-OZONE-とは?

オゾン

英語 ozone; O3

通常の酸素分子酸素原子2個でできているが(化学式ではO2)、オゾンは原子3つでO3となっている。特有の生臭いにおい(消毒オキシドールのにおい)がある。地表から20~25km上空成層圏内にオゾンの豊富な領域(オゾン層)があって、ぞれが生物に有害な太陽からの紫外線を適度に吸収している(そのほか殺面、脱臭脱色細胞賦活農薬除去などの特徴をもっており、水や食物浄化するオゾン発生器などの家庭商品もある)。

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

オゾン ozone

酸素同素体常温自然に分解して酸素となる。 酸化力強く空気浄化漂白飲料水殺菌などに利用するが 濃度が増すと危険となる。 光化学スモッグ主成分超高層にたまって太陽からの紫外線をさえぎる重要な役割が、 フロンガスなどにより破壊されているとフロン廃止要因となっている。

オゾン

分子式O3
その他の名称:Ozone、オゾン


オゾン

英訳・(英)同義/類義語:o3, ozone

酸素過酸化物O3

-OZONE-

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/27 06:29 UTC 版)

-OZONE-
vistlipシングル
収録アルバム THEATER
B面 TWISTER
Public GAME(通常盤のみ)
Mr.Grim(CD+DVD盤のみ)
リリース 2009年8月5日
録音 2009年
日本の旗 日本
ジャンル J-POPアニメソング
時間 15分04秒(通常盤)
12分04秒(CD+DVD盤)
レーベル マーベラスエンターテイメント
作詞・作曲
Tohya
チャート最高順位
vistlip シングル 年表
drop note.
2008年
-OZONE-
(2009年)
STRAWBERRY BUTTERFLY
2010年
テンプレートを表示

-OZONE-」(オゾン)は、vistlipの4枚目のシングル2009年8月5日マーベラスエンターテイメントから発売された。

解説

  • drop note.」以来9か月ぶりのリリース。
  • 通常版「lipper」と、「-OZONE-」のvideo clipが収録された「visiter」の2タイプ仕様。
  • 表題曲「-OZONE-」は、テレビ東京系アニメ「遊☆戯☆王5D's」の第3期エンディングテーマとして使用された。
  • カップリング曲の「Public GAME」もPSPソフト勇者30』のテーマ曲としてタイアップされている。

収録曲

通常版「lipper」

  1. -OZONE- [4:39]
    作詞: 智、作曲: Tohya、編曲: vistlip
  2. TWISTER [3:12]
    作詞: 智、作曲: Tohya、編曲: vistlip
  3. Public GAME [3:13]
    作詞: 智、作曲: Yuh、編曲: vistlip
  4. -OZONE- (karaoke

CD+DVD「visiter」

  1. -OZONE-
  2. TWISTER
  3. Mr.Grim [4:13]
    作詞: 智、作曲: Yuh、編曲: vistlip

タイアップ

曲名 タイアップ
-OZONE- テレビ東京系アニメ『遊☆戯☆王5D's』第3期エンディングテーマ
Public GAME PSPソフト勇者30』使用曲

収録作品

発売日 タイトル 備考
-OZONE-
2009年12月9日 THEATER オリジナルアルバム

オゾン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/21 09:40 UTC 版)

(-OZONE- から転送)

オゾン
識別情報
CAS登録番号 10028-15-6
特性
化学式 O3
モル質量 47.998 g mol−1
外観 淡青色気体
密度 2.144 g L−1 (0 ℃), 気体
融点

80.7 K, −192.5 ℃

沸点

161.3 K, −111.9 ℃

への溶解度 0.105 g / 100 mL (0 ℃)
熱化学
標準生成熱 ΔfHo +142.3 kJ mol−1
標準モルエントロピー So 237.7 J K−1 mol−1
危険性
EU分類 酸化剤 (O)
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。

オゾン(ozone)は、3つの酸素原子からなる酸素の同素体である。分子式はO3で、折れ線型の構造を持つ。腐食性が高く、生臭く特徴的な刺激臭を持つ有毒な気体である。大気中にもごく低い濃度で存在している。

性質

常温常圧では薄青色の気体である。沸点−111.9 (161.25 K) で紺色の液体となり、凝固点−197.2 ℃ (75.95 K) で濃紫色の固体となる。中心の酸素原子と両端の酸素原子の結合は2本とも等価であり、オゾン分子は O=O+−O と O−O+=O の2つの極限構造からなる共鳴混成体であると考えられる。

