1986年までの名古屋鉄道ダイヤ改正
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本項では1987年1月1日改正ダイヤより前の名古屋鉄道ダイヤ改正(なごやてつどうダイヤかいせい)について記述する。
注釈
- ^ 伊奈信号所(駅)の新設時期、また駅への昇格時期については諸説存在する。詳細は伊奈駅#歴史を参照
- ^ 戦争激化に伴い省線直通運転は中止されるが、正確な時期は不明[16]。
- ^ 『名古屋鉄道百年史』では6月21日改正とされている[15]
- ^ 三河鳥羽駅 - 東幡豆駅間の電化は1946年10月31日[26]。
- ^ 残る600V区間は岐阜軌道線と瀬戸線のみとなり、3600系電車の複電圧設備は撤去された[78]。
- ^ その後、西部区間や瀬戸線の貨物運用も次第に縮小されてゆき、1985年12月16日の東名古屋港駅貨物業務委託(日本通運・名古屋臨海鉄道)をもって名鉄の貨物営業は終了した[80]。
- ^ a b 通説では急行が全面的に復活したのは1974年9月改正とされている[106]が、1970年12月改正時点で一部路線の昼間ダイヤパターンに急行が設定されており、同改正策定に携わった清水武はこの時点で急行復活を企図していたと回顧している[107]。
- ^ a b c 知多新線、豊田新線、羽島新線の正式名称は開業時よりそれぞれ「知多新線」「豊田線」「羽島線」であり、豊田新線、羽島新線は通称であった[115]。
- ^ 停車本数は鳴海駅が276本→340本、新安城駅が152本→238本と、ともに大幅な増加となった[106]。
- ^ 朝ラッシュ時は新岐阜方面が約7 %、犬山方面が約7 %、津島方面が約33 %、太田川方面が約6 %増(豊橋方面は現状維持)。夕ラッシュ時は新岐阜方面が約7 %、犬山方面が約17 %、津島方面が約13 %、豊橋方面が約4 %、太田川方面が約5 %増[117]。
- ^ 蒲郡駅 - 新名古屋駅間は特急運転を継続[85]。
- ^ 各務原線・広見線に各1本直通していた高速が広見線方面の急行毎時2本に整理された形となる[143]。
- ^ 時刻表の停車案内に急行停車駅が掲載されている[156]ものの、ダイヤ上には急行が存在しない。
- ^ A料金設定に伴い、従来の料金(250円)をB料金とした。
- ^ 当時キハ80系が使用されていた国鉄の特急「ひだ」は飛騨古川駅までの運転となった
出典
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