近藤喜文
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近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。スタジオジブリ所属。新潟県五泉市出身。妻はアニメーション色彩設計者の近藤浩子(旧名:山浦浩子)。1子あり[1]。
- ^ a b c d 『ふとふり返ると-近藤喜文画文集-』近藤喜文 1998年3月31日 徳間書店 pp.102 - 103
- ^ 『ふとふり返ると-近藤喜文画文集-』近藤喜文 1998年3月31日 徳間書店 p.104
- ^ 『新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド』安藤雅司インタビュー 2016年8月27日 角川書店 pp.66 - 69
- ^ 『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』松原秀典インタビュー 2016年10月26日 双葉社
- ^ 大塚は記憶にないという。
- ^ a b “WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第25回 ハリウッド勤務”. www.style.fm. 2024年4月6日閲覧。
- ^ 「近藤喜文さんのこと」2010年7月7日 土筆塾ブログ
- ^ 読売新聞、1998年1月22日、朝刊35面
- ^ 機関紙『国公労新聞』第943号のインタビュー
- ^ a b 近藤喜文展 - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI
- ^ 「『火垂るの墓』から、はや二十四年」『アニメーション、折にふれて』岩波書店、2013年、pp.122 - 123。初出は『百瀬義行 スタジオジブリワークス』一迅社、2011年)
- ^ a b 鈴木敏夫「高畑さんとの勝負だったこの映画。いまでも緊張の人はほどけない」『ジブリの教科書 かぐや姫の物語』文藝春秋<文春ジブリ文庫>、2018年、pp.39 - 56
- ^ a b c 『アニメーション、折にふれて』高畑勲 2013年12月5日 岩波書店 p.88
- ^ 『ふとふり返ると-近藤喜文画文集-』近藤喜文 1998年3月31日 徳間書店 p.56
- ^ 『近藤喜文の仕事 -動画で表現できること-』安藤雅司・スタジオジブリ責任編集 2000年1月31日 スタジオジブリ p.53
近藤喜文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:39 UTC 版)
近藤喜文は『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』において彼抜きではこの両作はあり得なかった。『赤毛のアン』などで日常生活の「キャラクターアニメーション」(人物の性格・ひととなりの活写)をこころざして近藤はとても良い仕事をした。『火垂るの墓』において近藤に課せられた目標は「日本人をちゃんと描こう」ということだった。こうあってほしいという理想主義的なキャラクターでもなければマンガ的様式的なキャラクターでもない、まぎれもない日本人がこうあった、という現実的なキャラクターでなおかつ日本人の尊厳を保ちながらユーモアをまじえて捉えることはできないかということを目指した。近藤は自分の作ったキャラクターならば斜め仰向きの顔などどんな難しいアングルでも感じよく描くことができた。
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