馬援とは? わかりやすく解説

馬援

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 15:07 UTC 版)

馬 援(ば えん、紀元前14年 - 49年)は、中国末期から後漢初期の武将。伏波将軍の号でも知られる。は文淵。その娘(馬皇后)は後漢の第2代明帝皇后となった。また子孫に後漢末期・三国時代の武将の馬騰馬超父子がいる。彼の名言「男児要当死於辺野、以馬革裹屍還葬耳(男子たるもの当然辺境の原野に死、馬の皮で遺体を包まれ葬られるべきである)」は広く伝わっている


  1. ^ 新唐書』宰相世系表二下によると、趙奢-趙牧-馬興-馬嵩-馬述-馬権-馬通-馬賓-馬仲-馬援とつづく。
  2. ^ 漢中太守の新制での呼称。王莽が改名した。
  3. ^ 東観漢記


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