関城・大宝城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/23 19:27 UTC 版)
関城・大宝城の戦い(せきじょう・だいほうじょうのたたかい)は、南北朝時代に常陸国筑波山西麓にあった関城・大宝城(現在の茨城県筑西市・下妻市)を巡って争われた攻防戦のこと。
- ^ 石塔義元書下(結城家文書)(白河市歴史民俗資料館 & 白河集古苑 1996, p. 37(写真掲載))
- ^ 関城跡(茨城県筑西市)には関宗祐・宗政父子の墓と伝えられる宝篋印塔があり、落城した11月11日を命日として毎年墓前祭が行われている。
[続きの解説]
「関城・大宝城の戦い」の続きの解説一覧
- 1 関城・大宝城の戦いとは
- 2 関城・大宝城の戦いの概要
- 関城・大宝城の戦いのページへのリンク