オゾンはフッ素に次ぐ強い酸化力を持つため、高濃度では猛毒である。吸い込むと内臓が酸化され糜爛(びらん)状になる。

発見

オゾンは、ドイツスイス化学者であるクリスチアン・シェーンバインによって1840年に発見された。彼は雷雨の中でオゾンが現れることに注目し、そしてその奇妙なにおいから、ギリシア語で「臭い」を意味する ὄζειν (Ozein) に因み Ozon と名付けた。

発生

一般に空気中での紫外線照射、または酸素中での無声放電など高いエネルギーを持つ電子と酸素分子の衝突によって発生する。オゾンの発生は主に以下の化学式で表せる。

\rm \, 3O_2 \longrightarrow 2O_3

またオゾンは不安定な分子であるため、放置しておくと以下の化学式で酸素に変化する。

\rm \, 2O_3 \longrightarrow 3O_2

この反応は温度圧力が上昇するほど速くなる。

いくつかの電気機器は人間が臭いを感じる程度のオゾンを発生させる。特にブラウン管テレビやコピー機など高電圧を用いる装置で起こる。ブラシによって整流する電気モーターは機器内で繰り返される火花によってオゾンを発生させる。エレベーターポンプなどに使われる大型モータは小さいモータよりもオゾン発生量が多い。なお、これは整流子電動機特有の現象で、整流子のない誘導電動機同期電動機ではオゾンは発生しない。

オゾンの生産

工業的にオゾンを用いる場合、一般に水銀灯による短い波長の紫外線照射や高電圧による低温放電によって生産される。低温放電装置は二枚の電極板によって構成され、電極表面を、高い誘電率をもつホウケイ酸ガラス(パイレックスガラス)や雲母のような絶縁体で覆う。交流高電圧を電極にかけると無声放電が起こり、平板間に流した酸素分子が解離し、他の酸素分子と再結合することによってオゾンが発生する。また、陰極に黒鉛電極、陽極白金電極を用い、希硫酸電気分解することによって陽極からオゾンが酸素との混合気体として生成される。同様に固体高分子電解質膜を、白金を用いた陰極と二酸化鉛を用いた陽極で挟み、を電気分解することでも陽極からオゾンが酸素との混合気体として生成される。

オゾンによる酸化反応

オゾンが水に対して酸化剤として働くときの半反応式は次のように表される。

\rm \, O_3 + H_2O + 2 \mathrm{e}^- \longrightarrow O_2 + 2 \mathrm{OH}^-

酸性溶液中では溶液内の水素イオンが直接反応し、生成した水酸化物イオンが溶液内の水素イオンと反応して水ができる。半反応式は次のようになる。

\rm \, O_3 + 2 \mathrm{H}^+ + 2 \mathrm{e}^- \longrightarrow O_2 + H_2O

オゾン酸化

オゾンを用いた有機合成反応の例としてオゾン酸化が挙げられる。アルケンをオゾンで酸化すると-C-O-O-C-O-という並びの5員環構造を持つオゾニドが生じ、還元的な後処理をすることによりケトンまたはアルデヒドが得られる。一方、酸化的な後処理をするとケトンまたはカルボン酸が得られる。

オゾン酸化

有機高分子をオゾンにさらすと劣化が起こり、ときに亀裂が生じる。この現象をオゾンクラッキングと呼ぶ。

オゾン層

大気の中で成層圏に存在するものはオゾン層を形成し、生命にとって有害な紫外線が地表に降り注ぐ量を和らげている。一方、地表付近では、オゾンは光化学オキシダントなどとして生成し大気汚染の原因となる。成層圏中のオゾン量はドブソン単位で表される。工業で用いられる場合、ppm容量パーセント濃度または重量パーセント濃度で表される。

利用法

オゾンはフッ素に次ぐ強力な酸化作用があり、殺菌ウイルスの不活化・脱臭脱色有機物の除去などに用いられる。

日本およびアメリカ合衆国[1]では、食品添加物として認可されている。

水道水殺菌塩素の代わりにオゾンが用いられる国も多い。オゾンは有機塩素化合物を生成しないため、処理後の水にも残留せず、塩素と比較して味や匂いの変化が少ない。従って、いくつかのシステムでは配管での細菌増殖を防ぐために少量のオゾンを添加することがある。日本では近年、東京都水道局大阪市水道局阪神水道企業団大阪広域水道企業団等で水道水の殺菌の一環として用いられており、追随する自治体等も増えてきている。

気体としてのオゾンは、その毒性により高度な濃度管理が求められるため、オゾンガスをミキシング又はバブリングと呼ばれる手法で水に溶け込ませたり、電気分解により水に含まれる酸素を利用して作る「オゾン水」として活用される例が増えている。オゾンの不安定な性質により数十分で酸素と水に戻るので残留性のない殺菌水として使えるほか、塩素系殺菌剤やエタノール系殺菌剤が使えない場合にも使用される。

