関口親永とは? わかりやすく解説

関口親永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 00:15 UTC 版)

関口 親永瀬名 義広(せきぐち ちかなが/せな よしひろ)は、戦国時代の武将。今川刑部少輔家(今川関口家)の当主で駿河今川氏の有力家臣。主君今川氏親から偏諱を受けて親永に改める(ただし、現存文書の署名は氏純となっている)。駿河持船城主。妻は今川義元の妹(養妹とも)とされるが、実兄の瀬名氏俊の話の誤伝とする説もある[3]徳川家康の正室・築山殿の父に当たる。


注釈

  1. ^ 『戦国遺文 今川氏編』では氏純と署名している人物を関口刑部少輔に比定している。大石泰史は、古文書で確認できる実名は「氏純」のみとしている[1]

出典

  1. ^ 大石泰史 著「新発見の今川氏家臣の発給文書-為広・為和歌合集紙背文書の検討から」、小和田哲男 編『今川氏とその時代 地域研究と歴史教育』清文堂、2009年。 
  2. ^ [大谷彦十郎重門の母瀬名刑部少輔親永の娘]二本松市史. 第5巻 (資料編 3 近世 2) 、著者 二本松市 編集・発行、出版者 二本松市、出版年 昭和 54.2 1979-2002 第二編 25 世臣伝 一之上/604〜616頁より引用
  3. ^ 黒田 2017, pp. 33–34.
  4. ^ 黒田 2022, p. 28.
  5. ^ 平井ほか 1979, p. 127.
  6. ^ 黒田基樹「今川氏親の新研究」『今川氏親』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二六巻〉、2019年4月、27-31頁。ISBN 978-4-86403-318-3 
  7. ^ 黒田 2022, p. 34.
  8. ^ 黒田 2017, p. 90.
  9. ^ 浅倉直美 著「北条氏との婚姻と同盟」、黒田基樹 編『今川義元』戎光祥出版〈戦国大名の新研究 第1巻〉、2019年6月、226-228頁。ISBN 978-4-86403-322-0 
  10. ^ 浅倉直美 著「小田原北条氏と織田・徳川氏」、橋詰茂 編『戦国・近世初期 西と東の地域社会』岩田書院、2019年6月、70-71頁。ISBN 978-4-86602-074-7 


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家臣瀬名鶴姫)の実父刑部

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