順天城の戦いとは? わかりやすく解説

順天城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 23:08 UTC 版)

順天城の戦い(じゅんてんじょうのたたかい)は、慶長の役における戦闘。(順天倭城の構造については順天倭城を参照のこと。)(この項の日付は和暦を用いる)


  1. ^ a b 朝鮮王朝実録 31-10-12-6 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_006
  2. ^ a b 朝鮮王朝実録 31-10-12-7 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_007
  3. ^ 朝鮮王朝実録 31-10-12-5 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_007
  4. ^ 旧参謀本部『日本の戦史 朝鮮の役』徳間文庫 徳間書店、1995年、306頁
  5. ^ 朝鮮王朝実録 31-10-12-5 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_005
  6. ^ 『宣祖実録十月十二日条』


「順天城の戦い」の続きの解説一覧

順天城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「順天城の戦い」の解説

詳細は「順天城の戦い」を参照 順天新城では、小西行長松浦鎮信有馬晴信五島玄雅大村喜前の5氏13,700人が在番していた。明・朝鮮連軍の内、西路軍、水軍順天城攻撃目標定めた西路軍は明軍21,900人で劉綎率い朝鮮軍は5,928人で権慄率いた水軍陳璘率い明水19,400人、朝鮮水軍7,328人は李舜臣率いた明・朝連合軍合計は55000人 に及んだ慶長3年1598年9月19日地上から明・朝鮮軍が順天新城進攻し、海上からも明・朝水軍砲撃加えた日本軍撃退される続いて20日21日明・朝水軍が城に迫ったが、日本軍防戦してこれを退け、明の遊撃金が負傷し戦死した明兵も数知れずとある。10月2日明・朝鮮軍は水陸両面から総攻撃仕掛けた地上では攻城具を連ねて外郭部に攻めかかったものの、城からの日本軍鉄砲大砲による反撃激しく多く死傷者出した。また日本軍は機を見て城から出撃して敵を斬り倒し攻城具に火を放って焼き払った。この日地上では明・朝鮮軍は八百余人戦死者出して撃退された。また水軍による海上からの攻撃撃退され朝鮮水軍渡僉使黄世得戦死万戸義寿、万戸金声玉、海南県監珩、珍島郡守宣義卿、康津県監宋尚甫が負傷した3日劉綎陳璘に「今夜水陸共同夜襲決行すべし」と伝えたここにおいて陳璘午後8時頃水軍率いて上げ潮乗じて進み夜半城下迫り日本軍攻防戦となる。戦闘中俄に引潮となると明水軍の唐船二十三隻(『宣祖実録』、李舜臣の『乱中日記』では沙船十九隻、號船二十餘隻)が浅瀬座礁する。これを日本軍炎上させた。明兵に死傷及び捕虜となるものが甚だ多く出て生還した者は百四十余名に過ぎなかった。翌4日明・朝鮮の水軍による攻撃継続されたが、城の守り堅く撃退された。このように3日4日水軍海上からの攻撃実施した。にもかかわらずこの間劉綎陸兵は動かなかった。これは満を持して行われた2日総攻撃損害大きかったことと、東方泗川倭城攻撃した中路軍が島津軍大敗喫しており、その敗報伝わっていた事情がある。明・朝鮮軍は大きな被害出しながら攻城失敗し10月7日になると、ついに包囲中の地上軍撤退し明軍は古順天1万余を残し劉綎自身富有まで撤退したこれにともない水軍10月9日海上封鎖解いて古今島莞島郡古今面)に撤退した明軍退路上には投棄され兵糧散らばっており、この幾らか日本軍戦利品として入手した。こうして、兵数圧倒的に勝っていた明・朝鮮の西路軍・水軍敗北し順天城攻略作戦失敗終わった。 この三城同時攻撃(第二次蔚山城の戦い泗川の戦い順天の戦い)では、明・朝連合軍動員した兵力11超え、前役・後役通じて最大規模達していた。また兵糧攻城具も十分に準備してのものであったが、明・朝連合軍総力挙げて一大攻勢日本軍の反撃前にすべて失敗終わった朝鮮王朝実録には、三路の戦い(第二次蔚山城の戦い泗川の戦い順天の戦い)において、明・朝鮮軍は全ての攻撃敗退し、これにより、三路に分かたれ明・朝鮮軍は溶けるように共に潰え人心は恟懼(恐々)となり、逃避準備をしたと記述されている。

※この「順天城の戦い」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
「順天城の戦い」を含む「文禄・慶長の役」の記事については、「文禄・慶長の役」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「順天城の戦い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「順天城の戦い」の関連用語

順天城の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



順天城の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの順天城の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの文禄・慶長の役 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS