悪麗之助
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悪 麗之助(あく れいのすけ、1902年11月25日 - 1931年10月26日)は、日本の脚本家、映画監督である。満28歳で夭折した、昭和初年の無声映画界に存在したアナキスト系映画作家である。陸 大蔵(りく たいぞう)、阿久 礼之助(あく れいのすけ)、竜造寺 淳平(りゅうぞうじ じゅんぺい)とも名乗る。本名金田 茂男(かなた しげお)。
- ^ 日本映画データベースの「崇禅寺馬場 前篇」の表記を参照。
- ^ a b c d e 『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「悪麗之助」の項(p.11)を参照。同項執筆は竹中労。
- ^ 直木の甥・植村鞆音『直木三十五伝』(文藝春秋、2005年 ISBN 4163671501)の記述を参照。
- ^ 戦前チャンバラ「荒木又右衛門」フィルム発見 - ウェイバックマシン(2009年10月10日アーカイブ分)、スポーツニッポン、2009年10月7日付、2011年9月27日閲覧。
- ^ 発掘された映画たち2010 荒木又右衛門、東京国立近代美術館フィルムセンター、2011年9月27日閲覧。
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