2等陸佐とは? わかりやすく解説

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中佐

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 01:31 UTC 版)

中佐(ちゅうさ)は、軍隊の階級の一。佐官に区分され、大佐の下、少佐の上に位置する。北大西洋条約機構の階級符号では、OF-4に相当する。


注釈

  1. ^ 次男・三男といった財産を相続できない貴族の子弟や下級貴族のように、貴族ではあるが資産のない者が士官候補生から少尉になり、経験を積んで中佐まで昇進していった。また、少数ではあるが、平民出身で下士官・兵から少尉になり、中佐まで昇進する者もいた。
  2. ^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている[2] [3]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号[4]
  3. ^ 兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている[5]
  4. ^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[6]
  5. ^ a b 1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス[注釈 4]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示されている[7]
  6. ^ 中佐は中国の古典語には存在せず清末以前の文献からも見つけられないため、日本語による造語である可能性が高いと推測される[8]。 荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから衛門府・兵衛府から佐官の官名を採用したのではないかと推測している[9]
  7. ^ a b c d 初めて任官するときにあってはすべて本官相当の2等下に叙位することになっていたため、従五位相当の中佐は2等下の従六位を叙位した[10]
  8. ^ 明治3年11月27日に中島四郎赤塚太郎を海軍中佐に任じており、そのときの沙汰では先ず海軍中佐に任じ、海軍中佐である者に従六位を叙位し[注釈 7]、中島海軍中佐に龍驤艦艦長を命ずる辞令を個別に出しており、海軍中佐の階級と従六位の位階[注釈 7]と艦長の職とをそれぞれ区別している。なお、同年12月14日に中牟田倉之助を海軍中佐に任じたときは、海軍中佐の任官と従六位の叙位[注釈 7]は同じ辞令で行われた[11]。ただし、同年12月14日に中牟田倉之助の海軍中佐への任官は差し戻しとなり[12]、明治4年2月に改めて海軍中佐中牟田武臣(倉之助)を兵学権頭に任じた[13]
  9. ^ 陸軍では服役年の始期は明治4年8月を以って始期とするため、その以前より勤仕の者であったとしても総て同月を始期とした[14]。 海軍では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前は服役年に算入しない[15]
  10. ^ 明治4年8月19日に赤塚真成を海軍中佐に任じた。このときの達では先ず赤塚真成を海軍中佐に任じ、海軍中佐赤塚真成に海兵を徴募するため東京丸へ乗組出張を命ずる辞令を個別に出しており、海軍中佐の階級と海兵徴募の職務を区別している[18]。 明治4年10月3日付で海軍少佐の近藤真琴を海軍中佐兼兵学中教授に任じた[19]。 明治4年11月20日に海軍少佐の柳楢悦を海軍中佐に任じ[20]、同じく海軍少佐の石井忠亮を海軍中佐に任じた[21]。 明治4年11月2日に従六位[注釈 7]林清康と田中春風を陸軍中佐に任じた[22]。 明治4年12月調べの職員録によれば海軍中佐として伊東祐麿真木長義、近藤真琴、柳楢悦、石井忠亮が掲載されており、陸軍中佐として林清康、田中春風が掲載されている[23]
  11. ^ これまでの順席では海軍を上、陸軍を下にしていたが、明治5年1月20日の官等表から陸軍を上、海軍を下に変更した[25]
  12. ^ a b 明治3年に練兵天覧のため諸藩の兵を合併して連隊を編制する事になり[32]、同年3月25日は高橋熊太郎、布施保に連隊司令を命じている[33]。また、明治3年10月には兵部省で歩兵連隊を編制している[34]
  13. ^ 中佐心得はその本官の職を取る。本官とは、大中佐は連隊長の職を取る[31] [注釈 12]
  14. ^ 前項の中佐心得に等しいもの[31]
  15. ^ 准席はすべてその官相当の職を取っていたもの。即ち中佐は連隊長[31] [注釈 12]
  16. ^ 1873年(明治6年)5月以前に用いられた各種名義の軍人について、当時の官制に於いて規定した明文がないものの、例えば心得、准官のような名義の者であっても当時は戦時に際して上司の命令を以て実際に軍隊・官衙等に奉職しその任務を奉じたことから、明治25年5月に陸軍大臣の請議による閣議に於いてこれらを軍人と認定しており[29] [30]、これらのうち中佐に相当するものには明治3・4・5年の頃の中佐心得[注釈 13]、明治2・3・4年の頃の准中佐並び職務[注釈 14]、明治2・3・4年の頃の中佐准席[注釈 15]などがある[35] [31] [30]
  17. ^ 明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとジューニヲル・ケプテインを中佐に対応させている[36]
  18. ^ a b c 直訳は「フリゲート艦の艦長」。

