釜山浦海戦
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釜山浦海戦(ふざんほかいせん)は、文禄の役において朝鮮水軍が日本軍の拠点となっていた釜山を攻撃したが勝てずに退却した戦闘。
- ^ 朝鮮王朝実録 "李舜臣等攻釜山賊屯, 不克。" http://sillok.history.go.kr/id/wnb_12508001_002
- ^ "八月、李舜臣進攻釜山、鹿島萬戶鄭運死之、舜臣引兵還。舜臣謂諸將曰、「釜山、賊之根本也。進而覆之、賊必失據。」遂進至釜山" 李忠武公全書 巻之十三 附録五 『宣廟中興志』
- ^ 李忠武公全書 巻之十三 附録五 『宣廟中興志』
- ^ "八月、李舜臣進攻釜山、鹿島萬戸鄭運死之、舜臣引兵還。" 李忠武公全書 巻之十三 附録五 『宣廟中興志』
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- 2 釜山浦海戦の概要
- 3 背景
- 4 参考文献
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