D‐52とは? わかりやすく解説

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D‐52

分子式C20H24N6
その他の名称5-Methyl-6-[[methyl(tetralin-5-yl)amino]methyl]pyrido[2,3-d]pyrimidine-2,4-diamine、5-Methyl-6-[[methyl(5,6,7,8-tetrahydronaphthalene-1-yl)amino]methyl]pyrido[2,3-d]pyrimidine-2,4-diamine、D-52
体系名:5-メチル-6-[[メチル(テトラリン-5-イル)アミノ]メチル]ピリド[2,3-d]ピリミジン-2,4-ジアミン、5-メチル-6-[[メチル(5,6,7,8-テトラヒドロナフタレン-1-イル)アミノ]メチル]ピリド[2,3-d]ピリミジン-2,4-ジアミン


国鉄D52形蒸気機関車

(D‐52 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 08:51 UTC 版)

D52形蒸気機関車(D52がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄、製造時は鉄道省運輸通信省)の貨物用テンダー式蒸気機関車である。 愛称はデゴニ


D52形製造一覧
(上段:番号 下段()内:製造番号)
年度 鉄道省→運輸通信省工場 民間工場 合計
浜松工機部 鷹取工機部 日本車輌 川崎車輛 日立製作所 汽車製造 三菱重工業 番号 両数
1943年度 D52 1-5
(89-93)
D52 21-24
(59-62)
D52 123-132
(2390-2399)
D52 1-5, 21-24
123-132
19両
1944年度 D52 6-15
(94-103)
D52 25-33
(63-71)
D52 41-58
(1319-1330, 1374-1379)
D52 68-97
151-152[表注 1], 198-227
(2972-2978, 2986-2990
2994,2998, 2995-2996
2997,2999, 3047-3058
3060-3061, 3064-3071
3073-3075, 3077-3078
3080-3086, 3088-3089
3092-3100)
D52 98-122
393-408
(1734-1736, 1838-1847
1894-1905, 1960-1975)
D52 133-142
333-368
(2433-2442, 2458-2459
2467-2494, 2497-2502)
D52 143-150
443-451,453
(469-476, 477-485, 487)
D52 6-15, 25-33, 41-58, 68-122
133-152, 198-227
333-368, 393-408
443-451, 453
204両
1945年度 D52 59-62[表注 2]
(1409-1412)
D52 228-238
(3101-3111)
D52 409-423
(1976-1990)
D52 369-384
(2503-2518)
D52 452, 454-468
(486, 488-502)
D52 59-62
228-238
369-384
409-423, 452, 454-468
62両
番号 D52 1-15 D52 21-33 D52 41-62 D52 68-97
151-152, 198-238
D52 98-122
393-423
D52 123-142
333-384
D52 143-150
443-468
D52 1-15, 21-33, 41-62, 68-152
198-238
333-384, 393-423
443-468
285両
両数 15両 13両 22両 73両 56両 72両 34両
  1. ^ 蒸気機関車研究家の金田茂裕は「D52 151-152号機は三菱重工業で製造予定であったが、川崎車輛に製造が代替された。」と推測している[84]一方、同じく高木宏之は発注時から川崎車輛に割当られた番号としている[32]
  2. ^ D52 60-62号機の実際の竣工は1946年度であり、D52 60号機が1946年4月9日、61号機が4月13日、62号機が4月16日[85]
D52形発注年度別製造両数一覧[32]
(上段:両数、下段()内:予定機番)
年度 鉄道省→運輸通信省工場 民間工場 合計
浜松工機部 鷹取工機部 日本車輌 川崎車輛 日立製作所 汽車製造 三菱重工業
1943年度 20両
(D52 1-20)
20両
(D52 21-40)
27両
(D52 41-67)
30両
(D52 68-97)
25両
(D52 98-122)
20両
(D52 123-142)
8両
(D52 143-150)
150両
(D52 1-150)
1944年度 0両 0両 0両 60両
(D52 151-152, 198-255)
50両
(D52 393-442)
60両
(D52 333-392)
50両
(D52 443-492)
220両
(D52 151-152, 198-225
333-492)
合計 発注分 20両
(D52 1-20)
20両
(D52 21-40)
27両
(D52 41-67)
90両
(D52 68-97
151-152, 198-255[表注 1])
75両
(D52 98-122
393-442)
80両
(D52 123-142
333-392)
58両
(D52 143-150[表注 2])
443-492)
370両
(D52 1-152[表注 3], 198-225[表注 4]
333-492)
うち竣工分 15両
(D52 1-15)
13両
(D52 21-33)
22両
(D52 41-62)
73両
(D52 68-97
151-152[表注 5], 198-238)
56両
