鈴木牧之
鈴木牧之
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鈴木 牧之(すずき ぼくし、明和7年1月27日(1770年2月22日) - 天保13年5月15日(1842年6月23日))は、江戸時代後期の商人、随筆家。幼名は弥太郎。通称は儀三治(ぎそうじ)。牧之は俳号。屋号は「鈴木屋」。雅号は他に「秋月庵」「螺耳」など。父は鈴木恒右衛門(俳号は「牧水」)、母はとよ。
- ^ ながおかネット・ミュージアム 『越後古志郡二十村闘牛之図』
- ^ 新潟文化物語 地域文化データベース 『越後古志郡二十村闘牛之図』
- ^ “人物略歴”. 国立国会図書館. 2022年10月29日閲覧。
鈴木牧之(1770年 - 1842年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:08 UTC 版)
「曲亭馬琴」の記事における「鈴木牧之(1770年 - 1842年)」の解説
越後国小千谷の商人。のちに『北越雪譜』として結実する、地元についての随筆集の出版を目指して、江戸の出版界と関わりを持った。寛政10年(1798年)、牧之は山東京伝を頼って出版を試みたが版元が見つからず、計画は沙汰やみになった。牧之が次に頼ったのが馬琴であるが、この時馬琴は京伝との関係悪化を懸念し出版には至らなかった(出版については京伝も馬琴も乗り気であった)。京伝死後の文化13年(1813年)、牧之は再び馬琴とともに出版をめざした。馬琴はこの時期『南総里見八犬伝』を手掛けており、作中でも越後小千谷を登場させ、牧之から提供された資料を出所を記しつつ活用している。しかし馬琴が自作にかかりきりとなって『北越雪譜』出版作業は進まず、牧之は京伝の弟である京山と接近した。馬琴は態度を硬化させて牧之に原稿を返却せず、牧之は再度原稿を執筆する羽目になった。結局『北越雪譜』は天保8年(1837年)、京山の協力によって出版に至った。
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