ヨーロッパでは医療への活用が多数試され、その効果が発表されている。近年は日本でも医療、介護食品酪農を主とする農業などの分野で殺菌・消臭・廃棄物処理目的で使われることが多くなった。

医療

日本では、1923年に小川正彦により医療用オゾンガス発生器が発明され、ヨーロッパではドイツ1957年に発明されている[2]

ヒトでは、難治性の疾患では、感染症皮膚病免疫不全がんの補助療法、老人病、慢性リウマチアレルギーなどに有効性が示されている[3]獣医学分野では、に対し腫瘍やがんに対するオゾン療法に十分な効果がありクオリティ・オブ・ライフの改善が見られるとされる[2]

歯科医療においては、虫歯の治療においてオゾンガスを患部に当てるヒールオゾンという治療法がある。

医薬品医療機器等法に基づく医療用具として、オゾン水手洗い機が認可されている[4]

食品

日本では食品添加物として認められている。主流の殺菌料である次亜塩素酸ナトリウムと比較して、そのままオゾンガスを溶かすのではなく単に水道水を電解し陽極にできたオゾン水によってオゾンの濃度を高めることで殺菌力を高くすることができ、使用後の洗浄が不必要で安全性が高く食品の味を損ねにくく、クロロホルムを生成しないという点が特徴的である[4]アメリカ合衆国では、1997年6月に食品の殺菌剤として安全性に問題がないGRAS(一般安全認定)に分類され、FDA2001年6月に食品添加物として安全であると発表している[4]

農業

農薬の代わりとして、病害対策に用いられる。噴霧することで多くの病害菌を殺菌できるため、農作物に残留しない病害防除として利用することができ、収穫時にも収穫した農産物の殺菌に利用できる[5]。キュウリのうどんこ病などの病害対策ができるため、農薬の低減が期待される[4]大麦人参の発芽率の向上、カイワレダイコンハツカダイコントマトの生育促進効果も確認されている[5]

畜産

畜産においては、消臭・殺菌に用いられる。畜舎にオゾンガスを噴霧することで硫黄系の臭気を分解することができる。従来は殺菌力があまり高くなかったが、平均5000 nmであった気泡径を5 nmにすることで、サルモネラ菌や鳥インフルエンザウイルスなどへの殺菌効果が見られ、また、残留農薬等に関するポジティブリスト制度にも対応できる[6]

洗浄

半導体部品の洗浄において、主流のRCA洗浄ではアンモニアや塩酸フッ化物が用いられるが、オゾンガスを溶解させたオゾン水は排水処理の面で環境負荷が低く[7]、代替として半導体の基板表面の有機物や金属の除去・洗浄に用いられている[8]

また、水を使わずに(あるいはあまり使わずに)オゾン気流によって除菌や洗濯を行う洗濯機の例がある[9]。また、その後継機種では風呂の残り湯を使用する際、オゾンで除菌・浄化したり、オゾン水そのものを洗濯のすすぎに利用するものもある[10]

毒性

オゾンには急性・慢性双方の中毒症がある。

急性中毒では呼吸器が刺激され、高濃度になるにつれてめまいが引き起こされ、さらに高濃度になると呼吸困難麻痺、および昏睡状態になり、放置しておけば死亡する。 慢性中毒では倦怠感や神経過敏など神経の異常や、呼吸器の異常を来たす。

オゾンを発生させる可能性のある場ではたとえ低濃度であろうと活性炭入りのマスクをつけることが望まれるが、目の粘膜も保護できる全面マスクの使用がより好ましい。より高濃度(10 ppm以上)の場合はガスマスクの使用が必須になる。[11]

その他

オゾンは光化学オキシダントの主成分である。近年、日本では、光化学オキシダント注意報を発令する都道府県の数が増加しているが、これは、中国大陸からの越境大気汚染によって広域化していると考えられている。また、オゾンの強力な酸化性のため、植物や農業に対する悪影響が憂慮されている。

オゾンは酸素を含む酸化力の高い化学種で、広義の活性酸素の一つとされる。活性酸素は、狭義ではスーパーオキシドアニオンラジカルヒドロキシルラジカルを指し、オゾンを含まないが、水中での分解過程では、オゾンの一部が狭義の活性酸素の一つであるヒドロキシラジカルを経て分解することも知られている。