(D52 98-122
393-423)
72両
(D52 123-142
369-384)
34両
(D52 143-150
443-468)
285両
(D52 1-15, 21-33, 41-62, 68-152
198-238
333-384, 393-423
443-468)
  1. ^ D52 256-332号機を川崎車輌発注分とする文献[82]がある一方、蒸気機関車研究家の金田茂裕は「何の確証もないが、故意に空番を作って各工場の生産能力を外部から知られ難くするための工作であったと考えられるのではないか」と推測している[84]
  2. ^ D52 153-197号機を三菱重工業発注分とする文献[82]がある一方、蒸気機関車研究家の金田茂裕は「何の確証もないが、故意に空番を作って各工場の生産能力を外部から知られ難くするための工作であったと考えられるのではないか」と推測している[84]
  3. ^ D52 153-197号機は予定欠番[32]
  4. ^ D52 256-332号機は予定欠番[32]
  5. ^ 蒸気機関車研究家の金田茂裕は「D52 151-152号機は三菱重工業で製造予定であったが、川崎車輛に製造が代替された。」と推測している[84]一方、同じく高木宏之は発注時から川崎車輛に割当られた番号としている[32]
D52形主要諸元一覧[表注 1]
形式 D52形 (参考)D62形
種別 原形 装備改造 重量型
ボイラー区分 ボイラー甲・乙
(燃焼室甲)
ボイラー丙
(燃焼室乙)
ボイラー甲・乙
(燃焼室甲)
ボイラー丙
(燃焼室乙)
ボイラー甲・乙
(燃焼室甲)
ボイラー丙
(燃焼室乙)
寸法 軌間 1067 mm
全長 21005 mm 21105 mm
全高 3982 mm
固定軸距 4650 mm
動輪径 1400 mm
先輪径 860 mm
従輪径 860 mm
走行装置 軸配置 1D1 1D2
シリンダ数 単式2気筒
弁装置 ワルシャート式
シリンダ(径×行程) 550 mm × 660 mm
先台車形式 LT128
従台車形式 LT157A/LT157B LT254
ボイラー ボイラー中心高 2550 mm
ボイラー内径(第2缶胴) 1846 mm
ボイラー圧力 1.57 MPa
ボイラー水容量 9.6 m3 9.5 m3 9.6 m3 9.5 m3 9.6 m3 9.5 m3
大煙管(径×長×本数) 140 mm × 5500 mm × 35本
小煙管(径×長×本数) 57 mm × 5500 mm × 94本
火格子面積 3.85 m2
過熱伝熱面積 77.4 m2
全蒸発伝熱面積 167.5 m2 167.1 m2 167.5 m2 167.1 m2 167.5 m2 167.1 m2
煙管蒸発伝熱面積 147.4 m2
火室伝熱面積 17.9 m2 17.5 m2 17.9 m2 17.5 m2 17.9 m2 17.5 m2
アーチ管伝熱面積 2.2 m2
煙管伝熱面積 147.7 m2
全伝熱面積 224.9 m2 224.5 m2 224.9 m2 224.5 m2 224.9 m2 224.5 m2
運転整備重量 機関車重量 84.50 t[表注 2] 84.30 t 85.13 t 87.74 t
動輪上重量 64.75 t[表注 3] 64.60 t 66.29 t 64.33 t
炭水車重量 54.10 t 51.76 t
総重量 138.60 t 138.40t 136.89 t 139.50 t
軸重 先輪 7.35 t 7.30 t 7.15 t 9.31 t
第1動輪 16.16 t 16.02 t 15.70 t 16.04 t
第2動輪 16.28 t[表注 4] 16.28 t 16.63 t 16.15 t
第3動輪 16.24 t 16.24 t 16.56 t 16.22 t
第4動輪 16.07 t 16.06 t 16.40 t 15.92 t
従輪 12.40 t 12.40 t 12.69 t 各8.05 t
炭水車第1輪 12.30 t 12.04 t
炭水車第2輪 12.30 t 12.04 t
炭水車第3輪 14.75 t 13.84 t
炭水車第4輪 14.75 t 13.84 t
空車重量 機関車重量 73.90 t 73.75 t 74.42 t 77.03t
動輪上重量 56.43 t 56.32 t 56.95 t 56.46 t
炭水車重量 17.10 t 19.74 t
総重量 91.00 t 90.85 t 94.16 t 94.16 t
軸重 先輪 7.21 t 7.17 t 6.84 t 6.84 t
第1動輪 15.78 t 15.70 t 14.99 t 14.99 t
第2動輪 13.54 t 13.53 t 13.99 t 13.99 t
第3動輪 13.79 t 13.78 t 14.21 t 14.21 t
第4動輪 13.32 t 13.31 t 13.76 t 13.76 t
従輪 10.26 t 10.26 t 10.63 t 10.63 t
炭水車第1輪 4.21 t 5.47 t
炭水車第2輪 4.21 t 5.47 t
炭水車第3輪 4.34 t 4.40 t
炭水車第4輪 4.34 t 4.40 t
炭水車 炭水車形式 12-25形 10-22AS形
石炭搭載量 12.0 t 10.0 t
水槽容量 25.0 m3 22.0 m3
制動装置 ET6自動空気ブレーキ
最高運転速度 85 km/h
シリンダ引張力 190.1 kN
粘着引張力 158.7 kN 158.3 kN 162.4 kN 157.6 kN
  1. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』掲載の形式図、諸元表[140]をベースに一部『機関車の系譜図 4』[25]、『国鉄蒸気機関車史』[141]より補足。
  2. ^ 84.54 tとする文献もある[23]
  3. ^ 64.79 tとする文献もある[23]
  4. ^ 16.32 tとする文献もある[23]

戦時中の運用

D52形配置一覧(1946年3月末)[102]
鉄道局 機関区 番号 両数
札幌鉄道局 長万部機関区 D52 21, 31, 46-52, 94-97, 111-113, 146, 151-152, 205-208, 220-222, 345-348 30両 285両
東京鉄道局 大宮機関区 D52 26, 131, 380-381, 402, 417-419 8両 40両
新鶴見機関区 D52 28[表注 1], 70[表注 1], 72[表注 1], 78, 130, 235, 420-423 10両
国府津機関区 D52 2-3, 4[表注 1], 5, 7[表注 1], 8, 62, 234, 379, 382-384 12両
沼津機関区 D52 59-60, 61[表注 1], 236-238, 465[表注 1], 466-468 10両
名古屋鉄道局 静岡機関区 D52 204, 215, 217, 360, 403[表注 2], 409-411 8両 73両
浜松機関区 D52 53-58, 114-115, 211-214, 216, 218-219, 361-363 18両
稲沢機関区 D52 1, 9-14, 41-43, 99, 133-137, 139-140, 201-203, 336-338, 375-378, 414-415, 462 31両
米原機関区 D52 15, 44-45, 209[表注 3], 210, 333-335, 339, 343-344, 404-405, 412-413, 416 16両
大阪鉄道局 梅小路機関区 D52 354, 356-359, 364-366, 368 9両 80両
吹田機関区 D52 32-33, 102-109, 198-199, 223-233, 340-342, 353, 355, 406-407 30両
鷹取機関区 D52 89, 110, 138, 200, 393-395, 408 8両
姫路機関区 D52 22-24, 29-30, 73, 74, 80-82, 83[表注 4], 84-87, 90[表注 5], 91[表注 6], 92-93, 141-142, 147-149, 351-352, 367, 369-374 33両
広島鉄道局 岡山機関区 D52 117, 119-121, 150, 445-447, 461 9両 62両
糸崎機関区 D52 122, 144-145, 451-453, 460 7両
広島第一機関区瀬野支区[表注 7] D52 123, 444, 449, 459 4両
広島第一機関区 D52 79, 98, 100, 116, 118, 124, 129, 396, 448, 450, 463-464 12両
岩国機関区 D52 401, 443, 458 3両
小郡機関区 D52 75-77, 101, 125-127, 132, 143, 349-350, 397-400, 454-457 19両
下関機関区 D52 6, 25, 27, 68-69, 71, 88[表注 8], 128 8両
  1. ^ a b c d e f g 1946年時点で特別休車中[102]
  2. ^ 新造から1949年5月16日]まで第1種休車、その間未使用[102]
  3. ^ 1945年10月19日醒ケ井駅でのボイラー破裂事故により破損、1947年6月25日廃車[102]
  4. ^ 1945年8月11日のボイラー破裂事故により破損、1946年11月28日廃車[102]
  5. ^ 1945年1月19日の西明石駅付近での空襲の際に軌道上の爆裂孔に転落して埋没、その後特別休車、1949年3月29日廃車[102]
  6. ^ 1945年に川崎車輌神戸工場に入場中に空襲にて被災、1946年11月28日廃車[102]
  7. ^ 1946年4月1日に瀬野機関区に改称
  8. ^ 1945年に日立製作所笠戸工場入場中に空襲で被災、1947年6月25日廃車[102]

