改革が1930年代に J・カンが作った改革案を基礎に進められている。
現在、旧館にはビブリオテーク・ナショナルのうち版画・貨幣などのデパルトマンと、古文書学校附属図書館、国立美術史研究所の3館が入居している。
新図書館の建築
1980年代、フランソワ・ミッテラン大統領はルーブル美術館大改造、新オペラ座建設(オペラ・バスティーユ)、グランダルシュ建設など、巨大な文化施設を複数建設しパリの面目を一新するパリ改造計画、「グラン・プロジェ」を立ち上げた。1988年7月14日、フランス革命記念日の演説で、ミッテランはルーブルやオペラ座など先行する事業に続き、手狭になったフランス国立図書館を新築して世界最大の規模に拡大する計画を発表した。
新しいビブリオテーク建設にあたっては、複数の建築に分散していた部門をすべて入居させあらゆる分野の知識を集めること、あらゆる人々が立ち寄りやすいようにすること、当時の先端の通信技術を使用することで遠隔地からでもデータにアクセスできるようにすること、国内や欧州の他の図書館とも連携することが意図された。1989年7月、244チームが参加した建築設計競技(コンペ)の結果、イギリスのフューチャー・システムズ、イギリスのジェームズ・スターリング、フランスのドミニク・ペロー、フランスのフィリップ・シェとジャン・ピエール・モレルの4案が優秀賞、ジャン・ヌーヴェル案とレム・コールハース案が特別賞となった。英仏対決の様相を呈したコンペは、ミッテラン大統領の採決によりドミニク・ペローの案が採用される結果となった。美術におけるミニマリズムの影響を強く受けたペローの設計案の勝利は、装飾の復活や過去の建築様式の引用などにぎやかな外観を呈したポストモダン建築の流行を終わらせるインパクトがあった。
ビブリオテーク・ナショナルの新館建物は1994年に完成したが、リシュリュー通りの旧館などからの1000万冊を超える書籍や資料の移転作業が続き、一般に公開されたのは1996年12月20日である。この図書館のセーヌ川に面したクールな姿は、さびれたベルシー地区の様相を一変させた。
新しい図書館は長方形の敷地の片側に「本を開いて立てたような」L字型の、高さ100mのガラス張り超高層ビルが4棟向かい合い、4棟の総延長は400mに達する。中央に長方形の中庭が掘り込まれ、周囲を地下閲覧室が囲んでいる。また敷地の残りの部分は大きなエスプラネードとなって来館者を迎え入れている。4棟の高層ビルの内部はほとんど書庫であり、一部は各部門の事務所に使用されている。書籍や資料を日光から守るため、各窓には木製の開閉式のボードが取り付けられている。
交通
- フランソワ・ミッテラン図書館 : メトロ14号線ビブリオテーク・フランソワ・ミッテラン駅下車
外部リンク
- BnF Web site (公式サイト)
- Gallica, BnF's digital library(ビブリオテーク・ナショナルの運営する電子図書館『ガリカ』のサイト)
- フランスの図書館訪問記(神戸大学附属図書館)
関連した本
- 市原隼人Personal Photo Book ぴーす【初回限定版】 (Angel Works) SDP
- フランス・名物食べ歩き図監 並木 麻輝子 ワイズ出版

