雁木囲い
(雁木戦法 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 08:10 UTC 版)
雁木囲い(がんぎがこい)は将棋の囲いのひとつ。単に雁木(がんぎ、英: Snowroof[1])ともいう。
- ^ Kawasaki, Tomohide (2013). HIDETCHI Japanese-English SHOGI Dictionary. Nekomado. p. 25. ISBN 9784905225089
- ^ a b 東公平『近代将棋のあけぼの』1998年、河出書房新社。
- ^ a b c 東公平「明治大正棋界散策」将棋マガジン1990年4月号。
- ^ a b 鈴木宏彦「雁木、その不思議な呼び名の由来」将棋世界2017年11月号。
- ^ a b 高浜作蔵『三週間将棋独学指南』1898年。
- ^ 東公平『近代将棋のあけぼの』(河出書房新社)P.58。
- ^ 『将棋世界』2018年5月号・P.106 鈴木宏彦「雁木コラムの訂正」。
- ^ a b c 稲葉陽『新型雁木のすべて』2018年。
- ^ 『将棋世界』1955年9月号。
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.95
- ^ 1652年の初代伊藤宗看との香落ちの対局(著名な「是安吐血の局」の前局)でも相居飛車の二枚銀が使われている。ただし、右金が4九にいるため、厳密には昭和期の雁木囲いとは異なる。
- ^ 小暮克洋『雁木でガンガン』1999年。
- ^ “徹底解剖 藤井聡太四段”. 2017年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月7日閲覧。
- ^ 上野裕和『将棋・序盤完全ガイド 相居飛車編(増補改訂版)』2018年。
- ^ 週刊新潮『気になる一手』(新潮社、2018年1月18日号)
雁木戦法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 06:08 UTC 版)
是安は雁木戦法の創設者としても知られる。ただし、是安の考案した雁木戦法とは、対振り飛車の引き角戦法のことであり、現在相居飛車戦で用いられる囲い(雁木囲い)とは異なる。 伝承によれば、家元に挑戦状を送った是安が、河原で作戦を練っていた際に思い付いたのが雁木戦法である。雁木とは、階段のことである。 雁木戦法 雁木戦法では、対振り飛車戦で2五から6九まで駒を階段のように斜めに並べてから、角を7九に引く。すると、駒の階段(雁木)を登っていくかのように角筋が争点(2四、3五)に届く。是安は、船着き場の階段(雁木)をヒントにこの戦法を創案したとされている(寺の階段となっていることもある)。 しかし、この戦法は是安の死後徐々に姿を消していき、1930年代から1940年代には滅多に見られないものとなっていた。そんな中、当時流行していた相居飛車戦の二枚銀の構えを是安も採用していたことから、溝呂木光治ら一部の棋士によってこれが是安考案の雁木戦法であると誤認され、雁木と呼ばれるようになった。なお、本来の雁木は階段が由来であるが、二枚銀の構えを雁木と呼ぶ場合には、二枚銀を雪避けの屋根・雁木造に見立てているという誤った説明がなされることが多い。 是安自身は伊藤宗看との右香落ちの対局(上述)などで相居飛車戦の二枚銀の構えを採用したことがあるものの、この形はそれ以前の将棋指しも使っていたものであり、是安の創案ではない。
※この「雁木戦法」の解説は、「檜垣是安」の解説の一部です。
「雁木戦法」を含む「檜垣是安」の記事については、「檜垣是安」の概要を参照ください。
- 雁木戦法のページへのリンク