戦後の運用

D52形牽引トン数推移[149]
上段:牽引トン数、下段:均衡速度
通貨[表注 1]甲A[表注 2] 通貨丙C[表注 3] 通貨戌A[表注 4] 通炭[表注 5]丙C 備考
10パーミル 25パーミル 10パーミル 25パーミル 25パーミル 10パーミル 25パーミル
1943年 750 t
31 km/h
330 t
25 km/h
1100 t
19 km/h
450 t
19 km/h
- 1200 t
17 km/h
-
1945年 - 900 t
25 km/h
350 t
24 km/h
- 炭質低下のため牽引トン数削減
1946年 950 t
25 km/h
1950年 1200 t
17 km/h
- 400 t
20 km/h
D52形、D62形(軸重軽減改造未実施)共通
  1. ^ 貨車とその他車両で組成された通過列車
  2. ^ 速度種別:勾配10パーミルで均衡速度28 km/h、25パーミルで25 km/h
  3. ^ 速度種別:勾配10パーミルで均衡速度18 km/h、25パーミルで18 km/h
  4. ^ 速度種別:勾配5パーミルで均衡速度22 km/h
  5. ^ 石炭だけを積載した列車で組成された通過列車
D52形配置変遷(1946年 - 1972年)
鉄道局(1950年まで) 鉄道管理局(1950年以降) 機関区 時期
1944年
1月1日[165]
1946年
3月31日[102]
1949年
1-7月[表注 1][166]
1955年
2月1日[167]
1959年
4月1日[168]
1965年
4月
1969年
3月31日[169]
1972年
3月31日[102]
札幌鉄道局 青函船舶鉄道管理局 長万部機関区 30両 14両[表注 2]
五稜郭機関区 13両 15両[表注 3] 10両[表注 4]
東京鉄道局 東京鉄道管理局 高崎第二機関区 3両
大宮機関区 8両 7両 1両[表注 5]
新鶴見機関区 10両[表注 6] 9両
国府津機関区 12両[表注 7] 6両 6両 7両 6両
静岡鉄道管理局 沼津機関区 10両 6両 8両 3両[表注 8]
名古屋鉄道局 静岡機関区 8両[表注 5] 3両
浜松機関区 1両 18両 23両[表注 5]
名古屋管理鉄道局 稲沢機関区→稲沢第一機関区 31両 25両 10両[表注 4][表注 9]
米原機関区 16両 16両 13両[表注 4][表注 10]
大阪鉄道局 大阪鉄道管理局 梅小路機関区 9両 2両
吹田機関区→吹田第一機関区 3両 30両 18両 34両[表注 11] 7両[表注 12] 11両
鷹取機関区 8両 8両
姫路機関区→姫路第一機関区 33両[表注 8] 11両 16両 15両[表注 7]
広島鉄道局 岡山鉄道管理局 岡山機関区 9両 4両 13両 29両[表注 3]
糸崎機関区 7両 4両 11両 13両
広島鉄道管理局 広島第一機関区→広島機関区 12両 2両 19両[表注 5] 24両[表注 4] 15両
広島第一機関区瀬野支区→瀬野機関区 4両 14両 13両 14両[表注 5]
岩国機関区 3両 2両
柳井機関区 2両 10両 18両
小郡機関区 19両 3両[表注 13] 17両[表注 5] 32両[表注 5] 37両
下関機関区 8両 7両[表注 13]
門司鉄道局 門司鉄道管理局 門司機関区 6両
4両 285両[表注 14] 189両[表注 15] 161両 160両 100両 15両 10両
  1. ^ 札幌鉄道局は1月1日、東京鉄道局は7月1日、その他は6月1日
  2. ^ うち5両は第一種休車
  3. ^ a b うち2両は第一種休車
  4. ^ a b c d うち3両は第一種休車
  5. ^ a b c d e f g うち1両は第一種休車
  6. ^ うち3両は特別休車
  7. ^ a b うち2両は特別休車
  8. ^ a b うち1両は特別休車
  9. ^ このほかD62形5両が配置
  10. ^ このほかD62形9両が配置
  11. ^ このほかD62形6両が配置
  12. ^ このほかD62形19両(うち16両が第一種休車)が配置
  13. ^ a b 入換用に区分
  14. ^ 事故により現車が存在しな機体がある
  15. ^ 1-7月の各区配置両数の合計

