馬の用語事典 |
釧路種
読み方:くしろしゅ
【英】:Kushiro
原産地:日本。体高約148cm。小格重輓馬、農耕、軍馬。国産公認品種としては、唯一の品種。1900年の北清事変(義和団の乱)や1904年の日露戦争を通じて、欧米の馬に比べて日本の軍馬が貧弱であることを痛感した日本政府は、海外から改良種を導入し、軍馬生産に取り組んだ。第一次馬政計画(1906-1936年)では、サラブレッド、アラブ、アングロ・アラブ、アングロ・ノルマン、トロッター、ハックニー、ペルシュロンなど有名な改良種の種雄馬を輸入し、国内産の雌馬との交配を行い産馬改良が精力的に行われた。とりわけ、神八三郎を中心とする釧路畜産組合の功績は大きく、ペルシュロン種の子に、通称「農トロ」と呼ばれていた「トロッター種」(アングロ・ノルマン種)を掛け合わせ、さらに、北海道和種馬(どさんこ)をかけあわせ釧路種の原型を作った。軍部からは6尺(180センチ)もある大型の馬を求められたが、八三郎は、日本人の体型にあわないと反対し、さらに、「上御三代(天皇三代)との約束で作っているのだから(八三郎は、明治44年に後の大正天皇になる皇太子が釧路に視察し、馬を生産する決意を述べたことがある)」と反論し、日本人の体型にあった小型でパワーのあるものを追求した。改良を加えて完成されたのが、体高約148cmの日本釧路種(1932年;青毛)および奏上釧路種(1937年;鹿毛)である。釧路種は、日本人青年男子の体格とうまくバランスがとれた多目的馬として重宝された。戦後は需要がなくなり1952年に大楽毛(おたのしけ)家畜市場で開催された「釧路種馬一千頭共進会」を最後に姿を消した(注)。
【英】:Kushiro
原産地:日本。体高約148cm。小格重輓馬、農耕、軍馬。国産公認品種としては、唯一の品種。1900年の北清事変(義和団の乱)や1904年の日露戦争を通じて、欧米の馬に比べて日本の軍馬が貧弱であることを痛感した日本政府は、海外から改良種を導入し、軍馬生産に取り組んだ。第一次馬政計画(1906-1936年)では、サラブレッド、アラブ、アングロ・アラブ、アングロ・ノルマン、トロッター、ハックニー、ペルシュロンなど有名な改良種の種雄馬を輸入し、国内産の雌馬との交配を行い産馬改良が精力的に行われた。とりわけ、神八三郎を中心とする釧路畜産組合の功績は大きく、ペルシュロン種の子に、通称「農トロ」と呼ばれていた「トロッター種」(アングロ・ノルマン種)を掛け合わせ、さらに、北海道和種馬(どさんこ)をかけあわせ釧路種の原型を作った。軍部からは6尺(180センチ)もある大型の馬を求められたが、八三郎は、日本人の体型にあわないと反対し、さらに、「上御三代(天皇三代)との約束で作っているのだから(八三郎は、明治44年に後の大正天皇になる皇太子が釧路に視察し、馬を生産する決意を述べたことがある)」と反論し、日本人の体型にあった小型でパワーのあるものを追求した。改良を加えて完成されたのが、体高約148cmの日本釧路種(1932年;青毛)および奏上釧路種(1937年;鹿毛)である。釧路種は、日本人青年男子の体格とうまくバランスがとれた多目的馬として重宝された。戦後は需要がなくなり1952年に大楽毛(おたのしけ)家畜市場で開催された「釧路種馬一千頭共進会」を最後に姿を消した(注)。
- 明治・大正時代から敗戦まで 畜産ZOO鑑 <日本語>
- 馬文化ひだか <日高支庁>
- 神事記念館 <釧路高専>
- (注)釧路高専のホームページの「大楽毛ってどんなまち?」によると1952年(昭和27年)に開催されたことになっているが、畜産ZOO鑑の「明治・大正時代から敗戦まで」によると、1951年になっている。
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