2001年宇宙の旅とは? わかりやすく解説

2001年宇宙の旅

原題:2001: A Space Odyssey
製作国:アメリカ
製作年:1968
配給:MGM配給
スタッフ
監督:Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック
製作:Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック
脚本:Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック

Arthur C. Clark アーサー・C・クラーク
撮影:Geoffrey Unsworth ジェフリー・アンスワース
SFX:Wally Veevers ウォーリー・ヴィーヴァーズ

Douglas Trumbull ダグラス・トランブル

Con Pederson コン・ペダーソン

Tom Howard トム・ハワード
美術:Tony Marters トニー・マスターズ

Harry Lange ハリー・ラング

Ernest Archer アーネスト・アーチャー
編集:Ray Lovejoy レイ・ラヴジョイ
衣装(デザイン):Hardy Amies ハーディ・エイミーズ
スクリプター:John Alcott ジョン・オルコット

Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック
キャスト(役名
Keir Dullea ケア・ダレー (Bowman
Gary Lockwood ゲイリー・ロックウッド (Poole
William Sylvester ウィリアム・シルベスター (Dr. Heywood Floyd
Daniel Richter  (Moonwacher)
Douglas Rain ダグラス・レイン (Hal 9000
Leonard Rossiter レナード・ロジター (Smyslov)
Margaret Tyzack マーガレット・タイザック (Elena
Robert Beatty ロバート・ビーティ (Hlvorsen)
Sean Sullivan  (Michaels)
Frank Miller フランク・ミラー (Mission Controller
解説
科学小説作家アーサー・C・クラークと「博士の異常な愛情」のスタンリー・キューブリックが製作・監督したSF撮影は「オセロ」のジョフリー・アンスワース、補助撮影ジョン・オルコット担当した。なお、特殊撮影効果のすべてはキューブリック考案監督のもとに行われたセットの製作デザイントニー・マスターズハリー・ラングアーネスト・アーチャーの3人を中心にデザイナー製図工35人が動員された。特殊効果監督には、ウォリー・ビーヴァーズ、ダブラス・トランブル、コン・ペダーソントム・ハワード、の3人があたり衣裳は、ハーディ・エイミーズ担当した。そして、この映画科学技術的に正確にするため、キューブリック監督アメリカ航空宇宙局多く科学者アメリカおよびイギリス主要な科学研究所大学密接な提携をし、撮影中は、3人の一流科学者技術顧問としてつき添った。それはもと陸軍弾道ミサイル部のフレドリック・J・オーダウェイとハリーH・Cレンジ、元航空宇宙局宇宙飛行センター勤務で、今はアラバマ州ハンツビルジェネラル宇宙飛行研究会社のジョー・C・ジマーシャルである。出演は「女狐」のキア・デュリアTVや「ヤング・ヤング・パレード」のゲイリー・ロックウッド、「BM15必死の潜行」のウィリアム・シルヴェスター、「キッスは殺しのサイン」のレナード・ロシター、「BM15必死の潜行」のマーガレット・タイザックコンピューター扮するダグラス・レインである。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
旅客用宇宙飛行オリオン号がケープケネディ空港から月に向かって飛び立った旅客中にはフロイド博士ウィリアム・シルベスター)がいる。彼は最近月面発見され謎の物体について専門技術家、学者たちが月の基地で開く会議出席するのである。約1時間後、第5宇宙ステーション到着した。やがてフロイド博士は月宇宙船エアリーズ号に乗りかえ2日後月世界到着。月の基地では謎の物体をめぐる議論に花がさき、博士物体をこの目で確かめるため、数人科学者とともに、月の1キロほど上空を飛ぶ月バス乗り問題の場所、テイショ火口行った現地では石碑のような物体発掘され木星向かって強烈な放射能発射していた。この事件は、地球人が、ほかの惑星何者かから挑戦受けた最初出来事である。この事件調査するため、科学者たちは、原子力宇宙船ディスカバリー号木星向かって旅立った宇宙船操縦していたプール飛行士ゲイリー・ロックウッド)とボウマン隊長キア・デュリア)は、コンピューターからのただならぬ注意信号受信した。2時間半後に原子力宇宙船故障が起こる、というのだ。プール飛行士宇宙カー乗りこみ、アンテナ取り替えた。ところが、コンピューターまたもや次の故障が起こると予言してきた。プール飛行士は再び宇宙カー乗りアンテナ取り替え作業始めたが、こんどは彼自身事故起こり宇宙服命綱切れて暗黒宇宙空間放り出された。ボウマンは、もう1隻の宇宙カー乗りプール飛行士助け行ったが、宇宙カー自由に動かない。やっと接近したものの、マジック・ハンド装置がいうことをきかず、プール飛行士助けることはできなかった。急いで母船帰ろうとしたボウマン格納庫近づくと、急にドアが閉まり、中に入れないばかりか宇宙船内部では人工冬眠カプセルにも故障起こり冬眠中の科学者次々と死んでいった。一体、このような事故は何故起きたのだろう? すべての原因コンピューター人間支配しはじめたのであるボウマンコンピューター壊した。そして再び人間指導をとった。果てしなく広がる宇宙空間人間が完全に支配する日も、そんなに遠くはないだろう

