高濱喜久子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/11 03:28 UTC 版)
高濱 喜久子(たかはま きくこ、本名:田中とき、1902年(明治35年)1月25日[1][2] - 没年不明)は元宝塚少女歌劇団主演男役&娘役クラスの人物である。千葉県出身[1][2]。夫は、花組公演『二つの扉』(1925年(大正14年)12月1日 - 12月28日)の作者であり、日活で常務、大映で常務取締役を務めた加賀二郎。特技はソプラノ[1]。
この芸名は小倉百人一首の第72番:祐子内親王家紀伊の『音に聞く 髙師濱の 徒浪は 掛けじや袖の 濡れもこそすれ (おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ)』から命名された。
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