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鹿島鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/03 17:05 UTC 版)

(かしてつ から転送)

鹿島鉄道株式会社
Kashima Railway Company
種類 株式会社
略称 かしてつ、鹿鉄(かてつ)
本社所在地 日本の旗 日本
300-0051
茨城県土浦市真鍋一丁目10番8号
設立 1979年(昭和54年)3月6日
業種 不動産業
事業内容 賃貸業
代表者 佐藤 昇一(取締役社長)
資本金 1億円
純資産 △2億8943万7千円
(2011年2月28日現在)
総資産 1億6158万3千円
(2011年2月28日現在)
決算期 2月末日
主要株主 関東鉄道(株) 100%
外部リンク http://www.kantetsu.co.jp/katetsu/
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鹿島鉄道株式会社(かしまてつどう、: Kashima Railway Company)は、日本茨城県本社を置く、賃貸業を営む会社で、関東鉄道子会社である。鹿島鉄道線を運営する鉄道事業者であったが、同線は2007年4月1日に廃止された。廃線後もそのままの名称で会社は存続している。

目次

歴史

DD901牽引の貨物列車(1985年)
さよならヘッドマーク

1979年4月1日に、関東鉄道から分離された赤字線の鉾田線を継承して営業を開始した。このとき同時に筑波鉄道(現・関鉄筑波商事)に分離された筑波線も営業を開始したが、同線は鹿島鉄道線より先の1987年に廃止されている。

航空自衛隊百里基地への航空燃料貨物輸送の収入によって経営が成り立っていたが、2001年8月に燃料輸送が中止されたため深刻な経営悪化に陥った(2002年4月1日に貨物営業は廃止)。これに対し、親会社である関東鉄道の経営支援と沿線自治体と茨城県による公的支援が5年間行われることとなり、廃線の危機は一旦回避された。

2002年度からの5年間は、経営改善5カ年計画に基づき、軌道強化、鉄道利用者向け駐車場整備、自転車を車内に持ち込める「サイクル&トレイン」の運転、65歳以上を対象とする格安定期券の発売などの施策を実施した。

2005年つくばエクスプレスの開業により、関東鉄道が常総線や自社高速バスの利用者が減少し減収となったことを理由に2007年度以降の経営支援を行わない方針とした。これを受け、親会社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、鹿島鉄道は2006年3月30日に鹿島鉄道線の廃止届を提出した。2006年3月末時点での累積欠損額は、約2億5500万円にのぼっていた。

2006年夏、2007年度以降も鉄道事業を継続する場合、5年間で車両新造、設備更新を含めて約11億円の支援が必要となると試算した。これに対し鹿島鉄道対策協議会は中古車両の導入、寄付金の受け入れなどで削減可能とし、上限として約6億5000万円を提示した。また、後述するような存続運動が展開されたが、鉄道線は2007年4月1日に廃止となった。

なお廃線を理由に利用者が増加したことやグッズを完売したため2006年度の決算は約4100万円の黒字となった[1]

存続運動

2001年12月、貨物営業の廃止が決まり、存続に危機感を持った沿線自治体が中心となって茨城県と沿線自治体(石岡市、玉里村(現小美玉市)、小川町(現小美玉市)、玉造町(現行方市)、鉾田町(現鉾田市))の市町村長議会議長で組織する鹿島鉄道対策協議会が発足した。2002年9月、対策協議会は、鹿島鉄道の経営改善5カ年計画を了承し、5年間で総額2億円の公的支援を正式決定した[2]

また、民間でも以下のような支援団体が結成された。

公的支援の正式決定前の2002年7月、小川高校の生徒の呼びかけで、沿線にある中学校高等学校(全8校)の生徒が「かしてつ応援団」を結成し、署名活動を展開した[3]。同応援団は、公的支援が正式決定された後も、署名運動や募金活動、さまざまな存続運動を盛んに展開し、2003年10月、「地方鉄道の活性化に貢献した」として、日本鉄道賞の表彰選考委員会特別賞を受賞した。同応援団には最終的に16校が参加した。鹿島鉄道線の存続運動が盛り上がったのは、同応援団の存在が大きかった[4]

2005年11月、地元のNPO法人と沿線住民有志が「かしてつブルーバンドプロジェクト」を立ち上げた[5]霞ヶ浦の青をイメージしたブルーバンドを1つ100円で、石岡市内や鉾田市内、小美玉市内のカスミ3店舗や駅舎で販売した[6]。売り上げは、2006年8月の「かしてつ祭」など鹿島鉄道を盛り上げるためのイベントの運営資金などに役立てられた[7]

2006年8月、「かしてつブルーバンドプロジェクト」などの支援団体がまとまって、住民団体「鹿島鉄道再生存続ネットワーク」が発足した[8]

しかし状況は好転せず、ついに2006年3月30日に鹿島鉄道が国土交通省に廃止日を2007年4月1日とする廃止届を提出。これにより鹿島鉄道対策協議会は、2006年11月中旬をめどに支援策をまとめた。また第三セクターでの存続を模索しつつ、代替バスへの転換も検討する方針が対策協議会で確認された。そして協議会は、2006年11月19日に第3回の会合を開き、協議会および沿線の市の単独での財政支援を今年度限りで打ち切ることを決定、これにより、11月27日から12月11日の間に、輸送人員や公的支援額などを公表した上で新事業者を公募し、応募がない場合は、代替バスを運行することとし、準備が進められた。

公募には、市民団体の鹿島鉄道再生存続ネットワークが「新しく株式会社霞ヶ浦市民鉄道(仮称)を設立した上、運行を岡山電気軌道に委託する形」で、また、旅行代理店トラベルプランニングオフィスが「鉄道事業に新規参入する形」で応募した。この2事業者は、12月17日に鹿島鉄道対策協議会へのプレゼンテーションを行った。12月24日、協議会は審査の結果、「鉄道事業の免許を持っていない」「2007年度から5年間予定している支援額6億5000万円を超える負担が必要になる」「鹿島鉄道から施設の無償譲渡を受けるのが難しい」などの理由で2事業者の案は不採用とし、同線の廃止を決定した。廃止後は、関鉄グリーンバスへ代替バスの運行が行われている。

上記、公募から廃線に至る経緯の出典は以下の通り。

  • 「鹿島鉄道存続問題 事業者公募に2団体」東京新聞 2006年12月14日
  • 「鹿島鉄道廃線決定」東京新聞 2006年12月25日
  • 「鹿島鉄道、来年3月の廃線決定」 朝日新聞 2006年12月25日

路線


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  1. ^ 「鹿島鉄道、有終の黒字 鉄道ファンで乗客増」asahi.com 2007年9月12日
  2. ^ 「鹿島鉄道対策協議会 経営改善計画を了承」『茨城新聞』2002年9月27日
  3. ^ 『茨城新聞』2002年7月27日
  4. ^ 『茨城新聞』2007年3月30日
  5. ^ 『常陽新聞』2005年12月29日
  6. ^ 『朝日新聞』2006年1月27日
  7. ^ 『茨城新聞』2006年9月6日
  8. ^ 『常陽新聞』2007年3月27日
  9. ^ ただし、1988年3月に公開された映画「1999年の夏休み」では、車両中央部はクロスシートとなっている。
  10. ^ 鉾田駅保存会プレスリリース(移送に先立ってメディア及び関係者にのみスケジュールが通知された)
  11. ^ 鉾田駅保存会プレスリリース
  12. ^ 「鹿島鉄道で鉄道車両運転体験会」朝日新聞茨城版、2003年11月26日
  13. ^ a b c 「シネマの原風景 鹿島鉄道」茨城新聞、2009年3月27日


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