龍門石窟とは? わかりやすく解説

りゅうもん‐せっくつ〔‐セキクツ〕【竜門石窟】


りゅうもんせっくつ 【竜門石窟】

中国河南省洛陽南方にある石窟寺院。伊水両岸の石灰岩の山にあり、北魏洛陽遷都してから唐中期まで約二五〇年間一三五二洞窟と約一〇体の仏像を刻む。伊闕とも。→ 石窟寺院

龍門石窟(中国)

龍門石窟

龍門石窟は、洛陽市の南約12Kmの所に位置し敦煌莫高窟大同雲岡石窟と並ぶ、中国三大石窟一つです。 歴史上洛陽はかつて後漢北魏武周などの時代に都として栄えた場所で、東漢時代仏教中国伝わり永平年間中国仏教名刹白馬寺建てられました。 北魏皇帝仏教重んじ則天武后仏教への信仰厚かったため、彼らは洛陽盛んに仏教建築建造しました。そのうち龍門石窟は最も有名なものとなってます。内部仏像神々しく、表情強さありながら優雅。衣のヒダまではっきりと見えます


龍門石窟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 06:09 UTC 版)

龍門石窟(りゅうもんせっくつ、拼音: Lóngmén shíkū)は、中華人民共和国河南省洛陽市の南方13キロ、伊河の両岸にある石窟寺院。「龍門石窟」としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。


  1. ^ 中華人民共和国国務院 (1982年11月8日). “国务院批转城乡建设环境保护部等部门关于审定第一批国家重点风景名胜区的请示的通知” (中国語). 北京法院法規検索. 2023年2月5日閲覧。
  2. ^ 洛阳市龙门石窟景区”. www.mct.gov.cn. 中華人民共和国文化観光部 (2021年7月22日). 2023年2月3日閲覧。


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龍門石窟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 08:51 UTC 版)

高元簡」の記事における「龍門石窟」の解説

上記出自とされるものは、1999年2人考古学者が龍門石窟で発見され造像銘に、高元簡永隆2年681年)に亡母趙氏供養のため、龍門石窟の千仏洞地蔵菩薩像観音像納めたという記録なされていることが根拠とされている。 高元簡存在は、高長恭子孫が(少なくとも唐の高宗時代まで)生き残っていたことの証とされている。

※この「龍門石窟」の解説は、「高元簡」の解説の一部です。
「龍門石窟」を含む「高元簡」の記事については、「高元簡」の概要を参照ください。

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