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高原直泰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/20 09:56 UTC 版)
| 高原 直泰 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | タカ、ターク、タークハル | |
| カタカナ | タカハラ ナオヒロ | |
| ラテン文字 | TAKAHARA Naohiro | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1979年6月4日(30歳) | |
| 出身地 | 静岡県三島市 | |
| 身長 | 180cm | |
| 体重 | 75kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 浦和レッドダイヤモンズ | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 19 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1998-2002 2001 2002-2006 2006-2008 2008- |
105(58) 6(1) 97(13) 38(12) 27(6) |
|
| 代表歴2 | ||
| 2000-2008 | 57 (23) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月7日現在。 2. 2008年5月27日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は、静岡県三島市出身で元日本代表のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。浦和レッドダイヤモンズ所属。
目次 |
プレースタイル
テクニックに優れ、ポストプレーもこなし、ヘディングも秀でていて、豊富な得点パターンを持つ日本には数少ないオールラウンダー。日本人らしい反転力と敏捷性を活かしたプレーを得意とし、左右角度関係なく、どの位置からでもゴールを狙うことの出来るキック精度も持ち合わせる。
来歴
各年代で日本代表に選出され、1994年にはU-16代表としてアジア選手権に出場。
1998年にジュビロ磐田入団し3月21日の開幕戦の京都パープルサンガ戦で途中出場し、初出場・初得点を挙げる。
1999年にはワールドユースで3得点を挙げ準優勝、シドニーオリンピックでは3得点を挙げGL突破、A代表では2000年アジアカップに出場し優勝、またベストイレブンに選ばれる。
2001年8月にアルゼンチンの名門・ボカ・ジュニアーズのオファーを受けて移籍し6試合で1得点を挙げた。12月にトヨタカップでの凱旋帰国が期待されたが、直前でメンバー落ちしてしまい出場が叶わずなど、必ずしもチーム首脳から確固たる信頼を得ていたとは言えなかった。2002年初頭、アルゼンチンの経済情勢が悪化し通貨価値が1週間で半分以下になるなど情勢が混乱した事を理由にボカから契約解除となった。帰国後、磐田に復帰し2002年のJリーグ開幕を迎える。
2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群[1]を発症し落選。しかしその後復帰し、JリーグアウォーズでMVP、得点王(26得点、史上最年少)の二冠を獲得。
ドイツ・ブンデスリーガ・ハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍。一年目で連続無失点記録を継続中だったオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘン相手にゴールを決めるなどしたが、レギュラーはとれなかった。しかし、トーマス・ドルが監督に就任すると、FW中最多の7得点を挙げる。翌2005-06年シーズンはリーグ戦で21試合(先発は6試合)で1得点で終えた。
2004-05年、2006年ドイツW杯アジア1次予選にFW中最多出場でシンガポール戦の1得点。最終予選はイラン戦に出場後、負傷理由により欠場し無得点に終わる。
2006年5月、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍。6月に2006年ドイツW杯のメンバーに選出される。開幕前に行われた強化試合で地元ドイツ相手に2ゴールを挙げる大活躍を見せたが、グループリーグ3試合で無得点に終わった。12月3日、アレマニア・アーヘン戦で3得点を挙げブンデスリーガにおける日本人初のハットトリックを達成するなど、1ヶ月で6得点を挙げる。