注釈

  1. ^ 石炭、鉄鋼、アルミニウム造船航空機、1942年11月に内閣に設置された臨時生産増強委員会設置要綱[10]による
  2. ^ 揮発性成分は不完全燃焼を起こしやすく、完全燃焼させるためには火室内での滞留時間を長くする必要があるとされている[36]
  3. ^ 鉄道省(国鉄)の国産過熱式蒸気機関車で火格子面積/火室容積比がこの範囲の火室を有するのは8620形C50形および本形式と本形式のボイラーを使用するD62形、C62形のみとなっている[38]
  4. ^ 1929年の第13回車両研究会において、南満洲鉄道から「火室容積が過小なときは炭素および揮発物は火室内で酸素と十分に混合する時間を与えられずに、煙管に入るため完全な燃焼が行われず煙突から逃げる損失が増大してボイラの効率を低下する。火室容積を制限なく大にすることも不可であって、火格子面積に対して適当な比を持つべきである。火格子面積1 m2に対して1.6 - 2 m3の火室容積を持つのがよい(以下略)」との意見がなされている[37]
  5. ^ 1933年度の車両研究会特別委員会では、減却償却を考慮しても相当な利点があり、ボイラーの保守上も有効なことが認められ「将来大形機関車を設計するときはこれを参考とする」との決議がなされた[40]
  6. ^ LTはLocomotive truckの略、百位は軸数、十位は復元装置の方式で1:エコノミー式、2:コロ式、3:傾斜面式、4:リンク式、5:バネ式、一位は製造順をそれぞれ表している[48]
  7. ^ 1936年の第27回車両研究会で取り上げられたもので、「主台ワク板を鋳鋼製とすることの可否は現状では一概に断定できない。機関車の設計に当つて適当に選択すべきである」と決議された[54]
  8. ^ 機関車の台枠に厚鋼板を使用することは、軍艦装甲板用厚鋼板製造ラインを維持する目的があった[54]
  9. ^ 書類上ではD51 354-359, 403-405号機の計9両が鋳鋼製台枠を使用していると確認できる[56]
  10. ^ 『機関車の系譜図 4』ではD52 380-384号機の5両とされている[63]。また、D52 362号機およびD62 16号機の第3動輪、D52 16号機の第2動輪もディスク輪心のものを装備していたことがあるが、これらは後年の振替によるものとされている[61]一方、D52 383号機の第4動輪は後年通常のボックス輪心のものを装備している[63]
  11. ^ Westinghouse Air Brake Company, Pittsburgh(WABCO)
  12. ^ 0.288 m3のD51形や0.203 m3のC57形(戦前型)、0.244 m3のC59形(戦前型)よりは大容量であるが、0.368 m3のC57形(戦後型)や0.380 m3のC59形(戦後型)およびC62形、0.381 m3のC61形よりは容量が小さいものとなっている[69]
  13. ^ 同時期の戦時型D51と同様な省力化・省資材化の手法で、モノコック構造の鉄道車両への本格採用が1950年代中期近くとなった日本における、例外的な採用例であり、一部の設計を変更した形で終戦後に増備された中・大型の旅客用蒸気機関車にも導入されている。
  14. ^ 無台枠構造の炭水車は遣独潜水艦作戦でもたらされたドイツの最新技術資料に含まれていたドイツ国鉄の戦時設計蒸気機関車である52形の炭水車に刺激されたものという説がある[72]
  15. ^ アメリカのBettendorf Axel Companyが開発したもので、この台車やD51形戦時型の10-20形炭水車が使用したLT205形はその後、軸距を元の1,700 mm から1,650 mm に縮小改設計した上で、1948年製のトキ15000形以降、多くの貨車にTR41形として使用されている。
  16. ^ 鉄道省の工場は1942年9月に工機部に改称され、1950年8月に工場という名称に戻されている[78]
  17. ^ 機関車番号「1」は、最も早く完成させた工場に当時の東條総理大臣を迎えて渡されるとされていたため、1943年9月から製造を開始し浜松・鷹取の両工機部が早期竣工を競った。当初鷹取工機部は浜松工機部より5 - 10日程度製造工程が遅れていたが、浜松を追い抜こうという合言葉のもとにいろいろな悪条件を克服し、徹夜作業で数日は家に帰らぬ者も多く、1943年12月17日23時、初号機の構内試運転を実施して浜松工機部より1日早く竣工させた。しかし、機関車の竣工直前になって東京側に近い工場から順次機関車番号が割当てられることになり、初号機は「D52 21」となった[79]
