鵲院関の戦いとは? わかりやすく解説

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鵲院関の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:15 UTC 版)

鵲院関の戦い(じゃくいんかんのたたかい、朝鮮語読みで鵲院関はチャグォングァン)は、文禄元年4月17日1592年5月28日)、密陽市の南東にある洛東江の隘路で戦われた文禄の役の戦闘の一つである。黄山江の戦いとも言う。朝鮮軍が初めて野戦で日本軍を迎撃し、進撃を阻止しようとしたが失敗した。


  1. ^ 近年、再現されたコンクリート建築の記念碑で、当時の城址とは異なる。
  2. ^ 三国志で有名な蜀の桟道に似ているために、その名を取ったもの。
  3. ^ a b 『吉野日記』より。池内 1936, p.14
  4. ^ 険しい道で鳥だけが通れるということでカササギ(鵲)と命名されたという故事がある。


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