三省堂 大辞林 |
から 1 【唐/▼韓/▽漢】
かん 【韓】
「日―会談」
(2)中国の戦国時代の七雄の一((前403-前230))。韓氏は晋(しん)の有力世族であったが、魏(ぎ)氏・趙(ちよう)氏とともに晋を滅ぼしその領土を三分、山西省南東部から河南省中部を領有。紀元前230年秦(しん)の始皇帝に滅ぼされた。
(3)三韓(さんかん)。
(4)李氏朝鮮が、1897年から1910年まで用いた国号。大韓。
歴史民俗用語辞典 |
ウィキペディア |
韓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/14 20:24 UTC 版)
| 韓 | |
|---|---|
| 国姓 | 姫姓韓氏 |
| 爵位 | 侯爵 |
| 国都 | 1. 陽 (河南省禹州市) 2. 新鄭 (河南省新鄭市) |
| 分封者 | 威烈王 |
| 始祖 | 景侯 |
| 存在時期 | 前403年 - 前230年 |
| 滅亡原因 | 秦により滅亡 |
| 史書の記載 | 1. 史記 (巻45 韓世家) |
韓(かん)は、中国の地方名、王朝。地方名としての韓は現在の河南省北部の一部、山西省南部の一部、陝西省東部の一部にあたる。この項では戦国時代に存在した戦国七雄の一つの韓(紀元前403年 - 紀元前230年)を詳述する。
目次 |
歴史
前歴
韓室の祖先は春秋時代の晋の公族であり、穆侯の子・桓叔の諸子の韓万(姫武子)が韓の地(現在の陝西省韓城市)に封じられたのを起源とする。その後、領地の地名を氏とするようになった。
独立への道
後に韓万の玄孫の韓厥が紀元前620年が司馬に登用され、その軍略の高さと、かつて世話になった趙氏の再興に尽力したことで輿望を集め、紀元前573年に韓厥が正卿・中軍の将になったことで韓氏は力を持ち始める。更に紀元前541年にその子の韓起も正卿となったことで、韓氏は政治を司る大臣の六家の一つとなる。
春秋末期になると、韓虎が趙氏・魏氏などと共に紀元前453年に同じく大臣の一族である知氏を滅ぼし、魏・趙と共に晋の領地を分割して独立した。その後の紀元前403年に周の王室から正式に諸侯として認められ、これより戦国時代が始まる。
戦国時代
紀元前375年に鄭を滅ぼしたものの、戦国時代の韓は七雄の中では最弱であり、常に西の秦からの侵攻に怯えていた。申不害(? - 紀元前337年)が宰相にある間は国内は安定し、秦も侵攻することができなかった。紀元前323年に宣恵王が初めて王を名乗った。しかし、申不害の死後は再び秦の侵攻に悩まされた。
そのような事態を憂慮した公子韓非はこの国を強くする方法を『韓非子』に著述した。韓非の言説は母国では受け入れられず、皮肉なことに秦の始皇帝により実行され、韓を滅ぼす力となった。また韓は鄭国を送って秦に灌漑事業を行わせ、国力を疲弊させようとしたが発覚した。この工事で作られた水路はのちに鄭国渠と呼ばれ、中国古代3大水利施設の一つとなり、これもまた皮肉にも秦を豊かにさせる結果となった。
紀元前230年、秦により首都新鄭が陥落し、六国の中で最も早く滅亡した。秦は潁川郡を設置して統治した。前226年に旧都新鄭で秦への反乱が起きたが鎮圧され、韓王安は処刑された。 張良は母国である韓を滅ぼされた恨みから、始皇帝暗殺を企てたが、失敗に終わった。後に秦末の動乱から楚漢戦争期に、張良は韓の旧王族から韓王成、次いで韓王信を擁立している。
歴代君主
- 武子(韓万)
- 韓伯
- 定伯(韓簡)
- 韓子輿(韓輿)
- 献子(韓厥)
- 宣子(韓起)
- 貞子(韓須)
- 簡子(韓不信)
- 荘子(韓庚)
- 康子(韓虎)
- 武子(韓啓章)(紀元前424年 - 紀元前409年)
- 景侯(韓虔)(紀元前408年 - 紀元前400年)
- 烈侯(韓取)(紀元前399年 - 紀元前387年)
- 文侯(韓猷)(紀元前386年 - 紀元前377年)
- 哀侯(韓屯蒙)(紀元前376年 - 紀元前374年)
- 共侯(懿侯、韓若山)(紀元前374年 - 紀元前363年)
- 釐侯(昭侯、韓武)(紀元前362年 - 紀元前333年)
- 宣恵王(威侯、韓康)(紀元前332年 - 紀元前312年)
- 襄王(韓倉)(紀元前311年 - 紀元前296年)
- 釐王(韓咎)(紀元前295年 - 紀元前273年)
- 桓恵王(韓然)(紀元前272年 - 紀元前239年)
- 韓王安(韓安)(紀元前238年 - 紀元前230年)
漢字辞典 |
出典:漢字辞典 |
韓
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