出典

  1. ^  太政官『海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク』。ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ 内閣官報局 編「第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)」『法令全書』 明治3年、内閣官報局、東京、1912年、357頁。NDLJP:787950/211 
  3. ^ 「御沙汰書 9月 官位相当表の件御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090037000、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
  4. ^ 国立国会図書館 (2019年). “7. 法令の種別、法令番号” (html). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヘルプ(使い方ガイド). 国立国会図書館. 2023年12月2日閲覧。
  5. ^ 「弁官往復閏 7月 官位相当表の義々付上申」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090036900、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
  6. ^ 「海軍ハ英式ニ依テ興スヘキヲ山尾民部権大丞ニ令ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
  7. ^ 「常備兵員海軍ハ英式陸軍ハ仏式ヲ斟酌シ之ヲ編制ス因テ各藩ノ兵モ陸軍ハ仏式ニ基キ漸次改正編制セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
  8. ^ 仇子揚 2019, pp. 84–85, 102, 107–108, 附録94.
  9. ^ 荒木肇陸軍史の窓から(第1回)「階級呼称のルーツ」」(pdf)『偕行』第853号、偕行社、東京、2022年5月、2023年11月12日閲覧 
  10. ^ 「官員ノ初任ニ在リテ位ニ叙スル総テ本官相当ニ二等ヲ下ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070027000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第五巻・制度・出版・爵位(国立公文書館)
  11. ^ 「御沙汰書 11月 中島四郎外3名任官等達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090043800、公文類纂 明治3年 巻3 本省公文 黜陟部(防衛省防衛研究所)
  12. ^ 「弁官往復12月 中牟田倉之助達書差戻の義弁官より達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090077000、公文類纂 明治3年 巻5 本省公文 黜陟部(防衛省防衛研究所)
  13. ^ 「海軍諸達 柳楢悦小佐任官外件に太政官御達他1件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090212100、公文類纂 明治4年 巻4 本省公文 黜陟部1(防衛省防衛研究所)(第2画像目、第5画像目)
  14. ^ JACAR:A15110505000(第9画像目から第10画像目まで)
  15. ^ JACAR:A15110505000(第25画像目から第26画像目まで)
  16. ^ 内閣官報局 編「太政官第400 官制等級ヲ改定ス(8月10日)」『法令全書』 明治4年、内閣官報局、東京、1912年、317−321頁。NDLJP:787951/195 
  17. ^ a b 「兵部省官等改定・二条」国立公文書館 、請求番号:太00424100、件名番号:001、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一
  18. ^ 「海軍諸達留 赤塚直成任中佐の件太政官御達他1件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090228800、公文類纂 明治4年 巻6 本省公文 黜陟部3(防衛省防衛研究所)
  19. ^ 「戊1号大日記 近藤真琴任中佐並兼官外数件御達省達他5件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090233700、公文類纂 明治4年 巻6 本省公文 黜陟部3(防衛省防衛研究所)(第1画像目、第13画像目から第17画像目まで)
  20. ^ 「戊1号大日記 柳少佐昇任宣下御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090247500、公文類纂 明治4年 巻7 本省公文 黜陟部4(防衛省防衛研究所)
  21. ^ 「戊1号大日記 石井忠亮外2名中少佐任官太政官御達他1件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090239400、公文類纂 明治4年 巻7 本省公文 黜陟部4(防衛省防衛研究所)(第1画像目、第3画像目)
  22. ^ 「11月2日 任陸軍大佐正6位曽我祐準外7名右2部差出」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070914900、明治4年従9月至11月 大阪出張所来翰(防衛省防衛研究所)
  23. ^ 「職員録・明治四年十二月・諸官省官員録(袖珍)改」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A09054276600、職員録・明治四年十二月・諸官省官員録(袖珍)改(国立公文書館)(第74画像目、第78画像目)
  24. ^ 内閣官報局 編「明治5年正月20日太政官第16号官等表」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、45−47頁。NDLJP:787952/78 
  25. ^ 「官等改正」国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十四巻・官制一・文官職制一(第2画像目)
  26. ^ 内閣官報局 編「太政官第62号 兵部省ヲ廃シ陸海軍両省ヲ置ク(2月28日)(布)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、71頁。NDLJP:787952/91 
  27. ^ 内閣官報局 編「第154号陸海軍武官官等表改定(5月8日)(布)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、200−201頁。NDLJP:787953/175 
  28. ^ 「陸海軍武官官等表改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一(第1画像目から第2画像目まで)
  29. ^ JACAR:A15112559500 (第1画像目から第2画像目まで)
  30. ^ a b JACAR:A15112559500 (第10画像目)
  31. ^ a b c d JACAR:A15112559500 (第7画像目から第10画像目まで)
  32. ^ 「諸兵合併連隊操練天覧可被為在に付隊員兵員取調可申出高松藩以下順達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070806800、明治3年 駒場野連隊大練記(防衛省防衛研究所)
  33. ^ 「高橋熊太郎、布施保練兵天覧に付連隊司令申付候事外」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070806900、明治3年 駒場野連隊大練記(防衛省防衛研究所)
  34. ^ 「大坂兵部省出張所ニテ歩兵第一聯隊第一大隊ヲ編制ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070860200、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百八巻・兵制・徴兵(国立公文書館)
  35. ^ JACAR:A15112559500 (第3画像目から第5画像目まで)
  36. ^ 「海軍武官彼我ノ称呼ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九
  37. ^ 岩倉規夫、藤樫準二 『日本の勲章-日本の表彰制度-』 第一法規出版、1965年1月。
  38. ^ 自衛隊広島地方協力本部「自衛隊しまなみ通信」
  39. ^ 中華民國國防部 (2019年12月4日). “陸海空軍軍官士官任官條例” (html) (中国語). 中華民國法務部. 全國法規資料庫. 中華民國政府. 2023−09-17閲覧。


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