自動車等のタイヤを保管する際は電気機器の近くを避けるようにという説明がタイヤメーカーからなされているが[12]、その理由は、#発生の節で述べられているとおり、モーターなどから発生するオゾンがタイヤの主成分である合成ゴムを侵すからである(オゾンクラッキング)。

注・出典

  1. ^ [1] (FDA)
  2. ^ a b 清水無空、清水紀子「小動物におけるオゾン療法」『日本伝統獣医学会誌』16(1) [2008.05]、37-42頁。
  3. ^ Renate Viebahn-Haensler 『ヨーロッパにおける最新のオゾン療法 (PDF)[リンク切れ]、日本医療・環境オゾン研究会訳、2002年
  4. ^ a b c d 吉田幸一「高濃度オゾン水による食品分野での適応」『食品加工技術』26(1)[2006]、1-10頁。
  5. ^ a b 草刈眞一「オゾン水による病害防除技術 養液栽培と農業分野へのオゾン水利用技術」『農業技術』63(8)[2008.8]、337-344頁。
  6. ^ ネイチャーズ株式会社「ナノピコバブルオゾン水の特性および効果 世界最小ナノバブルを超えた超微細気泡オゾン水(ポジティブリスト、HACCPに対応した新しい消毒技術)」『養豚の友』(通号 463)[2007.10]、40-42頁。
  7. ^ 「水の活性化と機能水-表面処理における各種対策について」『鍍金の世界』41(4)[2008.4]、52-56頁。
  8. ^ 黒部洋(栗田工業株式会社)「機能水の製造方法および洗浄効果 オプト・半導体デバイスにおけるウェットプロセスの技術トレンド(薬品・機能水編)」『マテリアルステージ』7(10)[2008.1]、40-43頁。
  9. ^ 2006年3月、内部でオゾンを発生させ、水を使わずに(あるいはあまり使わずに)除菌や洗濯を行う洗濯機が三洋電機から発売された。
  10. ^ 三洋、“オゾンすすぎ”で洗浄力がアップした三代目「AQUA」(家電Watch、2008年1月21日)
  11. ^ オゾン利用に関する安全管理規準 (PDF) - 経済産業省・省エネルギー技術開発プログラム「省エネルギー型廃水処理技術開発」高濃度オゾン利用研究専門委員会(平成17年(2005年)3月作成;平成25年(2013年)6月18日閲覧…外部サイトにて現存)
  12. ^ 例: タイヤの保管の仕方 - ダンロップ

関連項目

外部リンク


O (ZONE)

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  1. 転送 O (ZONEのアルバム)

O-Zone

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オゾン
O-Zone
出身地 モルドバの旗 モルドバルーマニアの旗 ルーマニア
ジャンル エレクトロニカ
ユーロダンス
活動期間 1999年 - 2005年
レーベル ユニバーサル
公式サイト オゾン公式サイト
(ドイツ)
メンバー ダン・バラン
ラドゥ・アレクセイ・スルブ
アルセニェ・トデラシュ
旧メンバー ペトル・イェリホフスキ

O-Zone(オゾン、オー・ゾーン)は、モルドバ共和国出身の男性3人組によるルーマニア音楽グループ。

名前はダン・バランが友人ペトル・イェリホフスキ (Petru Jelihovski) とグループを結成したときにDanの計画「Dan Bălan Project:0-Zone」(ゼロから始めるということから0-Zoneと名がついたと言われる)がそのままグループ名となった。Petruが抜けてラドゥ・アレクセイ・スルブRadu Alexei Sîrbu、 ルーマニア式綴りではSârbu) とアルセニェ・トデラシュ (Arsenie Toderaş) が加入した新しいグループにもその名前が継続された。

2004年夏、『恋のマイアヒ』(原題:『Dragostea Din Tei』)が大ヒット。『SMAP×SMAP』(フジテレビ)に出演したり、『ミュージックステーション』(テレビ朝日)に緊急生出演している。それに関してはDiscO-ZONEの節を参照。

プロフィール

ダン・バラン

1979年2月6日生まれ。リーダー、作詞作曲担当。「アヒル声」とも称される事も有る、エフェクターを通したような響きの若干鼻に掛かったような独特のボーカルで、こぶしをきかせて歌うことが多い。2000年、ペトル・ジェリホフスキとのペアでO-Zoneの名でアルバムを発表している。不思議なことに、大ヒットを記録したにもかかわらず同アルバム中では現在の彼からは想像出来ないほど歌唱力が劣る。写真によってかなり顔の印象が変わる。1997年に「Pantheon」「Inferialis」と言ったバンドで活動。

