中将
(陸軍中將 から転送)
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中将(ちゅうじょう)は、もともとは律令制における官職の一つ。転じて軍隊の階級の一。将官に区分され、大将または国によってはフランス海軍のように上級中将の下、少将の上に位置する。規模が小さい軍隊やイスラエル国防軍のような一部の軍隊では、大将を置かずに中将が最高位の場合もある。英呼称は、陸軍が lieutenant general(リューテネント・ジェネラル)、海軍が vice admiral(ヴァイス・アドミラル[注釈 1])、空軍では通常陸軍と同一の呼称を用いるが、イギリス連邦方式 (Commonwealth system) ではair marshal(エア・マーシャル)と呼称する。また、陸海空軍でそれぞれ呼称の異なる中将を総称しThree-star rankと呼ぶこともある。
注釈
- ^ a b 明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとワイス・アドミラルを中将に対応させている[1]。
- ^ ナポレオン戦争時のイギリス陸軍でも、ワーテルローの戦いで第5歩兵師団長であったトーマス・ピクトン将軍のように、中将の師団長も多かった。
- ^ 政体書では軍務官の副知官事の職掌は神祇官の副知官事の職掌に関する規定に准じて知官事と同じとしているが、海陸軍将の職掌に関する定めはない[9]。
- ^ 明治2年7月調べの職員録では、軍務官海軍局の二等海軍将や陸軍局の二等陸軍将として掲載されているものは一人もいない[10]。
- ^ 職員令では兵部大輔・兵部少輔の職掌は民部大輔・民部少輔の職掌に関する規定に准じて卿と同じとしているが、海軍中将や陸軍中将の職掌に関する定めはない[13]。
- ^ 明治4年6月調べの職員録では、海軍中将や陸軍中将として掲載されているものは一人もいない[14]。
- ^ 中将は古代中国でも見られる官職名であるが、新式軍隊の階級として使用したのは中国の用例と比べて日本がそれより早いことから、日本が先に新義語として転用した可能性が高いと推測される[15]。 荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから近衛府から将官の官名を採用したのではないかと推測している[16]。
- ^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[17]。
- ^ a b 版籍奉還の後、1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス式[注釈 8]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示されている[18]。
- ^ 陸軍では服役年の始期は明治4年8月を以って始期とするため、その以前より勤仕の者であったとしても総て同月を始期とした[19]。 海軍では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前は服役年に算入しない[20]。
- ^ これまでの順席では海軍を上、陸軍を下にしていたが、明治5年1月20日の官等表から陸軍を上、海軍を下に変更した[24]。
- ^ 明治5年3月9日に陸軍大輔の山縣有朋を陸軍中将兼陸軍大輔に任じた[26]。
- ^ 明治7年1月14日に榎本武揚を海軍中将に任じ[29]、同年8月8日に海軍少輔の川村純義を海軍中将兼海軍大輔に任じた[30]。
- ^ 後の統合幕僚長章。
- ^ ただし、海将の袖章は今日までと同じ1本の金太線と2本の金中線であり、肩章も1960年3月まで袖章と同じデザインだった。
- ^ 冷戦構造崩壊前の序列は東部・北部・中部・西部・東北。東部・中部はそれぞれ隷下に政経中枢型師団を1つ持つことから、以前は北部方面隊が対ソビエト連邦戦略の最重点区に指定されていたことから東部方面隊に次ぐ第2位であったが、東西冷戦構造の崩壊及び南西諸島海域への中国海軍の進出及び北朝鮮によるミサイル発射実験等による影響で防衛計画の大綱が改正され、最重点区域が南西諸島海域に変更されたことから現在は第4位となっている
- ^ 陸・海・空・海兵の主要四軍とともに、アメリカ軍を構成する「五軍」として扱い称される。
- ^ 保健社会福祉省公衆衛生局の管轄下にある。
- ^ 商務省海洋大気庁の管轄下にある。
- ^ a b 表現的にはオランダ海軍のLuitenant-Admiraalに近いものである。
出典
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- ^ a b MinShig (1997年7月11日). “府の四部官(四等官・四分官)とその官位相当”. 官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンス Ver.0.8. 官職. 2023年11月5日閲覧。
- ^ 国立国会図書館 2007, p. 240.
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- ^ 仇子揚 2019, pp. 83–85, 附録93.
- ^ 荒木肇「陸軍史の窓から(第1回)「階級呼称のルーツ」」(pdf)『偕行』第853号、偕行社、東京、2022年5月、2023年11月12日閲覧。
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- ^ 内閣官報局 編「太政官第62号 兵部省ヲ廃シ陸海軍両省ヲ置ク(2月28日)(布)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、71頁。NDLJP:787952/91。
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- ^ 内閣官報局 編「第154号陸海軍武官官等表改定(5月8日)(布)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、200−201頁。NDLJP:787953/175。
- ^ 「陸海軍武官官等表改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一(第1画像目から第2画像目まで)
- ^ 「榎本武揚」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06051167400、枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 明治ノ一(国立公文書館)(第1画像目)
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- ^ 『官報』本紙 第10788号(昭和37年12月1日)
- ^ 古志山人閑話 戦士の戦史・おまけで自衛隊ネタ話
- ^ “海自「海将」に初めて女性を昇任 「地方総監」に起用へ 防衛省”. NHK. (2023年12月15日) 2023年12月15日閲覧。
- ^ 平時では複数の旅団で編成されている。
- ^ 『知っておきたい現代軍事用語【解説と使い方】』78頁、「著」・高井三郎、「発行」・アリアドネ企画、「発売」・三修社、2006年9月10日。
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