2007年5月5日のホームのアーヘン戦で得点を決め自己記録更新中の同リーグシーズン通算得点を11とした。また、欧州主要リーグでの年間二桁得点の達成は、1998-99年シーズンに中田英寿(当時ペルージャ)が達成して以来の快挙であった。この活躍もあってフランクフルトは1部に残留を決める。この年のフランクフルトサポーターが選ぶMVPにも選出されている。3月24日、キリンチャレンジカップ、ペルー戦で代表に復帰し、オシムジャパン体制で初得点を挙げる(試合は2-0で勝利)。アジアカップ2007では合計4得点を挙げ、アジアカップにおいて日本人初の得点王に輝くが、2007-08シーズンは膝の怪我でスタートが出遅れ、またフリードヘルム・フンケル監督との起用法における対立もあり、出場機会が激減した。
代理人と話し合いをした上で、浦和レッズとコンタクトがとれるかを確認。浦和側がFWの補強を望んでいたこともあり、2008年1月11日に約6年ぶりのJリーグ復帰となる移籍が決定した。しかし、フランクフルトで試合出場機会が減ったことによるコンディション不良、また、長谷部、小野の移籍、ポンテも怪我で出遅れるなどのパサー不足という状況もあり、 2008年は合計8得点(リーグ6点、ACL1点、ナビスコ1点)に終わり、期待以上の働きをすることは出来なかった。
2009年は2008年シーズン限りで現役を引退した内舘秀樹に志願して、レギュラーナンバーの背番号7から馴染みの深い背番号19に変更した[2]。この年はキャンプ、練習試合で好調を維持し、Jリーグ開幕戦(対鹿島アントラーズ戦)で先発出場を果たしたが、その試合で結果を出すことが出来ず、次戦(対FC東京戦)からはエジミウソンにポジションを譲る事となった。その後はしばらく途中出場が続いたが、リーグ中断中に行われたナビスコカップ予選リーグ第5節、対ジュビロ磐田戦でシーズン公式戦初ゴールをマークしたのを皮切りに好調を維持し、貴重なゴールを決めて勝利に貢献する時期もあったが、徐々にチーム状態が悪化し、さらに自身も不慣れな左右のMFで起用されて行く中で勢いを失って行き[3]、再びスタメンを外れることも多くなってしまった。そして結果的には合計6得点(リーグ4点、ナビスコ2点)という昨シーズンを下回る成績でシーズンを終えることとなった。
人物
- 新人時代、ジュビロ磐田で共にプレーしていたドゥンガに言われた「調子に乗るなよ」という言葉を大切にしている。[4]
- ちなみにレッズでは一時期コーナーキックを任された時期もあった
- 人見知りするタイプではあるが、一度仲良くなるとうっとうしいくらい人懐っこい性格とのこと。[5]
- 2005年12月に、日本人女性と結婚した。
- 愛車は三菱・トライトン。
- 2009年2月28日、さいたま市内で乗用車を運転中、信号のない交差点で自転車の男性と出合い頭に接触し、男性に全治約6週間の重傷を負わす人身事故を起こした。なお高原に怪我はなかった[6]。
経歴
- 1998年3月21日 - Jリーグ初出場、初得点 - 京都パープルサンガ戦(ジュビロ磐田スタジアム)
- 2000年2月13日 - A代表初出場 (アジアカップ予選) - シンガポール代表戦(マカオ)
- 2000年2月16日 - A代表初得点 (アジアカップ予選) - ブルネイ代表戦(マカオ)
所属クラブ
ユース経歴
- 1985年 - 1991年 - 三島山田サッカースポーツ少年団
- 1992年 - 1994年 - 東海大一中学校
- 1995年 - 1997年 - 静岡県立清水東高等学校
プロ経歴
- 1998年 - 2001年 - ジュビロ磐田

- 2001年 - ボカ・ジュニアーズ
※期限付き移籍 - 2002年 - ジュビロ磐田

- 2003年 - 2006年 - ハンブルガーSV

- 2006年 - 2007年 - アイントラハト・フランクフルト

- 2008年 - 現在 - 浦和レッドダイヤモンズ

個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | 磐田 | 19 | J | 20 | 5 | 6 | 4 | 2 | 0 | 28 | 9 |
| 1999 | 磐田 | 19 | J1 | 21 | 9 | 1 | 0 | 3 | 1 | 25 | 10 |
| 2000 | 磐田 | 19 | J1 | 24 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 26 | 10 |
| 2001 | 磐田 | 19 | J1 | 13 | 8 | 2 | 2 | - | 15 | 10 | |
| アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001-02 | ボカ | 30 | プリメーラ | 6 | 1 | ||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | 磐田 | 32 | J1 | 27 | 26 | 0 | 0 | 3 | 0 | 30 | 26 |
