黙庵とは? わかりやすく解説

もくあん 【黙庵】

鎌倉末−南北朝期禅僧画家。僧名霊淵。中国元の人とする書があるが間違い河内金剛寺の僧で、元に渡って諸師を訪ねたが、そのまま元で没。水墨知られた。(?~一三四五頃)

黙庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 11:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
布袋図 了庵清欲賛 MOA美術館蔵

黙庵(もくあん、生没年不詳)は、鎌倉時代末期~南北朝時代にかけての絵仏師水墨画家。法諱は、初め是一、のち霊淵。可翁鉄舟徳済らと共に日本の初期禅林画僧を代表する存在として名高い。中国の画僧「牧谿の再来」と評された。

見山崇喜(けんざんすうき)[1]の弟子で、1320年代後半から30年代初めにに渡る。その目的は、当時日本の禅僧にとって憧れだった古林清茂に参ずることであったが、古林は既に没していたらしく、その高弟の了庵清欲らに師事。古林の語録の出版に尽力するかたわら画を描き、至正5年(1345年)頃客死した。

元の高僧の賛をもつ黙庵の作品が日本に逆輸入され,長らく中国の画僧と誤解されていた。しかし、大正時代に義堂周信の日記『空華日用工夫略集』の逸文が発見され、その記述により黙庵の概略が明らかになった。

主な作品

「四睡図」

参考文献

外部リンク

脚注




黙庵と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黙庵」の関連用語

黙庵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黙庵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの黙庵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS