閑院宮載仁とは? わかりやすく解説

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閑院宮載仁親王

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 17:44 UTC 版)

閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう、1865年11月10日慶応元年9月22日) - 1945年昭和20年〉5月20日)は、日本皇族陸軍軍人日本赤十字社総裁、東京地学協会総裁(1895年 - 1945年)[1]日露協会総裁(1911年 - )[2]伏見宮邦家親王第16王子。称号階級並びに勲等功級元帥陸軍大将大勲位功一級。世襲親王家閑院宮第6代当主。


注釈

  1. ^ 参謀総長としての載仁親王については、浅見雅男『皇族と帝国陸海軍』(文春新書、2010年)101頁~110頁に詳しい。
  2. ^ なお他の皇族議員と同じく具体的に議員としての活動はしていない。
  3. ^ 日本の皇族のロシア訪問はこれ以降、2018年憲仁親王妃久子が訪問するまで途絶えることになる。

出典

  1. ^ 『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年) : 明治前半の日本地理学史資料として石田龍次郎, 一橋大学研究年報. 社会学研究, 10, 1969-03-31
  2. ^ 日露協会デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
  3. ^ 閑院宮の親補式を挙行『大阪毎日新聞』昭和6年12月24日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p221 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 閑院宮が就任、皇族では明治以来三人目『東京朝日新聞』昭和6年12月23日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p220)
  5. ^ 衆議院 & 参議院 1990, p. 2.
  6. ^ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。
  7. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  8. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  9. ^ 『官報』第2209号「叙任及辞令」1919年12月13日。
  10. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  11. ^ 『官報』第1499号「叙任及辞令」1931年12月28日、p.742。
  12. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  13. ^ 『官報』第4570号「宮廷録事 勲章親授式」1942年4月7日、p.213。
  14. ^ 平成新修旧華族家系大成上p33
  15. ^ 「官報 1900年02月17日 宮廷錄事 閑院宮御出發(p236)」NDLJP:2948278/1/3
  16. ^ 1916年閑院宮載仁親王のロシア訪問―来露100年を記念してセルゲイ・チェルニャフスキー、東京大学史料編纂所研究紀要 第27号 2017年3月
  17. ^ 『官報』第1497号「叙任及辞令」1931年12月24日、p.653。


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