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2002-03 | ハンブルガー | 32 | ブンデス1部 | 16 | 3 | - | - | 16 | 3 | ||
| 2003-04 | ハンブルガー | 32 | ブンデス1部 | 29 | 2 | 1 | 1 | 4 | |||
| 2004-05 | ハンブルガー | 32 | ブンデス1部 | 31 | 7 | 0 | 0 | 7 | |||
| 2005-06 | ハンブルガー | 32 | ブンデス1部 | 21 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 23 | 2 |
| 2006-07 | フランクフルト | 19 | ブンデス1部 | 30 | 11 | 0 | 0 | 4 | 4 | 34 | 15 |
| 2007-08 | フランクフルト | 19 | ブンデス1部 | 8 | 1 | 2 | 0 | 10 | 1 | ||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008 | 浦和 | 7 | J1 | 27 | 6 | 3 | 1 | 1 | 0 | 31 | 7 |
| 2009 | 浦和 | 19 | J1 | 32 | 4 | 8 | 2 | 0 | 0 | 40 | 6 |
| 通算 | 日本 | J1 | 164 | 68 | 22 | 9 | 9 | 1 | 195 | 78 | |
| アルゼンチン | プリメーラ | 6 | 1 | ||||||||
| ドイツ | ブンデス1部 | 135 | 25 | ||||||||
| 総通算 | 305 | 94 | |||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| UEFA | UEFA杯 | |||
| 2005-06 | ハンブルガー | 32 | 7 | 0 |
| 2006-07 | フランクフルト | 19 | 5 | 2 |
| 通算 | UEFA | 12 | 2 | |
| AFC | ACL | |||
| 2008 | 浦和 | 7 | 4 | 1 |
| 通算 | AFC | 4 | 1 | |
代表歴
出場大会など
- U-16、U-17日本代表
- 1994年 AFC U-17選手権 カタール大会
- 1995年 FIFA U-17世界選手権 エクアドル大会
- U-19、U-20日本代表
- 1998年 AFCユース選手権 タイ大会
- 1999年 FIFAワールドユース ナイジェリア大会
- U-23
- 2000年 シドニーオリンピック
- A代表
- 2000年 アジアカップ2000
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003
- 2006年 2006 FIFAワールドカップ
- 2007年 アジアカップ2007
試合数
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2000 | 11 | 8 |
| 2001 | 4 | 0 |
| 2002 | 4 | 1 |
| 2003 | 8 | 2 |
| 2004 | 5 | 1 |
| 2005 | 7 | 2 |
| 2006 | 5 | 3 |
| 2007 | 9 | 6 |
| 2008 | 4 | 0 |
| 通算 | 57 | 23 |
ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2000年2月16日 | 中国 | ○9-0 | AFCアジアカップ2000・予選 | |
| 2. | 2000年2月16日 | 中国 | ○9-0 | AFCアジアカップ2000・予選 | |
| 3. | 2000年2月20日 | 中国 | ○3-0 | AFCアジアカップ2000・予選 | |
| 4. | 2000年10月14日 | レバノン | ○4-1 | AFCアジアカップ2000 | |
| 5. | 2000年10月17日 | レバノン | ○8-1 | AFCアジアカップ2000 | |
| 6. | 2000年10月17日 | レバノン | ○8-1 | AFCアジアカップ2000 | |
| 7. | 2000年10月17日 | レバノン | ○8-1 | AFCアジアカップ2000 | |
| 8. | 2000年10月24日 | レバノン | ○4-1 | AFCアジアカップ2000 | |
