近藤光史とは? わかりやすく解説

近藤光史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 06:17 UTC 版)

近藤 光史(こんどう みつふみ、1947年(昭和22年)7月12日[1][2] - )は、元毎日放送アナウンサー。現在は、昭和プロダクション所属のフリーアナウンサーとして、関西を中心に活動している。身長170cm。


  1. ^ a b c d e 『こちら・あどりぶランド』 1986, pp. 58–62.
  2. ^ a b c d e f g 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、257頁。NDLJP:12276264/129 
  3. ^ 著書『夢が我が家にやってきた』第6章第1節「夢が我が家にやってきた!」を参照。生後2~3歳まで岡山市で過ごした後に、実父の仕事の都合で、5歳頃まで阿倍野区に住んでいた。
  4. ^ 近藤が入学した当時は、14:00から夜間まで開講する夜間学部(第二部)であった。
  5. ^ 前任は後のフジテレビアナウンサー・松倉悦郎で、僧侶に転身した松倉が主催する会で近藤が講演をしたことがある。『思聞のひとりごと』2014年12月21日付記事「”近ちゃん”善教寺本堂で吠える!」
  6. ^ 『夢が我が家にやってきた』第4章第1節「音楽と私」より。近藤の在学当時は、東京を中心に、日本各地で学生バンドのライブが頻繁に開かれていた。そのため、近藤は大学生でありながら、司会者としてのギャラだけで当時の大企業の管理職に相当する収入を得ていたという(p.168を参照)。
  7. ^ 『夢が我が家にやってきた』第1章第3節「虫下しの日々始まる」pp.30-31より。同書によれば、当時の社長・斎藤守慶が近藤や藤本永治(当時のアナウンサー室長)に相談することなく辞令を出したため、当初はアナウンサーとの兼務扱いでプロジェクトに携わっていたという。
  8. ^ 『夢が我が家にやってきた』第1章第2節「最後の楽園から」p.24を参照。
  9. ^ 『夢が我が家にやってきた』第1章第1節「虫が湧いた日」pp.16-19を参照。近藤がタヒチで経営した会社では、結婚式などの撮影用に、現地で唯一日本のテレビ放送規格に見合った機材を保有していた。そのため、(毎日放送・NHKを含む)日本の放送局が核実験関連の取材でタヒチを訪れるたびに、近藤が「元・放送人」のよしみで上記の機材を貸与したという。
  10. ^ 『夢が我が家にやってきた』には、ジオラマの写真を多数掲載しているほか、第6章第1節「夢が我が家にやってきた!」で自宅にジオラマを作るまでのいきさつが綴られている。
  11. ^ 65歳MBS近藤氏、4度目は34歳差婚(『日刊スポーツ2012年11月28日付記事)などより。
  12. ^ 『夢が我が家にやってきた』第4章第1節「音楽と私」p.167を参照。
  13. ^ 『夢が我が家にやってきた』第4章第1節「音楽と私」p.162を参照。
  14. ^ 前掲書『This is こちらあどりぶランド』での水野の自己紹介より。ちなみに水野は、1991年から毎日放送に正社員として勤務した後に、アナウンサーの活動を続けながら2018年12月31日に定年で退職した。
  15. ^ 『夢が我が家にやってきた』第1章第2節「最後の楽園から」を参照。
  16. ^ 『夢が我が家にやってきた』第1章第3節「虫下しの日々始まる」p.37を参照。
  17. ^ 『夢が我が家にやってきた』第4章第3節「声が出ない恐怖」pp.178 - 188を参照。
  18. ^ 始球式の模様は、GAORAで中継されたほか、馬野雅行(MBSアナウンサー時代の最後の部下)の実況による『MBSタイガースナイター』(MBSラジオ)でも放送された。
  19. ^ 毎日放送 基地反対運動巡り、社長が謝罪 司会者の不適切発言 毎日新聞 2018年1月19日
  20. ^ “反対市民取材 ラジオで報告/毎日放送 近藤さん”. 沖縄タイムス+プラス. (2018年2月28日). http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/216004 2018年4月9日閲覧。 
  21. ^ ラジオ日本でも1度だけ、2013年3月22日(土曜日)の9:00 - 9:30に放送(当日の公式番組表[リンク切れ]を参照)。
  22. ^ 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年9月1日、177頁。 
  23. ^ 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年9月1日、178頁。 
  24. ^ 毎日放送編・著『まるのまんま あどりぶランド』(シンコーミュージック、1987年)に記載の「毎日放送アノンシスト賞受賞記録」より
  25. ^ 1983年から放送。同番組での企画がきっかけで、日本コンピュータクラブ連盟が設立された。
  26. ^ ナイターオフ(10月 - 翌年3月)期間限定で、月~金曜の20:30から1時間放送。タイトルのKYU-KAN-CHOは、九官鳥から取っていた。近藤は、主に月 - 木曜でメインパーソナリティを担当。
  27. ^ 未知やすえ大田良平(出演時点では同局アナウンサー)とともに司会を務めた。
  28. ^ パネリストとして出演。
  29. ^ JRN系列の企画ネット番組。TBSラジオなど一部のネット局では、『生島ヒロシのおはよう一直線』(MBSラジオでは未ネット)で、木曜日の内包コーナー「生島ヒロシのイチから始める資産運用 アーカイブ 2011年12月19日 - ウェイバックマシン」として放送。
  30. ^ 『こんちわコンちゃんお昼ですょ』と同じ時間帯のラジオ番組でパーソナリティを務める桑原征平とともに、「ナニワスター」としてゲストで出演。
  31. ^ 近藤と同じくMBSラジオの生ワイド番組(『ありがとう浜村淳です』シリーズ)でパーソナリティを務める浜村淳と共に、「関西の重鎮」としてゲスト出演。
  32. ^ 司会のオール阪神が同年4月から『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』の金曜パートナーを務めている縁で、阪神と共に福井県敦賀沖で夜釣りに挑戦。
  33. ^ 『こんちわコンちゃんお昼ですょ』では、全国のラジオ番組では珍しく、1回の放送で同社のラジオショッピングコーナーを2回挿入。その縁で、『ラジオのちから2015』にも出演した創業者の高田明とは、長年にわたって親交がある。
  34. ^ “あいはらMCラジオ特番、山里、赤江珠緒、コンちゃんらパーソナリティに質問”. お笑いナタリー (株式会社ナターシャ). (2018年5月21日). https://natalie.mu/owarai/news/282993 2018年6月4日閲覧。 


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