アルビレックス‐にいがた〔‐にひがた〕【アルビレックス新潟】
アルビレックス新潟
法人名 | 株式会社 アルビレックス新潟 代表取締役社長 中野 幸夫 |
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Jリーグ加盟年 | 1999年 |
呼称 | アルビレックス新潟 |
クラブ所在地 | 〒950-0954 新潟県新潟市中央区美咲町2丁目1番10号 |
ホームタウン | 新潟県新潟市、聖籠町 |
ホームスタジアム | 東北電力ビッグスワンスタジアム(収容人数:42,300人) 新潟市陸上競技場(収容人数:18,671人) |
チーム名の由来 | アルビレックスには「アルビレ(オ)(白鳥座の中の二重星を表す)」と「レックス(ラテン語で王の意)」を合わせて、サッカー界の王者に向けてはばたくという意味が込められている。 |
クラブカラー | オレンジ、ブルー |
ファンクラブ | Tel.025-282-0011 アルビレックス新潟 サポーターズクラブ事務局 |
ホームページ | http://www.albirex.co.jp/ |
アルビレックス新潟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 00:36 UTC 版)
アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、英: Albirex Niigata)は、日本の新潟県内全市町村(20市6町4村)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
- ^ 新潟県サッカー協会理事長(当時)の澤村哲郎は、賛同を得るにあたって、新潟県が1998年冬季オリンピック(後に長野での開催が決まる)の開催都市に立候補できずにいたことが大きな要因になったと述べている[4]。
- ^ この決定を下した当時の代表取締役社長池田弘は「人切り池田」として大きな非難を浴びた[5]が、その様子が川淵三郎の目に留まる。このことがきっかけとなり、池田は後にJリーグ理事に就任した。
- ^ 新潟に在籍した経験がある選手
- ^ 年間観客動員の新記録を達成したため。
- ^ 1試合平均観客動員数を大幅に更新したため。また、新潟県中越地震の復興支援に貢献したため。
- ^ 最終節を除く16戦までの計算ではJ1で3位の水準であった。
- ^ 新型コロナウイルスの感染拡大により無観客で開催
- ^ 栃木SCへの期限付き移籍期間を除く。
- ^ 朝鮮籍の安英学、在籍時二重国籍の中島ファラン一生、日本国籍を取得したマイケル・ジェームズを含める。
- ^ 成績不振により解任された吉田達磨の後任としてコーチから監督に昇格する形でシーズン終了まで指揮した。片渕は翌年からコーチに復帰した後、暫定監督を含めて2度指揮している。
- ^ 選手の配置は実際のポジションと異なる選手もいるが、紙面に掲載された順に配置した。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “クラブガイド:アルビレックス新潟”. 日本プロサッカーリーグ. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “危うく「オラッタ新潟」になりそうだったアルビレックス新潟”. @morimori206 (2019年3月25日). 2023年10月5日閲覧。
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- ^ 『アルビレックス新潟FCプノンペン、創立!』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2013年10月16日 。2023年1月6日閲覧。
アルビレックス新潟 (2次)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 14:43 UTC 版)
「矢野貴章」の記事における「アルビレックス新潟 (2次)」の解説
2012年2月8日、古巣新潟への完全移籍での復帰が発表された。背番号は前回所属時の11番をFWブルーノ・ロペスが背負っていたため、空いていた9番を背負うこととなった。1年半ぶりの復帰となった新潟ではリーグ戦開幕から未勝利のまま低迷していたチームの初勝利となった第6節セレッソ大阪戦で決勝点を挙げるなどしたものの、出場したリーグ戦30試合は主に途中出場で、得点も2得点に留まるなど、低迷したチームの中、期待通りの活躍が出来ずにシーズンを終えた。
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アルビレックス新潟 (3次)
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「矢野貴章」の記事における「アルビレックス新潟 (3次)」の解説
2017年より古巣・新潟に復帰。同年8月5日、第20節の横浜Fマリノス戦で、史上49人目となるJ1リーグ通算350試合出場を達成した。 自身初のJ2で戦うことになった2018年より登録ポジションをFWに変更した。2019年を持って新潟を契約満了により退団。
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