| 9. | 2002年3月27日 | ポーランド | ○2-0 | 親善試合 | |
| 10. | 2003年8月20日 | 日本 | ○3-0 | 親善試合 | |
| 11. | 2003年8月20日 | 日本 | ○3-0 | 親善試合 | |
| 12. | 2004年3月31日 | シンガポール | ○2-1 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 | |
| 13. | 2005年9月7日 | 日本 | ○5-4 | 親善試合 | |
| 14. | 2005年10月8日 | ラトビア | △2-2 | 親善試合 | |
| 15. | 2006年2月28日 | ドイツ | △2-2 | 親善試合 | |
| 16. | 2006年5月30日 | ドイツ | △2-2 | 親善試合 | |
| 17. | 2006年5月30日 | ドイツ | △2-2 | 親善試合 | |
| 18. | 2007年3月24日 | 日本 | ○2-0 | 親善試合 | |
| 19. | 2007年6月1日 | 日本 | ○2-0 | 親善試合 | |
| 20. | 2007年7月9日 | ベトナム | △1-1 | AFCアジアカップ2007 | |
| 21. | 2007年7月13日 | ベトナム | ○3-1 | AFCアジアカップ2007 | |
| 22. | 2007年7月13日 | ベトナム | ○3-1 | AFCアジアカップ2007 | |
| 23. | 2007年7月21日 | ベトナム | △1-1 | AFCアジアカップ2007 |
個人タイトル
- 1998年 - ナビスコカップ(ニューヒーロー賞)
- 2000年 - アジアカップ2000 ベストイレブン
- 2002年 - Jリーグ最優秀選手賞、得点王、ベストイレブン
- 2007年 - アジアカップ2007 得点王
出版
執筆書籍
- 2007年 - 病とフットボール〜エコノミークラス症候群との闘い〜(角川SSコミュニケーションズ)ISBN 4827550115
関連書籍
- 2002年 - 高原直泰物語 (小学館、佐藤俊) ISBN 9784091497512
- 2003年 - GOAL GATE 高原直泰 1979 - 2003 (小学館、佐藤俊) ISBN 9784093553322
- 2006年 - 高原直泰 原点 (アールズ出版・増補改訂版、高部務) ISBN 9784862040114
出演
CM
- 日本郵政公社
- サントリー「デカビタC」 (2001年) - 中田浩二、加茂周との共演
- ソニー「VAIO W」 (2002年)
- LIFE CARD (2003年 - )
- リフティング編
- ドイツ語編
- バルコニー編
- ショッピング編
- 中央駅編
- 港編
- 散歩編
- アルスター編
脚注
- ^ 後のアテネ五輪にオーバーエイジ枠で出場予定だったが、再び同じ症状が発症したため辞退する。
- ^ 実際は験を担ぐ事が目的だが、本人曰く、「自分には一桁の番号は、似合わない」と自覚していた。
- ^ 実際は好調を維持していた時期も本職のFWでの起用ではなく、左右のMFで起用されていた中で結果を出していた。
- ^ これは、マスコミ・ファンなどは調子が良ければ絶賛し、悪ければ批判するものなので、それに一喜一憂したりして惑わされてはいけない、という意味である。同時期に、試合中に高原のプレーが自己満足じゃないのかと指摘した際には、ドゥンガは「1人でサッカーはするものじゃない。1人でやりたいならコーナーキックも蹴ってくればいい」とコーナーキックを蹴らせたこともある。
- ^ 稲本潤一・談
- ^ 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト (2009-03-01). "交通事故の発生について". 2009-03-02 閲覧。
外部リンク
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固有名詞の分類
| サッカー日本代表選手 |
中本邦治 山口悟 高原直泰 小見幸隆 阿部勇樹 |
| ジュビロ磐田の選手 |
清水範久 ハーフナー・ディド 高原直泰 古賀琢磨 アレクサンダー・ジヴコヴィッチ |
| 浦和レッドダイヤモンズの選手 |
川島眞也 マルシオ・エメルソン・パッソス 高原直泰 阿部勇樹 近藤徹志 |
| オリンピックサッカー日本代表選手 |
高松大樹 梶山陽平 高原直泰 阿部勇樹 鈴木秀人 |
| 日本のサッカー選手 |
笠原恵太 樋口靖洋 高原直泰 竹田忠嗣 大和田真史 |
- 高原直泰 「ゴールを決めれば、絶対負けない」 不敗神話を持つエースの10年。web Sportiva