2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 15:11 UTC 版)

2001年宇宙の旅』(にせんいちねんうちゅうのたび、原題:2001: A Space Odyssey)は、1968年叙事詩的SF映画。 製作・監督はスタンリー・キューブリック、脚本はキューブリックとアーサー・C・クラーク


注釈

  1. ^ 骨から直結されたのが、パンアメリカン航空(PAN AM)のマークをつけた宇宙船と勘違いされることがあるが、パンナム便は最初の宇宙船の後で出てくるので、骨と直接つながってはいない。
  2. ^ 続編の映画『2010年』冒頭によると、月のモノリス発見が1999年、ディスカバリー号内の出来事が2001年の出来事とされている。
  3. ^ 日本語字幕では「吸盤靴」と翻訳されている他、「磁力靴」とされている場合もある。
  4. ^ 現実世界では2001年以前の1991年に破産している。
  5. ^ 公開当時は「ケア・ダレー」と表記されていた。※どこで?
  6. ^ キューブリック監督の実の娘。
  7. ^ 公開当時は「カブリック」の表記だった。のちに「クブリック」となり、更に現在の「キューブリック」に落ち着いた。
  8. ^ それでもディスカバリー号の食事シーンで映るタブレットPC"Tele Pad"にはIBMのロゴが残っている
  9. ^ 結果的に2001年前に同社が何らかの憂き目によって、社名の変更や倒産した場合、途端に時代遅れの作品というリスクを避けられた。
  10. ^ 同じく1993年発売で冒頭曲「ファンファーレ」を収録したエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるテラーク・レーベルのアルバム「ハリウッド・グレイテスト・ヒッツ Vol.II(CD-80319,1992年12月録音)」の解説ではノースの未亡人から譲り受けたスコアを演奏に用いたという記述がある。
  11. ^ なお、ノースが本作のために書いたスコアは1968年の『栄光の座』、1974年の"Shanks"、1981年の『ドラゴンスレイヤー』に部分的ながら転用された。この3作はいずれもアカデミー作曲賞にノミネートされている。
  12. ^ フランク・ボーマン(Frank Borman)とデヴィッド・ボーマン(David Bowman)では若干スペルが異なる。
  13. ^ カラヤンの『ツァラトゥストラはかく語りき』セッション録音は3種あり、ベルリン・フィル版はいずれも映画の公開より後である。(1) ウィーン・フィル(英デッカ・レコード、1959年3月(32'45"))、(2) ベルリン・フィル(ドイツ・グラモフォン、1973年1月・3月(34'54"))(3) ベルリン・フィル(ドイツ・グラモフォン、1983年9月(35'57"))
  14. ^ a b 日本語のライナーノートでは「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」と誤記されている。
  15. ^ 10月8日から11日までを除く

出典

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)251頁
  2. ^ a b 2001年宇宙の旅[吹替補完版]”. 2016年10月28日閲覧。
  3. ^ Baxter, John (1997). Stanley Kubrick: A Biography. New York: Basic Books. p. 200. ISBN 0-7867-0485-3. https://archive.org/details/stanleykubrickbi00baxt/page/200 
  4. ^ 1988年キネマ旬報社刊『キューブリック好き!』より。
  5. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.73-74
  6. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.78
  7. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.80-89
  8. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.111、115、133-134
  9. ^ 海洋堂の「ディスカバリー号」プロップ再現モデル、受注受付開始 - GAME Watch
  10. ^ 2001:キューブリック、クラーク ISBN 9784152098269
  11. ^ 2001: A Space Odyssey: Special Edition #60 (1968) (Uncut)”. LaserDisc Database. 2015年11月9日閲覧。
  12. ^ 指揮:ジェリー・ゴールドスミス、演奏:ナショナル・フィルハーモニー・オーケストラ
  13. ^ Music for 2001: A Space Odyssey (The Original Score by Alex North) - オールミュージック. 2015年11月9日閲覧。
  14. ^ シネマトゥデイの記事[1]
  15. ^ ワーナー ブラザース ジャパンの公式サイト[2]
  16. ^ ハヤカワ文庫SF旧版(SF243)17章 p. 123より「その背後の長いすらりとしたVの字は、原子炉の余剰熱を消散させる放射翼。(略)最大の推力で加速していたときにはサクランボウ色に輝いていた巨大な放射翼も、今では黒く冷たい」、29章 p. 191より「数千平方フィートの放射翼」
  17. ^ 『S-Fマガジン』1980年10月号の「スタジオぬえのスターシップ・ライブラリー」、『スタジオぬえメカニックデザインブック』では p.177
  18. ^ 2001: A Space Odyssey - オールミュージック. 2015年11月9日閲覧。
  19. ^ 「2001年宇宙の旅」オリジナル・サウンドトラック (東芝EMI): 1999”. 国立国会図書館. 2015年11月9日閲覧。
  20. ^ 製作50周年記念 『2001年宇宙の旅』70mm版特別上映 | 国立映画アーカイブ”. www.nfaj.go.jp. 2018年9月3日閲覧。
  21. ^ “映写技師の奮闘に拍手巻き起こる!「2001年宇宙の旅」70ミリ版上映がスタート”. 映画.com. https://eiga.com/news/20181006/10/ 2018年10月19日閲覧。 
  22. ^ “「2001年宇宙の旅」70ミリ版、全回満席で終了 10月19日からIMAX劇場上映スタート”. 映画.com. https://eiga.com/news/20181017/18/ 2018年10月19日閲覧。 
  23. ^ https://www.nytimes.com/2018/05/11/movies/2001-a-space-odyssey-christopher-nolan-cannes.html
  24. ^ “「2001年宇宙の旅」がUHD BD化。BDもリマスター。2週間限定でIMAX上映も”. AV Watch. https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1143979.html 2018年10月19日閲覧。 



2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 05:02 UTC 版)

ジャンプカット」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

太古の昔、ヒトザルが武器とする獣骨が宙を舞い次の瞬間、それが棒形の軍事衛星替わる宇宙時代達してもなお争い繰り返す人類未熟さ象徴するこの有名なシーンは、俗に映画史最大ジャンプカット」などと呼ばれることがある。しかし類似のイメージを繋ぐこの手法は、正しくマッチカットである。

※この「2001年宇宙の旅」の解説は、「ジャンプカット」の解説の一部です。
「2001年宇宙の旅」を含む「ジャンプカット」の記事については、「ジャンプカット」の概要を参照ください。


2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 23:05 UTC 版)

HAL 9000」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

映画版では1992年1月12日クラークによる小説版では1997年同日)、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のあるイリノイ州アーバナHAL研究所HAL Laboratories、小説邦訳では「HAL工場」)にて、同型機3号機として稼動状態に入ったとされている。開発者はシバサブラマニアン・チャンドラセガランピライ(通称チャンドラ博士)。 木星探査小説版では土星探査)のための宇宙船ディスカバリー号搭載され船内すべての制御をおこなっていた。チューリング・テストクリアする程の高度なコンピュータである。人間普通に会話コミュニケーション行いディスカバリー号乗員彼の異常について密談した際は窓越しに読唇術会話読み取る離れ業行っている。姉妹機SAL 9000 がある。 探査ミッション遂行のため、HAL 9000乗員話し合い協力するよう命令されていた。しかし一方で密かに与えられモノリス探査任務について、ディスカバリー号乗員に話さず隠せという命令受けていた。『2001年宇宙の旅』では、これら2つ指示矛盾に耐えきれず異常をきたし、ユニット間違った故障予知をはじめるなど奇妙な言動起こり最後に自分停止させようとする乗員排除しようとしたと考えられている。乗員が(死んで)いなくなれば永遠に話さずに済む。ミッション自分だけで遂行すればいいHAL 9000考えたことから、「コンピュータ反乱」の象徴ともなっている。 このため地球との交信アンテナ制御していたAE35ユニット故障誤情報出し修理為に船外出た乗員フランク・プールを遭難させ、冷凍冬眠状態の3人の乗員生命維持装置切って殺害した。さらにデビッド・ボーマン船長排除企てる失敗ボーマンによって自律機能停止された。ボーマンHAL 9000モジュール次々引き抜くなか、HAL 9000は「怖い」「やめてほしい」と訴えながら次第意識混濁させ、1992年HAL研究所チャンドラ博士によって開発されたこと、最初先生が『デイジー・ベル』の歌を教えてくれたことなど稼働初期記憶おうむ返し始め、『デイジー・ベル』を歌いながら機能停止したボーマン巨大モノリス調査中に消息を絶った後、ディスカバリー号と共に10年近く木星付近に放置されることになる。

