高橋英夫_(評論家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高橋英夫_(評論家)の意味・解説 

高橋英夫 (評論家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 02:57 UTC 版)

高橋 英夫(たかはし ひでお、1930年(昭和5年)4月30日 - 2019年(平成31年)2月13日)は、日本文芸評論家日本芸術院会員。位階従四位


注釈

  1. ^ この頃、『早稲田文学』編集長立原正秋より原稿執筆依頼あり。「いまは書くものがありませんから」と断ったところ、立原は経緯を公表し、感謝の意を示した。
  2. ^ 雑誌『ユリイカ』1974年10月号に掲載した論考「われ語る、ゆえにわれ在り―小林秀雄と吉田健一」にて、吉田による『小林秀雄文庫』解説(中央公論社 全5巻、1954年2月-1955年2月)を引用し、「(小林の「平家物語」)に至って、批評といふものに対する一つの見方が拒否され、迷夢が破られている。そしてそれは、批評するといふことが或る対象をだしに使って自分に就て語ることだといふ考へである。これは曾て小林氏自身がどこかで書いたことになつてゐて、或はさういふことがあつたかも知れない。併し批評は或る対象をだしにして自己を語ることではないのであつて、『当麻』以後の小林氏の評論がそのことを何よりもはつきり示している。自分といふものは、言葉でわざわざ描くに価する程貴重な存在ではない……(以下略)」という叙述を「全くその通り」と肯定。これを吉田は、河上徹太郎との対談「時代を生きる」で、「高橋ヒデオさんが取り上げてくだすって」と報告した。『都築ケ岡から』に収録、毎日新聞社、1975年4月 p.328

出典

  1. ^ 『批評の精神』講談社文芸文庫版、附載年譜。なお解説は三浦雅士(青土社での初期の担当編集者)
  2. ^ 文芸評論家の高橋英夫氏死去”. 時事通信 (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
  3. ^ 『官報』7473号、平成31年3月25日
  4. ^ 平成17年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 3 (2005年11月3日). 2006年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月21日閲覧。


「高橋英夫 (評論家)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高橋英夫_(評論家)」の関連用語

高橋英夫_(評論家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高橋英夫_(評論家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高橋英夫 (評論家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS