阿仁前田小作争議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:27 UTC 版)
阿仁前田小作争議(あにまえだこさくそうぎ)は、秋田県北秋田郡前田村(現・北秋田市)で1925年(大正14年)から1938年(昭和13年)にかけて発生した小作争議。いわゆる「日本三大小作争議」の一つに挙げられている。
注釈
- ^ 先代の庄司兵蔵(1831年 - 1892年4月18日)は、幕末から明治時代にかけての豪農。金貸しや阿仁鉱山への米穀や物資の供給で財をなした。久保田藩の命令で男鹿半島の北浦港警備を担当して士分に列せられ、秋田戦争では砂子沢峠を警備し盛岡藩の侵入に備えた。また、絵画などが得意で平福穂庵を自宅に招いたり、佐竹義敦の絵を所蔵していたりする。
- ^ 庄司兵蔵は小又峡の自然を守り、世に知らしめるために尽力している。小又峡の親滝付近にダムを作り、それを大印沢に分水し発電し、湯の沢温泉付近の炭鉱に送電する計画があったが、当時自然保護を訴えれば国賊扱いされかねない状況の中、大論争の末、ダム計画を頓挫させた。この功績を記録する顕彰碑が太平湖グリーンハウス前に平成9年10月建てられた。
- ^ 一日市争議については、金子洋文によって、短編小説『赤い湖』(1930年)に描かれている。
- ^ 森吉山ダムの開発で廃止。
出典
- ^ 高嶋裕子「小作争議の帰結と国民健康保険制度の普及 -秋田県を事例として-」
- ^ a b 『阿仁前田小作争議の一断面 -「北電荒井組」をめぐって』、1998年、成田一男
- ^ 和田昌三『”農民の父”と慕われる郡上八幡出身・可児義雄の生涯』、2005年
- ^ a b c d e f 野添憲治・上田洋一『あきた文庫1 小作農民の証言 -秋田県の小作争議小史-』秋田書房、1975年
- ^ 秋田県『秋田県史 第六巻 大正 昭和編』、1977年、p.164-165
- ^ 秋田魁新報、1929年11月29日
- ^ 秋田魁新報、1929年12月7日
- ^ 『東海林太郎―不滅のアリア(あきたさきがけブック―音楽シリーズ(No.11)) 』、宮越郷平、1994年
- ^ 秋田魁新報、1930年12月17日
- 1 阿仁前田小作争議とは
- 2 阿仁前田小作争議の概要
- 3 争議に関する逸話
- 4 脚注
- 阿仁前田小作争議のページへのリンク