※この「2001年宇宙の旅」の解説は、「HAL 9000」の解説の一部です。
「2001年宇宙の旅」を含む「HAL 9000」の記事については、「HAL 9000」の概要を参照ください。


2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 02:27 UTC 版)

アーサー・C・クラーク」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

詳細「2001年宇宙の旅」参照 クラークスタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』映画関わるようになった2人1964年ニューヨークで会い映画製作協力する可能性について話し合った。その過程クラーク短編前哨」(1948) を元にした物語とすることが決まった。元々はクラーク自身脚本書くことになっていたが、キューブリックブレインストーミングの中で、まずイマジネーション自由に羽ばたかせるために小説書き、それに基づいて映画作ってはどうかと提案したクラークは後に「そういう形で始まったが、最終的に小説脚本同時進行相互にフィードバックする形で進められた。だから私は映画試写見た後にいくつかの章を書き直した創作技法としては苦労が多いもので、これを楽しめる作家は滅多にいないだろう」と述べている。すなわち「映画原作本」「映画ノベライゼーション」といった関係ではない。映画劇場公開1968年4月であり、小説出版同年7月である。 最高のSF映画として全世界高く評価されており、日本の旧文部省が「特選」に指定した唯一のSF映画でもある。 映画製作忙しスケジュール合間を縫ってキューブリッククラーク小説について協力するのは難しかったクラーク1964年末に小説草稿完成させ、1966年予定されていた映画公開さきがけて1965年小説出版する予定だった。しかし映画公開1968年にまで延び小説その後完成した小説作者としてはクラークだけが記された。後にクラークは、キューブリッククラーク作者としての影響軽く見せかけるために状況操作し小説出版が後になることで映画ノヴェライゼーションあるかのように見せかけたと不満を述べている。様々な理由から物語の詳細小説映画では異なっている。映画には個々事象についてほとんど説明がない。一方クラーク小説版全ての事象について因果関係を完全に説明している。ジェームズ・ランディが後に述べたところによると、映画最初試写の際に宇宙飛行士11分間延々とジョギングしているシーン公開版ではカットされている)を見た後の休憩時間クラークが目に涙を浮かべて試写室を後にしたという。このシーンキューブリックアイデアで、宇宙旅行がいかに退屈なものかを示したのだという。 1972年クラークエッセイ失われた宇宙の旅2001』で映画作成時の状況について詳しく説明し主なシーン別バージョンについても説明している。1999年出版された A Space Odyssey特別版にはクラークによる小説映画リリースまでの経緯詳細に記した文章序文として掲載された。

※この「2001年宇宙の旅」の解説は、「アーサー・C・クラーク」の解説の一部です。
「2001年宇宙の旅」を含む「アーサー・C・クラーク」の記事については、「アーサー・C・クラーク」の概要を参照ください。


2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:31 UTC 版)

ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

映画『2001年宇宙の旅』中の、が他の群れ相手を棒で殴って殺す場面で第1部導入部」が使われていることは非常によく知られている。冒頭シーン模倣し日食などの天体現象図案化したデザインレコードCDジャケット多用されるほど、この映画楽曲与えた影響は強い。使用され演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるデッカ盤だった。ウィーン・フィルとの共演望みデッカ録音技術惚れ込んでいたというカラヤンが、それまで専属だったEMI並行する形で契約した最初の録音である(ウィーン・フィルデッカ専属だったため。また同時期にドイツ・グラモフォンとの録音も本格的に開始している)。映画使用され冒頭部最後パイプオルガン和音は、録音会場となったウィーンゾフィエンザールオルガン無かったため、郊外小さな教会収録しミキシングされた。キューブリック監督からの使用申請対しデッカ経営陣指揮者演奏団体表記しないことを条件したため映画成功する競合他社も争うようにこの曲のレコード発売しデッカ大変な損失被ったカラヤンデッカ製作会社MGM告訴検討したほどであった最初に発売されサウンドトラック盤にも、映画はまったく違うカール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団録音収録されていた(そのため、この演奏映画でも用いられているという誤情報一部流布した)が、最新サウンドトラックCD (EMI) にはカラヤン指揮デッカ録音あらため収録されている。 上記場面パロディとして作られた『メル・ブルックス/珍説世界史PARTI』の該当シーンにも当然のように使われていた。

※この「2001年宇宙の旅」の解説は、「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の解説の一部です。
「2001年宇宙の旅」を含む「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の記事については、「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の概要を参照ください。

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