那須氏とは? わかりやすく解説

那須氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 15:26 UTC 版)

那須氏(なすし)は、武家士族だった日本氏族のひとつ。下野国那須郡本貫とする。治承・寿永の乱源義経軍に加わって屋島の戦いで活躍した那須与一で著名[1]鎌倉時代以降烏山の那須氏を宗家として支流を那須衆として束ね、戦国時代まで下野東北部を支配した[1]。秀吉の関東平定で除封され、関ヶ原の戦い後には小大名の那須藩主となったが[2]烏山藩主時代の貞享4年(1687年)に改易された[3]。その後交代寄合としてわずかに家名を残し、維新士族に列した[4]


注釈

  1. ^ 「山内首藤系図」や「那須系図」の一本(いずれも『続群書類従』巻第149所収)では、藤原師尹の孫・為任の後裔とする。
  2. ^ 那須氏はたびたび分裂していた上に、現存の那須氏系譜で最古のものは元和年間(矢板市観音寺[要曖昧さ回避]所蔵「那須系図」)であり、中世期の系譜が現存していない。
  3. ^ ただし、14世紀後半の段階で上那須家の特徴である「仮名:太郎・受領名:大膳大夫」を名乗る人物と下那須家の特徴である「仮名:五郎・受領名:越後守」を名乗る人物がともに登場するようになっており、南北朝時代には既に両那須氏の分裂が始まっていたとする見方もある[8]
  4. ^ ただし、系譜を確認すると、隆は上那須家、統一那須家の順で数えた場合は32代目、下那須家から数えた場合は31代目になる。よってこの36代目という代数は上那須家・下那須家の当主を両方ともカウントした場合のものであると思われる。
  5. ^ 那須与一伝承館パンフレット - 5ページ目に記載の「太刀銘成高」とその拵(こしらえ)も、屋島の戦いで与一が腰に帯びていたとされる那須家の伝来品であり、国の重要文化財である[11]
  6. ^ 文和4年(1355年)の東寺合戦において「那須五郎」が参陣しているが、那須五郎が先祖の武勇を語る同一エピソードを取り上げているはずの『太平記』と『源威集』が全く違う話を伝えている。前者は備中の那須五郎が那須与一の扇の的の故事を取り上げ、後者は那須備前守資藤(五郎)が奥州での戦いの時に那須資忠が源頼義から鎧を与えられた故事を取り上げられている。これは那須与一の伝説の担い手が西国の那須氏であって、東国の那須氏の間では認識されていなかったことを示しているとされる。なお、当時の状況からして東西の那須五郎がともに足利軍の一員として東寺合戦に参加していた可能性が高いものの、『太平記』も『源威集』も両者の存在が分別されずに描かれている[13]

出典

  1. ^ a b 世界大百科事典 第2版『那須氏』 - コトバンク
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『那須藩』 - コトバンク
  3. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『烏山藩』 - コトバンク
  4. ^ a b c 松田敬之 2015, p. 524.
  5. ^ 「那須系図」(『続群書類従』巻第149所収)、「那須系図」(『下野国志』所収)、「田原族譜」など。
  6. ^ 太田亮「那須 藤原姓」『姓氏家系大辞典』(国民社、1942年昭和17年)、4320頁。)
  7. ^ 山本 2012.
  8. ^ 江田 2008, p. [要ページ番号].
  9. ^ 那須, 弘前大学アムネスティ・クラブ & 福島 1992, p. 88.
  10. ^ 鎌田 2006, p. 194.
  11. ^ a b c d e 井上 2011, pp. 198–202.
  12. ^ アイデアニュース 2016.
  13. ^ 山本 2012, p. 229 - 235.
  14. ^ 大田原市 1975.
  15. ^ 小宅 2018.
  16. ^ アイデアニュース 2018.


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那須氏

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竹林の戦い」の記事における「那須氏」の解説

那須氏は上杉禅秀の乱以降上那須氏下那須氏分裂し争っていた。永正9年1512年)頃は上那須氏は高基派、下那須氏は政氏派で、佐竹氏同盟関係であった永正11年1514年)には両那須氏とも政氏派になっているまた、上那須氏永正11年1514年)に那須資親没する後継者争い勃発し上那須氏断絶してしまう。これを機に下那須氏那須資房が那須氏統一図った

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那須氏

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関東八屋形」の記事における「那須氏」の解説

藤原北家長家流・藤原資家を祖とする。

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