O-Zone解散後はロックバンドBALAN」を結成したほか、2007年にはO-ZONEと同路線のユニット「Crazy Loop」を結成している。

ラドゥ・スルブ

1978年12月14日生まれ。少しかすれて頼りなげなハイトーンボイスを持つ。シャイな性格。一番小柄だがグループ最年長である。やや筋肉質で「Dragostea Din Tei」をステージで歌う際、「Si Sunt Voinic」(この部分は「僕には力がある」と言う意味)のところでマッスルポーズをすることも多い。2005年初夏(少なくとも7月1日以前)に妻アナとの間に女児アナスタシア・ダリアを授かった。小学生の頃はあまりにもシャイな性格だったため発表会ともなると声が出なかったがO-Zoneに入って克服した。Cupydonという白猫を飼っていたが2005年5月に他界してしまった。

解散直後に男性歌手Mahayと「DJ Mahay feat. Radu」名義で「Dulce」を発売、現在はRadU名義でソロ活動中で、「Whap-Pa」「Leave Me Alone」などの曲を発表。

アルセニエ・トデラシュ

1983年7月22日生まれ。長身と良く通る低音ボイス、さらにはきれいなファルセットも持ち合わせ、Raduと好対照を成す。怪しい目つきで台無しにしてしまうことが時々あるが、かなりのイケメンである。ファッションにもこだわりを持ち、特別なプロモーションなどでは、ベージュのカジュアルスーツとどくろの絵が入ったピンクのTシャツで決めている。ちなみに子供の頃から日本に憧れていて、青いプラスチックの刀のおもちゃを持っていたり、忍者になりたがっていたり「七人の侍」よろしく友達を集めて7人で近所の悪ガキと決闘したこともあるほか、現在でも日本車に乗っている。さらに10歳からは合気道もやっていた。大好物はキャンディーで、これだけは最愛の妹にねだられても渡さないらしい。

O-Zone解散後は、ドイツなどでソロ活動を開始。Arseniumという名前で、「Love Me Love Me」「Loca (feat. Ntalila Gordienco and Connect-R)」、などの曲を発表している。2006年3月24日から、ルーマニアのテレビ局Pro TVのダンス勝ち抜き番組『Dansez pentru tine』に女性ダンサーアリオナとペアを組んで出演、5月5日の決勝まで勝ち進み準優勝している。この年のユーロビジョンアテネ大会モルドバ代表に選ばれ5月20日の本戦に出場、20位だった。6月25日、アルバム「The 33rd Element」(Arsenium(ヒ素)が33番目の元素だから)を発売。2006年には9月1日に日本でも公式ファンクラブが設立され、10月20日よりルーマニア国内で公開の映画『Lacrimi de Iubire』に出演した。ファンサイトのチャットに顔を出すなど、ファンとの交流も欠かしていない。12月20日にはファンとのチャット会でファンにクリスマスプレゼントとして新曲「Professional Heartbreakers」を贈った。

現在ではArsenie名義で活動している。

歴史

1999年Dan Bălanとその友人Petru Jelihovskiの2名で結成。モルドバ国内で、アルバム『Dar, Unde Eşti』からタイトル曲の他ファーストシングルの『Timpul Trece fara Noi』、『Fiesta de la Noche』『Crede-ma』など7曲のメガヒットを生み出す前代未聞の快挙を達成する。しかし、作詞作曲を担当し音楽を真剣に考えるDanはルーマニアでの活動を希望、あくまで音楽を趣味と考えるPetruとの対立が表面化し、二人は袂を分かつがその後も友人関係は続いている。

2001年春、Danは3人組のユニット結成を計画、そんな中、彼のボーカルの先生が音楽スクールの後輩Arsenie Toderaşを紹介した。Arsenieは歌を習い始めたばかりで時期尚早とも思われたが、将来性を信じたDanがグループにArsenieを迎え入れた。この時ロシア訛りで話すArsenieがオーディションでエルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」を歌うと、ロシア語のアクセントが嫌いでロシア訛りが苦手だというDanだったが、彼の歌に嫌悪感は吹っ飛び「気にならない」と言ったそうである。少し経ち、DanはRadu Alexei Sârbuと出会う。Danは、Raduに対してダンスの方向性に違いを感じていたがすぐにいい意味で固定されると思い、Raduを残り一人のメンバーに迎え入れ、ここに第2次O-Zoneは結成された。

