1350年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:03 UTC 版)
1350年代(せんさんびゃくごじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1350年から1359年までの10年間を指す十年紀。
- 1 1350年代とは
- 2 1350年代の概要
1350年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 12:03 UTC 版)
詳細は「1350年代」を参照 1350年タイでアユタヤ王朝成立。 室町幕府で足利直義と高師直との抗争が勃発(観応の擾乱 - 1352年)。 1351年紅巾の乱。 高師直らが族滅され、尊氏と直義の対立が激化。正平の一統により北朝の崇光天皇が廃位される。 東ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス主催の教会会議で静寂主義(ヘシュカスム)の教義が勝利する。 1352年足利直義が急死する。八幡の戦いにより南朝が京都から脱出し、正平の一統が崩壊。広義門院寧子が治天の君の代行となり、北朝第4代後光厳天皇が即位。 フランス王ジャン2世が、エトワール騎士団を創設する。 1353年トガ・テムルが殺害され、イルハン朝が滅亡する。 ラオス初の統一王朝であるラーンサーン王国が成立する。 1356年神聖ローマ皇帝カール4世によって、帝国の基本的な体制を規定する金印勅書が発布される。 ポワティエの戦い。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。 アトス山出身の修道士アナスタシオスが、メテオラのメガロ・メテオロン修道院を創設する。 元朝で交鈔が廃止になる。朱元璋が集慶路(南京・金陵)を占領し応天府と改め根拠地とする。 1357年ポルトガル国王ペドロ1世の即位。惨殺された愛妾イネス・デ・カストロを王妃として復権させる。 1358年足利義詮が室町幕府第2代将軍となる。 エティエンヌ・マルセルの乱、ジャックリーの乱。 商人ハンザと都市ハンザの統合でハンザ都市同盟が正式に発足。 ドゥブロヴニクを中心とするラグサ共和国がハンガリー王国から独立する。 1359年ジョチ・ウルス、君主(ハン)乱立時代に入る( - 1378年)。 ルドルフ4世(建設公)がオーストリア大公を自称。また同年、ウィーンにシュテファン大聖堂を建立。 筑後川の戦いで九州における南朝側が優位に立つ。
※この「1350年代」の解説は、「14世紀」の解説の一部です。
「1350年代」を含む「14世紀」の記事については、「14世紀」の概要を参照ください。
- 1350年代のページへのリンク