せきね‐きんじろう〔‐キンジラウ〕【関根金次郎】
関根金次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 00:26 UTC 版)
関根 金次郎(せきね きんじろう、1868年4月23日(慶応4年4月1日) - 1946年(昭和21年)3月12日)は、明治から昭和初期の将棋棋士、十三世名人。本来の表記は關根金次郞。八代伊藤宗印及び十二代大橋宗金門下。将棋連盟や実力名人制を創始した。「近代将棋の父」とも称される[1]。
注釈
- ^ ここで言う「一世名人」とは、死去するまで名人という意。
出典
- ^ 「関根金次郎」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』2014年
- ^ a b c d e f g h i 山本武雄『改定新版 将棋百年』(1976年、時事通信社)第1章
- ^ 野田市観光協会「関根名人記念館」『観光野田市』2016年10月26日閲覧
- ^ a b c d e f g 岡本嗣郎『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』(1997年、集英社)
- ^ 増川宏一「ここまで分かった!将棋の歴史」将棋世界2015年12月号。将棋史研究者の増川は、家元の名を借りて実質的な関根の弟子を集めたのだろうと推定している。
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.49-50
- ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.50
- ^ 内藤国雄『阪田三吉名局集』(講談社)P.21
- ^ a b c 山本武雄『改定新版 将棋百年』(1976年、時事通信社)第3章
- ^ 日本将棋連盟「棋士系統図」
- ^ a b c 越智信義編『将棋随筆名作集』(三一書房)収録の「関根名人昔語り」(菅谷北斗星著)
- ^ 二上達也、福田稔『名作詰将棋』有紀書房、1987年3月、ISBN 4-638-07228-3 p158
- 1 関根金次郎とは
- 2 関根金次郎の概要
- 3 エピソード
- 4 放送
関根金次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
棋風は自然流と称されるほど無理のない手で相手を追い詰めていく将棋で、明治から大正時代、攻め将棋が全盛の時代であったころに相手の攻撃を受けてたつ棋風が目立った棋士。
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関根金次郎 (1868-1946)
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「棋士 (将棋)」の記事における「関根金次郎 (1868-1946)」の解説
十三世名人。明治から昭和の初期にかけて活躍した棋士であり、坂田三吉の最大のライバル。自ら名人位を退き、実力制名人制度を確立した。
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