メンバーを揃えたDanはさっそく楽曲を用意し、まず『Numai Tu』『Number1』『Nopti fara de Somn』『Am sa te Chem』の4曲をレコーディング、2001年秋にシングル『Numai Tu』『Number1』をリリース、人気は上々だった。これを受けていよいよDanが望んだルーマニア進出に乗り出す。モルドバ人がルーマニアで成功した前例はなかったが、3人は成功を信じ、努力は惜しまなかった。資金が不足していたため、所有していたスタジオとシンセサイザーを売却した後に『Numai Tu』のプロモーション・ビデオを制作、この頃に『Sarbatoarea Noptilor de Vara』『Nu ma las de Limba Noastra』、さらに『Dar, Unde Eşti』をレコーディングしている。2002年春、ルーマニアの音楽大手「Media Services」と契約が決まり、8月に3人としてのファーストアルバム『Number1』を発売したものの、当初ルーマニアでは「モルドバの新しいバンド」としか受け止められていなかったためか、ラジオでもなかなか取り上げられずに苦戦した。そこで同年秋には、このアルバムの中から『Despre Tine』をシングルカットして発売、「覚えやすくて面白い」をテーマにプロモーション・ビデオも制作されるとこれがルーマニアでは数十年ぶりという大ヒットを記録、5ヶ月以上に渡ってヒットを続け、多くの老若男女が口ずさむほどの人気曲となり、それに乗じてアルバム『Number1』も10万枚を超えるメガヒット。O-ZONEは一躍ルーマニアNo.1のバンドとなった。

2003年、シングル『Dragostea Din Tei』 (DDT) をリリース、Haiduciiとの争い(後述)の後にヨーロッパ全土を巻き込んで大ヒット、同年8月にリリースされたセカンドアルバム『DiscO-ZONE』も翌年夏に大ブレイクし、『Dragostea Din Tei』の軽快なリズムに乗ってO-Zoneはヨーロッパを席巻、モルドバのヒーローとなった。2004年冬にはシングル『De Ce Plang Chitarele?』をリリース。この曲は元々ルーマニアでかつてNorocと言うグループが歌いヒットしたフォークソングだったが、これにDanが加筆して自分たちのアレンジでカヴァーしたものである。さらにこの年、ルーマニアのラジオ局Pro FMとのタイアップで女性歌手Alexandra Ungureanuと『Radio Insearmna Prp FM』を歌っている。

しかし、ヨーロッパを席巻し、日本でもヒットの兆しが見え始めていた矢先の2005年1月14日、突然解散を発表した。Danがアメリカに渡り、Lucas Prataという男性とO-Zoneの名で『MA-YA-HEE Song』(DDTに英語で新しい歌詞をつけた曲)をリリースしたことに反発した残りの2人に対し、Danが「今まで、作詞作曲プロデュース、全て自分でやってきた。O-Zoneはずっと俺のものだった。」「O-Zoneに今後はない。今このプロジェクトを終わらせているところだ。」と一方的に解散を宣言したのだ。

このことでDanを兄のように慕っていたArsenieはショックからか体調を崩してしまい入院、この時のインタビューで『知らないよ。そんなの信じられないし、もう興味ないよ。俺はもう二度とダンには会いたくないんだ。』『実を言うと、彼との事はもう既に過去のことになりつつある。もう、俺はダンのことなんて忘れたよ。もう、彼は俺の中には存在していないんだ。』とその悲痛な胸の内を語っている。そんな経緯もありDanは2人から孤立してしまったが、奇跡的に和解し、現在ではすっかり元の鞘に収まっている。日本では3月に『DiscO-ZONE』のリリースを控えていたため、発売元よりこの解散の事実が伏せられていた。

2005年3月、エイベックス・ディストリビューションより日本盤のアルバム『DiscO-ZONE』をリリース。7月15日には来日してミュージックステーションに出演。8月22日付のオリコン総合アルバムチャートで発売24週目にして1位を獲得。海外アーティストのデビューアルバムの1位は、1972年ポール・サイモン2003年t.A.T.u.2004年Utadaに続いて史上4組目。2005年12月1日第47回日本レコード大賞特別賞を受賞。

2005年9月23日、ルーマニアの音楽イベント「チェルブル・デ・アウル国際音楽祭」にて最後のコンサートを敢行、『Despre Tine』『De Ce Plang Chitarele?』『Printre Nori』『Oriunde Ai Fi』『Dragostea Din Tei』を歌った。この模様はTVR internationalという放送局でインターネット放送で生中継され世界中のファンが彼等の最後の勇姿を見届けた。日本でも23日、秋分の日の早朝だったため多くのファンがファンサイトの特設チャットに集結、回線の混雑に耐えながらその模様を見守った。さらに翌日には再放送もされたが、アクセス過多のため回線がパンクしてしまう事態が発生した。

