すずき‐だいせつ【鈴木大拙】
すずきだいせつ 【鈴木大拙】
鈴木大拙
鈴木大拙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 12:11 UTC 版)
鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎〈ていたろう〉、英語: D. T. Suzuki 〈Daisetz Teitaro Suzuki〉[2][3][4]、1870年11月11日〈明治3年10月18日〉[5] - 1966年〈昭和41年〉7月12日[5])は、日本の仏教学者、文学博士である。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に紹介した。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。1949年に文化勲章、日本学士院会員。
注釈
- ^ 現在も同協会より刊行されている。
- ^ 晩年の大拙の主治医が日野原重明で、その最後も看取った[15]。日野原によれば、高齢で麻酔がかけられないために近隣の鎌倉市内の病院はどこも手術を引き受けてくれず、救急車での長い移動ののちに聖路加病院に到着した[13]。やはり血圧が下がり手術をするのに麻酔がかけられない状態で、その後10時間ほど療養して亡くなったという[13]。親しくしていた東慶寺住職だった井上禅定は「大拙は惜しいことをした。(好物の)牡蠣をくって亡くなったのだ」という[16]。兼子は学生時代に東慶寺で庭の草抜きをしていた折りに井上から聞いたという[16]。
- ^ 日野原重明のみたてでは腸間膜動脈血栓症の疑いが強かったが、解剖の結果、拘緊性腸閉塞であったという[17]。なお、『日本的霊性』(岩波文庫、篠田英雄「解説」)での年譜では腸間膜動脈血栓症と表記されている。
- ^ 大拙が没した際、ニュースを読み上げた宿直明けのアナウンサーが、原稿に禅と書いてあるのを蝉と読み違えて「蝉の研究で有名な鈴木大拙氏が亡くなりました。著書には英文による『蝉と日本文化』…」と、誤って読み上げてしまい進退伺いを出すことになった。が、慰留された、という[18]。なお彼は自著の著者紹介で「“褌”の研究家」と誤植されたこともある。[要出典]
- ^ 旧版選集は生前刊で、続編も刊行し全26冊
出典
- ^ “鈴木大拙 主な著作年表”. 鈴木大拙館. 2014年5月31日閲覧。
- ^ a b “鈴木大拙 略歴”. 鈴木大拙館. 2012年2月17日閲覧。
- ^ Daisetz Teitaro Suzuki; D.Litt (1935年). “Manual of Zen Buddhism” (PDF) (英語). Buddha Dharma Education Association Inc.. 2012年2月17日閲覧。
- ^ D.T.SUZUKI DOCUMENTARY PROJECT. “A ZEN LIFE”. Japan Inter-Culture Foundation. 2012年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 山口益,坂本弘「鈴木大拙先生を偲ぶ〔含 略歴・著作論文目録(大谷大学関係誌)〕」『大谷学報』第46巻第2号、大谷大学、19966-09、73-82頁。
- ^ 安宅夏夫『鎌倉文学散歩』松尾順造(写真)、保育社、1993年、11頁 。
- ^ “Nomination Database”. Nobelprize.org. 2017年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月3日閲覧。
- ^ 山田奨治『東京ブギウギと鈴木大拙』人文書院、2015年[要ページ番号]。「大巧は拙なるに似たり」は、『碧巌録』の第百則「巴陵吹毛剣」の頌(じゅ)に「不平を平(たいら)げんことを要するも、大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」とあり、この「大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」は『老子』第四十五章「大成(たいせい)は欠けたるが若(ごと)きも、其の用は弊(へい)せず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若きも、其の用は窮まらず。大直(たいちょく)は屈せるが若く、大功は拙(せつ)なるが若く、(以下略)」からの引用である。
- ^ a b c 池田洋一郎 (2018年6月7日). “古都ものがたり 京都 鈴木大拙の研究支えた大谷大学 慕われた教授、思想は世界へ”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 5面
- ^ 『東京ブギウギと鈴木大拙』山田奨治、人文書院 (2015/4/7)p172
- ^ 『東京ブギウギと鈴木大拙』p177-184
- ^ a b 溝川徳二『文化勲章名鑑 全受章者』(名鑑社, 1999年)135頁
- ^ a b c 全生 第14号 全生庵(平成23年正月)4頁
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)15頁。
- ^ 「禅学者鈴木大拙の最期」- 日野原重明『死をどう生きたか』中公新書、1983年。新版・中公文庫、2015年。
- ^ a b 兼子盾夫. “仏教とキリスト教”. カトリック藤沢教会. 2019年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月3日閲覧。
- ^ 「禅学者鈴木大拙の最期」、日野原重明『死をどう生きたか』中公新書、1983年。新版・中公文庫、2015年。
- ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店、1995年、p.279。
- ^ 鈴木琵琶子(鈴木大拙夫人)の「京洛逍遥」について─?その1上田卓爾 金沢星稜大学論集 第51巻第2号 平成30年3月
- ^ 池麻耶・伊藤玄二郎「祖父・鈴木大拙と私」『かまくら春秋』2015年1月。[要文献特定詳細情報]
- ^ 『東京ブギウギと鈴木大拙』山田奨治、人文書院 (2015/4/7)p116
- ^ "大拙先生とわたし". NHK. 2023年10月1日. 2023年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月7日閲覧。
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