順天城の戦い
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順天城の戦い(じゅんてんじょうのたたかい)は、慶長の役における戦闘。(順天倭城の構造については順天倭城を参照のこと。)(この項の日付は和暦を用いる)
- ^ a b 朝鮮王朝実録 31-10-12-6 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_006
- ^ a b 朝鮮王朝実録 31-10-12-7 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_007
- ^ 朝鮮王朝実録 31-10-12-5 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_007
- ^ 旧参謀本部『日本の戦史 朝鮮の役』徳間文庫 徳間書店、1995年、306頁
- ^ 朝鮮王朝実録 31-10-12-5 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_005
- ^ 『宣祖実録十月十二日条』
- 1 順天城の戦いとは
- 2 順天城の戦いの概要
- 3 脚注
順天城の戦い
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詳細は「順天城の戦い」を参照 順天新城では、小西行長、松浦鎮信、有馬晴信、五島玄雅、大村喜前の5氏13,700人が在番していた。明・朝鮮連軍の内、西路軍、水軍が順天城に攻撃目標を定めた。西路軍は明軍21,900人で劉綎が率い、朝鮮軍は5,928人で権慄が率いた。水軍は陳璘率いる明水軍19,400人、朝鮮水軍7,328人は李舜臣が率いた。明・朝鮮連合軍の合計は55000人 に及んだ。慶長3年(1598年)9月19日、地上から明・朝鮮軍が順天新城に進攻し、海上からも明・朝鮮水軍が砲撃を加えたが日本軍に撃退される。続いて20日・21日と明・朝鮮水軍が城に迫ったが、日本軍は防戦してこれを退け、明の遊撃李金が負傷し、戦死した明兵も数知れずとある。10月2日、明・朝鮮軍は水陸両面から総攻撃を仕掛けた。地上では攻城具を連ねて外郭部に攻めかかったものの、城からの日本軍の鉄砲や大砲による反撃は激しく多くの死傷者を出した。また日本軍は機を見て城から出撃して敵を斬り倒し、攻城具に火を放って焼き払った。この日地上では明・朝鮮軍は八百余人の戦死者を出して撃退された。また水軍による海上からの攻撃も撃退され、朝鮮水軍の蛇渡僉使黄世得が戦死、薺浦万戸朱義寿、蛇梁万戸金声玉、海南県監柳珩、珍島郡守宣義卿、康津県監宋尚甫が負傷した。3日、劉綎は陳璘に「今夜水陸共同で夜襲を決行すべし」と伝えた。ここにおいて陳璘は午後8時頃水軍を率いて上げ潮に乗じて進み、夜半城下に迫り日本軍と攻防戦となる。戦闘中俄に引潮となると、明水軍の唐船二十三隻(『宣祖実録』、李舜臣の『乱中日記』では沙船十九隻、號船二十餘隻)が浅瀬に座礁する。これを日本軍が炎上させた。明兵に死傷及び捕虜となるものが甚だ多く出て、生還した者は百四十余名に過ぎなかった。翌4日も明・朝鮮の水軍による攻撃は継続されたが、城の守りは堅く撃退された。このように3日、4日と水軍は海上からの攻撃を実施した。にもかかわらずこの間、劉綎の陸兵は動かなかった。これは満を持して行われた2日の総攻撃の損害が大きかったことと、東方で泗川倭城を攻撃した中路軍が島津軍に大敗を喫しており、その敗報が伝わっていた事情がある。明・朝鮮軍は大きな被害を出しながら攻城に失敗し、10月7日になると、ついに包囲中の地上軍は撤退し、明軍は古順天に1万余を残し、劉綎自身は富有まで撤退した。これにともない水軍も10月9日、海上封鎖を解いて古今島(莞島郡古今面)に撤退した。明軍の退路上には投棄された兵糧が散らばっており、この幾らかは日本軍が戦利品として入手した。こうして、兵数で圧倒的に勝っていた明・朝鮮の西路軍・水軍は敗北し、順天城攻略作戦は失敗に終わった。 この三城同時攻撃(第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い)では、明・朝鮮連合軍が動員した総兵力は11万を超え、前役・後役を通じて最大規模に達していた。また兵糧や攻城具も十分に準備してのものであったが、明・朝鮮連合軍の総力を挙げての一大攻勢は日本軍の反撃の前にすべて失敗に終わった。朝鮮王朝実録には、三路の戦い(第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い)において、明・朝鮮軍は全ての攻撃で敗退し、これにより、三路に分かたれた明・朝鮮軍は溶けるように共に潰え、人心は恟懼(恐々)となり、逃避の準備をしたと記述されている。
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