高倉福信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 14:13 UTC 版)
高倉 福信(たかくら の ふくしん)は、奈良時代の公卿。氏姓は背奈公のち背奈王、高麗朝臣、高倉朝臣。高句麗王族と伝承される背奈福徳の孫。官位は従三位・弾正尹。
- ^ a b c d 『続日本紀』延暦8年10月17日条
- ^ 『公卿補任』
- ^ 本務は京官(紫微少弼兼中衛少将)であったこと、および天平宝字元年(757年)に発生した橘奈良麻呂の乱に関与していたことから、武蔵守としては遥任であったと考えられている。
- ^ 『続日本紀』天平宝字2年8月24日条
- ^ 『続日本紀』天平宝字元年7月4日条
- ^ 『続日本紀』天平宝字元年7月2日条
- ^ 『続日本紀』宝亀2年10月27日条
- ^ 宇治谷[1992: 90]
- ^ 『東大寺開田図』
- ^ a b 『東大寺献物帳』
- ^ 『大日本古文書(編年文書)』4巻193頁
- ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻6,高麗
- ^ 『続日本紀』宝亀4年2月27日条
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