近衛十四郎
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近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。数多くの時代劇ファンを魅了する殺陣は「日本映画史上最も殺陣の上手い役者」「古今東西ナンバー1」と評される。本名、目黒 寅彦(出生名は寅一[1]、のち改名)。新潟県長岡市出身[1]。
注釈
- ^ 「十四郎」は「1914年生まれ」であることに由来している。松方には「十四というのはラッキーセブンを二倍にした数でとても縁起のいい名前なんだぞ」と教えていたという。
- ^ 戦後間もない映画界ではGHQによりチャンバラ映画が一時禁止され、片岡千恵蔵の『多羅尾伴内』シリーズなど、拳銃を手にしたアクション映画が多作される中、監視の効かない実演では剣戟が行われていた
- ^ 品川隆二は後年、インタビューでこの当時の近衛について「すげぇポン中(ヒロポン中毒)だったんだよ」と証言している。「終戦後一座を組んで地方巡業、ドサ回りしているときに、ヒロポンが切れてくると、堀部安兵衛なんかやりながら、剣を構えて、正眼から片手になって、舞台の袖につっこむ。で、ぱーっと手を出すと若い衆が、ぴんぴん打つんだって。そうすると、それからの立ち廻りがすごいんだっていうんだなあ。でね、落ちてる槍を右足の親指と人差し指ではさんでびゅーんと蹴り上げるんだって。」そう語る一方で、品川自身も愚連隊に入り裏社会に関与、同じくヒロポン中毒だったという[5]。
- ^ この作品では子役時代の次男の目黒祐樹と共演している。
- ^ 私生活では亭主関白な一方で、家庭を顧みず、酒とお茶屋通いに明け暮れ、芸妓の家に連泊するなど、放蕩三昧だったという。松方はそんな父の姿を嘆き、母に「あんなオヤジ、もう別れろよ」と進言したこともあったという。それでもやゑは生来の明るさで近衛に尽くし、近衛も病を得て以降はやゑを頼りにした。やゑの死去に際し、人目もはばからず嗚咽する近衛の姿に改めて愛情の深さを知った、と松方はインタビューで語っている。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 由原木七郎「二人の死に見る"映画人生"の明と暗 近衛十四郎・本木荘二郎 剣豪・花山大吉、釣り堀で『天国』へ」『週刊読売』1977年6月11日号、読売新聞社、44-45頁。
- ^ ファミリーヒストリー 2017/02/02(木)19:30 の放送内容 ページ1 | TVでた蔵 2020年10月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 殺陣 1993, pp. 222–223.
- ^ a b c d 殺陣 1993, pp. 223–224.
- ^ 品川隆二・円尾敏郎著。「近衛十四郎と品川隆二」ワイズ出版[要ページ番号]
- ^ a b 殺陣 1993, pp. 224–226.
- ^ “メッセージ|東映ブランド紹介/時代劇映画”. 東映株式会社. 2013年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 岡田茂「ドキュメント東映全史 『多角化は進んでも東映の看板はやはり映画』」『クロニクル東映 1947―1991』 2巻、東映、1992年、5-6頁。
- ^ a b 『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)
- ^ 殺陣 1993, pp. 233–237.
- ^ 渡邊達人『私の東映30年』1991年、139-147頁。
- ^ a b c d 「戦後50年東映・岡田茂会長インタビュー『おもしろおかしく生きて勲二瑞宝』」『AVジャーナル』1995年12月号、文化通信社、27-28頁。
- ^ 東映株式会社総務部社史編纂 編『東映の軌跡』東映、2016年、564頁。織井優佳 (1999年9月25日). “スター(航海新世紀へ朝日新聞創刊120周年)【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 15“【読書】波瀾万丈の映画人生』岡田茂著”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 読書2頁. (2004年7月19日)“【産経抄】”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 1. (2011年5月14日)
- ^ a b 佐藤忠男 編『日本の映画人 日本映画の創造者たち』日外アソシエーツ、2007年、122頁。ISBN 9784816920356。
- ^ “メッセージ|東映ブランド紹介/任侠・実録”. 東映株式会社. 2013年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月10日閲覧。松島利行『風雲映画城』 下、講談社、1992年、119-147頁。ISBN 4062062267。中原早苗『女優魂 中原早苗』ワイズ出版、2009年、176頁。ISBN 9784898302354。黒沢, 清、四方田, 犬彦、吉見, 俊哉 ほか 編「日本映画とやくざ、あるいは『不良性感度の時代』 2.任侠やくざ映画の時代 文・内藤誠」『日本映画は生きている 第四巻 スクリーンのなかの他者』岩波書店、2010年、269頁。ISBN 9784000283946。“「日本映画界のドン」岡田茂氏逝く”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2011年5月10日)“【産経抄】5月14日”. 産経新聞. (2011年5月14日1面、産経抄). オリジナルの2011年5月18日時点におけるアーカイブ。金田信一郎「岡田茂・東映相談役インタビュー」『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史』日経BP社、2006年、211-215頁。ISBN 4-8222-0158-9。(NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した(Internet Archive)楊紅雲「任侠映画路線における東映の成功 : テレビに対抗した映画製作 (1963-1972年) を中心に」『多元文化』第4号、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2004年3月、191-202頁、doi:10.18999/muls.4.191、ISSN 13463462、NAID 120000974864。 p.192-197 より
- ^ a b c 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、215-219頁。ISBN 9784163768106。あかんやつら――東映京都撮影所血風録 | 春日太一 | 評者 鈴木毅鈴木毅(進駸堂書店中久喜本店)
- ^ 殺陣 1993, pp. 222–226.
- ^ 由原木七朗「スター随想 役者・松方弘樹」『近代映画』1970年4月号、近代映画社、178頁。“コラム 『最後の映画スター』”. 合同通信オンライン (合同通信社). (2017年). オリジナルの2017年3月27日時点におけるアーカイブ。 2021年2月10日閲覧。
- ^ “芸能一家出身の近衛はな、父親の目黒祐樹との「突き飛ばして、貧血…」な激しい共演秘話を告白!”. シネマトゥデイ (2010年2月5日). 2021年2月27日閲覧。
- 1 近衛十四郎とは
- 2 近衛十四郎の概要
- 3 来歴・人物
- 4 主な出演
- 5 脚注
固有名詞の分類
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