2005年10月、解散コンサート後にも関わらず3人で来日、7日の「ミュージックステーション」、24日の「SMAP×SMAP」に出演している。この年の12月にまたもや来日し、「ミュージックステーション」や「とくばん」などに出演。しかしRaduは、娘と迎える初めてのクリスマスの為か来日はしなかった。2007年3月12日、O-Zoneが近々再結成するのではないか、という内容の記事がルーマニア語サイト「Revista Vip」に掲載された。2月にキシナウのクラブにてArsenieとDanが面会していたため、これが噂の出所では、との声もある。

O-Zone vs Haiducii

Dragostea Din Tei』(以下DDT)がヨーロッパ中で大ヒットした裏には、ある女性歌手との壮絶なバトルがあった。

2003年秋、イタリアのダンスミュージック専門会社ウニヴェルソ・レーベルの社長はある日、移動中の車内でルーマニア出身の運転手がカセットに入れて車に乗せていたDDTを初めて聴き、この曲は大ヒットすると確信した。ウニヴェルソ・レーベルにはHaiduciiというルーマニア系の女性歌手が所属していた。彼女は元ミス・ブカレストでルーマニア語も片言ながら話せたために社長はDDTを彼女に歌わせることにした。HaiduciiのDDTは発売と同時にイタリアで大ヒットを記録したが、オリジナルを歌うO-Zoneはこれを訴える法的手段がなかった上ちょうど英語版DDT(MA-YA-HEE Songとは全くの別物)をひっさげてヨーロッパ進出をしようとしながら上手くいっていなかったこともあり当然不満をあらわにした。

ちょうどその頃、イタリアのタイムレコードがこのヒットにあやかって二匹目ドジョウを狙うべく、DDTを歌う歌手を捜していた。そんな中タイム社の社員がカンヌの音楽商談会『国際音楽著作権見本市 (MIDEM)』の展示場でルーマニアの同業者と出会い、Haiduciiのバージョンが悪質コピーだったことを知った。そして同時にオリジナルの方はどことも契約を結んでいないと知り、さっそくO-Zoneと契約、DDTをヨーロッパに売り出すキャンペーンを始めていたHaiduciiに原曲を持って真っ向から勝負を挑んだ。

イタリアでは時すでに遅しと言ったところで、O-ZoneはHaiduciiに勝てなかったが、隣のフランスでは壮絶なバトルを繰り広げた。インディーズ・レーベルのハリーミュージックが両方のバージョンを発売、社長のピエール・フォルガは「HaiduciiはイタリアでNo.1になりました。イタリア市場の動向は、フランスでのダンス系のヒットに影響を与えることがよくあります。しかしO-Zoneのあのキッチュなビデオ・クリップを見たとき、私はすぐさま夢中になってしまいました」と語った。そしてHaiducii、O-Zone間で抜きつ抜かれつの壮絶なバトルが展開された。ある放送局はO-Zone、別のある放送局はHaiduciiを流し続けた。しかしO-Zoneにはフランスの青少年に絶大な支持を受けて、流行の発信源となっているDJセバスティアン・コエが味方に付き、彼が毎朝ラジオでO-ZoneのDDTを流し続けたことが功を奏し、O-Zoneは見事No.1ヒットを獲得して勝利したのだ。フランスでNo.1ヒットを獲得したO-ZoneのDDTは勢いに乗ってヨーロッパ全土を席巻、ロシアでも大ヒット、日本でもその後ヒットしているのは周知の通りである。その後Danは「Haiduciiのコピーがなかったら、ヨーロッパで名を挙げることはたぶん、きっとできなかったと思う」と語っている。O-Zoneは英語のバージョン(先述の『MA-YA-HEE Song』とは全くの別物)を用意していて、ルーマニア語のオリジナルが外国語圏で売れるなど想像だにしていなかったのだ。

DiscO-ZONE

2004年夏、「マイアヒー、マイアフー」という独特のフレーズから始まる「Dragostea Din Tei」が、ルーマニア語(モルドバ語)の不思議な響きの魅力(「Dragostea Din Tei」でいうところの「Nu Iei(僕を連れて行かない)」「Tei菩提樹)」と「Tăi(君の)」のようなルーマニア語独特の韻の踏み方もその一つ)もあって、ヨーロッパ中で大ヒット。ドイツ、スペイン、フランス、イタリアなど15ヶ国のチャートで1位を記録する。

曲の内容は、自分を捨てた恋人に電話するとても切ない物となっている。本来は直訳すると「菩提樹の下の恋」であるが、日本ではレコード会社により付けられた邦題は、全く意味上のつながりを持たない「恋のマイアヒ」「恋の呪文はマイアヒ・マイアフ」となってしまった上、3曲目に収録されていたこの曲がアルバムコンセプトを無視して1曲目に移されてしまった。本来はイントロにDJ風に自分たちの紹介が入る「Fiesta de la Noche(夜の祭)」が祭りの幕が開くがごとく先頭に収録されている。

