1978年のテレビ (日本)
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1978年のテレビ(1978ねんのテレビ)では、1978年(昭和53年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
注釈
- ^ 例として、日本テレビ系の10月1日放送の音声多重放送開始記念特番『これが音声多重放送だ!』の大阪の読売テレビでの放送や、TBS系の毎日放送『もうひとつの旅』の東京TBSテレビでの放送(12月10日から)が、これに該当する。
出典
- ^ ただし21時枠は、通常のドラマ『さわやかな男』(関西テレビ制作)が編成されず、特別番組『アッ!はぷにんぐ・ニューイヤー』が編成された。
- ^ ミニアニメなら、1980年1月1日開始の5分アニメ『キリンあしたのカレンダー』(毎日放送)がある。
- ^ ちなみに記念すべき最初1曲目となったこの週の第10位は野口五郎の「風の駅」。また、この年の年間第1位獲得曲はツイストの「銃爪」であった。
- ^ 橋田壽賀子脚本によるテレビドラマ。宇津井健の代表作品。
- ^ 曲名は不明。後期はニューヤンキースから選ばれた3人で結成されたグループ「スリーヤンキース」が歌う「ザ・ベースボール」に変更された。なおいずれも、同枠で『欽ドン!』SPやプロ野球中継が放送された時は歌は無し。
- ^ 翌1979年まで務め、1980年からは『紅白水泳』のおりも政夫に交代した。
- ^ 『読売新聞』読売新聞社、1978年9月23日付朝刊・1978年9月28日付夕刊。
- ^ 『毎日新聞』毎日新聞社、1978年9月28日付朝刊・夕刊。
- ^ 『中日新聞』中日新聞社、1978年9月28日付夕刊。
- ^ 田宮司会の最終日となった第504回の映像は1986年3月27日の最終回や、2009年2月8日放送の特番『50時間テレビ・超大ヒット人気番組ぜ〜んぶ見せます!スペシャル』等でも放送された。
- ^ 『読売新聞 縮刷版』1978年10月1日付ラジオ・テレビ欄、読売新聞社頁。
- ^ 2022年現在はBSテレ東で復活版『BS演歌の花道』として放送中。
- ^ 初出演は1977年8月11日で、この時は2回目の出演だった。
- ^ それ以降は出演がなかったが、2021年12月28日の放送で約8年ぶりに年末出演した。
- ^ a b NHKクロニクル「第29回NHK紅白歌合戦」(1978年12月31日)
- ^ “松岡修造 No.1くいしん坊に!歴代トップの出演回数達成!『くいしん坊!万才』”. とれたてフジテレビ (フジテレビ). (2016年2月8日)
- ^ 竜崎は6年後の1984年12月18日に逝去。
- ^ 翌1979年春の調査で、1978年の年度視聴率においても、TBSは3冠王を達成したが、あくまでも在京民放局の中での首位であった(全日首位はNHKで、TBSはゴールデンタイムとプライムタイムの2冠であった)。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年7月)」『月刊民放』第8巻第10号、日本民間放送連盟、1978年10月1日、50頁、NDLJP:3470914/26。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年9月)」『月刊民放』第8巻第12号、日本民間放送連盟、1978年12月1日、50頁、NDLJP:3470916/26。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「ズーム・アップ テレビ音声多重中継回線開通へ / K」『月刊民放』第9巻第8号、日本民間放送連盟、1979年8月1日、7頁、NDLJP:3470924/4。
- ^ “日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2023年12月17日閲覧。
- ^ a b よみうりテレビ開局20周年記念事業企画委員会 編『よみうりテレビの20年 : 写真と証言』讀賣テレビ放送株式会社、1979年7月、82頁。NDLJP:12276016/86。
- ^ 朝日新聞東京版1978年12月10日 朝刊P.13 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 自殺3日前の12月25日に田宮は妻の藤由紀子と共にFNSチャリティー募金に寄付するためフジテレビ本社を訪問しており、その際にフジテレビ幹部らの勧めで放送前だった『白い巨塔』第30回と最終回を夫婦で鑑賞している。
- ^ 朝日新聞大阪版 1978年12月31日 朝刊P.16 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 日本テレビ 会社概要 日本テレビ略史(日本テレビ公式ページ)(2023年12月17日閲覧)
- ^ 株式会社毎日放送 会社紹介 沿革(毎日放送公式ページ)(2023年12月17日閲覧)
- ^ 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、418頁。NDLJP:12276014/500。
- ^ テレビ朝日 会社情報 社史(テレビ朝日公式ページ)(2023年12月17日閲覧)
- ^ 北日本放送 沿革(北日本放送公式ページ)(2023年12月17日閲覧)
- ^ 『北日本新聞』1978年12月23日付朝刊11面『テレビに"多重放送時代" 多重放送 週に17時間放送「チャンネル1」など』より。
- ^ 『テレビ東京20年史』テレビ東京、1984年4月12日、100頁。NDLJP:12275747/55。
- ^ テレビ東京 会社案内 沿革(テレビ東京公式ページ)(2023年12月17日閲覧)
- ^ CBCテレビ版はこれよりも早く1962年12月3日に開始したため、1977年で15周年となった。
- ^ この年の8月20日 - 10月1日放送分では「15周年記念全国大会」と題した特別大会が行われた。なお、2012年4月28日に司会の小池清が80歳で逝去、翌日の「毎日新聞テレビ夕刊」(関西ローカルニュース)にて小池の訃報を伝える際、決勝大会(10月1日放送)の映像が流れた。
- ^ 関西ローカル時代から換算して5周年。
- ^ 第1作『必殺仕掛人』から換算。
- ^ 当時の『ゴールデン洋画劇場』は金曜日に放送しており(1981年に土曜日へ移行)、また邦画を放送する際は特別企画としていた(2011年現在は土曜日に『土曜プレミアム』として放送)。
- ^ 『50周年記念「タツノコプロテン」』2012年
- ^ 日本テレビ最後の昼ドラ。
- ^ a b c 1978年6月23日(金) - プレイバック!TVガイド ~あのころのテレビはこうだった!~ - テレコ!
- ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年10月)」『月刊民放』第9巻第1号、日本民間放送連盟、1979年2月1日、54頁、NDLJP:3470917/28。
- ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 1978年(昭和53年)4月2日付朝刊、テレビ欄。
- 1 1978年のテレビ (日本)とは
- 2 1978年のテレビ (日本)の概要
- 3 番組関係のできごと
- 4 その他テレビに関する話題
- 5 開局
- 6 視聴率
- 7 テレビ番組
- 8 脚注
「1978年のテレビ (日本)」の例文・使い方・用例・文例
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