ウィキペディア |
阪急550形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/20 03:00 UTC 版)
阪急550形電車(はんきゅう550がたでんしゃ)は、かつて阪急電鉄の前身である京阪神急行電鉄に在籍していた通勤形電車である。
|
||||||||||||||||||||||||||||||
- ^ 当時は戦時統合で近畿日本鉄道の一部。
- ^ 西宮車庫での被災車両は1形2両、920系2両など。
- ^ 新京阪線の被災車は淀川橋梁上で被災した105-509の2両、京阪線の被災車は6月15日の大阪大空襲の際に天満橋駅構内で被災した300形2両と電動貨車1両。
- ^ なお、この規格型電車B'型としては他に近畿日本鉄道奈良線600形20両が本形式と同じ1948年に資材割り当てを受けて製造されている。
- ^ 製造年月については『鉄道ピクトリアル』1989年12月臨時増刊号の記述に拠る。同号中では550 - 555の製造年月について、「1948年6 - 8月製造とするものもある」という説を紹介している。この他、『鉄道ピクトリアル臨時増刊 車両研究』では、550~564の就役を1948年8月から12月としている。また、565の製造年月について、『車両発達史シリーズ3 阪急電鉄 神戸・宝塚線』では1951年12月製造としている。
- ^ 500形の車体長は15,250mm、車体幅は2,494mmで、本形式の方が車体長は580mm長く、車体幅は48mm広い。
- ^ 当時は特に板ガラスの調達が困難であったため、窓高さは従来よりも低く設計され、その分幕板が広くなった。また、完全上昇式のため上段及び下段中央に保護棒が設置されていた。
- ^ この600形向け新製機器の内、扶桑金属工業KS-33L台車は書類上は本形式用として製造時に手配されたものである。
- ^ いずれも端子電圧600V時1時間定格出力78kW、定格回転数615rpmの吊り掛け式直流直巻整流子電動機である。ただし、これら2機種は阪急では1時間定格出力82kWを公称した。なお、後者はゼネラル・エレクトリック社の日本における提携先である芝浦の手による前者のスケッチ生産品である。
- ^ 後に全車クラスプブレーキに改造された。
- ^ こちらも最終的にはA動作弁にブレーキ弁を交換している。
- ^ ただし、パンタグラフは偶数車にのみ搭載されて奇数車には母線結合で給電された。この奇数車は阪急社内では特M車と呼ばれたが、車種は制御車である。
- ^ こちらも偶数車であったため、方向転換の上でパンタグラフなどを撤去した。
- ^ 530は再び方向転換され、他の偶数車と同じく先頭が梅田向きに揃えられた。
- ^ 550-551+552-553~562-563+564-565と、通し番号で4両編成を組むことが多かった。
- ^ 一部の車両は下段窓の保護棒も撤去されたが、再度取り付けられている。
- ^ 電動貨車の車番は『鉄道ピクトリアル』1978年5月臨時増刊号の記述に拠る。詳細な車番は不明。
- ^ 座席定員は40名から48名となり、今度は従来の小型車より座席定員が多くなった。ただし、網棚は延長されていない。
- ^ 564は563とペアを組むこととなった。562-565の転出については『車両アルバム8 阪急550』の記述に拠る。
- ^ 編成は530-300+528-529
- ^ 昇圧は神戸線が1967年10月8日、宝塚線が1969年8月24日
- ^ 当時能勢電気軌道は阪急から320・380・500の各形式を借り受けて輸送力の増強に努めていたが、この時点では380形6両全車と500形11両が平野車庫に搬入されたまま運用についておらず、それに加えて戦前製小型車は610系登場時に48kW級電動機4基搭載に統一されていたことから、主電動機の1時間定格出力が異なる本形式が投入される余地はなかった。
- ^ 559は1967年7月に廃車された後、関大幼稚園に譲渡されるまでの間桂車庫の構内で仮台車(J.G.ブリル社製Brill 27-MCB)を装着した状態で保管されていた。
- ^ 『車両アルバム8 阪急550』には、腰板部に「こどもぶんこ」と書かれた1972年10月撮影の559の写真が掲載されている。
- ^ アルナ工機の社名そのものが「アルミのナニワ」に由来している。同社のアルミサッシ製品は鉄道車両と並ぶ主力商品であった。
[続きの解説]
「阪急550形電車」の続きの解説一覧
- 1 阪急550形電車とは
- 2 阪急550形電車の概要
- 3 運用
- 4 保存車
固有名詞の分類
阪急550形電車のページへのリンク