日本におけるO-Zoneの扱われ方

日本においても、2004年ごろから名古屋のラジオ局ZIP-FMヘヴィー・ローテーションするなどにより、知名度が上がりはじめた。なお、ZIP-FMのチャートでは2004年10月10日に初の1位を獲得して以後、2ヶ月近くにわたって1位を独占した上、1年近くたった2005年でもチャートインしていた。

更には「SMAP×SMAP」の「ホストマンブルース」のコーナーで取り上げられることで知名度は飛躍的に拡大し、ついには社会現象とまで呼ばれるようになった。2005年7月には「ミュージックステーション」に緊急生出演もしたが、Raduはちょうど妻の出産と重なってしまったため、DanとArsenieのみで出演した。だが、実際には来日より二週間ほど前にメンバーのオフィシャルサイトで誕生の知らせが既に公表されていたため、出演依頼を断ったのではという声もある。

なお、日本版『DiscO-ZONE』の曲名のカタカナ表記にはかなり間違いが多い。例えば、3曲目の「De ce Plang Chitarele?」は「デ・セ・プラン・チタレーレ」と表記されているが、ルーマニア語での実際の発音をカタカナで表記すると「デ・チェ・プルン(グ)・キタレーレ」に近くなる。

そして、歌詞カードに記されている1曲目の「Dragostea Din Tei」の歌詞は、実はUS盤DiscO-ZONEのボーナストラックであるMa Ya Hee(Dragostea Din TeiのEnglish.ver)の歌詞なのである。このEnglish.verの内容はルーマニア語で歌われているオリジナルの歌詞とはまったく異なるものである上、O-Zone解散の直接的原因と言われる曲のものであるため大きな問題となっている。

エイベックスは、あくまでも「Nu Mă, Nu Mă Iei」に意味がないように思わせたり(実際は「僕を、僕を連れて行ってはくれない」という意味がしっかり存在している)、「恋のマイアヒ」を英語に訳すと"Words of love"になるようにしたいらしい。このことや、日本ではO-Zoneの本来の姿がほとんどマスメディアによって語られていないことから、日本で純粋にO-Zoneを愛しているファン達からは、こうしたavexの売り出し方に批判的な意見が多数噴出している。それもあって、これらのファン達はルーマニアの公式サイトなどから情報を集めて、立派なファンサイトを作り上げるまでに至った。なお、2007年6月1日放送の「探偵!ナイトスクープ」では、再び彼らの(マイアヒとは別の)空耳ソングが取り上げられていた。

ディスコグラフィー

アルバム(2人組時代のものも含む)

Dar, Unde Eşti(1999年:2人組時代の作品)

  • 1.Fiesta de la Noche
  • 2.Timpul Trece fără Noi(この曲はO-ZONEのファーストシングル)
  • 3.M-aş Trezi
  • 4.Te Voi Iubi
  • 5.Dar, Unde Eşti
  • 6.Te Aştept
  • 7.Crede-mă
  • 8.În doi
  • 9.De la Mine
  • 10.Ciao Bambina
  • 11.Oriunde-ai fi
  • 12.În doi (minus)
  • 13.Surpriză de Anul nou (Sărbătorile de Iarnă)

Number1(2002年:3人組としてのファーストアルバム)

  • 1.Numai tu
  • 2.Dar, unde Eşti
  • 3.Sărbătoarea Nopţilor de Vară
  • 4.Number1
  • 5.Nopţi fără de Somn
  • 6.Am să te Chem
  • 7.Nu mă las de Limba Noastră
  • 8.Number1 (Funny version)
  • 9.Despre Tine
  • 10.VIP

DiscO-ZONE(2003年)

  • 1.Fiesta de La Noche
  • 2.De Ce Plâng Chitarele?
  • 3.Dragostea Din Tei
  • 4.Printre Nori
  • 5.Oriunde Ai Fi
  • 6.Numai Tu
  • 7.Dar, Unde Eşti
  • 8.Despre Tine
  • 9.Sărbătoarea Nopţior de Vară
  • 10.Nu Mă Las de Limba Noastră
  • 11.Crede-Mă

シングル(3人として発売したもののみ)

  • Numai Tu(2001年)
  • Number1(2001年)
  • Despre Tine(2002年)
  • Dragostea Din Tei(2003年)
  • De Ce Plâng Chitarele?(2004年)

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