  18. ^ 煙室扉の気密がよくない場合、そこから入った空気とシンダが接触して煙室内で燃焼することにより煙室が焼損し、これにより煙室扉が歪んでさらに気密性が悪くなる。
  19. ^ 1945年8月11日山陽本線万富駅でボイラーが破裂する事故が発生。乗務員は50 mも吹き飛ばされた。1945年12月7日には、三石 - 吉永間でD52 371号機の焚口から蒸気が噴き出す事故が発生し、乗務員が飛ばされた。これは、火室の中の天井板の破裂が原因である[90]
  20. ^ 缶胴と煙室管板の間の前隅板控も後隅板控と同様に板厚を薄くして溶接構造としているが、使用状況は後隅板控と比べ良好であった。
  21. ^ 旅客用のC59形の戦後製造の機体の炭水車も同様の構造であったが、こちらは支障なく運用されていたため、貨物用の本形式における不具合は、貨車入換中の車端衝撃が最大の要因と考えられている[95]
  22. ^ 約20 km/h以下ではシリンダー牽引力が同じD51形と同等の性能、ボイラー蒸発力に依存する約25 km/h以上ではD52形と同等の性能で、約20 - 25 km/hでは両形式の中間の性能であった[101]
  23. ^ C62 2-3号機向けのものの機関部には南満洲鉄道向けの在庫品が流用されているほか、本省基本形の機関部分はシリンダ径 × ストロークが120 mm × 120 mmの小型のものとなっている[106]
  24. ^ D52 32, 89, 102, 198号機など[117]
  25. ^ D52 136号機は角ブッシュ式の主連棒を装備するが、その経緯や他の機体にも存在するかは不明である[119]
  26. ^ 特に長距離運用に適することが判明したものの[118]、使用するグリースにより保守に難易があり、試験当時では輸入品のグリース以外は成功しておらず、良質な国産グリースの研究が進められていた[120]
  27. ^ 山科駅構内で発生したもので、設計上では1枚板の設計であった火室部を突合溶接で組立てていたものが疲労破壊したと考えられている [86]
  28. ^ D52 28, 89, 136, 138, 140, 201-202, 204, 217, 235, 400, 404, 414, 468号機[128]
  29. ^ D52 1, 4, 43, 56-58, 109, 115, 130, 136-138, 142, 148-149, 198, 202-204, 224-225, 229, 232, 235, 340, 362-363, 365, 373, 376, 404-405, 468号機[134]
  30. ^ 戦時設計のEF13形は設計上はEF12形と同一性能であったが、当初は牽引定数は同形式より低く設定されており[144]、1948年の装備改造以降にEF12形と同じく東海道本線において1200 t牽引となった[145]
  31. ^ このほか、全軸距5500 mmがあるのに対し建設規定の固定軸距制限が4600 mmであるため、3軸とも横動量を付与した可動軸としたほか[146]、中梁を側梁よりも110mm 低くして連結器の中心線と同一高さとして車端衝撃による曲げモーメントを0とすることで、中梁の断面を小さいものとして資材の節約を図ったことが特徴となっている[147]
  32. ^ 経営合理化の一環として設定されたもので、夏期と冬期の温度差による走行抵抗ならびに蒸気機関車性能の相違を考慮して、隧道区間および粘着力の影響の小さい区間の牽引定数を10 %向上した[148]
  33. ^ 25 ‰の勾配が連続する路線ではあるが輸送量は多くない御殿場線への本形式の配置について、鉄道ファンの松本謙一は東海道線支障時の迂回運転や東富士演習場への兵器等の運搬等のためと推測している[157]
  34. ^ 復元に際し中心的な役割を担っていた国鉄OBが直後に急逝し、次回の運行を中止すると報じられた[178]が、役割は国鉄OBと交流があった人物に引継がれた[179]

出典

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